−1−


街中に金のモールとモミの飾りが溢れていた。

行き交う人々の顔が華やいでいる。

クリスマスの晩だった。

家族連れやアベック、友人同士……。いくつもの群れが動いてゆ

く。

その雑踏の中を、アイレス・ロードはコートの襟を立て、急ぎ足

に歩いていた。ゆったりと流れる賑わった人混みを、半ばうんざ

りしながら、かきわけるように進んでいる。

ウインドウのきらびやかな明かりをチラリと見ながら、彼は小さ

くタメ息をついた。

(なんだって……人間は、こんな祭りが好きなんだ)

どこか自分だけ取り残されたような孤独を感じながら、それでも

彼はなるべく無関心に、並んだショウケースを睨んで歩き続ける。

(……ったく。人ってやつは……どこに行っても、どれだけ経っ

ても、中身はあまり変わらないものだな)

今度は大きな息をついてみる。その姿が一瞬停まり、ウインドウ

に全身が映った。

ストレートの長髪と均整のとれた長身。女性に似た美しさを持つ

容貌の細い眉の下には、どこか茫洋とした瞳が憂鬱そうに沈んで

いる。瞳の色は、ダークブルー。その色は、彼の、腰までのびた

長い髪と同じだった。

紺碧の髪は、この星系でも、さすがに珍しい。

ここは惑星ストア。

銀河系の中心近くにある、地球型のこの星が開拓されて、すでに

100年以上経っている。首都アパテイアには、高層ビルが建ち並び

その間をぬうようにはりめぐらされた透明チューブの中をエアカー

がひっきりなしに走っていた。   

人類が超高速飛行を可能にし、地球を捨て太陽系を後にしたのは、

今から150年前のことである。今では、約70の惑星に人が住み、

もっとも早くから発見されたストアを、首都惑星と定め銀河系は、

いくつもの連邦惑星群から成っていた。

その、宇宙漂流時代に浴びた、未知の磁気やスペクトルがこんな変化

をもたらしたのだろうか。メインストリートは、おびただしい髪の

色でごったがえしていたが、それでも彼の色は、人目を引いた。

しかし、そんなことには一向に頓着せず、アイレスはアパテイア

の夜を、ほとんど駆け出しだしそうな勢いで歩いている。

ターミナルで、彼はコンピュータ制御の無人エア・カーをつかまえると、

人の流れとは逆向きに走らせた。

いつもに増したイルミネーションの洪水。

赤、青、黄、緑の光の点が、まるで宝石のように暗い宇宙空間の

下に散りばめられ、その中を、エアカーが滑るようにくぐりぬける。しかし

彼は、人々の笑顔をほとんど敵視するかのように、窓の外すら見ない。

しばらくすると、辺りが急にひっそりと暗くなった。






都心から離れると、ようやく、ほっとしたように、アイレスは外を眺めた。

このまま家に帰っても誰が待っているわけじゃない。両親はずいぶん前に

病死していたし、他に家族もないのだ。

それでも、今の彼には、人混みよりはマシだった。

(昔は……こんなふうじゃなかったんだが……。もっと………普通に笑っ

て……………あいつがそばにいた頃は……)

あいつ……。

アイレスの親友、テラ・ドールは、よく笑う男だった。

光が、いつも周囲にこぼれているような少年顔の大きな瞳で、透き通るよう

な淡い緑がかった金髪をしていた。

彼は、その歳にしては、いろんなことを知っていた。知っていてなお、優し

く笑える青年だった。

彼といると、自分まで優しくなれる。

そんな不思議な人間だった。

(俺たちは………)

中学で出会って、同じ高校に入って大学に行って……そして、いつのまに

か、このままずっと一緒にいるのだと思っていた。

(あんな事件さえ起きなければ……)

もう何度となくくり返した言葉だ。そして、これからもくり返すだろう……

深く暗く冷たい穴のような記憶。

(俺が……あいつを殺したなんて……)

その時のことを思うと、今でも、気が狂いそうになる。

目の前でバラバラに吹き飛んだ体。

でも、その時も、テラは微笑んでいた。

都心から離れるエアカーの中で、おもわずアイレスは声をあげそうになり、

口元を掴むようにおおった。

(どうして……あの時……この腕が…………)

