第7話 ハラがへったらイチヂクだ



 夕暮れの残りはそろそろ消えようとしていた。空はだん

だん黒く塗り変わろうとしている。


 それにしても何もない所だ。駅の周りに何もないという

か、何もないところに駅があるというか・・。強いて言うな

ら、ここは閑散とした住宅街かもしれない。こうしてみる

とこの国のメイン交通が鉄道ではなくバスなのだというこ

とがよくわかる。街の中心を結ぶのはバスだ。たいていバ

ス停の周りに、ホテルも銀行も教会もタベルナもインフォ

メーションも集まっている。


 いずれにせよもっと人の多いところに行かねばなるま

い。近くで遊んでいた2〜3人の小さな男の子がこの困っ

ている東洋人を珍しがって手を振るので、私は彼らに聞い

てみようかと思った。しかしその時、私の視界の右端をな

にか黙々とした一団が動いた。

(おおっ、地獄で仏。アルゴスにバックパッカーだ)

彼らは旅行マニアだ。ヨーロッパの若者にはどういう情報

ルートがあるのかしらないが、どんなマイナーな経路でも

熟知している。今しも3人のバックパッカーが駅を背にし

て真っすぐの道を歩き出そうとしていたが、私はとりあえ

ず、そのよどみない足取りを信じてついてゆくことにし

た。

 彼らは黙々と歩く。私はその後ろからちょっと離れてあ

とについて歩く。・・・・・・・・。ところで彼らはどこに行くん

だろう?一番肝心な問題をふと思い出して、聞いてみよう

かと思ったが、始めにだまってあとをつけてしまったの

で、このままだまって行くことにした。どっちみち、バス

停かユースホステルに行くに決まっている。でなくとも、

少なくとももっと人通りの多い場所を通るに違いない。そ

したら、誰か別の人に聞いてみよう・・・・・・。なんて安易な

考えで私はくっついていったが、あにはからんや。彼らの

目的地は街の中心である教会の前のバスターミナルだっ

た。この時はじめて私は彼らに話しかけてみた。

「ミケーネに行くにもここから乗れます?」

「うん。でも今日はもう遅いからバスないよ。行くなら明

日だね。これを見たらいい」

指さす方向には白い立て看板。バスの行き先と発車時刻が

書いてある。

(ほ〜なるほど・・)

