第1話 入国審査で待っていたものは



 成田を出てから約17時間。目覚めると、そこはアテネ

だった!!


なんていってもブロイラーのごとく詰め込まれた機内では、

ヒザは痛いわ、時差を無視して次々と食事が並ぶわ、やれ乗り

継ぎだのと真夜中に追い出されるわで、とても眠れたもん

じゃない。しかも、外国語に著しく不自由をきたす私は、その

間中『旅の会話集』ヨーロッパ編&中東編をめくって人目も

はばからず試験前夜のごとくブツブツ言ってなければならな

かったので、とても寝る暇などなかった。 しかしとにか

く、夜の9時に成田を出た飛行機は翌朝8時半にアテネの空

港に到着する。エリニコン国際空港は東西二つのターミナル

に別れているが、オリンピック航空を使えば、着くのは西

ターミナルだ。いくら相手が、その日暮らしができりゃい

いってウワサの呑気なギリシャ人でも国際空港とゆーからに

は免税店が軒を並べる賑々しい超近代設備に違いない。私は

お上りさんよろしく、広々とした光る床やきらめくショウウ

インドウなんかを連想しながら飛行機を降りたのだったが、

(・・なんにもない・・)

前の客の後に続いてぞろぞろとやって来たそこは、薄汚れて

ガランとした小さなスペースに簡単なインフォメーションの

机があるだけのそっけない場所だった。朝のせいかなんか知

らないが、係の人もいない。

(ほんとにここでいいのか?!)

早々に不安になりつつも、なんだかよくわからないので、と

りあえず前の人についていくというオーソドックスな行為に

でていたら、すぐパスポートコントロールにつきあたった。 

パスポートコントロール。私はこの場所が苦手だ。チェコス

ロバキアではビザも持たずにうっかり入国してしまい、軍人

に取り囲まれた末ウイーンまで送り帰されたことがあるし、

イギリスでもそこを通過するのに5分以上はかかっていた

し、アメリカでは別室に連れて行かれてしまったからもっと

長かった。滞在期間が長かったり当日のホテルを決めてな

かったりするとそんなメにあう。こんな時には形式上の問題

だから、何でもいいから明確な答えを用意しといたほうがい

いんだろう。以前も押し問答の末、相手が勝手に私をヒルト

ンに泊まるということにしてくれたおかげで無事通過でき

た・・なんてこともあったから。しかしやはり到着初日のホテ

ルくらいは日本から予約していくべきかもしれない。でない

と怪しい奴だと思われてしまう。


 そんなわけで私は、アタマの中でああ言われたらこう言お

う・・ってな具合にあまりにも熱心にシミュミレーションして

いたので、列が2つに別れていたのにもさっぱり気付かな

かった。いよいよ次の次という所まできて、参考までに聞き

耳を立てていると、あんたはあっちだよ、とか言われてい

る。

(げっ何か違いがあるのか?!)

あわてて頭上にぶら下がった黄色い看板を見上げると、なん

とEC諸国とそれ以外の国に列が別れている。私はヨーロッ

パ共同体の加盟国人専用などと書かれた札の真下に立ってい

たので、己を反省しつつ仕方ないから並び直そうかと思った

時、前の人がそのまま通り抜けた。おやぁ?と思う間もなく

促されるままにパスポートと入国用紙を提出。係官は、眠そ

うな顔をして、ちょっと面倒そうに私を見たが、そのまま何

も聞かずにスタンプを押すとパスポートを返してくれた。

(なんで?これで終わりか!?)

なんてめでたく通ったのにわざわざ蒸し返すような声を上げ

たりはしなかったが、私はこのフェイントになんとなくうろ

たえたまま歩き出した。ほんとにこれでいいのかRと思って

いるうちに、はっと気づけばもう外。真夏の太陽が照りつけ

るギリシアだ。


(・・・・・・・・。ここってそーゆー国なんだ・・・・)