常人とは異なる、妙に重みのある腕を自身で抱きかかえるように身を縮め

て、彼は、嗚咽をこらえた。いつも仕事では人間離れした対応力を駆使する

自分が、このことだけは、考えると袋小路の迷宮だ。それでも思い出さず

にはいられない。底のない記憶の穴にまた落ち込んでしまう。

そう感じて奥歯をギリッと噛んだ時。

ガクンと、大きく揺れたかと思うと、急に景色が停まった。

「…………?!」

気付くと、フロントガラスが、警告ランプで真っ赤に反射している。我に

返って、後部シートから身をのりだしてみる。けれど、障害物があるわけで

もない。

「………?」

怪訝な顔で見回す彼の耳に、後部のスピーカーから、トラブルを告げる合成

音が入ってくる。

どうやら、めったに起こらない故障らしい。

「…………やれやれ」

幸い後続の車体も見えず、細長い空間の中で、宙に浮いたまま、エアカーは

静かに停まっている。暗い思い出から現実に引き戻され、半分ほっとした顔

でため息をつくと、天井についている非常用の連絡ボタンに手をのばした。

隣にはインターホンがついており、押せば、管理会社と直通で話ができる。

ところが。

確かに小さな透明ケースを開け、中の赤い突起を押したはずだ。

その瞬間、何が起こったのか、よくわからない。サービスセンターにつなが

るはずのスイッチを押したとたん、天地がひっくり返った気がした。








大人が両手を広げて一抱えもあるほど大きな、二連星の真っ青な月が見え

る。

アイレスは地面から起き上がると、体にかぶったホコリと窓の破片を払っ

た。数歩離れた場所には、潰れたエアカーがひっくり返っている。さっきま

で彼がいた透明チューブは、はるか頭上に小さく見えていた。

「いったい……どういうことなんだ」

不機嫌というより呆れた顔で、アイレスは、破れたチューブを見上げた。

ちょうど月がかかって、破損したばかりの切り口が蒼く光っている。そこを

突き破って、今しがた車ごと転落したのだ。

「信じられんな。……フツーの奴なら死んでるぞ……」

もっとも、彼が驚いているのは、数十メートルも転落してほとんど無傷な自

分の体ではなく、クルマの不審な挙動のほうなのだが、バクハツこそしな

かったとはいえ、ちょっとありえないような大事故だった。

(どーなってるんだ……。しかも……)

近付いて調べながら、アイレスはますます困惑した。クルマは、事故信号も

出さずに廃車になっている。こんな場合は、自動的に交通管理局に向けて発

信されるハズなのに、何の応答もなかった。

(まいったな……)

さほど困ってもいない調子で、彼は、とりあえず助けを呼ぼうと胸の内ポ

ケットからカード型の通信装置を取り出した。誰でも携帯しているデンワ

だ。星の裏側でも話ができる。ところが、

(圏外………?んなバカな……)

しきりと聞こえるのは雑音ばかりで、どこにもつながらない。

(こんなこともあるものか……)

いよいよ本格的に困ってきた様子で、彼は頭上を見上げた。

破損したチューブの砕けた面からは、ぶくぶくと泡のような液体が出てい

る。もうすぐ何ごともなかったかのように修復してしまうだろう。安全上の

自動システムなのだが、このままでは、誰も気付いてくれそうにない。

(まいったな………)

今度こそ本当に困った顔で、アイレスは暗い空を見上げた。体はもう、感覚

もないほど冷えきっている。

完全に温度調節された都市内と違って、ここは自然環境が剥き出しなのだ。

北半球の中緯度にあるアパテイアには四季がある。

いつの間にか、みぞれがチラついていた。

(とにかく)

このまま、立っているわけにはいかない。

交通チューブは、都心と各居住区をつないでいたが、その途中は、だいたい

何かのプラントか、ただの荒れ地になっていることが多い。とにかく人工建

造物に当たれば、連絡もつけようがある。

(ま、さがしてみるか)

その場で助けを待つほうが懸命なのかもしれないが、どうも彼は、こんな

時、同じ場所にじっとしているだけのこらえ性がない。

もっとも、あまりの寒さで、動いていなければ、このまま死んでしまいそう

だった。

(ええと……この辺は……確か………?)