心して眺めてたら、そこにたむろってたオッサン達が寄っ

て来て

「なになに?」

「どこ行くって?」

と聞いてくれるではないか。そして口々に

「明日ミケーネ行きに乗りなよ」

「アテネ行きでもいいよ」

「そうそう。アテネ行きなら今夜もある」

「でもそれだと途中で降りて4キロくらい歩くんだ」

「やっぱりミケーネ行きがいいよ。あの建物のとこから出

るんだ」

最後のオッサンが指した所には確かに大きな建物がある。

前がバス停だ。私は丁重に礼を言って、今度は宿を探すこ

とにした。

 とはいっても、なんだかもう疲れてめんどくさいので、

1番最初に目についた所へ入ることに決めた。しかし、そ

れでも少しは考えて選ぶべきかもしれない。値段は3000ド

ラクマくらいでシャワー付きホテルとしては安いし、フロ

ント兼ドアボーイのこじんまりさは、同じ人がいちいち部

屋までバスタオルを運んでくれる心安さだが。が、暑い

し、うるさいし、ネオンで眩しいし、一晩中眠れたもの

じゃなかった。暑さとネオンはがまんするとして、騒音な

んてうるさいをとっくに通り越し難聴になりそうなほど耳

に響くんだからたまったものじゃない。でも、ここもトリ

ポリもラリサもそうだったが、交通の要所ってのはあくま

で通過ポイントであって、宿泊するような環境ではないら

しい。 


 翌朝7時前、居眠りしているフロントをたたき起こし私

はミケーネに出掛けた。さすがにこの時間はやや静かだ。

町にはまだ陰が残っているというのに、そこだけがもうす

でにくっきりと朝日に浮かび上がった山がそびえ、それを

バックに広場に朝市の屋根が並びだそうとしている。

 ところで、ミケーネ行きのバスは遺跡まで連れていって

くれるわけではなかった。土産物屋の前で降ろされて、ど

うしたものかと思案してると、一緒にバスを降りたお兄さ

んが案内してくれるという。

「まだ、開門してないかもよ・・」

なんて言う彼は、遺跡の売店の売り子さんだった。CAMEL

のベルトをした彼にくっついて、遺跡に続く坂を登る。道の

両側にはオリーブがあり、ところどころにイチヂクもなっ

ている。ちょうど熟れてて食べ頃だ。


 丘状の遺跡の頂上に登ると、見晴らしがいい。ぞろぞろ

と人が登って来るのも一望できる。たいてい3人くらいで

来ていて、1人はミシュランを持っている。そして、ポイ

ントごとに私設ガイドのように解説を読み上げてくれるの

だ。こういう観光の仕方もいいかも・・なんて思っていたら、

突然、日本語で読み上げる声が聞こえた。

「君、一人で来てるの?ほお、偉いねえ」

と、まるで小さな子供を誉めるみたいに誉めて下さったの

は阪大だったか早稲田だったかの教授で、その教授のため

に解説を読んでいたのが、お供の学生二人だ。ペロポネソ

スで日本人に会ったのはこれで2度目だが、彼らは私とは

逆回りのルートで半島を一周してるということだった。昨

夜はミケーネに泊まって今朝そこから出てきたのだと言っ

ていたが、そっちのほうが正解かもしれない。ここは静か

だし観光相手の土産物屋もあるし・・つまりそういう場所な

のだ。遺跡を出て下りていく途中で、静岡から来ていると

いうミドルのご夫婦にもでくわした。うん。ちょっとトシ

とってから夫婦でむつまじく遺跡巡りなんていいかも・・な

んて思いながら目礼をして通り過ぎる。これがもし、東京

や静岡で会ったのだったらこんなことするわけないのに、

こういう場面ではただ日本人だというだけで、一種無意味

で独特な親近感が結びあう。

 それにしてもおなかすいたな〜と思いながら歩いていた

ら、さっきのイチヂクが目にとまった。ギリシャのイチヂ

クは古代からの特産デザートだ。かなり古い文献にも載っ

てるし、ハチミツと並んで当時の貴重な糖分だっただけ

あって、今でもあっちにもこっちにも自生している。どん

な味がするんだろ?前々から興味のあった私だが、今また

一段と興味があった。なんたって空腹だ。ハラがへったら

木の実をむしって・・なんて文明時代のレディにあるまじき

行為だが、

(ま、いーじゃん。ここギリシャだし)

ってなわけで横道に入った。こういう場面に合うように

ジーンズにTシャツにリュックだし、気分もすっかり古代

人だ。

 野生のイチヂクはジューシーとはいいがたいが、濃厚

で、陽光の甘味がした。今や岩波文庫の背表紙を飾る世界

に冠たる古代の哲学者や劇作家だってこーゆーイチヂクを

食べたに違いない。










第8話 海辺のリゾートは
       夕暮れのタベルナで



 イチヂクですっかり満足した私は、通行人に教えても

らった通りに町の入り口にあるレストランの前でバスを待

ち、そっからアルゴスに戻って、さらにアテネ行きのバス

に乗り込みコリントスへ向かった。

 コリントスはアドリア海に望む美しい町だ。バス停近く

のツーリストポリスで(といっても電話ボックスみたいな

ところに警官が一人突っ立ってるだけだが)

