第20話 おチンチンがいっぱい




 ターミナルから徒歩3分。自宅の1部を改造したペン

ションだ。フロントに見立てた玄関で、どことも同じよう

に宿泊カードを書く。住所、名前、国籍、パスポートナン

バー・・。そして同じようにパスポートを預ける。預かった

のは、兄とは似ない、すばしっこそうな次男だ。バスタオ

ルを運んできてくれたのは、無口に恥じらう乙女がそのま

ま歳とったようなお婆さん。彼女が二人の母親らしい。お

兄ちゃんは母親似だな。でも家計は弟が切り盛りしてるに

違いない。私は勝手に想像しながら鍵をもらって部屋に

入ったが、存外気分のいい部屋だった。一人でトリプルっ

てのもなんだが、2日前からベッドで寝ていないのだ。汗

だらけホコリだらけでたどりつくと楽園のようにすばら

しい。目の前に並ぶベッドが3つとも私のものだ。この

ゼータクさが600円とは!


 翌朝目が覚めると、庭に出したテーブルに朝食が準備さ

れていた。グリークサラダみたいな、レタス、キュウリ、

ピーマン、オリーブ、白チーズなんかにオリーブ油がかけ

てあるサラダと、堅いフランスパンみたいなパン。それに

デザートに大皿一杯に盛り付けた赤いスイカ。あとコー

ヒー。 

 食べていたら、昨日の次男が自分も手にコーヒーを持っ

てやってきて、私の向かいに腰を下ろした。

「トルコははじめて?」

「うん。はじめて」

「トルコ語わかる?」

「全然」

「どうして?簡単じゃないか」

「そう?」

「俺が教えてあげるよ」

食事中のコミュニケーションはちと面倒いなーなどと怠

惰に思いながらも、食べるほかにすることもないので私は

彼に付き合った。

「エフェスを見たらどうするんだい」

「トロイを見たいから・・チャナッカレに行くのかな」

「バスで?」

「そう。バスでイズミールまで行ってそこで乗り換えて

チャナッカレ」

「パムッカレには行かない?」

「行きませんよ」

「いいとこだよ。美しいよ。真っ白なんだ。ここから車

でたった2時間。イスタンブールからだと16時間もかか

るのに」

彼は家の中からパムッカレの写真が入った観光ガイドを

持ってきて広げてみせた。純白の石灰岩棚にカルシウムの

水が流れるその写真は、私も見たことがある。日本のトル

コツアーには必ず組み込まれているような有名な景勝地

だ。

「行かなきゃ絶対損だよ。僕が車で君を乗せていく。

たった$10だ。安いだろ?」

ははあ。どうやら彼は今、商談してるらしい。彼らはペン

ションと一緒に観光斡旋ガイドも経営してるのだった。

「見たいけど・・時間ないもん」

「どうして?明日は空いてるだろ」

「明日はチャナッカレに行かなきゃ」

「チャナッカレ行きは夜の11時だけだよ。それしかない

んだ。だと、見てから乗ってちょうどじゃないか」

彼は時間配分を詳しく説明しだした。しかし私は半分以上

過ぎたあたりでようやく、彼が何度も使う「トルティー」

が実は30分を意味したThirtyだったことに気付いたくらい

だから、あまりいい聞き手とはいえない。

(ふーん・・thをTに、rをLにしちゃうんだ)

