第14話 いきなり倒れて病院に担ぎこまれ      

てしまった場合の対処方法




 船を待つ余裕がなかったので、一度飛行機でアテネに

戻り、同じ日にミコノスに飛んでみた。クレタ−アテネは

ジャンボジェットだったから、ミロス行きとはえらい違

いだ。アテネ−ミコノスもミロス行きほどじゃない。

 白と青に囲まれたミコノスで、私はしばし呆然として

しまった。ここは、遺跡の町とは違う。ミロスのような呑

気さもない。

 とにかく薄汚れたジーンズにTシャツなんて貧乏な格

好が見事に似合わない場所だ。ましてリュックなんて背

負って一人でくるところじゃない。肌をみせびらかすド

レスアップ。つばの広い帽子。ピカピカの大きなスーツ

ケース。濃い化粧。ドハデな水着。で、恋人や親友と腕を組

んで歩く若い男女、男男、女女、・・・・・・・・・・・・・・・・・・。真夏

の逆光をモロにくらったように私はすっかりアテられて

着いたとたんもう帰りたくなった。 

 無論、好みの問題だ。状況にもある。私だって友達と押し

かけるなら悪いところではない。しかし、イラクリオンの

観光ズレに少々嫌気がさしていたところだったから、それ

に輪をかけた当地に、すっかり恐れをなしてしまったの

だった。最初に私が拒絶したからか、それともこの不釣り

合いで無粋な客を島の御神が嫌われたのか(隣はオリュ

ンポスの太陽神と月の女神、アポロンとアルテミス生誕の

地だ)私はここにいる間中、ロクなめにあわなかった気が

する。

 空港から町までバスで。そこからタクシーでホテルに向

かう。

ちょうどホテルの前まできたときだった。黒いビキニの若

い女がスクーターの後ろに小さな男の子を乗せて出掛け

ようとしているのに出くわした。たぶん母子なんだろう。

またすごいカッコでノーヘル二人乗りだな・・なんて思っ

て見ていたら、目の前でビキニの母さんがコケた。

 さあ、それからが大パニックだ。子供と女は泣き叫び、ホ

テルから人がぞろぞろ飛び出してくる。タクシーの運ちゃ

んも、私から金を受け取ると大声で仕切りだす。ビキニの

女は「あたしもうダメぇ」とか叫んで泣きじゃくるし、それ

を、そのまた母親らしきおばあさんが抱きとめて「おおっ

おまえっしっかりおしよ」なんてやっている。「さあ、早く

病院へ運ぶんだ」「大丈夫だよ、しっかりして」ホテルのフ

ロントと客一同の見守る中、運ちゃんが、怪獣みたいな声

で泣く男の子を抱き上げて運び出しにかかる。私は呆気に

とられて眺めていた。

(大袈裟すぎる・・・)

母さんはスタートでコケたのだ。まだ走ってすらいなかっ

た。後部からずり落ちた男の子はヒザをちょっとすりむい

ただけで、アタマを打ったわけでもない。一連が芝居が

かった大ウソのようで気味が悪いくらいだ。いったい何が

そんなに悲しいんだ?まるで瀕死の重傷を負った大事故

みたいじゃないか?!