「この辺でホテルさがしてるんですけど〜」と言うと、

「この道をまっすぐ行って右か左に曲がるといっぱいある

よ」

ということなので行ってみると海岸沿いにいくつも並んで

いる。昨日の反動で私が選んだのは料金は1万ドラクマと

少々高めだがアットホームでこぎれいなシーサイド・ホテ

ルだ。すぐ隣に淡いブルーの波が寄せ、老いも若きも男も

女も申し訳程度の布をつけた水着姿で遊んでいる。日本と

違うことで私が好きなのは、海岸でビキニになるのは若い

女ばかりじゃないってことだ。アメリカに行った時も、70

か80くらいのおばあさんが大きな水玉のミニスカートをは

いて編んだ髪に青いリボンをつけていたり、ピンクのロン

グドレスを着ておじいさんにエスコートされてたり、60く

らいの老夫婦がショートパンツにTシャツ姿で手をつない

で歩いていたりしてたが、私はそういう価値観がとても好

きだ。老いたら醜いんだから地味に隠れていればいいと

か、デブやブスやオバさんやましてやお婆さんがビキニな

んてとんでもない、なんて言い出す人は結構知っている

が、そういう価値にとらわれているのはなんだかみみっち

くて広い精神世界のどこにも行けない気がする。

 私は荷物をおいて外に出ると、バス停で時刻をチェック

した後、博物館や資料館をまわり、それから海岸に出て平

均日本女性の3倍はあろうかというダイナミックなオバさん

達がフリルのビキニで飛び込むのを開放的な気分で見物し

ていた。海のあるここは、とにかく、青い。白い。そして

暑い。水着なんて持ってきてないから靴下をぬいでちょっ

とぱしゃぱしゃしてみただけだが、濡れた足もあっという

まに乾いてしまう。ヤシの木がそよぎ、絵にかいたような

リゾート風景。


 夕方になり、海岸にテーブルと椅子を並べたタベルナに

明かりが灯ると、街はもっとにぎやかになる。魚料理が食

べたいと言ったら、厨房に連れて行かれて魚を何種類か見

せられ、どれがいい?と聞かれた。コックさんが手にぶら

さげてるその中から1匹を選んで料理してもらう。食事を

しながら暮れてゆく空と海を眺める。しかも窓からなんか

じゃなく、その中にいるのだ。外で食事をしたがる民族の

気持ちがわかるような気もする。なんだか初めて地中海に

旅行に来ている気になった。ここはたぶん、一人で用事に

走り回る所じゃない。気の合う誰かと一緒に休みに来る所

だ。あまりにバカンスにぴったりなここへ来て、はじめて

私は一人でいるのがちょっと淋しい気がした。

 夜になると、海岸の船にも明かりが揺れて涼しい風が吹

き、屋台が並び、子供も老人もブラブラと散歩する。私も

長いことベンチでぼーっとしていた。外を歩いてぼんやり

するには夜もまた美しい時刻だ。ただ、翌朝20カ所以上も

蚊に食われてるのに気がついて、えらく痛い思いをするけ

れど・・・・・・。








第9話 ペガサスの水飲み場 



古代コリントスであった地域へは、現在コリントスであ

る・・つまり昨日のバス停から直通バスが出ている。

 コリントスからアクロコリントスまで8キロ。バスに乗る

とまもなく道路わきにあと4キロの表示が見える。これが

また、もう少し行ってもあと4キロ、もっと行ってもあと4

キロ、あるとき突然あと1キロになるというよくわからない

表示なのだが、バスは畑の中をぬい、窓に木葉がふれそうな

ところを通って、その昔コリントスだった場所に向かう。 

アテネやオリンピアやクノッソスなんか同様ここはやたら

団体さんが多い。遺跡の入り口に何台も観光バスが乗りつ

けてある。といっても一世代前の日本人ではない。一世代

前の日本人そっくりの格好をしたアメリカ人やヨーローッ

パ人のご一行様なのだった。歳の頃はいずれも50〜70代く

らいか。恰幅もいいし背も高い。黒ぶちの眼鏡なんかかけて

るわけでもないのだが、首からしっかりカメラがぶら下がっ

ている。以前話題の日本人ルックだ。流行っているのか、こ

れが安全で効率いいのか。ちょうど最近の日本人と入れ替わ

りなのかもしれない。近ごろの日本の海外旅行調査では6割

が二人旅でトップだそうだし、首からカメラってのもまず見

かけない。

 ひとしきりかけずり回ってコリントスに戻り、そこから

いったんアテネへ。明日は空港からミロスへ飛ぶ。いよいよ

エーゲ海だ!!


 アテネからミロスまでは船なら8時間、飛行機なら45分

で着く。船だけじゃなく飛行機もよく遅れるから時間はこ

ろころ変わるし、直前で出発ゲートが変更になったりもする

から要注意かもしれない。必ず放送が入るからいつもより

少し耳を大きめにして聞いとけばいいとは思うけれど。始

めにギリシャ語、続けてすぐに同じ内容で英語のアナウンス

が入る。外国語の放送はどうも・・という人も心配には及ば

ない・・と、思う。いくらぼんやりしていても、自分に関係ある

情報ってのはどういうわけか自然と耳に入ってくる気がす

る。自分のウワサ話が寝てても聞こえてくるように、自分が

これから乗ろうとしていれば、ミロス行きゲートが3番から

1番になりました、なんて放送は本を読んでても聞こえる。

団体旅行なら聞こえないかもしれないが、一人なら聞こえる

のだ。思うに、自分しか頼れる者がいない、というこういうと

きこそ人間の第六感とか第7感とかが目覚めて自動防衛シ

ステムのように働くのだろう。人の体は思っているより非常

に野性的にも、うまくできているんじゃなかろーか。でも、そ

れでも不安だったらそれはもう、迷わず誰かに聞くことだ。

それも1度といわず乗る前、乗る時、乗った後と。結局基本は

それに尽きる。しかも、だまってても教えに来てくれる人は

危ないから、自分で人を選んで聞きに行くことだ。でも、私は

地中海地方の人懐っこい気前の良さを全く信用してなかっ

たけれど(彼らはいつでもどこでもすぐに、やあやあと

寄って来て本当に親切に何でも教えてくれるのだ。しかし、

それが正確な情報かどうかというとあまりアテにはできな

い)少なくとも、イタリアやトルコやスペインにくらべた

ら、ギリシャは治安も人も最も信頼のおける気がする。

 チケットはシーズンだから、というんで私は日本から予約

していったけれど、もし、時間の余裕もあり、あまり混んでな

いような時分だったら現地でとったほうが安上がりでいい。

ホテルだってビザだってそうだが、手数料は長い旅ほどバカ

にならない。空港でも、代理店でも、営業所でも、どこでも買

える。買い方は日本と同じだ。なに、買うときのコトバがわか

らない?そんなことはない。中学を出てる人なら誰だって大

丈夫だ。ゼスチュアでも絵に描くでもイザとなったら手段は

いろいろあるし、なんてったって我々は世界の中でも最も高

い教育を受けている民族なんだから。もっとも、ミロス行き

の飛行機はレシプロ11人乗りだから、予約は早めが無難かも

しれない。

 ところで小型なのは飛行機だけじゃなかった。ミロスの空

港は、ただの広場に小屋が2軒。それですべてだ。付近に

だって何もない。広場の続きのように広大な平原。降りたと

たんに途方に暮れるこの状況。地図を買おうにも店がない

し、飛行機の座席にはミロスの観光案内が入っていたが、別

に読んだところで、日本の某旅行ガイド以上のことは出てい

ない。地形が美しいとか、カタコンベがあるとか、ローマ時代

の劇場跡があるとか、ミロのビーナスが発見されたとか、博

物館やフォルクアートが見れるとか・・。

 問題はそれ以前のことだ。ここはいったいミロスのどの

辺なのか。その、博物館や遺跡に会うにはどうすればいいの

か。次の島に渡るにはどこでどう手続きすればいいのか。

で、これからどうするか? 








第10話 ミロのビーナスは薮の中


 こういう時、いつもならとにかく外に出てみるのだが、こ

こには外も内もない。空港にいながらにして、そこはすで

に外だ。あんまり困っていたので、私はほかの乗客が降り

てくるのを待ってみた。彼らはどうするんだろう?