背後の闇に一歩踏み出したところで、突然、彼は立ち止まった。

(ハイウェイの明かりで、全然気付かなかったが……よりによって、こんな

所で……)

夜目に慣れると、目の前には、黒々とした何かがそびえている。廃虚のよう

な建物が遠くまで群がるように続いていた。

(ここは………D-13地区じゃないか)

地盤の関係で送水管がうまく引けず、数十年前に開発途中で放置された地区

だ。

行政管理からはとっくに外されているのだが、当時の建物がまだ残っている

ため、事情があって行き場を失った者や犯罪者などが勝手放題に入り込み、

今では、えらく物騒な場所になっている。

(なんてこった……)

踏んだり蹴ったりとは、この事だが、荒野のどまん中よりは、都市との連絡

手段がありそうな気もする。

(………いいか。仕方ない。ま、ここに入れば必ず、何かされるってわけで

もないからな)

ちょっとためらってから、案外平然と、アイレスは足を踏み入れた。

暗がりも、慣れてしまえば、思ったより明るい。

とけかかった氷の雨を時々うっとうしげに払いながら、急ぎ足で、けれど辺

りに十分気を配りながら歩いてゆく。いつ襲われても反射的に動けるよう、

両手を上着のポケットから外に出した。

しんとした夜のなか、足音にまぎれて、アイレスの右手と両足が、人間の耳

には聞こえない波長で機械音をたてている。

この時代、精巧に作られた義手、義足は、外見も機能もほとんど生身と変わ

らない。ただ、彼の場合は少々特注品だった。

(おかげで、助かったけどな……)

わずかに顔をしかめて、アイレスは左足に視線を落とした。さっきから、関

節が時々妙に痛む。転落する瞬間、とっさにドアを開け飛び下りたのだが、

さすがに高さがありすぎた。

(50メートルは、あったからなぁ……)

車ごと潰れるのは免れたが、着地で、過付加になったらしい。

(……壊れとったら……また文句言われるな……)

いつも整備してくれるユーリー・クリックの不機嫌な横顔を思い出し、肩を

すくめる。長いつきあいだが、性格のバランスのせいかどうも妙に頭が上が

らない。アイレスは、やや憂鬱な瞳を前方の地面に落とした。

と………。

(……………?)

それは、道端に落ちていた。

食べかけの菓子パンか何かのように無造作に。

(子供…………?)

十才くらいだろうか。細い、剥き出しの肩にみぞれが積もっている。透ける

ほど薄い夜着のような服が心細く巻き付いているだけの体は、すでに半分ほ

ど埋もれており、皮膚は、凍った地面の一部のように変色していた。

(行き倒れだな…)

どう見ても生きているようには見えない。

(………気の毒に……)

この辺りでは珍しいことではないのかもしれないが、年令にちょっと同情し

て、思わずアイレスは立ち止まった。

その時。

急に、ぴくりとそれが動いた気がした。

(生きている………?)

アイレスは近づいてそこに片膝を落とすと、半信半疑で子供の肩に手をかけ

た。

固く、冷たい。

(やっぱり気のせいか……)

と、氷を乗せた髪がバサリとめくれ、顔が露になった。

(…………え?)

暗がりの中に、透明な彫像のような美が浮かび上がる。雪よりも白い肌にか

かった長い前髪。天使の絵画から抜け出たような少年だった。

血の気のない唇が、にもかかわらず、まるで真っ赤なバラの花弁のようにな

まめかしい。

もっとも、彼が驚いたのは、そんな事ではなかった。

(………死んだ、テラ・ドールに似ている……)

一瞬、そう思ったのは何故だろう。よく見ると、かなり違っていたのだが、

とっさにそんな気がしたのだった。

(髪のせいか……?)