私はこういう時の人間の「善意」を素直に信じない心根の

曲がった人間なので、さっさとチェック・インして部屋に

逃げたかったが、フロントは、そんなことあとにしてくれ

と言わんばかりでとてもそれどころではないらしい。おか

げで一部始終を、まるで私も「同情」のヤジ馬になったみた

いに彼らと一緒に見てしまった。まるで演技だ。大仰にみ

せびらかされた些細な不幸と、「事件」に参加したがる退屈

しのぎなギャラリーと。しかしこれは、単に私が冷たいだ

けなのかもしれない。

 独りになると、なんだか妙に落ち込んできたので、気を

取り直して外に出てみることにした。平静を取り戻したフ

ロントに町に出る方法を尋ねると、タクシーかバスだとい

う。近くのバス停を教えてもらって、私は海岸を歩き出し

た。右手はすぐ海だ。だれも服なんて着ていない。町でも、

ジーンズの人は見かけないが水着で歩き回る人は大勢い

る。普通は短いパンツかミニスカートだ。上半身は男は

裸、女は胸に少々布を巻くくらい。で、なんとなく私は

ジーンズをおいて長めのTシャツだけをつけ、腰ひもみた

いにポーチを下げて、それだけで出掛けてしまった。古代

ギリシャの少年用キトンみたいな格好だ。日本だったら変

な人だしアラブだったら犯罪ものだが、ミコノスだから、

ま、いっか。いったいこんな油断したカッコが後で招くマ

ヌケといったらないのだが、このとき私は先刻の余韻も手

伝ってかあまり気にしていなかった。

 ひとめぐりして初めに入ったタベルナで私を仰天させ

たのは、足元にうずくまる巨大な鳥だ。こういうモノがい

るのは聞いていたがまさか隣の席とは思わなかった。ペリ

カンを食べ物屋のアイドルペットにしておく風習が私に

は飲み込めないのだが、まあ、地中海はどこも食事をして

るとネコがひざに飛び乗ってくるようなお国柄だ。飛び

乗ってくるのがペリカンでも一向にかまわないのだろ

う。 

  サモスワインが有名だというからそれを頼んで、この

クチバシの肥大した大型鳥類を相手にオリーブのツマミ

で一杯。

 ホロ酔い機嫌でそこを出て、こぎれいな店を一軒一軒の

ぞいてみる。貴金属などはデザインもミロスなんかより

ずっと洒落ている。リッチな客に煽られて洗練されてんな

〜。とか思いながらも店員がちょっとうるさいなどと感じ

たりもする。アテネやクレタもそうだが、見てるとすぐ

サッと寄ってきて商品の説明を始めてしまう。ミロスは店

同士で立ち話ばかりしていて、お客は買いたきゃ勝手にし

ろってなもんだった。ペロポネソスでもほとんど商売熱心

とは思えぬ態度だ。もっともあんまり無視されると買う気

も失せるけれど。 何軒目かに立ち寄った貴金属店は特に

洒落ていた。店内も光るように明るいし、置いてあるもの

も高価そうだ。店主は50くらいのオバさんで、私が以前下

宿してた頃の下宿屋のオバさんにどこか感じが似ている。

この辺の人にしては脂粉のなまめかしい肌で、マシュマロ

か大福に似ていた。太い首や指に金や宝石が光っている。

商売も熱心だった。

 金の値段を電卓までたたいてみせて、商談を進めるこの

オバさんが、そろそろ面倒になりはじめた時だ。たいてい

災難は私のだらけた驕慢のスキを突いたように訪れる。そ

して、キッチリ天註を加えてくれるのだ。

 実は私には1つ、原因不明の持病がある。突然脈が止ま

りかかる低血圧発作だ。病院で検査したこともあるが、理

由は今もってわからない。ただ、いつも海外に行って2〜

3週間目に起こすようではある。疲れがたまってる頃だ。

たいてい食事どきで、ワインを飲んでる。疲れと酒が合体

するとまずいのかもしれない。しかし海外で。これはかな

りやっかいなコトだ。1度だけ日本で起こしたことがある

が、その時の嬉しかったことといったら、私は倒れながら

内心、やたっラッキー!などと思っていたくらいだ。この

時は父が一緒で都内のホテルでパーティーの最中だった

のだが、ただ、周りにいたのが医者ばかりだったので誰も

心配などしてくれなかった。常に死人に親しんでる彼らは

手にしたフォークをはなそうともせず、父だけが立ち上

がって脈を取り「あれ〜?止まりかかってるわ。これじゃ

倒れるよな〜」などと呑気に言ってるくらい。ことによる

と、私の冷淡はこういうところから育ってきたのかもしれ

ない。

 なんて。考えてる場合ではないのだ。突然大がかりな吐

き気とともに目の前が一瞬でブラックアウト。そのまま

バッタリ、というなんとも突発的で迷惑千万で情けない病

気だ。意識不明は2、3秒だが、そのあとモーレツな吐き気

で床をのたうち回るハメになるんだから実に美的じゃな

い。

 さて。それからがみものだ。店は見世物小屋にはやがわ

り。人だかりの中、床でうめいてる私をつかまえ、アラブ人

みたいな店員のおっさんが「これを飲めばいいんだっ」と

私の口にオレンジジュースの紙パックを突っ込む。ばかや

ろーっほっといてくれと叫びたいが、それどころじゃな

い。パニクってる私の後ろでオバさんは見物人を前に「こ

のコいきなり倒れたのよーっなにがなんだかわかんない

の、英語もしゃべらないからサッパリなのよーっ」なんて

叫んでいる。そのうち、さっきのアラブ人もどきが「血が下

がったんだ。アタマに戻せばいいんだ」などと言い出し、お

もむろに私の両足を持ち上げて大勢の見物人が見守るな

か、私を逆さまに吊り下げた。ぎゃーっなにすんだよっ

なんて叫ぶまもあらばこそ。下はパンツ1枚だってのにな

んてことをしてくれるのだ。オレンジジュースといい非科

学的な連中だ。だが、こんなときのためにも、いくら暑くと

もやはり下は何かはいとくべきだろう。

 医者が呼ばれて聴診器なんか出したが、どうせわかるわ

けもない。あれよあれよというまにおっさんが私をかかえ

て車に乗せ、とっとと病院へ運んでしまった。天罰だ。昼

間、少年をあざわらった私はその日の夕方、もっとひどい

目にあってしまった。美少年ごひいきのアポロン神のウラ

ミをかってしまったのかもしれない。

 病院は3つのベッドが並んだだけの簡素なものだった。

私は一番奥に寝ていたが、やがて医者と看護婦がやってき

て「どうしましたか?おなかは痛くありませんか?直前に

何を食べましたか?」などと聞く。食中毒にあたったとで

も思っているらしい。

 ここで、ポイントは、あくまで旅行のせいにした発言を

することだ。でないと後から多大な治療費を請求されてし

まう。私はバカ正直に前にもこういうことがあって云々と

説明したら、医者は何も診てないくせに私を慢性の低血圧

症と診断してしまった。これでは保険が適用されない。す

るとたったこれだけで、後から日本円にして5万近くも請