 空港からこの島最大の交通要所アダマス港に運んでくれ

るのはタクシーだ。それも1台くらいしか来てないから、

知り合いの出迎えのない客はみんなでそれに乗る。周囲の

土くれに今にも同化しそうな小型車に6人で乗り込めば、

人も荷物になった気分だ。料金は人数に限らず、一律お一

人様1000ドラクマ。アダマス港のタクシー乗り場には、白

い立て看板にそこを基点にしたタクシー料金が表示してあ

る。島の名所にはタクシーで・・というわけだ。安いし、島

のあちこちに行きたい人はこれを利用するのが一番かもし

れない。レンタ・バイクも多いから、そっちがいい人はそ

れで自分で移動するのもいい。バイクの看板は目につくと

ころどこにでもある。バイクといえば、初日にぶつかった

のもそれだったが、とかくギリシャは多い気がする。特に

アテネではノーヘル二人乗りが圧倒的だ。しかも奇妙なの

は、運転してるのと荷台に乗ってるその二人が双子みたいに

セットな格好をしてるのが多いってことかもしれない。同じ

色の髪、同じ髪形、同じ服装、似たような体型・・。黒いグラサ

ンは二人でグラサン。金髪長髪は二人で金髪長髪。スキン

ヘッドは二人でスキン・・。男は男同士、女は女同士だし。二

人乗りは親友か恋人でペアルックにするのが流行っている

のか?!そんな疑問がよぎるほど異様な光景だった。ま、

それはさておき。


 ミロスの行政中心地プラカへはアダマス港から2時間に

1本くらいバスが出ている。これがまた、お父さんが運転

して小さな男の子が車掌さんという情緒溢れるバスだった

りするのだが、島全体が丘のような風景の中、バスは丘の

上にあるプラカへとえっちらおっちら登ってゆく。

 バス停の前にはリュック背負った若者や普段着姿のオッ

サンやオバさんがだら〜っとたまっていた。バスはそこで

人を昇降させてまた次のバス停へと向かう。

 プラカの町は狭い。道も狭い。そして複雑に曲がりく

ねっている。白い塗り壁の土蔵みたいな家々がぎっしりと

ひしめきあっており、その家々の隙間が道路だ。だから

まっすぐじゃないし、平らじゃないし、時々は階段になって

たりで、まるで迷路のようだ。道しるべの糸でも持ってない

と二度とバス停まで戻ってこれない気がしたが、どうせなん

だかわからないので、とりあえず私は歩き出した。知らない

土地に来たときに一番先にするのは地図を手に入れること

だが、港にあるインフォメーションでも旅行代理店でもそん

なものは置いてないという。

(困ったな〜)

と思いつつも、情報収集はまず酒場からってなファミコン

のノリで、私は最初に見付けたタベルナに入った。タベル

ナといっても小さな駅の喫茶所みたいなもんで、10人も座

れば一杯になってしまいそうなとこだが、奥に売店がつい

ている。私は席を決めてグリークコーヒーを頼むと(これ

がものすごく甘いウインナーコーヒーみたいなやつだが、た

だ違うのは底に絞りカスが溜まるトルコ式なとこだ)土産

物コーナーを物色してみた。何十種類ものミロスの絵葉書

にいろんな観光用冊子が無造作においてある。私はMH∧Oと

大きく書かれたカラーの本を1冊手に取った。ミロスの名所

が詳しい沿革ガイド付きで写真と一緒に説明してある。

(おっこれいいな)