彼と同じくらい珍しかった、淡い緑の金髪。それと同じ色をしている。

が、その瞬間。

長い、緑に煙ったまつげが小さく震えた。

ゆっくりと瞳が開く。

ライト・ブルーの澄んだ大きな瞳だった。

唇が動いた。

「お……」

空気を飲むように、苦しげに口が動く。細い絹糸のような声がぷつんと途切

れ、なにか言っているのだが、よく聞き取れない。

「え……あ……お、おいっキミ!しっかりしたまえ!!」

呆気にとられていたアイレスは、ようやく事情を飲み込んだように、つかん

でいた細い肩を揺すった。

少年は何か言っている。聞き取ろうと顔を近付けたその時、存外しっかりし

た声で、続きが聞こえた。

「お兄ちゃん……」

「え……?」

「ずいぶん、きれいな男の人だね……。今晩僕と付き合わない?」

「はあ?」

とっさに、何を言われているのか、アイレスにはわからない。彼は突拍子も

ない声を上げてその子供を見つめた。

「僕、ルディアっていうんだ」

それにかまわず、その少年はフラフラと起き上がる。少し疲れているよう

だったが、今まで倒れていたとは思えないほど、自然な動きだ。

そのまま、カラリとした調子で、彼は言った。

「一晩に数人はキツいけどさ…………君、気に入ったから安くしとくよ」

「気に………いったぁ?」

暗がりに、アイレスの声が吸い込まれる。

二人の上で、みぞれが静かに雪に変わった。








日当たりのいい高層マンションの一室は、こざっぱりと片付いている。必要

最低限の家具しかないシンプルな部屋は、住民の性格だろう。

白い壁に囲まれた木目調のだだっ広い床に、ベッドと小さなテーブル、それ

にソファがおいてある。

そのソファに腕を組んで座りながら、アイレスは、さっきから小難しい几帳

面な表情で前方を睨んでいる。

視線の先には、ベッドの上で細い足をブラブラさせたルディアが、悪気のな

い顔で座っていた。

「じゃあ、何か?キミはその……ずっと、そーゆー法律に反した、いかがわ

しい行為を行って生きてきたわけか?」

「そうだよ」

なんの問題もない口調で、ルディアが答える。しょっちゅうアパテイアの歓

楽街まで出稼ぎにでているという彼の案内で、ようやくアイレスは都市の交

通機関に辿り着き、自宅に戻ってこれたのだが……。

何百キロも歩いて、死にそうな思いをしたのはアイレスだけで、この少年

は、人間かと思うほどケロリとしていた。

あれから、すでに三日たっている。そのまま帰すには人道に反する気がして

引き止めたが、この三日間、あまりにも食い違う常識に、アイレスは、やは

りあのまま帰したほうが良かったのではと思い始めていた。

「そうって……君……」

「だって、別に、あそこじゃ普通だもん。僕、悪いことしてるわけじゃない

し」

「何言ってるんだ。立派な犯罪じゃないか」

「どうして?誰も困ってないんだからいいじゃない」

「あのねぇ………。自分の人生だろ?そんなふうに安売りして傷つけて、そ

れでいいのか?」

「フツーのオトナってさ……よくそう言うよね」

さほど気にもしてない様子で、ルディアはあっさり返した。

「安売りかどうかは自分で決めるんだと思うよ?傷つくと思ってるヤツはや

らなきゃいいし、僕はそう思ってないんだから。まあ………」

と言って彼はごく自然に笑った。

「たしかに体はキツイけどさ。まっとうに働いてると思ってる人達だって、

そうたいして偉いことしてるわけじゃないでしょ?結局、楽してちまちま稼

ぐか、ちょっとムリしてガバッ稼ぐかの違いなんじゃないの?」

どうも子供のセリフとは思えない。くったくない笑みだ。妙にスレてるわけ

でもなく、あまりに自然な様子に、たまった疲労が倍増しそうな気がして、

アイレスは、とりあえず少し話を変えた。

「じゃあ……だいたい、なんで君は、あそこで倒れていたんだ」

「倒れてなんかないよ。眠くなったから寝てただけだよ」

「寝ていたぁ?」

「うん」

確かに、この少年は、どこでも寝てしまう。台所であろうが、玄関だろう

が、眠いとその場で床に転がる主義らしい。ずっとそうしてきたせいか、特

に住む場所が決まっていなくとも、本人は気にも留めてなかった。

(わからんな……。どーいう育ち方をしたんだか……)