だが感心していると、話はどんどん続く。とっくに食べ終

わっていたので、私は立ち上がった。

「行きませんよ。今日は今からエフェスだし」

「エフェスに行くなら車で送るよ。僕が送って、遺跡の

前で君を待ってる。君は1時間くらいで回ってまた僕の

ところへ戻ってくる。それでいいだろ」

しかしあいにく、私は待ち合わせが苦手だ。先に博物館に

寄ろうと思っているし、途中のアルテミス神殿跡なんかも

見たいと思っている。ターミナルでチケットも予約しな

ければならない。それに彼と一緒じゃ、またツアー勧誘の

続きを聞かされそうでくたびれる。そういう間にもまだ彼

は$10ツアーの話をやめていなかったのだ。私はもう15

回はNOを繰り返しているのに、どうにも連れて行きたいら

しい。この辺りは美しい場所が多いからパムッカレがだめ

なら別の場所でもいいと言っている。私はあれ以来姿を見

せない兄がちょっと恋しくなった。でもきっと、商売は次

男の役なのだ。彼では押しが弱すぎて儲けにならないのだ

ろう。(兄さんと母さんじゃやってけないよ。俺がついてな

くっちゃ)なんて言いながら張り切ってる次男が目に見え

るような気がした。だがそれはそれ。私も予定がある以上、

曲げるわけにはいかない。

 ツアーに行こうよ攻撃を振り切って、私は博物館に出掛

けた。エフェスの発掘品などを収めた場所で、有名な展示

品も多い。カエルの卵みたいなボコボコの衣装をつけたア

ルテミス像やリクライニング・ウォーリア、美少年エロス

ちゃんの頭部に並んで男性諸君の大事なものも、その一つ

だ。生殖器そのものを崇拝する文明も珍しくないが、ここ

のはギリシャのサテュロスにあたるPriaposという豊饒の

神様の形をしている。老人みたいな顔をした子供の股間か

ら、身長と同じくらい長いものが上に向かって飛び出して

いるという代物だ。でも、女性用の長いキトンにブーツを

はいた姿で、両脇に袋までついた巨大なそれがキトンの前

を思いっきりめくりあげている・・なんて変わったのもあ

る。この像の首から上は残念ながら失われてしまってわか

らないが、例のものの上にはブドウや穀物を乗せている。

縄文などにみられる女性生殖器を誇張した生殖祈願とい

うよりは、食物増産だ。Priaposは畑や庭の守護神なのだ。一

番芸術的なナニ像には特別なライトアップがついていて、

見たい人だけ明るくできるという丁寧さ。

 ほかにはソクラテスさん家の居間を再現したディスプ

レイ(ちゃんと蝋人形の彼が寝そべっている)や、トロイ戦

争の石像群。

 銅製のアテナ像も有名だ。アテネで見るよりも細身で憂

いを含んだ表情が印象的。たくさんあるものでは、上半身

が男性、下半身が魚のトリトン像。顔だけだと美女にしか

みえないデュオニュソス裸像など。

 このへんはまだまだオリュンポスの勢力範囲だ。近くに

は、アフロディーテに借りた愛の帯でヘラがゼウスを惑わ

したイーデー山もある。ここからもう少し南に行くと、イ

オニア人が移民したミレトスもある。古代ギリシャ人の有

名な植民地だ。

 さて、クロークに預けた荷物を受け取り(ここもアテネの

考古学博物館のようにカメラくらいしか持ち込めない)外

に出たら、次は実際のエフェス。4キロは離れてるという

噂だ。道端でクッキーを売ってるおじさんたちに道を聞く

と目の前の大きな通りをまっすぐ進めばいいのだという。

トルコ名物の色も形もとりどりなこの焼き菓子をかじり

ながら進めば、今度は桃売りのおじさん達が声をかける。

「桃はいらないよ」

私が言うと、1つを割って、それをくれた。

「いいから食べていきなって」

日本の黄色い桃みたいなやつだ。それもかじりながらま

た進む。そのうちに誰も人がいなくなった。広い道路だが、車

専用なのかもしれない。そう思ったとき向こうから若い男が

一人歩いてくるのが見えた。灰色の汚れたシャツに同じよう

な色のズボンをはいている。でも、そのズボンの前が全開な

のには気付かなかった。すれちがう瞬間だ。彼がすうっと私

に近づいた。なんだこいつ、と思って上げた私の顔の前にい

きなり現れたのは、さっきの陳列ブツじゃないか。豊饒だ。神

だ。ご丁寧にカタチまでそっくりにぴんと上を向いている。

でも赤紫でぐちゅぐちゅじゃないか。

(おおっとお〜っ汚ねーっ)

反射的にかわして、私達は何事もなかったかのように通り過

ぎていった。まったく。あんなものが服についたら汚れてし

まうではないか。彼はただ脅かすのが趣味なのかもしれな

いが、残念ながらさっき博物館で同じモノをくさるほど見

たあとだ。現物とゲージュツの差に悩みながら、私はエフェ

スに向かう。もうそろそろ遺跡が見えてきてもいいはずだ。








第21話 トルコのバス事情

「ここよりエフェスへ」

看板が立っている。そこから左に入ってしばらくゆくと左

手にトルコ版浦島太郎伝説で有名なセブンスリーパーズの

墓が見えてくる。そこを通り過ぎればもう遺跡だ。途中で

大学の発掘調査らしい一団が忙しく働いている。かなり見

ごたえのある遺跡だが、それでもまだほとんどが未発掘の

ままだという話だ。

「乗ってかないかい?$1だよ」

馬車屋が客を呼んでいる。黒塗りのなかなかロマンティッ

クな曲線美の馬車だ。さっきの看板から遺跡の入り口ま

で、歩けば10分ほどのこの小道を乗せていってくれるらし

い。

 入り口前は広場になっていた。土産物屋や屋台が並んで

いる。アイスキャンデー売りのおやじさんが私に声をかけ

た。

「どっから来てるの?」

「日本から」

「ニッポン!安イヨ。イッポン5千エン」

彼はカタコト日本語と一緒にアイスキャンデーを振ってい

る。

「5千円?!」

私は“5千円”のキャンデーを買った。トルコの通貨は

TL(トルコ・リラ)だが、ものすごいインフレで、

91年 US$100=30万TL

92年 US$100=60万TL

94年 US$100=325万TL

と変化。94年だと600円のペンションは約20万TL。金の価

値を上げるには、ゼロを増やせばいいってんで10万札やら

20万札やらが横行する。15円のアイスキャンデーは5千

TL。つまり“5千円”というわけだった。しかし5千くらい

ならまだいいが、ホテル代なら65万。国際電話をかけたら

300万。私はトルコにいる間中ケタを間違い続けて何度も支

払いのとき「少なすぎる」と文句を言われたが、逆に多く

てもネコババされたりで、お金にはずいぶん目の痛い思い

をした。今度トルコに行ったらぜひ10000000こんな数字が

現れても一瞬で読み取る技を身につけたいものだ。

 20年前に日本で流行してたようなアイスをなめながらベ

ンチに座っていると、いろんな人が話しかけてくる。で、

たいていみんなこんなことを言う。

Are you a person?

−あなた人間ですか?