求される。ここはあくまで旅行のせいで血圧が下がった、

と言わなければならない。実際、いつもは低血圧症じゃな

いんだからこれは正当なのだが、とかく私は肝心なところ

で墓穴を掘るタチだ。そのときはちっとも気がつかず、別

室で保険番号(旅行に出掛ける前に入る旅行の災害保険

番号)と日本での住所と名前(承諾サイン)を書かされ

て、それからタクシーを呼んでもらって帰してもらった。

気がついたのは、日本に帰った後、診断書が送られてきて

からだ。あんまりここまでマヌケはいないと思うケド。し

かも、私の天罰はまだ終わったわけではなかった。




第15話 戦慄!!ミコノスの迷路



 思い出したのは、ホテルに戻ってからだ。なんとうかつ

なことに、私はあの貴金属店にカメラだの金だの一切を置

いてきてしまっていた。で、そこはいったいどこの店だっ

たろう?・・・・こんな大バカ者がいるんだろーか・・。

 だが手掛かりはある。オバさんが直前に渡してくれた名

刺だ。住所と電話番号が書いてあった。ま、なんとかなる

さ。しかしこれはかなり甘い算段だった。

 翌日、ひとまず私はデロス島に行くことにした。チケッ

トは前の日にもう買ってあったし、船の時間はすぐだ。だ

いたいこれが見れなかったらなんのためにこんな所まで

来たのかわからなくなる。

 小デロスはミコノスの隣にある島だ。遺跡と博物館だけ

の小さな小さな島。遺跡にはフランス語の解説プレート

がつけてある。ゼウスの愛人レートーが正妻ヘラに追わ

れて、やっとアポロンとアルテミスを生んだというシュ

ロの木の下には、クジャクが1羽遊んでいたりして、なか

なかの風情だ。

 しかし、行きも帰りも思いっきり船酔いして結構大変

だった。船尾でうずくまってたら、またしても大騒ぎ。船

長さんは何を勘違いしてるのか、私をのぞきこんでは「う

わあっ女の子だったーっ」と叫ぶし、ここでも再びオレン

ジジュースの登場だ。どうやら「オレンジジュースは万病

の薬」らしい。梅干しみたいなもんか。そういえば昨日も

オバさんが私は毎日オレンジジュースを飲んでるから病

気しないと言ってたっけ。一緒に乗ってた日本人の女の子

二人が「大丈夫ですか?」とガムをくれた。まったく私も

迷惑な奴だ。

 ミコノス・タウンに戻ってから、私は記憶を頼りに昨日

の店を探しはじめた。ところが、気がつくと同じ所ばかり

ぐるぐる回っているではないか。自分がどこをどう歩いて

いるのかさっぱり分からない。これはもしかして、迷って

いるということでは・・?焦った私はようやく港まで抜け

出すと、そこで人に聞いてみた。「ああ、この店なら・・」

すぐ教えてくれたので、ほっとして行ってみるとなんだか

全然違う。また人に聞く。また行ってみる。繰り返してやっ

とたどりついたのは同名の全然違う店だった。

 とにかく道がえらく複雑に曲がりくねって細いのだ。そ

こにびっしり並んだ店はどれも同じような構えで、売って

るものも大きさもディスプレイも似たり寄ったりときて

いる。世田ケ谷の商店街を50倍ほど難しくしたようだ。自

力じゃ無理だ。私はとうとうツーリストポリスに駆け込ん

だ。

「この店を探してるんですけど」

すでにもみくちゃになりつつある名刺を見せると有能な

警察のお姉さんは、

「自分で探せばいいじゃないですか」

「道が入り組んでてわからないんですよ」

「電話してみれば?」

それができるならはじめからしている。

「私、できないので代わりにかけていただけませんか」

最初渋っていた彼女も、私がカメラと金を忘れたのだと言

うとちょっと同情してくれた。電話はようやく、つながっ

た。しかし

「店まで取りに来てくれたら返すって言ってますよ」

それじゃ話は振り出しだ。途方に暮れてる私に

「それじゃ、今日はこれで時間だから、閉めますよ」

と警官の彼女はさっさと立ち上がる。どおーせおまえ達は

そおゆう奴だよっと思いながらも私は

「それじゃこの辺の詳しい地図を下さい」

と言ってみた。彼女が帰りがけにだしてくれたそれは、私

が昨日インフォメーションでもらったのと同じだ。コピー

のコピーのそのまたコピーみたいな1枚の紙で、印刷がつ

ぶれててもう何がどうだかほとんど読み取れない。ただ、

ぺリカンのいる店はペリカンが描いてあるからわかる。ペ

リカングッズを売ってる店も多い。あいつって意外と有名

鳥だったのな〜なんてちょっと感心したが、感心してる場

合じゃない。私のタイムリミットは今夜12時までであ

る。ホテルはとっくにチェックアウトしているし、荷物

はエージェントに預かってもらっていた。昨日トラベル

エージェントでチケットを買ったのだ。今夜、週1回しか

ないサモス行きの船に乗る。

 ええいっ仕方ない。私は意を決して公衆電話の前に立っ

た。前に1度だけパリで通じたことがある。あのときは、空

港の電話番号が知らないうちに変更になっていてリコン

ファームができず、困った末に地球倶楽部のお助け支部に

電話したのだ。でもフランス人の英語は日本人と同じ学校

で習った教育用英語のせいか、あまり難しくなかった。

 なんか、こんなんばっかだな〜とうんざりしながら受話

器をとる。電話はすぐにつながった。

「もしもし、私、昨日大変そちらでお世話になりました日

本人ですけれど・・」

「ああ・・」

と、昨日私を病院に運んだおっさんらしき人。ここまでき

たら言えるだけのことを言わねばならない。聞き取れな

かったら何度でも聞き返すまでだ。もっとゆっくりわかる

ように言って下さいと頼むしかない。

「そちらのお店に荷物を忘れてしまいまして」「ああ、あ

りますよ。取りに来て下さい」

「行ったんですけど道に迷ってしまってどうしてもわか

らないんですよ。今、港の青い屋根の教会の前にいるんで

すけど、大変申し訳ないんですがどなたか迎えに来てはも

らえないでしょうか」

我ながら横暴かもしれないと思ったが、どうせ道を説明し

てもらっても行きつけそうもない。

「それはちょっと・・。後でホテルに電話しますから」

しかし、もうホテルは引き払っている。するとオッサンは

「じゃあ、明日また電話して下さい」

「今夜ここを発つんですよ。サモスに行くんです」

そこで、オバさんに電話が代わった。しかし、話は同じ

だ。

「とにかく、店にきて。ちゃんと荷物はとっておいてある

から」

ここで電話は切られてしまった。電話できたのはいいがこ

れでは解決しない。夕暮れの海を眺めながら、なんかゲー

ムだな〜とふと思ってみる。魔法アイテム宝箱の鍵がみつ

からない。みつけないと船に乗れない。次のステージに進

めない。しかもご丁寧にタイムリミットつきだ。





第16話 サモスのエーゴはどんなエーゴ?!