本当に困惑した顔で、アイレスは吐息をついた。

「じゃあ、キミの家族とか……ご両親は?」

「さあ………?」

わざとはぐらかす、というふうでもなく、本当に考えたこともないように、

ルディアは首をかしげた。

「わかんないよ。気がついたらさ、独りだったしさ」

「それじゃ、そのルディアってのは誰がつけたんだ。自分で考えたのか?」

「ううん。違うよ」

それだけはハッキリしてるとでもいいたげに、彼は言った。

「僕はルディア。なんだかわからないけど、絶対ルディアっていうんだ。ホ

ントだよ」

「では、ルディア……なんだ?それ、ファーストネームだろ?ファミリー

ネームは?」

「ないよ。そんなの。ルディアはルディア。それしかないんだってば」

「おまえの言うことはサッパリわからんな」

「わかんなくないよ。だって、頭の奥がそう言ってるし……ホラここにも書

いてある」

素足の裏を、ひょいと、彼はあげてみせた。

「…………?!」

まるで、生まれついてのアザのように浮き出ている、小さな赤い文字。

ルディア-No.138

確かにそう読めた。

「………痛ッ」

急に、ソファから立ち上がって覗き込んでいたアイレスの頬が、ひきつっ

た。思わず体重をかけてしまった左足に激痛が走る。

あの事故の時の鈍い痛みが、2日以上無理に歩き続けた今では、ほんのわず

かに動かしただけでもガマンできないほど悪化していた。

「アイちゃんさぁ、やっぱり、すぐ医者に行ってきなよ。エアカー配車して

あげるからさ」

とたんに世話好きなオバさんみたいな顔をして、ルディアが言いだす。顔を

しかめて、アイレスはソファの背に手をかけた。

「おまえに言われなくても行ってくるさ。だいたい、配車って……俺が呼ぶ

んだろうが!それに、そのアイちゃんっての、やめてくれないか」

苦痛と、さっきから別な人類と会話しているような動揺で、アイレスはすっ

かり不機嫌になっていた。なのに

「いってらっしゃい。アイちゃん」

と言って手をヒラヒラさせたルディアは、人の話を聞いてなかったみたいに

ニッコリ笑っている。

(コイツは………)

外見に騙されたような理不尽な気分で、それでもアイレスは良識的に念を押

した。

「いいか?まだ聞きたいことは沢山あるんだ。俺が帰ってくるまで、ここに

いろよ?勝手に商売に出るんじゃないぞ、売春少年!」

「え〜?」

という顔をルディアはしたが、なにやら納得したように

「まあ、いいよ」

と軽く頷いた。

「泊めてくれたお礼に、夕飯作って待っててあげるからさ」

「……………お礼かよ……」

アイレスは頭をかかえ、足をひきずりながら、ようやく部屋を出た。



-2-



アイレスの主治医であるユーリー・クリックは、アパテイア中心地区の外れ

に住んでいた。

小汚いビルの一階に開業している医者だ。本人はすぐ上に住んでいる。もっ

とも、あまりに薄暗く陰気臭い外装なので、一見して診療所には見えない。

実際、近所の人間は、倒産した有限会社の事務所が放置されているのだと思

い込んでいる。

なにしろ外来診療をしないから、いつもドアは締切りだし、滅多

に明かりもつかない。

ビルの正面でエアカーを降りると、アイレスは細い隙間から裏口に回ってベ

ルを押した。

意外に華やかで軽い音がする。5度目に鳴ったとき、ドアが音も

なく開いた。人は出てこない。勝手に上がってこいということら

しい。

狭い階段を登ると、すぐに部屋のドアに突き当たる。

しかし、ここまで来ても、本人が出迎える気配はなかった。

(あいつ……居るくせに……)