と思ったら、巻末付録に付近の地図がついていた。これがま

た子供が描いた宝探しの地図みたいな代物なのだが、とても

役に立つ。後でよくみたらアダマス港前の土産物屋でどこに

もかしこにもおいてあったから、初めてミロスに足を運ん

だ方は、まず港でこれを購入されるとよいかもしれない。

英語版とギリシャ語版がある。私ははじめMH∧Oのほうを

買ってしまったのだが、後で気がついてMILOSに交換しても

らった。

 で、その地図を片手に私はまたもや炎天下を歩き出した。

午後2時半。シエスタ・タイムの真っ最中。こんな時間に

歩き回ってるのは観光客ぐらいだ。しかし、その観光客もア

ダマスのパラソルの下で動かないのか見渡す限り人っ子一

人いない。物音すらしない。絵葉書の中に吸い込まれたよう

な景色の中を、私の足音と息遣いだけが響く。辺りがあんま

り美しくてあんまり静かすぎるので、次元の割れ目を乗り越

えてしまったような錯覚に恐怖すら感じる。

 細い道路の両側は真っ青な空に続く広々とした畑。黄金色

にひからびた葉に赤いプチトマトみたいなのをくっつけた

植物が点在するそこを過ぎれば、いきなり足元に視界が開け

る。ここで、自分がずいぶん高い場所に来ていたことを思い

出した。足の下には陽炎と霧に溶けかかったような海と山々

がぼんやりと見える。左手には、ミコノスの写真なんかにあ

るよりいくぶん古びた白い風車が3基。右は白く乾燥した岩

肌に海綿みたいに張り付いた短い草が茂っているヤブだ。そ

のヤブの中に青い看板が1本立っている。


「SITE OF THE DISC0VERY OF VENUS OF MILOS」



かの高名なミロのビーナス発見の地だ。もちろん、あの有名

な大理石像が掘り出されたからといって、ヤブはヤブだ。し

かし、どうにも不思議なもので、こんな時、私はそこにヤブ以

上の何かを期待してしまう。私はもっともっと感動しなけれ

ばならない気分に脅され、ヤブの中にすべり降りてみた。枯

れた草の下に岩がいくつも隠れているような1帖ほどのス

ペース。そこに壁のように積まれた石垣に白い大理石の板が

張ってある。その1枚の板にギリシャ語、英語、ドイツ語、フ

ランス語の順で上の看板と同じ文句が刻まれてあった。どう

やらここが本当に掘り出された現場らしい。私は拾い物を

したような気分になってようやく納得し、安心してもう一度

道端に戻るべく黄色い花の咲いたサボテンをよけながら上

に登った。 

 そこからもう少し先に進むと左下に古代ローマ時代の劇

場跡が見えてくる。半円形を階段状の椅子が取り囲むオーソ

ドックスな劇場だ。そこへ降りてしばらく左に戻ると、カタ

コンベの入り口に到着する。付近は洞穴がいくつも口を開け

ており探検気分になれる。しかし行ってみるとカタコンベは

午後2時45分まで。この島はどこもあんまり仕事をしない。

博物館も官庁もみんなその辺りで閉まってしまう。アテネ−

ミロスの飛行機は夏は毎日3便。6時、13時、18時だか

ら、当日いろいろ見たい人はちょっと早いけど6時がおすす

め。でなければ1泊以上することだ。ホテルはアダマスに何

件かある。

 踏耕してるロバや羊の群れを抜けつつ先刻の風車に行っ

てみた。この高い、島の端っこのような場所からは海とその

縁に並ぶ白い四角い家々が小さく一望に見渡せる。ほかの大

観光地な島々に比べると、それらとそっくりでいながらもど

こかドロ臭い。でも、そこが私の気に入った。洗練され、洒落

ていながら、どこかサギくさい。バカで金持ちな観光客から

巻き上げようと手ぐすね引いて待っている。そんな殺伐とし

た空気が、この島にはない。

 庭でゴミを焼いてたおばさんに道を聞きながら近くのバ

ス停をさがすと、ノートルダム寺院のミニチュア版みたいな

形をした真っ白い教会の前がそうだった。トリピティ村の一

番大きな教会だ。これが濃いブルーの空に映えて実に美し

い。けれど、そこの売店のおばさんが教えてくれた通り、バス

は当分きそうもないので、私はまた歩くことにした。しばら

く行くと管理職を隠居して暇を持て余してるってな感じの

白いワイシャツ姿の老人にばったり出くわした。

「おや、日本人かい?」

「そうですよ」

「珍しいねえ。日本人ならフランス語もできるだろ?」

何を勘違いしてるんだ。この人は・・。と、思いつつも

「大学でやりましたけど、いまだに使えませんね」

と、正直なところを申し上げると

「習ったのならなんで話せないんだ」

ときた。

「そういう日本人は多いですよ」

「だから、どうして?」

「どうしてと言われても・・」

だから日本の語学教育は誤っている・・なんて評論家先生み

たいなことは言わなかったが、結局のところ怠けてるだけ

かもしれない。

「私はあまり真面目な生徒じゃありませんでしたから」

「それはけしからんね」

彼は深いシワに刻まれたシブい表情を一層シブくした。う

ん。実にけしからん。私もそう思って深くハンセイした。

いつも外国に行くたび思うのだ。もし、日本語くらいに英語

もフランス語も使えたら、どれだけ世界が開けることだろ

う。確かに日本語だって個々の感情を本当に正確に伝えるこ

となどできはしない。でも喉元まできた気持ちを表現しき

れないもどかしさは、なにものにもまして悔しい思いを毎度

味あわせてくれる。だけど、日本に戻ってしまうとやっぱり

勉強しないんだなこれが。情けないことに。

「ここで待ってると5分もしないうちにバスがくるよ」

彼はしばし説教したあと親切に教えてくれた。

「ここって、ここですか?」

「そう。ここで立ってるとね・・ほら、来た」

確かにやってきた。手を振るとバス停でもないところで止

まってくれる。しかも回送バスだったというのに、わざわざ

アダマス行きが近々通りかかるというバス停にまでタダで

私を送ってくれたのだった。

(なんか、いいとこだ。順調、順調・・)