 もう一度、私は入り組んだタウンの中に入ることにし

た。まだ時間はある。店に入ってはまた名刺をみせて聞く。

そうして歩いているうちに、ふと、ある店が目にとまった。

そこはひっそりした暗がりの目立つ店だった。店の主だけ

が退屈そうにむっつりと奥で新聞を広げている。とにかく

ここは狭い空間のくせに人と物でごったがえしているの

だ。日曜の銀座通りをそのまま店幅と道幅だけ10分の1に

引き縮めたようなもんだ。店先も商品で色とりどりに飾ら

れている。なのにそこは今思い出しても何の色彩もない。

カラー時代にいきなり白黒画面が現れたみたいに、それは

私の目を引いた。

「あの〜道をお尋ねしたいのですが」

恐る恐る私は開いたドアをくぐり、カウンターの老人を

伺った。彼は、鼻の下にずり下げた薄いメガネのレンズの

上から私を上目使いで見上げた。それから私の差し出した

名刺にちらと目を落とし、だまって1冊の本を渡した。ミ

コノスで発行している詳しいガイドブックだ。カラーの大

きなタウン地図が載っている。そこに彼は二つ丸をつけ

た。一つは現在地。そしてもう一つは宝箱の鍵の位置。

「これをあげるよ」

彼はぶすっとしたままそう言った。

 なんだか今思うと偶然の救いのようでもあるし、あんな

ところで迷うこと自体どうかしていた気もするのだが、ど

こか不思議なその老店主のおかげで、私はそれまで何時間

もさまよってたのが嘘のようにあっさりと鍵にたどり着

いたのだった。行ってみるとバカバカしいぐらい私が電話

したとこから近い場所だ。しかもどうも私は何度もその

店の前を通り過ぎていたようだ。 

 昨日の大福オバさんはとても機嫌よく迎えてくれた。ア

ラブ人もいた。(実は少々この人達を疑ったりもしたのだ

が。しかし、なぜ彼らが私の忘れた袋の中身や買ったお土

産の箱の中まで全部知っていたのかは今もってナゾだ)忘

れ物を受け取って、その店からも買い物をし昨日の詫びを

して、私はやっとそこを出る。苦労のあまり感慨深い。出口

をくぐるとき振り返ってちょっと言ってみた。

「カリメーラ!」

「エフハリストー」

店の中からオバさんのリッチな声が聞こえた。 まった

く。どこに、こんなリゾート地で一人で何時間も髪振り乱

して、道に迷って走り回る観光者がいるというんだろう。

誰もがゆったりと買い物や食事やビーチを楽しんでいる

というのに。私は気分直しのために絵葉書を買った。たく

さん買った。しかしいくらたくさんとはいえ1枚50〜80ド

ラクマ程度のものだ。合計が4500ドラクマになんてなる

はずない。「まちがってますよ」と言うべきだったが、なん

だかもう言う元気がなかった。こういう時は何をやっても

裏目に出るに違いない。私はおとなしく金を払って港に向

かった。船がくるまでそこでじっとしてるのが得策だろ

う。 連絡船の発着所は港の端にある。待合場所はただそ

こにアーケードのように屋根らしきものがかけてあるだ

けの、ただの外だ。その地面にまるでホームレスの人達の

ように寝袋や毛布やゴザにくるまった人々が転がってい

た。

(これは・・)