壁につかまって階段を登るのに、かなり苦労した彼は、舌打ちしながら暗証

番号を入れ、ドアのロックを解除した。

その男は、まだ出てこない。

仕方なく、そのまま壁をつたい、やっとのことで書斎にたどり着き、自動ド

アのスイッチを押した。




「なんだ…?そのザマは………?」

開口一番、ユーリーは机の前で椅子に足を組んで座ったまま、ジロリと、

入ってきた彼を見上げた。

「高層ビルの屋上からダイブでもしたのか?」

「まぁな。そんなトコだ」

ようやく体を支えながら、アイレスは苦笑してみせる。駆け寄って手を貸す

でもなく、ユーリー・クリックは、ただ眺めている。

ヒネた医者だ。愛想も悪い。

しかし腕はいい。医学博士と工学博士の両方取得した、この星系

でも珍しい義手義足の専門医だった。クチコミで広がった名声で、

一ヶ月に何十人かはここを訪れる。遠来の患者が多かった。




「ふーん。そりゃあ災難だったな」

メカニックな寝台の上に横たわったアイレスの手足に、細いコードを何本も

取り付けながら、ユーリー・クリックはアイレスの話にテキトーな相づちを

うった。

「おまえ、本気で言ってないだろ?」

半ばグチのように、寝ている彼が言っている。

「まぁな。どうせ他人事だ」

「あのなァ」

医者と患者、整備士と機体という腐れ縁だ。ところが、この医者、華奢な

容姿に似合わず、ひどく口が悪い。

亜麻色の髪は軽く背にかかり、長い前髪は十代後半に見える。立ち上がると

背もさほど高くない。しかし、前髪の間に光る瞳は、得物を射すくめるよう

に鋭い。背後から近付くと可憐な少女にも間違うその姿が、正面からは、や

けに大きく見える。歳も、見かけを大きく裏切っていた。

「しかし……」

そう言いながら、彼は慣れた手つきで、壁一面に埋め込まれた複雑な機械を

いじっている。

「落とし物は警察へ、じゃないのか?」

「俺も最初はそう考えたさ。けど……」

「けど?」

「あのまま引き渡したところで、そう簡単に改心するとは思えんし……。あ

いつ、きっとまたすぐ……」

「商売再開するんだろ?それで、とりあえず置いとく気になったわけか」

「まぁな」

「意外だ」

きっぱり言い切って、ユーリーはスクリーンに大写しになった手足の内部を

睨んでいる。アイレスは苦笑した。

「悪かったな。俺だってたまには……」

「いや、おまえには好いと思う」

注意深く各所の抵抗値を調べながら、ユーリーは頷いている。

「あんなことがあってから厭世家になっているようだが、もともとおまえは

俺と違ってお人良しなんだ」

「あんなこと……か……」

茫洋としたダークブルーの瞳が、とたんに生彩を失ってどんより漂う。

「どうして……あの時……」

「………?」

「テラが死ななきゃならなかったのかな」

「仕方なかろう。ヤブ医者の作ったおまえの義手が………脳とのリンクが不

完全で、突然暴走して…それを止めようとしたテラが巻き添えをくった。過

熱しすぎて吹っ飛んだおまえの左手が、たまたま、それを押さえていたテラ

の首も吹き飛ばした。それだけだ」

「それだけって……そんな……ただの事故で済ませられるなら………俺は…

…」

「ちがう。あれは、事故じゃない!……事故じゃなくて、寿命だ」

途中まで言いかけたアイレスに、突然ユーリーの言葉が重なった。その語気

に、ちょっと驚いた深い青色の視線を、白衣をひっかけた背中がさえぎって

いる。

「テラは……」

と、ユーリーは背を向けたまま改めて言い直した。

「……俺の双子の弟とは思えんほど、よくデキた奴だった。親父とお袋が離

婚して、俺は親父に、あいつはお袋に引き取られた時も……俺たちは、まだ

6歳にもならなかったのに……泣いて騒いだ俺の手を引いて、あいつは黙っ

て首を振った」

『お兄ちゃん、仕方ないんだよ。パパとママの事はパパとママにしかわから

ないんだから……』

「あんまり出来すぎて……いかにも早死にしそうな奴だった。あの歳で、人

が一生かけて気付くようなことは、たいてい知っていた。だから、寿命だっ

たんだよ。決しておまえのせいじゃない」

「………かも……しれない。……でも……」

煮え切らない答えをくり返すように、つぶやいたアイレスが、いきなり寝台

から跳ね起きた。

「うわぁッ!……痛ッ痛たたッ……………ッ!!」

「はーん。ここだな……」

スクリーンを凝視していたユーリーは、ようやく破損した小さな箇所を見つ

けだし、大きく変動している抵抗値のグラフに目をやっている。

「しかし……こいつは…いかに名医の俺でも、部品どころか脚ごと交換せん

といかんかも……」

「め……名医なら、患者の負担を最小限にするもんだろ!どうでもいいが、

この痛み、なんとかしろよ!!さっきから散々、我慢してきたが、ここまで