ところが、あっちこっちで調子にのって写真を撮りまくって

たら突然カメラのディスプレイが点滅。それきり動かなく

なってしまった。どうやらめったに切れない内蔵電池が切

れたらしい。おおっと、こんな所で・・。なんだか一難去って

また一難。参ったな〜とか思いながらも、こんな所で日本の

カメラを直してもらえるんだろーかと考えてみる。

 アダマスの港はなんでもある。ここに人間の居住が一手

に集まってしまったと思えるほどある。ホテルも銀行もタベ

ルナも土産物屋もインフォメーションセンターも船のチ

ケット売り場もバスターミナルもタクシー乗り場も、そのも

のズバリの看板がどかんと下がったスーパーマーケットも

ある。もちろん、カメラ屋もあった。

 で、入ってみると、ドライバーでいともあっさり内部を開

けて妙な形をした乾電池を入れ替えてくれた。  

 うーむ。小さな島だがなかなか侮れぬ。何種類もの凍った

フルーツをお好みでトッピングしてくれるフローズン・

ヨーグルトをなめながら、私は暮れてゆく海を眺めた。今夜

は船でクレタに向かうのだ。










第11話 島から島へ船で渡る方法
   &お土産あれこれ&オマケの発音鉄則





 船の情報は港前のインフォメーションセンターか旅行代

理店でもらえる。インフォメーションセンターでは、カウン

ターにファイルが1冊おいてあり、それをひらけば船の時刻

表が載っている。旅行代理店では時刻表が1枚の紙になって

いて、ご自由にお取り下さい箱に入っている。航路は近所の

島々とギリシャ本土に隈無く通じており、どこへ行くにも立

ち往生する心配はまずない。ただ、近所の小さな島々へは夏

でも週1〜2便くらいしかないから、予定の混んでる人は注

意したほうがいい。しかもお気楽な国民性も計算に入れてお

かねばならない。

 私は日本を出る前に都内のギリシャ大使館とギリシャ観

光局に問い合わせておいたのだったが、その情報と現地の情

報が見事に食い違っていてちょっと焦ってしまった。事前で

はミロス→イラクリオンは火、金、土と聞いていたのに行っ

てみたら月、水、金だ。危ない話だ。この辺の呑気な感覚では

1日くらいは誤差の範囲なのかもしれないが、私はそうはい

かない。でも、たまたま私の乗る船はあったので、助かっ

た・・と思いながら出航時刻を確認すると、大使館とインフォ

メーションセンターと旅行代理店で全部違う。その差、4時

間余り。あのな〜と思いつつも、とにかく一番早い情報時刻

で待ってみるしかない。置いてかれたらもっと困る。

 チケットを売ってくれるのは旅行代理店だ。今夜出るは

ずのクレタ行きに乗りたいと言うと、船の名前と、出航の30

分前には港に来るようにってことをしつこく言われて、宅急

便の荷札みたいなチケットを渡してもらった。クレタは二千

あまりの島の中でも最大だ。だから大型船が入る。船室は

デッキとキャビンに、キャビンはさらに1等と2等に別れ

ていたが、何も言わずに買ったら自動的にデッキにされた

ので、キャビンに変えてくれないかと頼んでみると、一度発

券するとここでは変えられないから船の中で買い直してく

れとのことだった。面倒なことになったと思ったが仕方な

い。いくら夏でも夜通し外につっ立ってるのはごめんだ。く

そ〜船の時刻だっていい加減なくせによ〜と、自分もかなり

いい加減なくせに、ブツブツ言いながら私はそこを出たの

だったが、出航は早くとも夜の11時半だ。島を回って帰って

きてもまだずいぶん時間がある。


 私はカメラの電池を交換してもらった後で、買い物をす

ることにした。トランク抱えて動き回るのは恐ろしくやっか

いなことだから、(なにしろ、どこへ行くにもまず荷物預

かり所を探さなくてはいけない。これがなかなか大変なの

だ。やっとみつけも行列ができていて、順番待ちに1時間な

んてこともある)私は今回、小さなリュックに洗剤と3日分

の着替えだけ詰め込んで、それしか持ってこなかった。これ

なら、いつでもどこでも山登りができる。もちろん、お土産

だって荷物になるから始めは買う気がなかった。もっとも、

私はあんまり物に執着がなくて、今まで海外に行って自分用

の土産を買ったことがない。いつもバラバラと他人に配る

だけだ。しかしここはギリシャだ。ミロス島だ。私にははじめ

て神話を読んで以来、15年もの思い入れがあった。ここは

いっぱつ何か記念に買わねばなるまい・・。

  スーパーで(これは港の前にある店で、ほんとにそういう

名前がついているのだ。多分、その種の店はここ1軒しか

ないのかもしれない。日用雑貨、野菜、果物、肉、お菓子な

どを売っている)歯ブラシを買った後、ぶらぶらとその辺

を覗いてみた。思うに、どうも観光地のお土産売り場とい

うのはどこか品が悪い。ケバケバとしたいかにもな安物を

高価に売っている。明らかに18KGと彫ってある指輪を

「ジュンキン、ジュンキン、24キン」と言って売りつけて

くる北京の商人の節操のなさほどではないにしろ、日本も

世界もたいして変わりがない。でも、それでもいい。私の

ギリシャへの愛はすっかり理性の目を眩ませていた。その

私が薦めるのだからあまりアテにはならないかもしれない

が、一応、オススメお土産ベスト7を紹介しておこう。


1.地名入りカップ、ソーサー類


これは手描きの手焼きだ。同じものでも、模様や形が微妙

に違って1つも同じものがない。何の材質を使っているの

か、紙のよーに軽い陶器だ。だがカップの底がキッチリ平

らじゃないのが多いから、それは気をつけたほうがいい。


2.地名入りTシャツ


たとえば「東京」なんてでっかく書いてあるTシャツなん

て恥ずかしくて着れないかもしれないが、ギリシャ語で

「ミロ」と入っていれば、もはやただのデザインだ。絵柄

はもう何十種類もある。風景やら故事やらHものやら。私

はなぜミロスでこれなのか・・と思いつつもソクラテス毒杯