あの凝縮銀座の喧噪に全く似合わないこの溜まったよう

なビンボー集団は一体なんなのか。私はとたんに嬉しく

なって彼らの中に入り、空いてる場所にうずくまってジャ

ケットをかぶった。中国人もいた。欧米人もいた。みな若者

ばかりだ。ときどき起き上がっては隣の相棒と堅いパンを

かじりあい、ペットボトルの水を飲みあっている。なんだ、

バックパッカーの連中じゃないか。私は8人連れの中国人

の少女集団にまぜてもらって、みんなと一緒に船を待っ

た。この船で移動するのは彼らのようなバックパッカーか

地元の人達だけだ。サモスに行くのはトルコに渡るためで

ある。サモスとトルコは高速船で40分。夏は毎日1便ずつ

船が出る。簡単なパスポートチェックだけで入国できる。

 午前2時15分。3時間15分遅れで船がはしけについた。

私はすっかり待ちくたびれて、近くの24時間喫茶をのぞい

たり海岸のクレープ屋でお好み焼きみたいな分厚いク

レープを食べたりしていたが、荷物をかついで皆と一緒に

ぞろぞろと乗り込んだ。

 私はこの間のキャビンがやたら寒かったので、ふとおも

いついてチケットを買うときファーストクラスというの

を選んでみた。普通のチケットより5割増のそれは何か

イイコトがあるのだろうか?船内はいたって簡単なつく

りだった。大広間みたいなところに地下鉄ホームのイスみ

たいなかたいイスが何列も並んでるだけで、客室といった

らそこしかない。私は船員を一人つかまえてファースト

クラスを聞いてみた。彼は大広間のイスの群れを指さし

た。

「あれです」

「あれ?」

「そう。あれです。どれでも好きなのに座っていいです

よ」

ファーストクラスとは。あのかたいイスに座る権利がある


ということだったのだ。そういえば座席の指定もないなん

て変わったファーストクラスだと思ったんだよな〜なん

て思ってしばし唖然としていたら、さっきの中国人のリー

ダーが私を連れに来てくれた。

「こっち、こっち」

引っ張られるままに私は彼女らの隣に腰掛ける。しかし彼

女らは話しかけてくるでもなく黙々と寝る準備をして毛

布を分け合い、皆でそれをひっかぶって一斉に寝てしまっ

た。

(東洋人だなぁ)

と久々に私は懐かしいものを見た気がして眺めていると、

船がゆっくり動き出した。とうとうこのパニック島ともお

別れだ。島の写真といったらあの卒倒迷路事件のおかげで

ペリカンぐらいしかない。あんなものを見るために来たん

じゃなかったのに〜なんて思いながらさよならだ。でも今

だけちょっと、日本に帰ったらあのマシュマロオバさんに

絵葉書くらい書いてもいい気がした。

 ところで。私はこの船がまっすぐサモスへ行くものだと

ばかり思っていた。大使館情報では直通で4時間15分。す

ると午前6時半に着くはずだ。ところが5時頃、突然船内

が騒がしくなったかと思うと放送が入り船が港に入って

いく。

(えー?!もうついたのか)

私は慌ててとびおきた。慌ててたのは港に入るからだけ

じゃない。実は今の放送でどこに到着したか教えてくれた

のだ。始めにギリシャ語で。続いて英語で。でも私は最後

に、尻上がりな変わったアクセントの「サンキュウ」が聞こ

えるまで、それが英語であることが分からなかった。

(なんだ・・今のは・・)

寝起きから青ざめて私はデッキに飛び出した。船はもう

港に接岸していた。私はそこいらじゅうの人間をつかまえ

て片っ端から聞き回った。

「ここは、どこ?」

そこはかの神話で有名なイカリア島であった。イカリア

には湯治客が多いという。海水の温泉が多いんだそうだ。

町にはホテルの明かりが点々と灯っている。トイレット

ペーパーやジュースなどの物資を積んだ大型トラックが

何台も降りてゆく。私はそこで乗り込んできた短い金茶色

の髪をした若い女性と知り合いになった。彼女はイカリア

生まれだという。へえ・・あのイカリアで。私はちょっと感

動した。色の白いなかなかの美人だ。ギリシャの男女は大

きく分けて2種類いる。一方はアラブな感じ。油っぽい赤

銅色の肌に濃い毛穴。真っ黒な髭や髪や瞳をしている。も

う一方は北方系だ。白い肌に金まじりの淡い髪で青い瞳を

している。彼女は後者に近かった。

「あの、港の前にあったモニュメントは何?」

私はさきほどの尻上がりサンキュウパニックも忘れて、船

が動き出してから船室で彼女に聞いてみた。

「え?」

と彼女が聞き返した。

「だから・・」

と言いかけて私はぎょっとした。私は中学の教科書に出て

来る基本例文みたいな英語で聞いたのだ。ところがそれが

通じない。いろいろ話してみた。紙にも書いてみた。しかし

ほとんどわかってもらえなかった。確かに出身地を聞くく

らいならあまり違わないのだが、There is構文だのin front of

みたいな前置詞や関係代名詞を使った構文なんかがわ

かってもらえないのだ。それにあの放送のアクセントだ。

未熟な私にはほとんど聞き取れない。

(トルコが近いせいなんだろーか)