これは新手のギャグなのか。私には最後までわからなかっ

たが、日本に帰ってから友達に話したら、その人はperson

をmanの意味と勘違いしてるんじゃないかと言っていた。

つまり、「おまえ男か」と聞いてるつもりなんだろうって

わけだ。言われてみれば私はギリシャでもよく間違われて

たから、そういうことなのかもしれない。日本でもマシン

がミシンになってしまったみたいに、勘違いが定着するな

んて外語にはよくあることだ。この辺の人はだれでもかれ

でもペラペラ英語を話すから忘れていたが、「トル

ティー」といい、やはり彼らにとっても英語は外国語って

わけなんだろう・・なんてアタリマエのことを思ってみる。

 エフェスを見終わってバスターミナルまで戻り、明日の

チケットを予約しようとしたらそこで起こっていたのは客

争奪のデッドバトルだった。ここのターミナルには10社以

上のバス会社がその窓口を1列に並べているのだが、私が

そこへ近づくと一斉にわっと人が寄って来る。

「どこ行くの」

「チ・・チャナッカレ・・」

気圧されて私がもぐもぐ言ってると、一人が私の腕をつか

まえて

「こいつは俺の客だっ」

とか叫んでいる。

「なにをバカな。お嬢さん、こっちが安いよ」

「いいや俺のほうがいい」

「僕のところは飲み物のサービス付きさ。エアコン完備の

すごいバスだ」

「うちのバスならノンストップで1番速い」

「うちの会社は1番本数出している。お好みの時間に合うと思うよ」

「しっしっうるさい。彼女にさわるな。俺の客なんだか

ら」

なんなのだこれは・・。私は唖然として成り行きを見守って


いたが、噂に聞くバスの営利競争がこうも激しいとは。で

も、お客様は神様だ。カミサマの私はよりどりみどりの会

社から、自由に出発時刻や値段や設備を選べるのだった。

予定に合わせて望みのままに。もっとも、彼らが誇大宣伝

をしていなければの話だが。

 私は朝7時15分発のバスに乗ることにした。ペンション

の次男坊は私に、バスは夜11時しかないなんてとんでもな

い嘘をついたがそんなことはない。1時間に1本はどこか

の会社が出している。まったくこの辺の人達はこの程度の

嘘をしょっちゅうついてくれる。しかも悪びれず呑気だ。

契約がまとまると、さあまず一杯とチャイをすすめる。お

茶はいいから早くチケットを発行してくれ、と私が言う

と、まあまあとにかく座ってよ、と私を窓口の奥に引っ張

りこむ。そんなヒマないと言うと、まあそう焦らずにとく

る。こんな調子でいつまでたっても契約書が出てこない。

10回くらいせきたてて、ようやくチケットを切ってもらい

外にでると、さっき争奪戦で敗れた隣の会社の男が待って

いてチケットの値段を見せろと言った。チケットを取り上

げて一瞥し、彼は仏頂面のままフンと鼻をならした。

「高すぎる。あんた、ダマされてんだ。うちならもっと良

かったのに」

ほっといてくれ。まったく騒々しい所だ。どうせどっちも

どっちに決まっている。私はもう少々騙されるのが当然の

ような気になっていた。たぶん、この男の言うように私の

買ったバス会社も何かセコいサギを働いているに違いな

い。それはきっと明日わかる。








第22話 トロイの遺跡を見る方法  

 そのバスに契約したのは2人だった。私と、もう一人は

ドイツから来たという青年だ。彼は学生で、やっぱり私と

同じようにジーンズTシャツスニーカーで、軽装な青い

リュックを背負った格好をしている。私達は翌朝、昨日の

男に二人で簡単な説明を受け、ほぼ時間通りにターミナル

に入ってきた大型バスに乗り込んだ。

 この国の長距離バスはベンツが多い。だから乗り心地は

確かにいいはずだった。しかし今朝になってみるとなんだ

か話が微妙に違う。昨日の話ではバスは直通で途中チャ

ナッカレまではイズミールしか止まらないからとても速い

ということだった。しかもエアコン、コーヒー付きだとい

う。ところがもうイズミールまでの1時間、数え切れない

ほど何度も停車しているし、エアコンはついているようだ

がさっぱり動かないし、コーヒーの代わりに配られたのは

水だ。おまけにイズミールで1度降りて乗り換えてくれと

いう。その待ち合わせが1時間半。

(ま、こんなこったろーとは思ったけど)

私はイズミールのターミナルでドイツ人と一緒にリング

ドーナツを食べながら、待ち合い室のテレビを見て時間を

つぶすことにした。折しも日本の人気ゲームソフトスト

リートファイターUの宣伝をやっている。日本のファミコ

ンソフトはトルコでも大流行りらしい。恰幅のいいおじさ

んのウェイターがトレーにチャイの入ったガラスの小さな

ティーカップをたくさん乗せて歩き回っている。呼んでお

金を払えば小さな角砂糖2つとカップを渡してくれる。

ターミナルには円テーブルがいくつも並ぶこの待ち合い室

のほかに、パンやクッキーや飲み物を種類も豊富にずらり

と並べて売ってる場所や、各バスターミナルの営業所が

入っており、ちょっとした空港設備のようだ。チケットを

買った会社のここの営業所で乗り継ぎバスの座席指定をも

らったあと、私達はお菓子を買ってきてここでだらだらと

チャイを飲んでいるのだった。

 やっと午前10時半に出発。それから5時間半。チャナッ

カレに着いたのは午後4時だ。チャナッカレは港町だが、

到着したオトガルはホテルのある港とは少々離れている。

ドイツ人は途中で降りてしまっていたから、私は一人で今

夜のホテルをさがすべく、とにかく港のツーリストイン

フォメーションに行ってみることにした。途中で道を聞き

ながら15分ほどで着いたそこは、カウンターが一つにお姉

さんが一人で座っているだけの簡素な所だ。用件を言うと

すぐに36軒のペンションやホテルの載った付近の地図を渡

してくれた。私はえらくくたびれていたので、今夜はリッ

チにいかねばならんなどと考えていたから

「少し高くとも構いません。朝食付きシャワー付きのホテ

ルはありますか」

と言った。

「あなたのお探しのものは、この辺に多いでしょう」

彼女が特に丸をつけてくれた路地に、私は行ってみること

にした。しかしどうも様子が違う。だいぶさまよった末、

人の話を聞いてなかったんじゃないかと疑うほどゴミ溜め

みたいな建物ばかりなので地図で探すのはやめにして、視

界に入った大きさで決めることにした。海辺の一番目立

つ、青と白の7階建。今夜はここだ。カンだけで私はフロ

ントに立った。  そこは望み通りのホテルだった。窓から

海の見える部屋にしてくれと頼むとそうしてくれる。ギリ

シャとは違う厚い雲が、複雑な青みを帯びて海にとける。

停泊している船もきれいだ。部屋はシャワーだけでなくバ

スタブまでついている。それでも60万TL。1800円くらい

だ。今はもっと円高だから1500円もしないだろう。どうし

ても1泊200〜300円で済ませたいという方以外には、女性

一人なら中級以上のホテルをおすすめする。衛生的で安全

だし、こんなお値段だ。でも、海辺のホテルというのはひ

とつ思わぬ騒音を考えに入れたほうがいい。一晩中回り続

ける、停泊中の大型船のエンジン音だ。おかげで、結局私

はほとんど一睡もできなかったんだから。


 ホテルに荷物をおいて、私はトロイの遺跡に向かうこと

にした。ボーイさんにまたしてもケタを間違えて、非常識

に多額のチップを置いたせいかえらく愛想がいい。なんだ

かいちいち間が抜けているが、それでも行くもんは行っ

て、見るもんは見なければならない。まず私は港前にた

まっているタクシーの運転手に交渉しに向かった。

「トロイに行くんだけど」

「オーケー。40ドルでどうだい?往復料金と向こうでの待

ち時間1時間程度として」

いきなりドルを持ち出すあたりさすが慣れている。でも、

私は人を待たせて時間を気にしながら見るのは嫌なのだ。  

「片道は?」

「そうだねえ。25ドルかな」

「じゃそれで行ってもらえるかな?」
 
好きな人ならここでさらに値切るのかもしれないが、私が

そんなことをするといつもロクなことにならないので言い

値のまま乗り込んだ。ここからトロイまで約20分。日本の

田舎みたいな風景の中を走って検問所のようなところでタ

クシーをおりる。チケットを買ってそこからしばらく歩

く。両側はところどころに木々が立つ広大なトウモロコシ

畑。そこをまっすぐに通すジャリ道を歩いてゆくと間もな

く巨大な木馬が見えてくる。




第23話 外国人女性のナンパ法!




