旅は一つの幻想だ


 私は現実だけでは生きていけない惰弱な体質なので、

日常の中に必ずフィクションを取り混ぜて生活すること

にしている。余暇に漫画や小説を書くのもそのためだ。

本人の意思とはかかわりなく決定している、生きてゆく

のに避けられない「現実」というもの以外の、別な空間を

生きるもう一人の自分。それを時間のどこかにキープし

ておく。そうしていないと、いつも不満で不安で自分自身

が保てない。アッチの世界に行きっぱなしじゃあ、ただ

のアブナイ人になってしまうが、正常な社会活動だけで

は息がつまって死んでしまう。もちろん、それはゲーム

にハマるとか、他人の書いた小説や週刊誌の漫画を立ち

読みするとか、TVを見るとかでもいいのかもしれない

が、他人のつくった世界は、やはりどこか自分としっく

りしない。

 旅は一つの幻想だ。特に外国。文化の異なった国々を

巡ることは、いつもの、がんじがらめでうっとうしい日

常から私を自由にしてくれる。そこで生活するには大変

な坂道も近所付き合いも焼けつくような炎天下も、旅先

だったら未知の楽しみだ。良識ある人間の節操まで失う

ようでは犯罪者だが、少なくとも旅は、いつも感じてい

る、私を縛りつける見えない鎖を断ち切ってくれる。

 見えない鎖。日本人として生きる(もちろん人間とし

て、と言い直してもいいが)そこで生活するための良識

やら差別やらコンプレックスやら。決められた仕事をい

かに卒なくこなすかに心身を削り、気に入らない同僚に

も愛想を振りまいて、上司にアタマを下げ、つまらない

世間話に感心したフリをして、出身大学を気にしたり、

時に裏日本の人などと言われては『ええ、私、田舎者

ですから』なんてココロにもない謙遜を試みる。

ああ!なんてバカバカしい!!

 もっと自由人でいたい。他人より仕事のデキることが

そんなに偉いことなのか?好きでもない仕事に没頭せざ

るをえないとしたら、それは生きるための悲しい嘘とし

か思えない。

なぜ人は、いちいち出身地とか出身大学とか仕事は何か

なんて聞くんだろう。結婚してるのかとか子供はいるの

かとか夫は何者かなんてどーだっていーじゃないか。収

入や社会的地位や、スタイルも顔も能力も、年齢差に至る

まで、勝手にランキングつくって安心してるアホらしい

帰属意識より、これから何を夢みて何をしようとしてる

のかを語るほーが有意義ではないか?!

 失礼。こんなことを言うと、それはオマエ自身が差別

意識を持っているからだろうとか、働くのが嫌なだけだ

ろうとか、ツッコミが入るかもしれない。しかし、好みに

かかわらずなにか歴然としたものが自分を囲んでいるの

をいつも感ぜずにはいられないし、旅先での外国人の質問

NO.1『どっから来たの』『日本』これだけで済む手軽さ

が、私は気に入っているのだ。これで相手は一応納得す

るし、あとはフツーのお話でいける。日本人同士のローカ

ルな差別なんて彼らには預かり知らぬことだ。それに、一

生付き合うにはおっくうなヒトでも旅先だったら面白い

奴だし、土砂降りでさえ見物の価値がある。遠回りほど美

徳なんて国もあるし、デブほど美人とか、天下の東大だっ

て「それ、何?」で済むかもしれない。価値ですら相対的な

ものとなって、ひっくり返るのだ。

そこに住んでいない、そこで生きてない、つながれてい

ない気楽さ。それは、一種フィクションを楽しむ時と似て

いる。それを寂しいと思うかどうかは個人差として。私は

時々、自分をとりまく絶対価値から逃げ出すために、それ

が勝手に決められた相対的なものにすぎないということ

を思い出すために、マンガを描きたくなる。小説を書きた

くなる。そして、旅に出たくなる。

著者/1996,6,26 脱稿