私は脈絡なく考えて寒くなったが、とにかく紙と鉛筆まで

出したのだ。絵を描いてあのモニュメントの正体を聞き出

した。それは港にライトアップされた現代芸術的な数十

メートルの像で、イカロスさんという人が最近つくったイ

カロス墜落の像らしい。

 なるほど。ようやく私は満足して退散したが、しかし。サ

モスの英語は果たしてどんな英語になっているのだろう

か?そしてその先のトルコは?だがまずは無事サモスに

おりて、トルコに渡る手続きをみつけなければならない。








第17話 サモスからトルコへ渡るには




 サモスに着く前に船はもう2度ばかり寄港した。その度

に私はほとんど反狂乱のようにあちこち聞き回っていた

が、どうもいまいちわからない。ただ、サモスではなかっ

た。次に泊まったのはフルニーという島だ。その次はカー

ロバーサ。イカリアの女性はもういなかったので、私は後

ろの席にきた人の良さそうなおばちゃんに聞いたのだが、

彼女の言葉は確かにそう聞こえた。カーロバーサ。船内放

送は相変わらずサンキュウしか聞こえないので、私はぶつ

ぶつそれを繰り返していたが、そのうちハタと気付いた。

カーロバーサはカルロバティだ。島の外形と町の名前が2

カ所だけ、という日本のおそるべきアバウトな某観光ガイ

ド地図には確かカタカナでそう書いてあったではないか。

日本のガイドブックは荷物を減らすために、この先必要な

ページだけ切り取ってあとは全部捨てていたのだが、残っ

た断片を思い出して私は納得した。ではもうサモス島なの

だ。カルロバティはサモス第二の港である。

 サモス港に着いたのは午前8時半だ。最初の予定は午

前3時15分だったから降りてからどうしようと思ってい

たが、そんな心配はなかったらしい。

 サモスの詳しい地図はそこのキオスクで売っている。名

所や遺跡への行き方や、航路も載っている。それによれば、

イカリアとサモスの間には小さな島がたくさんあって、そ

のなかの最大の島がフルニーというのだった。船はミコノ

ス島→フルニー島(Fourni)→サモス島のカーロバーサ

(Karlovassi)→サモス島のサモスの順に寄港する。所要時

間は6時間15分。 心配していた英語は別に普通だった。

私はその足でトラベルエージェントに寄ってトルコ行き

の船のチケットを確保し、それから博物館を回った。ここ

はグリフォン像で有名な所だ。6つのグリフォンの頭が取

り付けられた銅製の大きな椀が多いが、これはもと3

メートルほどの三角柱にとりつけられていたらしい。グリ

フォンは古代スキュタイ人達の守護聖獣だ。隣にある分館

では5メートルの巨大なクーロス像が見れる。このクーロ

ス像以外はどれも写真撮影OKだ。ただフラッシュは禁

止。

 サモスといえばピタゴラスにイソップにヘラ神殿だと

いうし、本当はもっと色々行きたかったのだが、私は全部

やめにして、港の倉庫裏の地べたで薬を飲んで寝てしまっ

た。27インチのジーンズはぶかぶかだし、どうみても3キ

ロは痩せた気がする。こんなの帰国したらどうせすぐまた

復活するんだからダイエットの足しにもなりゃしないが、

こんな所で歩けなくなったら一大事だ。機動性第一の野生

動物みたいな生活をしてると、血マメひとつでも危機感を

感じる。動けなくなったら死んだも同然・・。しかし、さすが

にちょっと疲れた。食べる間もなく走り回ってるし、外国

だから距離感がないが、今日は札幌明日は沖縄その翌日は

いったん東京帰ってまた奄美大島へなんてことやってい

るんだから。長ければ長いほど予定はゆっくり立てるべき

かもしれない。途中で体壊して動けなくなるのは一番困

る。

 ゴロゴロしてたら、バックパッカーが何人かやってき

た。船で一緒だった中国人もいる。彼女らは私のようにい

ちいち寄港に慌てることもなく、朝になったらテキパキと

歯を磨いて朝食をとっていたのだが、またここで合流。日

陰になりそうなところは港ではここしかなかったのだ。彼

らはてんでに違う方向を向いたまま、リュックを枕に寝て

しまった。あるようなないような連帯感。だが私はこうい

うのは嫌いじゃない。

 船の時間は午後4時だ。トラベルエージェントは港から

見えるところ、あちこちにある。どこでもトルコ行きの船

の時間と料金を店頭にディスプレイしている。トルコに行

きたいと言えばすぐチケットを売ってくれる。出国カード

を書いて、パスポートと一緒にエージェントに預ければこ

れで終わり。あとは、出航の30分前に港に集まるだけだ。パ

スポートはその時か、トルコの港についた時にトラベル

エージェントか船長さんが返してくれる。

 他人の倉庫で勝手に寝ていた私だが、1時頃、急にある

ことを思い出した。トルコに入国するときはトルコの現金

がいる。さっき何かでそれを読んだ気がする。でもその何

かは全部まとめてゴミ箱にほうり込んだ後だった。 しか

もあいにく今の手持ちはわずかのドラクマとトラベラー

ズチェックだけだ。あっち向いて寝てる人達を起こすのも

なんだから、私は真昼の空の下に出かけることにした。船

を待ってるらしい地元の中年夫婦やお婆さんをみつけて

聞いてみたが、自分達はトルコの金なんか持ってないから

交換するなら銀行へ行ってみろと言う。道理だ。だが、港沿

いにある大通りに面した銀行は2軒とも今日は午後から

休み。私は同じ通り(この通りにたいていのものはなんで

もあるのだ)にある両替所をいくつかかあたってみたが、

ドルチェックをトルコ通貨に替えてくれるところはな

かった。いくらすぐ隣といっても外国は外国ってことらし

い。ま、なんとかなるさ。私はムダな抵抗はやめにしておと

なしく船を待つことにした。 サモス港を出たのは午後