をあおり弟子一同泣き崩れるの図を買ってしまった。でも

きっとこれは同じ図柄で「アテネ」もあると思う。


3.地名入り爪きり


これが目についたのは、ただ必要だったからだが(どうい

うわけかいつも私は爪きりを忘れるのだ。細かいモノだけ

ど・・長旅には必携だな)可愛い革の袋に入ったキーホル

ダーで、地名が入っている。ま、ありがちだけど実用的な記

念品ってとこでいいかもしれない。


4.革と銀のブレスレット


なんかこー、よく映画とか漫画に出てくるじゃないです

か。むきだしの腕や足にはめてる飾り。500〜5000ドラクマ

くらいです。


5.金、銀ネックレス


星座ネタや神話ネタで買う物というとこれになるかもしれ

ない。値段は日本の半額以下だそうだ。私は日本で買った

ことがないから違いが認識できなかったが。たいてい現品

のみで、裏にマジックで値段が書いてあり買うときに店の人

がそれを指でこすって消してくれるというアバウトさだ。

チェーンなどはついてない。そのものだけだから買うとす

ぐにレザーをつけますか?と聞かれる。いらないならそう

言えばいいが、これはサービス。


6.ミニチュア家具


ギリシャの島での典型的なテーブル、椅子、大壷、キッチ

ンセットなどをわりと材質まで丁寧に再現してある。大理

石張りのテーブルが2500ドラクマだったかな。座る部分を

ヒモで編んだ木製の椅子が900ドラクマ。色は、もう島にき

たらこれしかない、というブルーとエンジの2色。壷はミノ

ア的な様式で素焼き。小さなエーゲ海を持ち帰りたい人

へ。


7.ミニチュア家


島の家々の外側だけを再現した置物。中に電球が入ってい

て明かりが灯る。夜の一軒家を飾っとくってとこ。日本なら

茅葺き屋根で、アメリカならインディアンのテントでこう

いう民芸品を見たことがある。アテネでも普通に売ってる

から無理してここでってこともないかもしれないが。


 まあ、ほかにもいろいろあるけれどミロスではこんなと

ころだ。地名入りってのはほんとにそこでしか手に入らな

いから、ゲージュツ的とはいいがたいけど記念としては価

値がある。そういう意味では絵葉書や、ポスター代わりの

詳しい町の地図なんかもいい。


 さて、夜も更けてきた。11時に今や盛りのタベルナを後

にして、船の発着所へと向かう。ちょっと早いけど土曜の

夜の渋谷みたいな所には、一人では居辛かったのだ。

 電球でつくられたウェルカム・ミロの文字をくぐると、

黒い海に接する。明かりといったら頭上に吊ってあるその

文字しかないのだが、そこに大勢人が並んでいた。みれば

パタパタポンポンという軽くて騒がしいモーター音ととも

に2隻の船が近づいてくる。げげっどっちだろ?!慌てて

私は隣のおじさんをつついた。

「あの船どこ行きです?」

おじさんは何か言った。

「は?あの〜もう一度お願いします」

また言った。でも、私には聞き取れなかった。ええいっ落

ち着けっと私は心中怒鳴って再度尋ねてみた。彼はこっち

の英語はわかってくれてるのだ。よもやヒンズー語なんか

で返してるわけではあるまい。

「ピュアレー」

どうも私にはそう聞こえた。なんなんだそこは〜?と思っ

た時に彼は「アッセン」と付け加えてくれた。セは無論、TH

の発音。アテネの英語読みだ。ギリシャ語ではアティーナだ

が、観光客にはこっちのほうが通りがいい。ちなみに英語で

はスパルタだがギリシャ語はスパルティ。ミロスはミロにな

る。両方おぼえとけば、ローカルなバスターミナルの放送を

聞き取るのにも便利だ。しかしこっちが言う場合「みろ」

じゃ相手にわかってもらえない。実用的には「んみぃっ

ろっ」てな発音だ。

 つまり、謎のピュアレーの正体はギリシャ本土のピレウ

ス港だった。本当にこういう時、日本語のカタカナ表記が

恨めしく思える。実は空港でも、待ち合い室で非常に身なり

の良い紳士(とってもきれいなキングスイングリッシュを

使う彼は仕事で世界中を回っており、近々日本にも立ち寄

るということだった)に「君はこれからどこに行くつもり

?」と聞かれた折り、なかなかわかってもらえなかった。ミ

ロとヘラクリオンのせいだ。この予行演習のおかげで、私は

ミロへ来てチケットを買うときも苦労せずに済んだのだが、

カタカナでヘラクリオンまたはイラクリオンと書いてある、

そのクレタ第一の港は、イラクリオーと発音すればわかって

もらえる。ちなみにクレタはクレティー。ま、もっともこれら

は私の教養の無さがなせる技。


 ポンポン船はどちらもピレウス行きだった。私がイラク

リオンに行くんだ、と言うと彼はクレタ行きの船はもっと

もっと立派で大きいから、と言った。ピレウス行きもそん

なに小さいわけではなかったから、どんな船がくるのか私

はちょっと楽しみになった。

 しかし、黒い海は静かなままだ。いったいいつになったら

来るのやら。








第12話 船は寒いぞ


 午前1時半。やっと船が来た。結局、どの情報にもない時間

だ。もっとも、海上輸送を正確にってのはムリなのかもしれ

ない。

砂を払って立ち上がると、私は人だかりの向こうを伸び上

がって見た。接岸した船は確かに小さくはない。でも、闇の中

ではいまいちはっきりしない。警官みたいな人が交通整理を

している。桟橋が降りた。ぼんやりした橙色の光の中からト

ラックやキャンピングカーが何台もつながって現れる。ずい

ぶんな人数が乗り降りするのだった。やはりここはヨーロッ

パ人の大リゾート地だ。確かに日本人はいない。でも彼らは

家族総出でやってくる。家ごと運んできたような大きなキャ

ンピングカーに、自転車やサーフボード、犬小屋まで積み込

んで、おまけにその後ろにボートやヨットまで牽引してやっ

てくる。屋根にくくりつけられた犬小屋から2匹の大きなハ

ウンドドックが首を出し、長い舌を伸ばしているのは壮観

だ。なんだか非常にご苦労だが、文化の違う彼らをちょっと

うらやましくも思う。日本のサラリーマンもこのくらい大っ