 遺跡はさほど広くない。こんなところを陥とすためにギ

リシャ軍は10年もかかっていたのか?!と思うくらいだ。

 各発掘現場ごとにプレートが表示してあり、簡単な解説

がついている。しかしこれほどガレキと化した遺跡も珍し

いと思うくらい、ものの見事に壊れているので、何がどう

でどれがどこまでなのか素人の私には区別しにくかった。

柱の1本も残っていないし、修復されているわけでもな

い。比較的保存状態がいいのは外壁だ。さすがはポセイドン

神とアポロン神の共同制作と神話化されるだけはある。内部

は、わかりやすいのは小さな円形劇場跡くらいなもので、

土台でもあればいいほうだ。周囲には枯れ草の茂る畑が大

平原のように広がっている。

 博物館もないし1周するのにそれほどかからなかったの

で、私はやっぱりタクシーを帰すんじゃなかったと思い始

めた。出口近くの土産物売り場のついたタベルナで聞いて

みたが夕方遅いせいなのかバスも当分来ないという。それ

でもバス停まで行ってみようと道を尋ねたりしていたのだ

が、そこで食事をして本をさがしていたらすっかり面倒に

なってしまった。

「ここまでタクシーを呼んでもらうってことはできます

か」

私がそう言うと、じゃあちょっと待ってくれと、タベルナ

のウエイターや売店のカウンターの人が言う。何が始まる

のかと思ったら、ここで働いている人が友達の車を借りて

送ってくれるということだった。この辺のお客は貸しきり

バスで乗りつけてさっと帰ってしまう団体観光客や、近く

にある数軒のホテルにのんびり滞在しているような人達ば

かりだったので、わざわざ車なんか呼んで騒々しく帰る客

が物珍しかったのかもしれない。

 赤い新車を持ってやってきた若い男は、そのハデな車に

ぴったりな、長い前髪をかきあげるきゃしゃで背の高い男

だ。金茶の髪に淡い褐色の肌。ほりの深いカオ。長いまつ

げ。
(ほ〜こーゆーのってカッコイイ男っていうんだろー

な・・)

なんてあまり気乗りのしない気分で助手席に座ったら、ホ

テルの前までタダで送ってくれるという。彼はトロイの観

光ガイドさんだった。

「キミはいっぱい本を買ってたけど考古学に興味があるの

かい」

運転しながら彼が言った。本といったって日本でいったら

ごく簡単なガイドブックみたいなものだ。私は遺跡の復元

図をさがしていたのだがそれもなかった。この国でも書籍

は特種なもののようである。

「専門じゃないですけど、興味はあります。でもあんまり

いい本がありませんねえ」

「僕もそう思う。本を読む人は少ないからね。でも僕の祖

父や伯父や父のところにはトロイ関係の本がたくさんあ

る。みんなそれを研究している学者だからね。僕も大学で

勉強して、それでここのガイドをしているんだ」

こいつはトルコのインテリに当たってしまったようだ。私

はここに来て以来、客引きだのバスの運ちゃんだのと赤茶

色の血気激しいオッサンばかり目にしていたので、このマ

イルドな話し方をするインテリ青年が珍しかった。

「日本の人っていうのはどんな宗教が多いのかな」

「さあ・・仏教でしょうか。でも内面的には無宗教に近いで

すよ」

「ブッダは僕も興味がある。でも彼の考えは、いわゆる宗

教とはちょっと違うんだな」

「ええ、宗教家というよりはむしろ哲学者ですよね」

「そうなんだ。キミもそう思う?」

なんかわけのわからん話になってきたと思いながらも、私

はせっかく送ってくれてる人の気を損じてはいけないと、

ブッダの説いた法輪の話でもしようかと思ったが、法輪と

いう単語がわからないのでやめた。こんなときもっと語学

の達人であったらよかったのに、と痛く思うのだが、もし

もっと達人だったら全く違う一夜が訪れてしまったかもし

れない・・と思うコトは海外では少なくない。なにしろただ

外国の女というだけで異様にモテるんだから。そろそろ降

りたくなってきたとき、彼が言った。

「キミとはもっと話がしたいな。今夜どう?時間つくれな

い?」

「でも〜明日は早いし・・疲れてるから」

「ブッダについてもっと二人で語り合おうじゃないか」

さすがはインテリ。ハイグレードなナンパだ。海外のナン

パにもいろいろある。でも基本は世界どこでもみな一緒

だ。アテネのオモニア広場のロータリーを歩いてると

しょっちゅうかかる「きみ可愛いね」「カノジョ、お茶し

ない?」にはじまって、ツーリストインフォメーションや

チケット売り場付近でありがちな「一緒にまわらないか

い?」「僕が案内するよ」道に迷ってるとくる「送ってあ

げるから後ろに乗りな」

 私はクレタで歴史博物館という海岸沿いのマイナーなと

ころをさがしあぐねて2時間も迷っていたとき、つい後ろ

に乗ってしまったのだが、二人乗りしていたバイクだった

ので私をはさんで3人で乗るというサンドイッチな光景が

できた。こんなこと本当はすべきじゃないのかもしれない

が、町中で、バイクも車もほとんど時速15〜20キロ程度で

たらたら走っているから、イザとなったら飛び降りられ

る、そう思って乗ったのだった。彼らはいったん自分の家

に連れていってそこから車に乗り換えて送ってくれたのだ

が、別れぎわに「今夜あいてる?」「今夜がダメならその

次は?」「一緒に食事しようよ」てな具合だ。この先つい

ていくと何が待ってるかは知らないが、ここまでだったら

しょっちゅうあるし、さして危険がどうというわけでもな

い。(でもやはり知らない男の車に乗るのはどうかと思う

けど・・)ま、この先は本人次第ということか。

 トルコのインテリ君は私を1度昨日のオトガルで降ろ

し、イスタンブール行きの切符を買ってくれた。

(言っとくが金は私が払ったんだよ)

「イスタンブール行きはここから乗るんじゃないんだ。向

こう側の道路にあるバス停なんだよ。とりあえず明日の朝

9時に港前に集合してね」

向こうのバス停。私は彼の指す港の方を見た。きっと港前

の停留所がそうなのだろう。しかしそれほどカンタンな場

所ではなかったのだ。向こうの道路という場所は。






第24話 イスタンブール行きの
           バスとは一体?!