7時半だ。どうも船はこれくらい遅れるのが当たり前らし

い。水中翼船ドルフィン号は小型だが椅子が旅客機のソ

ファみたいで居心地がいい。ただ、トイレでまたもやドア

があかなくなった。こんな暑くて狭いところに閉じ込めら

れたら窒息しちゃうよと大声で叫んだがエンジン音がも

のすごいから誰も気付いてくれない。でも体当たりしたら

あいた。こんなのばかりだから、いいかげんそれも慣れて

くる。

 午後8時10分。トルコの地中海岸高級リゾート地クシャ

ダスに到着。船着き場の出口で黄色い紙を渡された。入国

カードとパスポートチェックだ。入国機種の欄で悩んでい

たら、すぐ係官が代わりに船の名前をさらさらと書いてく

れる。これで終わりだ。私の努力も空しく現金なんて必要

なかった。駅の改札みたいなそこを出れば、もうトルコ。





第18話 トルコの客引きはパワフルだ


 一歩外へ踏み出した私を待ち構えていたのはチョコ色

膚に黒髭の、真っ赤なポロシャツの男だ。その時私は港の

係官に、トラベラーズチェックをキャッシュにできる場所

を尋ねていたのだったが、そこへ彼が割り込んできた。

「それなら、すぐ近くにあるよ。俺が案内してやるよ」

うさん臭い。私は一目でそう思ったのだが、係官たちも面

倒なのか何なのか、彼についていけばいいんだという。ま

あ、夜とはいえ人通りの多い町の真ん中のことだ。私はと

りあえず彼に付き合ってみようかと思った。と、いうより、

ほとんど引きずられるように一緒に歩き出してしまった

といったほうが正しい。赤シャツはものすごい勢いで何か

しゃべっている。しかし私が聞き取れたのは最後のここだ

けだった。

「ところでキミ、今夜はどこに泊まるの?」

決めてない。でもそう言うより早く、このいかにも怪しげ

な赤シャツは何か名刺みたいなものを私につきだした。

「この辺はとても高いんだ。でも俺のペンションは安い

よ。ここに今夜は泊まりなよ。近くなんだ。便利だよ。俺が

バイクで送ってくよ」

なんだ。こいつ客引きか。正体が割れて私はちょっと安心

した。名刺にはペンションの名前と住所、電話が書いてあ

る。とはいえ、うさん臭いにはかわりない。それに今夜はセ

ルチュクまで行くつもりだった。

 赤シャツの言ったように国際両替所はすぐ近くだった。

港を背に歩き、すぐ右に入るとそこだ。国際云々というよ

りウチの近くのタイヤキ屋みたいな所だ。よく見ると、通

りも森下商店街みたいじゃないか。

 狭い中に人がぎゅうぎゅう詰まって並んでいたが、さし

て待つでもなくすぐ順番が回ってくる。スーパーのレシー

トみたいな領収書をもらって外に出ると待ちかねたよう

に赤シャツが出迎えた。

「俺のペンションに・・」

「泊まりませんよ。これからセルチュクに行くんです。バ

ス停を探さなきゃ」

「バスは今夜はもうないよ。この辺のバスは夜8時までな

んだ」

私はここへきて初めて困ったと思った。だがこんな赤シャ

ツの言うことは信用できない。私の直感はそういってい

る。いずれにしろ彼についてゆく気はしなかった。私は丁

寧に道案内の礼を言った。とにかくバス停をさがさねばな

らない。この国も移動の中心はバスだ。ギリシャのバス停

はクテルだが、ここはオトガルという。オトガルをさがし

て、私は夜の商店街に入った。隣にはまだ赤シャツがいた

が、私は無視して歩き出した。すると赤シャツは話しなが

らぴったりと横に並んでついてくるじゃないか。

「だからここには泊まりませんってば。オトガルに行くん

ですよ」

「だから今夜はもうないよ。あんたはもうここに泊まるし

かないんだ」

余計なお世話だ。私はだまったまま速度を速めた。それに

ぴったりと、赤シャツはついてくる。とにかくよくしゃべ

る奴だ。5メートル進むのに30は何か言っている。私はど

んどん歩いた。ほとんど走り出しそうだった。だがそれで

も彼はついてくる。

(すごいな)

私はちょっと感心した。中野の手相屋だって池袋のアン

ケート屋だってこんなにしつこくない。どこまで来るんだ

ろう。そう思ったとき、ふと彼はいなくなった。

(やれやれ)

しかしやっとこれでゆっくり歩けると思ったとき、なんと

次の「赤シャツ」が現れた。で、彼を振り切るとすぐ「赤

シャツ」3号がやってくる。大変なことになった。この辺

は「赤シャツ」だらけなのだ。50メートルに1人の割合で

出現する彼らは、外国人観光者それも私のようにボロい格

好の独り歩きを狙ってやってくる客引きである。

「オーッお嬢さんっ私の話を聞いて下さい」

「NO!」

「いい宿知ってるんだけど」

「NO!」

「ちょっとだけ聞いて下さい」

「NO!」

「キミ可愛いよ」

「うるさいっ英語はわからないんだ」

「じゃ、何ならいいの?」

「日本語」

これは効果がある。ふつうどこでもそうだが、英語は全く

わからない、と言うだけでかなりナンパは減らせる。しか

しまだ来る。私はとうとう走り出した。一生懸命走った。あ

んまり一生懸命走ったので、一気に町を突き抜けてしまっ

た。

(ここ、どこ?・・・・・・・・)

ようやく立ち止まったら、そこは黒々とした林だ。歌舞伎

町みたいなとこからあっという間にこんな景色になって

しまうなんてトルコもなかなかあなどれない。さっきの明

るい店やごったがえした人を通した同じ道路が、同じ道幅

のまま、この背の高い針葉樹林の中を走っているのだっ

た。

 戻ろう。さすがに反省して振り返ったとき、バイクのエ

ンジン音とともに「やあ」と声がした。

「やっぱり俺のペンションに泊まりなよ」

元祖赤シャツがそこにいた。






第19話 誰の後ろについていくのか?