くるともう限界だ!!!」

「ふん。誤った使用法で使ったおまえが悪い。だいたい、この脚は、職務を

考慮して30メートルまで自由に昇降できるよう設定してやったんだぞ。そ

れを………」

「ああ、悪かったな!もう少し高かったんだよ!!」

「わかったから、暴れるな。手術はちゃんと痲酔つきでやってやる」

「と……当然だ!!」

「おい、動くな。写真がブレる。そんなに痛けりゃ何かにつかまってろよ。

そうだ……ほれ、これでも抱いてろ」

スクリーンの画像を、コンピュータのディスクに落としながら、アイレスを

振り返りもせず、彼は黄色いカタマリを放った。

「なんだ、こりゃ……」

「ぬいぐるみ。最近流行ってるキャラクター商品だ。いつも子供の患者が来

たときに与えとく」

「俺は子供か!」

「似たようなもんだ」

「歳、いっしょだろ!」

「過ぎたことをクドクド言ってるあたりが、お子さまなんだよ」

ものすごい形相で冷や汗を流しながら怒鳴っている患者に近付くと、ようや

くユーリーは小さな筒型の注射器をその首に圧し当てた。

「仕方ない。これで勘弁してやる」

「これで……って……」

とたんに、首から下の感覚が麻痺した体が、崩れるように、うつぶせに倒れ

こんだ。

「とことん、鬼畜な奴だな」

恨みがましげに蒼い髪の間から見上げている瞳に、ユーリーは、意地悪く

笑っている。

「これで、痛みは止まったろうが」

「だったら、最初から………」

「ま、それはそうだが。できれば、あんまり使いたくないのさ。人工肢体用

の薬は、効き目は確かだが、まだまだ副作用も確かなもんでね」

「……………」

「今の、俺は経験したことないが、普通の奴なら気絶するくらい痛いってこ

とは知っている」

「………やっぱりイヤガラセだな」

「昔から、おまえたちほど性格が良くないのさ」

「おまえ……たち?」

「テラは……おまえが好きだった。あいつは、自分より、おまえのほうがい

いヤツだと思ってたんだ。多分……あいつが今の辛気くさいおまえを見た

ら、がっかりするだろうよ。むしろ………」

そう言って白い唇が、からかうように笑った。

「更正が必要なのは、その拾った売春少年なんかより、おまえのほうじゃな

いのか?」

自分では動かせなくなった体を、肩を抱えて起こしてやり、跳ね飛ばされた

枕を拾って頭を載せる。うっとうしくバラバラに広がった青い長髪をまとめ

て枕の後ろに流してやりながら、ユーリーは珍しく微笑んだ。

「もっとも、後悔してるのは、俺も同じだ。もう少し早く、俺が一人前に

なっていれば……。あの時の俺に、せめて今ぐらいの技術があれば………」

本気とも冗談ともつかない口調で、彼は笑った。

「名医の俺が、最初からおまえの腕を作ってやれたのにな」

アイレスは、笑わなかった。

彼は、なぜ、目の前の男が、難関を突破して珍しい商売をしているのか知っ

ている。

生まれつき手足のなかった、二人めの弟の為だった。

宇宙線の影響で、不完全な出産が頻発したなか、百年ほど前になって、「機

械による、なめらかな動き」という画期的な技術が可能になった。以来、人

工肢体は飛躍的に進歩した。そして、ほんの数十年前に人工ニューロンと脳

の接続が成功し、とうとう脳からのパルスで自在に動かせる、つまり本物

そっくりな義手義足が実現したのだった。

しかし、まだ莫大な費用がかかるうえに腕の良い専門医が少ない。普通は大

学病院などで、医者と工学技師が共同チームを組んで大掛かりに行われる。

私財をすべて投げうつ覚悟があっても、普通の家庭では難しかった。

ユーリー・クリックの父は、再婚した相手との間に、もう一人子をもうけた

が、運悪く最重度の障害をもっていた。

再婚した若い妻は家庭に落ち着かない派手な女だったが、施設にあずけるこ

とを反対した夫のために、身体の不自由な息子の面倒をユーリーに見させて

出歩いていた。

『あの女は嫌いだが、弟は可愛い』

ユーリーは、よくそう言っていた。

『生まれつきそうだと、ショックも少ないものなのか。動けなくても、それ

を気にする奴じゃなかったんだ。だが、俺は、あいつを走らせてやりたくて

……』

しかし、彼が免許を取る前に、弟は死んだ。彼がちょっと家を空けた数分の

間の事故だった。家族のために花を活けてやろうと、鉢の並べてあったベラ

ンダに出て、過って堕ちて死んだ。

『義母は、半狂乱になって俺を責めたが……あの女の気持ちはわかる。結

局、それで俺は家を出て、以来、一度も帰ってない。俺の弟たちは、よくデ

キていて……俺も弟思いのいい兄なんだが……いかんせんどうも皆、早死に

する……』

いつか酔った時、ユーリーは吐きすてるように言っていた。

(自分が強くなれるまで、なんとかしてやれる力を得るまで、どうして、

待っていてくれないのか………)