 翌朝9時に、私は言われたように港のすぐ前にあるバス

停に並んだ。そこにはもうすでに10人ほど、私と同じよう

な待ち人がそれぞれ大きな荷物を抱えて立っている。私は

茶色の古びたスーツケースをわきにおいている、白いワイ

シャツにグレーのネクタイ、グレーのズボンをはいてグ

レーの髪をした50才くらいの男性の後ろについた。

 9時を少し回った頃、バス会社の人がやってきた。大声

で手を振り回して我々に何か言っている。イミはよくわか

らないが、きっとみなさんおそろいですかとか、これから

出発しますとか、そんなことを言ってるんだろう。私は気

にもとめずに、歩道から首をのばして車道のほうを見た。

ところが、さあいよいよイスタンブール行きのバスに乗り

込むのかと思いきや、バスなんかどこにも見当たらない。

私は少々不安になった。

(もしかすると、ぜんぜん違う団体にまぎれこんでいたり

なんかして・・)

そのうち、バス会社の彼を先頭に全員がぞろぞろと港のさ

らに海のそばへと歩き出した。

(ははあ。こっちにバスが待っているのか)

なんで海のほうへ行くんだろうと思いながらも私はちょっ

とほっとして後に続いた。ところが。待っていたのはバス

ではなくて小型フェリー。そしてそのまま彼らはためらい

もなく船に乗り込んでいくではないか。私は慌てた。大急

ぎで、すぐ目の前で船の桟に足をかけようとしていた、

さっきのグレー紳士のワイシャツをひっぱった。

「ちょっとこれ・・」

「は?」

「これ、バスのチケットじゃないんですか?」

握り締めていたチケットをつきだして、私は故なく彼に詰

め寄った。彼はこの必死の形相の東洋人にとまどったよう

な顔をして私と私の手元に目を落としていたが、すぐ明瞭

な返事を返した。

「そうですよ」

「じゃ、なんで船なんですか」

「たぶん・・」

と今度は彼は考えるように言った。

「これに乗って向こう岸に渡る。するとあっちでバスが

待ってるんじゃないかな」

(そうだったのか・・)

私は少なからず感動した。昨日のインテリナンパ師の言っ

ていた「反対側の道路」とは、湾の向こう岸にある道路の

ことだったのだ。

「私もこのルートは初めてだからよくわからないけど」

唖然としている私に、彼はのんびりと付け加えた。

(だったらもっと驚けよ)

この非常時にアワくって騒いでるのが私だけなので私は

すっかりさみしくなった。たぶんこの辺にはこういう所が

あっちこっちにあって、日常的なコトなのかもしれない。

 10分ほどもたったろうか。対岸の山裾に描かれた巨大な

戦士と文字がだんだんはっきり見えてくる。山のふもとに

ある古城もどんどん大きくなる。果たして対岸にはバスが

ちゃんと待っていた。

 窓の外には白く乾燥したギリシャとは違う、しっとりし

た空気と樹木がある。これから8時間。今度バスを降りる

ときはもうイスタンブールだ。 








第25話 ロベルト教授



 いくら硬い椅子じゃないといったって8時間座り続ける

のは楽じゃない。ときどきドライブインでの休憩があると

はいえ、ヒザも腰も痛くなる。おまけに退屈きわまりな

い。狭い通路をはさんだ斜め後ろの席のお兄さんはずっと

黄色いクンボロイをいじくりまわしていたが、あんなもの

でヒマつぶしできる地中海沿岸の伝統は私には理解しがた

い。行儀の悪い園児のように通路に足をブラブラ突き出し

て座ったり、しばらくジタバタしていた私だったが、仕方な

いから結局寝てしまった。

 突然、ものすごい水音で目が覚めると、外は数千個のバ

ケツをぶちまけたような景色になっていた。窓に叩きつけ

られたしぶきの隙間から、太い幹線道路が黒い川のように

流れているのが見える。

(おおっものすごい雨・・)

透明な青空から一転して黒雲。真夏のギリシャを経てやっ

てくるとアジアの気候もえらく新鮮だ。ジーンズを洗濯し

てもギリシャなら半日でバリバリに干上がってしまうの

に、トルコに渡ってからというもの2日がかりで乾かして

いる。もちろん時期と場合によってはギリシャにだって大

雨も雪も降る。しかし同じ時にエーゲ海をはさんで東と西

でこうも違うとは。イスタンブールが東西を分けるのはど

うも文化ばかりではないようだ。 

 しばらく窓にはりついていると、バスはコンクリートで

固められた巨大な建造物の中へと吸い込まれていった。何

台も何台も大型バスが格納されているそこは、まるで軍事

設備か国際空港のよう。

(これがイスタンブールのバスターミナル・・)