 しばらく戻ると、右手に遊園地のようなものがある。電

球のベールを着たかんらん車がきれいだ。そこで道を聞

く。オトガルはあっちだよ、と教えてくれる。しかし行って

みるとそれはセルチュク行きではなかった。

「もう、いいだろ。俺が送ってくからさ。ここに乗りなよ」

赤シャツがバイクの後ろを指した。私は呆れるのを通り越

して、ついうっかり尊敬してしまいそうだった。彼はもう

かれこれ1時間も私の後ろをバイクでだらだらくっつい

てくるのだ。ちょっと見えなくなったと思っても、また次

の路地で現れる。

「がんばるねえ。トルコの客引きってのはガッツがあるん

だな」

私はほとんど敬意をこめて傍らを見た。

「どうしてもオトガルへ行くのかい」

「行く」

「バスは終わったって言ってるのに」

「でも行く」

行って、少なくともその位置と時刻表を確かめるつもり

だった。どのみち明日もこの調子じゃかなわない。その上

で、彼の世話にならないペンションかホテルを探す。彼の

行為には感服するが、どうも私はこのテの人物を警戒して

しまう。クシャダスのホテルは高級でバカ高い。私も確か

にそう聞いていた。赤シャツは、とても私がそんな所に近

づけるわけがないとふんで追いかけ回しているのだ。しか

し、ナリはビンボーなバックパッカーでも金持ち大国ニッ

ポン国民。黄色いサイフと陰口される我々が、インフレに

あえぐトルコごときの高級ホテルに1泊くらいできない

わけはない。実際、日本の旅行代理店で予約してもらった

ミコノスのホテルなんて、プール付き浴槽付き、クーラー

付きのAランクで、それでも東京のビジネスホテルクラス

の料金だった。日本の物価では、代理店に支払う手数料だ

けでも高級ホテルに泊まれてしまう。危険に賭けるくらい

なら、その程度のカネで解決したほうがいい・・・・・・。

 トルコは結構コワイ国だ。親切を装ってゴーカンされて

しまった女性や暴力喫茶に連れ込まれて身ぐるみ剥がれ

た男性の話はよく耳にする。もちろんそんなのごく一部の

トルコ人の仕業だが、観光の外国人を喰い物にしたい人間

もなかにはいるし、特に一人旅は彼らにお目にかかる頻度

が高い。あんまり高すぎて、その後ろにいるはずの普通の

トルコ人が見えないくらいだ。ま、それはそうかもしれな

い。賢明で社会的節操のある紳士ってのは忙しい身だ。見

知らぬ外国人にただの世話焼きでのこのこくっついてく

るわけがない。でも、衆目の中いきなり人さらいが起きる

わけじゃないのだ。親切そうに寄ってきた騙し相手につい

て行くこっちがいけない。たとえどんなに不安なときで

も、困っているときでも、淋しいときでも、ここはひとつ昔

言われた、知らないおじさんには・・を思い出したほうがい

いのだ。

 とはいえ赤シャツを、私はそんなに悪い奴じゃないと思

い初めていた。彼の後ろに乗ったりはしないが、きっと赤

シャツには赤シャツの苦労があるんだろうと思った。 

「オトガルに行くなら俺が案内してやるよ」いきなり赤

シャツが言い出した。

「いえ結構」

と言いながらやっぱり私は彼と並んで歩いていた。通行人

に尋ねながら、それでもどことなく赤シャツに連れられた

ように、私はさっき走り抜けた町中へ戻ってきていた。

「こっちこっち」

少し先に行った赤シャツが振り向いて手を振った。私は行

くような行かないような曖昧な態度のまま、目の前の果物

屋の店主に道を聞いた。彼は、赤シャツのいる方を指さし

た。

 クシャダス行きのオトガルは港からほんのわずかの距

離だった。私は数キロも通り越していたらしい。赤シャツ

はわざわざバスの運転手に確かめて、いますぐ発車するバ

スを探してくれた。

「これに乗ればいいのさ」

その口調が、今夜のバスはもうないと言ったときの勢いと

全く同じままだったので、私はちょっと苦笑した。なんと

なく、彼には悪意というものを感じない。

 赤シャツに手を振って別れると、動き出したバスは、

さっき林の中に突入したときみたいに唐突に山奥へ登り

始める。木の葉の陰からしばらくはクシャダスの明かりが

小さくキラキラと落ちているのが見えていたが、それもす

ぐに消え、窓の外は真っ暗闇になった。しかもバス・・とい

うよりワゴン車みたいなこの乗合車は腰が浮くほどよく

揺れる。  

 30分ほどたった。ワゴン車は入ったときと同じように唐

突に山を出た。広い道路と大きなバスターミナル。セル

チュクだ。

 バスの運転手は、ゼロの多さに目がくらみケタを多く間

違えて渡した私に札を返し、きちんとお釣りをくれた。コ

ンクリートで舗装された広場には夜のせいかほとんど人

もいない。降りてしまうと、またもや右も左もわからない

場所で、私はどうしよう・・なんて思いながら突っ立ってい

る。私がセルチュクに関して知っているのは世界最大の遺

跡エフェスの基点になっていることだけである。でも最初

の予定では夕方には着いているはずだったのだ。それが船

が遅れ、私が迷ってこのありさま。そこだけ明るい光を投

げている売店で、なにか聞いてみようかと思って歩き出し

たとき、目の前に背の高い若い男が現れた。遠慮深い様子

でおもむろに彼が差し出したのは赤シャツが出したよう

な名刺。地図も書いてある。

「今晩、ここに泊まりませんか?ウチのペンションは私の

母が料理を作るんです」

私は彼を見た。ターミナルのライトでは色まではわからな

い。でも柔和な瞳だ。なんとなく大型の草食動物を思わせ

る。彼のちょっと臆病そうな口調が私の気に入った。

「一晩、おいくら?」

なんだか別の商売みたいな私の問いに、彼は詳しく説明

してくれた。朝食付き、共同シャワーでトリプル600円ほ

ど。サービスに、近所の大遺跡エフェスへの送迎付きだそ

うだ。家族経営ペンションとしてはいい相場。しかも私の

直感が、これは安全といっている。

「よしっ決めた。2泊できる?」

「もちろん」

私は背の高い彼の後ろについていくことにした。