ぴらに呑気に遊べるようになればいいのに、なんてね。多分、

日本のサラリーマンのほうが、金は持ってると思うけど・・。

 船室に上がったところで、チケット見せて事情を話すと、

すぐ2等キャビンに変えてくれた。不足分を少々払うだけ

だ。キャビンの中は大広間に椅子が何列も並んでるってな様

子で一番前にテレビがある。隣はサロンになっていて奥の

カウンターでは簡単な飲み物や袋入りのケーキやパンを出

してくれる。

 ところでこのキャビン、クーラーが入っているのだが、凍

えるほど寒い。持っていた薄い長袖のジャケットやらさっき

買ったTシャツなんかを全部掛けてみたが、ガタガタ震えて

とても眠れたもんじゃない。夜の海上も結構冷えるのだが、

まだ外のほうがいくらかマシだった。てなわけで、わざわざ

変えてもらったにもかかわらず、私は一晩中デッキに立った

ままとうとう水平線に太陽が昇るとこまで見届けてしまっ

た。地中海の夜明け。それはなんとも寒くて眠くて足が痛い。

でもやはり劇的で美しいには変わりなかった。何人もの人達

と一緒にデッキの柵に張りついてシャッターを切りながら、

私はぼんやり浮かび上がる島影を見ていた。キャビンでは

ウォールトディズニーらしき朝のアニメをやっている。もう

そろそろクレタかもしれない。








第13話 ミーノス様はハデ好み



 南極のような船上から一転してここは真っ青なバナナが

ぶら下がる南国調。日本人もたくさんいる。港の通りを歩い

ていたらさっそく後ろから声がかかった。

「日本の方ですよね?ユースに行くなら一緒に行きません

か」

彼もリュックを背負った学生だ。私はホテルをとってあっ

たからご一緒できずそこで別れたが、アテネとここではよく

日本の観光者に出会って、写真を頼まれたり道を聞かれたり

した。ミコノスではきれいに着飾った日本の女の子達が5〜

6人で買い物してるのもよく見かけた。アテネのアクロポリ

スの復元図にはちゃんと縦書きで「アクロポリス」と書い

てある。説明文はたいていギリシャ語に英語、ドイツ語、フ

ランス語、イタリア語、スペイン語あたりが併記されている

のだが、その最後に日本語もあるというわけだ。同じように

イラクリオンでも、レストランのレシートには「ありがと

う」と書いてあったりするし、ホテルでもベッドメイクの後

に、チョコに「おやすみなさい」のカードが添えて置いて

あるってなサービスもあったりする。ドイツの有名な城の

料金表示や大英博物館前の店のメニューにも日本語がある。

もっと日本人が世界中を闊歩すれば、どの観光地にも日本語

が併記されるに違いない。ま、人口1億じゃ限界あるっても

んだが、イギリスだってちっぽけな島国だったのだ。もっと

も世界一の人口を誇る中国語も世界に出ればからっきし。や

はり植民地時代の権威は大きくあとを引いている。精神の貧

しい私としては、ヤツらはイイ遺産を持ったものだと皮肉の

ひとつも言いたくなるってもんだ。


 イラクリオンに来る人がまず目的にするのは考古学博物

館とミノス王の宮殿クノッソスだろう。いずれもとても分

かりやすいから迷う心配はない。夏はクノッソス行きのバ

スも人も溢れかえっているし、考古学博物館は毎朝軍の楽

隊と兵隊がパレードする一番大きな広場にある。ギリシャ

では、こことスパルタで出くわしたが、朝7時頃、吹奏楽

団の先導で、長い銃を1丁ずつかついだ迷彩服のお兄さん

達が、あいてる片手を大きく振りながら3列縦隊で行進す

る。先頭の号令一下、キビキビそろって気持ちがいい。私

は小学校の前ならいや運動会の元気な行進練習が何よりも

嫌いだったクチだが、誰かがやってるのを見物するのは悪

くない。一糸乱れぬ行動なんてものが与える快感は、やっ

てる本人達じゃなくて、それを見物する側にある理屈なん

だろう。 


 さて、ここの名物はクノッソスの発掘品のレプリカグッズ

だ。考古学博物館に実際置いてある陳列品の模造品を置物

やアクセサリーにして売っている。BC2000年頃にここを統

治していた、神話・伝説にも名高いミーノス王家の宮殿跡

から発掘されたそれらは、ギリシャ本土よりも古い文明を

誇るミノア期の代表的な出土品。なかでもよくグッズに

なっているのは


1.両刃の斧 


ミーノスさん家のトレードマークだ。儀礼用に使われたも

のなど。実物の大きさは数メートルから数センチまで

様々。


2.ユリ王子


宮殿の表門だった南の入り口にある王子様の壁画だ。長い

黒髪を編んで垂らした美女のような美青年だが、いまや東

京の東京タワー、名古屋城における金のシャチホコのごと

き存在。連絡船のマーキングにもなっている。


3.イルカ


女王の間にある壁画。ミノアの絵はどれもカラーで、木製

の柱も赤と黒。かつて本土の神殿も木製だったというが、

現在残っている石文化に比べると感覚がハデな気がする。



 家主のミーノスさんは名君の誉れ高いが、アテネ王テー

セウスの故事にある通り、アテネに対して戦争の講和条約

で、毎年犠牲を船で送るよう要求してたから、そちら方面

からのウケは悪かったという。後年ソクラテスの時代に

も、アテネではこの犠牲船を模した式典が行われていたく

らいだ。これが伝説。でも、死後は弟のラダマンティスと

一緒に冥府の神ハーデスに仕え、死者の裁判や天国にあた

るエリシオンの管理を任されていた・・というのが神話。迷

宮にまつわるミノタウロスやイカロス親子の話は誰でも1

度は聞いたことがあるだろう。

 遺跡のおすすめお土産としては、発掘品グッズのほか

に、神殿復元図もいい。どこでもA全、B全サイズ程度の

ポスターになっている。かつての壮大な宮殿が、周囲の風

景とともにかなり細かく描かれている。特にクノッソスは

地上4階地下1階、部屋は1000室以上というビッグなス

ケールだから見ごたえもある。瓦礫の山の上り下りだけで

は淋しすぎるという方にぜひおすすめだ。