しばし呆然として眺めているうちに、もう到着。はて、こ

こはどこ?ここから市内に出るにはいったい・・と思ってい

るうちに、さあさあと後ろの乗客達に押されて乗り込んだ

のは、目の前の小型バス。寝起きのまま、もうわけもわか

らず半分眠ったような状態で隣に聞けば、どうやらこれに

乗ると無料で市街地まで運んでもらえるということらし

い。ただでさえ不自由な言語だというのにすっかりボケた

私は何度も何度も聞き直し、ようやくそれだけつかんだの

だった。狭い車内で怒鳴らなければ聞こえないような強烈

な土砂降りのなか、ボケた私に根気よく教えてくれたの

は、よくよく見ればイスタンブール行きのバスに乗るとき

にフェリーの前で話したグレー紳士ではないか。

「あれ・・チャナッカレの・・」

とようやく気付いた私に彼は

「キミ、これからどうするの」

と聞いた。

「いえ・・その・・ホテルさがして・・いやその前にオリンピッ

ク航空のオフィスを・・」

オリンピック航空のオフィスを探さなければならない。唐

突に私は思い出した。

「オフィスさがしてどうするの?」

イスタンブールからアテネに飛ぶためのリコンファームを

するのだ。私は今夜だけイスタンブールに泊まって明日の

午前中にはアテネに戻るつもりだった。飛行機の予約は入

れておいたが、座席を確保するためには再確認の手続きを

しなくてはならない。これだけ言うのに、ものすごい時間

をかけて私はようやく意志を伝達した。

「ああ、やっとわかった」

彼がうなずいたとき、小型バスは停車し、私達は全員土砂

降りの中へと出された。しかし皆、思い思いの方向に散っ

てゆく。タクシーをつかまえて乗り込む人もいる。またし

てもここはどこ?がはじまりそうになったとき、

「じゃ一緒にタクシーに乗ろう」

とグレー紳士が私を振り返った。彼は生真面目で人がい

い。寝ぼけてはいたが、私は直感でそう思った。しかもな

にか懐かしい匂いがする。いつも私のまわりに流れている

空気とどこか似たものがこの人物のまわりをとりまいてい

るのだった。

「はあ、そうさせていただきます」

私達は黒人の運転するキャブに乗り込んだ。陽気な黒人運

ちゃんは、アクセルを踏みながら軽快に口を切る。グレー

紳士がそれに答える。二人は会話を弾ませていた。でも私

はだまって聞いていた。


「彼女、英語は?」

途中で一度話題がこっちにふられたが、グレー紳士が、

さっと後を引き取って

「いや、ぜんぜん。まあ、ほんのほんの少しってとこだ

ね」

(おいおい〜本人を目の前にして、よくも言いにくいこと

を・・)

さっきからのボケのせいで、それも聞き取れないほどでき

ないと思っているのかもしれないが、残念ながら悪口ほど

よく聞こえるものだ。な〜んて失礼な奴だと内心舌打ちし

たが、本当のことだから私は赤面するしかなかった。

 イスタンブールの航空会社のオフィスは町の中心に集中

している。しかしその日は土曜日の午後。どこも閉まった

ままだった。

「じゃあ・・ホテルをさがします」

私はすごすごと引き返し、再び乗り込むと

「この辺でどこかいいホテルはありませんか」

と、すっかり仲良くなっている二人に聞いてみた。グレー

紳士もどうやらここがはじめてではないらしい。

「この辺りはねえ・・ホテルしかないからね」

二人はそろって難しい顔をした。

「君の泊まれそうなペンションだとかなりここから遠くな

るよ」

一般に、ホテルと名のつくものは高価とされている。ホテ

ルにだって色々ランクはあるけれど、ペンションなら中級

ホテルの10分の1程度の宿泊費でいける。トイレやシャ

ワーは共同で、布団もリース代を払えば貸してくれるが、

持ち込みもOK。バックパッカーが登山みたいなスタイル

で寝袋や毛布を持っているのはこのためだ。だが、昨日泊

まったのも確か『ホテル』だった気がする・・。

「べつにホテルでもいいですけど・・」

「だってホテルは高いよ。キミにはとても払えないよ」

「そんなに高いんですか?!」

私は恐る恐る聞いた。もしかすると地方に比べて莫大な格

差があるのかもしれない。一夜にして破産するほどの額を

請求されたらどうしよう。

「あの〜・・今夜はどこにお泊まりですか?もしよろしけれ

ば、あなたのホテルを紹介してもらえないでしょうか」

私は考えあぐねてグレー紳士を見上げた。

「でも・・」

と彼も困ったように私を見た。

「私のもホテルだから・・」

「1泊だけなんですけど」

「それじゃ・・」

と彼はようやくうなずいた。

「あんまり高くない所だから、大丈夫かもしれない」

「おいくらなんでしょう?」

私はほとんどドキドキしながら身を乗り出した。

(ことによると日本円にして1泊5万とか10万くらいはする

のかもしれない。だが、あんまり高くないというからには2

万くらいかもしれないし。だったらなんだかよくわからな

いイスタンブールで不安だし、とりあえずついてってみる

か・・)

「いいかい、先に言っておくけど・・」

「はい」

私は息をつめて彼の口元を伺った。シワがあるのにつやつ

やした、その口が動いた。

「1泊20ドルだからね」

「20ドル?!」

一人で勝手に緊張して盛り上がっていた私は、すんでのと

ころで、気の抜けたあまりがっかりしてしまうところだっ

た。

「20ドルもするんだよ?本当にいいのかい?」

彼がもう一度念を押した。

(フッ・・バカめ。二千円が払えなくて世界で最もエクスペ

ンシヴで高名なトーキョーに住めるか!!)

「ええ、まかしといて下さい。大丈夫ですってば!」

すっかり勝ち誇って私は、心配そうな彼らをせきたててホ

テルへ向かった。

 それは実に年代ものの重厚さを感じさせる落ち着いた風

格のホテルだった。19世紀の貴族屋敷をそのまま転用した

かのような建物で、シックな赤の絨毯を踏んで出て来たの

は、黒い蝶ネクタイに黒いスーツのまるで執事にぴったり

な老人。彼は私の傍らを出迎えて言った。

「お待ちしておりました。ロベルト教授」

傍らは同じくらい丁寧に頭を下げた。

「はい。また、やっかいになります」






第26話 イスタンブールの日本語にご用心




 ロベルト教授はイタリア人で人文地理学を教える先生

だ。彼はイスタンブールの大学に、集中講義のために来て

いたのだった。

(大学人・・か)

なるほど同じ匂いがするわけだ。それらは生まれたときか

らいつも私の周りに漂っている類いのものだから。

「この子の部屋もお願いできますか」

教授は執事氏に、私を押しやるように紹介した。

「彼女とはチャナッカレからバスでずっと一緒だったんで

すよ」

「ようございますとも。御一泊でしょうか?」

「はいっ」


と今度は私が小学生のように返事した。

「それではパスポートをお預かりいたします」

「はいはい。どーぞどーぞ」

菊の御紋の赤い手帳を取り出すと、急に納得したように教

授は言った。

「なるほどね。わかりました。うん、わかりましたよ」

みよ。ナリ金の実力を・・。恐れ入ったか?!