「ま、せいぜい、おまえだけは手遅れにならんよう、最善を尽くしてやる

さ」

コピーしたアイレスの画像をチェックしながら、ユーリーは苦笑した。

「神経のリンクがいかれてる。ほっとくと、脳までダメージが回るから、今

すぐ左足ごと替えよう」

「ええ?!今、すぐ?」

さすがに仰天して、アイレスは叫んだ。

「なんだ?ココロの準備でも要るのか?」

「夕飯までに帰るって約束したんだけど」

「なら、俺が連絡しといてやる。ついでに会社にも届けを出してやる」

「ちょと、待…………」

それを無視して、ユーリーは、もう一本薬を打った。

急に意識が遠のいた顔で、それでもアイレスは頑固にわめいている。

「おまえさ……患者に嫌われてないか?嫌われてるだろ?!」

「特に苦情はでていない。数人がかりの大手術が、俺なら一人ですむし時間

も短いと大喜びだ」

サポートロボットたちの起動スイッチを入れながら、ユーリーは、手際良く

準備を進めている。

その姿がなんだか、いつもより妙に決然としているので、アイレスはつい苦

笑してわめくのをやめた。口には出さなかったが、本当は一刻を争う状態な

のかもしれない。

しばらくして、だいぶ眠気のさした蒼い瞳が、ふと、瞬いた。

「なあ、ユーリー?死んだ人間を生き返らせることが…出来たらいいのにな

…………」

「なに?」

ぴくりと、亜麻色の髪が振り返る。

「こんなに科学が発達してるんだから、人ひとり生き返らせることぐらいで

きてもいいじゃないか?」

「そんなコトができたらな、今頃、この星はゾンビで溢れ返っとる。気色の

悪い……」

「どうして?おまえだって、弟たちに会えたら、嬉しいだろ?」

「ふん。デカいナリして夢見る乙女みたいなことを言うな」

言い捨てながらも、わずかに、きつい目もとが和む。

が、次の瞬間、嫌なことを思い出したように、ふたたび険しくなった。

「そういや………誰かも同じようなこと言ってたな。死人をどうとか………

ああ、アパテイアの医師会長だ。もっとも、奴は慾がらみの話だったと思う

が……」

「医師会……長?たしか、おまえ……ものすごく仲悪くなかったか?」

「悪いさ。怨まれて、今でも、ことごとく無視されとる」

「どうせケンカ売ったんだろ………?」

「ヤツの選挙の時に、医療ミス隠蔽と汚職の件数をすべて箇条書きにして電

子ネットの掲示板に貼り出してやったんだ」

「……………」

とても、オトナのやる事とは思えない。しかし憮然として、彼は言った。

「医療ミスは仕方ないさ。医者だって人間だからな。俺も何度か失敗したこ

とはあるし……だが、奴のやり方はひどすぎる。おまえの義手が暴走したの

も偶然じゃないんだぞ?当時、機械会社が儲けようとして、安い部品が出

回った。医師会のトップは、それが危険な欠陥品だと気付いていた。だが、

リベートで口をつぐんだんだ」

「いかにも……ありそうなことだよな…」

もう、あらかた思考能力の失せた頭で、アイレスはようやく答えたが、ユー

リーは本気で怒っていた。

「おい、コメントはそれだけか?おまえ……他人事にはうるさいくせに、自

分の理不尽には寛大すぎるぞ」

「金と結びつくのは………常の世じゃないか……」

「わかってるさ。そんなこと」

(わかってはいるが……)

妙なところに正義漢な、偏屈医者はそっぽを向いている。

「ああ……そうだ。そういえば、相談しようと思ってたんだが……」

最後の意識で、アイレスは急に思い出したように言った。

「その俺が拾った子、一度、会ってみてくれ。……変なんだ。おまえの医学

者としての意見が聞きたい」

「変……とは?」

「足の裏に……妙なアザがある」

「アザ…………?」

「名前と、ナンバー。ルディア-138と………」

そこまで言って、声は途切れた。完全に、眠ってしまったらしい。

(ふーん。ルディア………ね。ルディア………?)

なんとなく引っ掛かったようにつぶやきながら、スペアの義足を取り出して

いたユーリーが、いきなり顔を強ばらせた。

(ルディアって?!………まさか………)

《後編へ》