なーんてね。確かに黄色人種が蔑視される風潮だってあるの

かもしれない。日本人をケーベツする単語なんて昔も今もあ

るんだし。ただ、私には高度成長以後の経済大国ニッポンが

だんぜんインパクト強いのだ。60年代の最強アメリカなんて

記憶にございませんだし、それ以前のヨーロッパ列強なんて

もっとサッパリだ。良くも悪くもジャパニーズ!と何の恥も

てらいもなく言えるのが、この世代の特権かも・・なんて、

上の世代と比べる時、思うことがある。日本人であること

をちょっと気に入っている・・そんなカンジで自己紹介がで

きるのは案外ありがたいことかもしれない。

 さて、シャワーが時々水になる以外はしごく快適な部屋

に荷物を放ると、私は教授と町へ出た。毎学期ここへきて

いる彼が、その辺を案内してくれるという。

「いやぁ、すいませんね。私、英語も下手だし〜」

「いやそんな・・下手ってことありませんよ」

先刻の発言へのイヤミ(これは少々おかどちがいだが)も

含めて私が言うと、良識ある慈悲深い彼は慌てて訂正して

くれた。

「じゃあ、私はここで新聞買って読んでますから、中を見

物していらっしゃいよ。私は前にも見てるし、行っても仕

方ないから」

有名なブルーモスクの前で、教授がニコニコと手を振る。

自由を貴ぶおせっかいじゃないイタリア人というのに初め

て遭遇して、私はちょっとばかり面食らったが、このほう

が肩がこらなくてだんぜん好みだ。

「あ、そんじゃ行ってきます。すぐ戻ってきますから」

しかし目の前にそびえるモスクに向かってウキウキ一人で

歩き出した私は、すぐには戻れなかった。というより入り

口に到着する、これが結構ムズカシかったのだ。

「アーッアナタ財布落トシマシタヨッ」

階段の下でとんでもない声を張り上げて話しかけたヤツが

いる。しかも日本語だ。思わず振り向くと、浅黒いガリガ

リに痩せた12才くらいの男の子がこっちを指さしている。

サイフなんて気安く落とす場所には持ってないのだが、イ

キナリ攻撃に、つい驚く。私のうろたえぶりをひとしきり

見物してから、子供のくせにどこか世慣れた大人のような

表情を浮かべた彼は、楽しそうにニッと笑った。

「ウソウソ、ヒッカカッタネ」

これも日本語。そしてこちらが警戒する間もなく彼は突然

某有名CMのサルのマネをして「バザールでゴザール!バ

ザールでゴザール」と連発し始めるじゃないか。

(こいつ・・・)

またしても妙な奴が現れたと、その瞬間思ったのだった

が、ついその念入りな二段芸に引かれてしまった。

「それ、日本のコマーシャルでしょう。なんで知ってん

の?」

私の問いに彼は首をかしげて、その時だけやや子供らしい

臆病な顔をした。

「わかんない。でも、これ言うと日本人が笑うから」

「どっから聞いたわけ?」

「わかんない」

そしてわかんないままに、私はモスクの入り口を通り過ぎ

て、彼に引っ張られるまま裏手へ回ってしまった。

「この入り口は外国人は入れないんだよ。僕が案内する

よ」

「そりゃどうも・・」

しかし案内してくれた先は彼の絨毯屋だった。どうやらお

客様1名ご到着〜ってわけらしい。ここまで来てようやく

トロい私も、やっかいな所らしいと気がつきはじめたが、

Uターンして入り口まで戻った時

「やあ、君、日本人?」

またもや日本語が追って来た。今度はさっきの少年を15年

ほど年取らせた青年で、15倍は流暢な日本語だった。

「ボクねぇ関西の大学に留学してたから。専門は経済やっ

てたんだ。友達も向こうに沢山いるしね」

と言う彼は、日本人に間違えるほどベラベラと流麗な日本

語を使う。だいたい一人で歩いていると、自分も日本が好

きで住んだことがあるなんて嘘くさい話をしかけてくる輩

は多いが、コイツは本物かもしれん・・。ことによるとコイ

ツがバザールでゴザールを提案したのかもしれない。あま

りに上手いコトバ使いに私はついうっかり聞きとれてし

まった。彼はその勢いで、道端でモノを売りつけてくる青

年から絵葉書を買おうとした私のために、親切に値切って

くれたりしていたが、

「今の時間は外国人は入りにくいよ。礼拝中だから」

そう言ってそれとなく引っ張る。

「何を見に旅行してるわけ?」

「まあ、いろいろと。博物館とかね」

「博物館ならここにもあるよ」

彼が指さしたのはすぐ隣の建物の扉。しかし私が手をかけ

ると

「あっそこ触っちゃダメェッ」

とんでもない声をあげる。反射的に手を引くと

「うっそー」

と彼は笑っている。

(この辺では日本人観光客を脅かして喜ぶギャグが流行っ

てるのか?!)

さすがに少々疲れてきたが、

「その博物館、今は休みだから入れないんだ。代わりに

ちょっとおいでよ」

とか言いつつ、なんだかんだと連れて行かれた先はやっぱ

り絨毯屋だった。

「たった1万円。日本じゃもっとするだろ」

「絨毯はいらない。私はモスクを見にきただけなの!人を

待たせてあるし」

「じゃあちょっとだけ。良い絨毯の見分け方教えてあげる

から」

流麗な日本語も問題だが、それにずるずる付き合う私は

もっと問題だ。教授はイライラして待ってることだろう。

しかし、目の前のモスクの入り口がやたら遠い・・・・。








第27話 リコンファームとはいったい?!




 それからゼスチュアで仕掛けてくる数人の「バザールで

ゴザール」攻撃を振り切って駆け込むと、別に、モスクは

外国人が制限されてるなんてことはなく、ただ礼拝中の人

達がうずくまっているヒモで仕切られた奥には入れないっ

てことだけだった。

 あんまり遅い私に、教授はすっかり待ちくたびれていた



「いや・・その・・絨毯屋に引っ張り込まれて」ともぐもぐ

やっていたら、どうにか事情は理解してくれたらしい。

 猫がひざに飛び乗ってくるレストランでごちそうになっ

た後、いたるところにかつての独裁者の銅像が立っている

夕暮れの川岸をぶらぶらしながら、教授は町の由来やら橋

の由来やらを聞かせてくれた。

「アタルチュクの悪口は言えないなぁ」

と言う私に

「ま、私はイタリア人だから、どんどん言ってくれても大

丈夫」

と返す彼は、しかし、実に知的で物静か。

(こんなガイドさんなら大歓迎だな)

とか思いながらゴキゲンで氷の入ったジュースなんか飲み

ながら公園に入ると、(実はその時ちょうどイスタンブー

ルではコレラ騒ぎがあったので、私は氷も避けていたのだ

が、教授の話では、どうも地方からやってきた人間がたまた

ま発病していたってことで、イスタンブールが危険なわけ

じゃないらしかった)日本のお祭りそっくりな屋台が並ん

でいたりして、思いもかけぬ場所でワタアメなんかを発

見。トルコは日本に似ているとよく聞いてはいたものの。

ギリシャ化した旧植民地と日本の屋台が混在する国・・。こん

な遠距離で全く別々の風俗のものが同じ所に集まり存続す

るなんて、つくづく不思議な国だ。実はトルコが日本に似て

るのは、むしろ和洋折衷能力のほうだったりするのかもしれ

ない。

 翌朝早く、執事氏にタクシーを呼んでもらい彼らに別れ

を告げて、空港へ。もっとのんびり別れを惜しみたかった

が、どうしても早めに行って確かめたいことがあった。今

日は日曜だから割増料金なんだと言い張る運転手に、昨日

確かめた料金の2.5倍余りを請求され、現金の持ち合わせが

足りなかった私は「これホントに使えるのか?」と疑う彼

に嫌々ながら非常用に持っていた日本円を押し付け、不条

理な気分のまま空港へ入ったが、実はそんなコトを気にで

きないほど心配していたことがあった。

(リコンファームが済んでいない!!)

予約が勝手に取り消されてたらどーしよう。こんな所に足

止めされたら予定がクリアできないじゃないか!日本にい

たら吐きそうにない勤勉なセリフをぶつぶつ繰り返しなが

ら私はずらりと一直線に並んだ各国の窓口からオリンピッ

ク航空を探していたが、ようやくみつけたそれは、あろう

ことかまだシャッターが降りたままだった。

(早朝だもんな。この辺の連中が働くわけないや)

妙に失礼な言い分で納得した私は、己の怠惰を棚に上げ72

時間前までに再確認を入れないと予約の権利を取り消すと

かいうメンドーな制度に腹を立てながら、とりあえず乗り

場へと向かってしまった。

(ま、なんとかなるさ。ダメなら、ギャーギャー文句を言

えばいいだろ)

いったい、ここいらの連中は、なんだか知らないがものす

ごい口論をあっちこっちでやっている。ミコノスでも、途

中で船の切符をなくしたというラテン系っぽい客が、係員

と「ないなら買い直せ」「いや、俺は一度買ったんだから

二度買う必要はない」「買え」「買わない」で、天地も揺

れるほどの大声でがなりあっていた。結局その客は買わず

に済ませたが、とにかく主張あるのみ。いずれにしろ主張

しなければ何一つ出てこない仕組みになっているのが欧米

だが、それもほとんど品性下劣と思うほどの勢いでかんぱ

つ入れず一気にまくし立てるのだ。あれが弁論のテクニッ

クなのか・・・・?

 と、今しも並んだ列の最前列でものすごい怒鳴り声の応

酬が響いてきた。首を伸ばして前を見ると、客と係員が何

やら口論している。しかし、そのすさまじいことといった

ら!!口論というよりは激争。ほとんどつかみ合いのケン

カにしか見えない私は、実戦を目のあたりにして早くも戦

意を喪失しすっかり不安になった。

(あんなマネが果たしてできるんだろーか)

しかし、イザとなったらやるしかあるまい。どうしてもこ

の便に乗らなければ予定が狂ってしまう。

 ところで、リコンファームとは一体なんなのだろう?だ

いたい海外に出掛けると、日本を出る前に旅行社の人達か

ら、やたらうるさく言われるのがコレだ。

(必ずやって下さいよ。でないと乗れなくなります)

すべてのフライトに搭乗1週間前から72時間前までに必

ず、買ったチケットに対してもう一度確認を入れる。しか

し、アテネで一度やろうとしたら、ソレ何だ?と聞き返さ

れた。やっとソレを知ってる窓口を見付けて掛け合うと、

実に面倒臭そうに「当日やってくれ」なんて言い始める。

「それじゃ間に合わないじゃないの?」と聞くと「いいん

だ、いいんだ」と言う。やっとのことで済ませた先は、ア

テネのオリンピック航空営業本社の窓口という実にごたい

そうな場所だった。

(このいい加減さはいったい・・・・)

日本の旅行社の切迫した言い方とあまりにも違うこの態度

に不安になりながらも、そこに一抹の希望を感じて、私は

イスタンブール→アテネのチェックインを神妙に待ってい

た。もし、日本の旅行社が正しければ、ここで激論をしな

ければならない・・のか?

 しかしドキドキ英作文していた私を待っていたのは

「預けるバッグはある?」

そのままするすると搭乗待ち合い室へと流れ、奥でもう一

度簡単な出国カードを出せばもう終わり。私の数日がかり

の不安も空しく、実にあっけなく飛び立ってしまった。ゆ

でたエビにサーモンマリネという低カロ高タンパクな機内

食を食べ終わればもうアテネ。45分の海外フライトはあっ

という間に終了し、(日本からアテネに来るなら、イスタン

ブールから入るのが得策かもしれない。日本-イスタンブー

ルは約11時間だそうだから)さて、これから目指すは、古代

ギリシャ十二神の御座すオリュンポス山。