と、しみじみ実感するのはこの先のことである。まだ旅は始

まったばかりだ。




第2話 日本人と交通信号


 空港を出るとすぐ目の前がバス乗り場だ。ちなみに向かい

は郵便局。


 運転手のおっさんから切符を買ってバスに乗り、自分で切

符を機械にはさんで日付のスタンプを入れる。(これを忘れる

と後でやっかいなことになる。もちろん私は、後でさっそく

そういう目に会うのだが)降りる場所が、シンタグマとか有

名な場所ならあとは心配ない。着いたら運転手さんが叫んで

くれるはずだ。でも私はあんまり南欧人の安請け合いは信用

できないタチなので、付近の客に「私は××に行きたいんだ

けど、着いたら絶対教えてねっ」としつこくわめき続けてい

た。なにしろ、バスもトロリーも親切に次の停留所の名前な

んか放送してくれないし。


 さて、私は以前の失敗に懲りて、とりあえず入国したその

日のホテルだけはちゃんと日本から予約することにしていた

のだったが、それがどこなのかよくわからない。とりあえず

シンタグマ広場で降りて、それから日本の旅行社からもらっ

た市内の地図を片手に、しばらくつっ立っていた。しかし、

この辺の人はこういう旅行者に慣れているらしく、すぐに後

ろから来たお兄さんが「君、どこ探してんの?」「えーとで

すね〜」なんて、むにゃむにゃ言ってるうちに手際良く道を

教えてくれた。ここで相手を間違えると、全然違うところに

連れて行かれたあげく、お礼にキスさせろなんて言われたり

するのだが、そこはもう野生の直感だ。一人で旅する場合、

本当に親切でかつ有能な人間を見分けるのが最大のポイント

かもしれない。なにしろただ歩いてるだけで実にいろんな方

向から声がかかる。(まあ、東京駅で巨大な地図を広げてウロ

ウロしているヤツがいたらアヤシイお兄さん達が寄ってくる

のと、同じだろう)


 着いてみると、そこは大通りに面しており目の前がゼウス

神殿というやけに分かりやすい場所だった。もっとも、日本

の旅行社が予約を入れてくれるようなホテルは常識で考えて

もそんなに不便な所にあるとは思えない。チェックインには

早かったから、荷物だけ預けて出掛けることにした。ここま

では、ほぼマニュアル通りで、たいした問題も起こっていな

い。


 私はやっと解放された気分になって地図を片手に歩き出し

た。とりあえず、かの有名なアクロポリスに行ってみよう

じゃないか。


 信号は青だった。私は地図を覗き込んだまま歩き出した。

なにしろ右も左もわからない。だがそんな場合でも、やはり

左右ぐらいは見ておくべきなのだ。


 いきなり、かつてないほどの強烈なヒジ打ちで突き飛ばさ

れた私は、自分の不注意もすっかり棚に上げ、めいっぱいハ

ラを立てて突き飛ばした相手を見てやろうと顔を上げた。白

昼、見知らぬ通行人をいきなりどつくなんて通り魔みたいな

奴だ。とんでもない奴にちがいない。だが、とんでもないの

は私のほうだった。目の前にいたのは不届きな大男ではな

く、転がった金髪兄ちゃんとバイクじゃないか!!

 思うに、『南へ行くほど交通ルールを守らない』というの

はある程度当たっている。イタリアなんか歩道を歩いている

というのに、しょっちゅう車やバイクがまるでひったくりの

ように乗り上げてきて、いつひかれても不思議はなかった

し、カイロなんてもっと危なくて、いちいち横断歩道を渡る

のにアクロバットの気分だった。もっとも、パリだって幹線

道路みたいな大きな交差点で、堂々と人が赤信号を渡ってい

たし、車も悠長なもんで、クラクションなんて無粋な騒音は

鳴らさず、ちゃんとそれをよけて走っていた。


 いずれにせよ日本人は世界でも優秀な交通ルール民族なの

だ。欧米人は日本人が信号の前で走るといっては、せっかち

だと非難するが、それは我々が少なくとも青か黄色のうちに

渡り切ってしまおうという強い心掛けがあるからだろう。赤

でも何でも好きなときに渡ればいいと思っているなら焦る必

要もない。

 で、すっかり日本の風習に几帳面に染まっていた私は青は

安全という根拠のない確信で歩き出したのだが、しかし考えて

みれば、日本でだって渡るときは一応確認ぐらいはする。寝

不足とか来たことのない所に来てるとか気分が高揚してたから

とかいろんな理由でその注意力が奪われていたとはいえ、第1

日目にして、なんて失態だろう!


 とはいえ現実だ。目の前に人とバイクが転がってるのだ。

きゃしゃなTシャツ姿のお兄さんは足を押さえながら立ち上

ろうとしていた。私はズキズキする腕や足を曲げてみた。

が、別に折れてる気もしない。どういうわけか私がひかれた

というよりは、私がバイクをはねとばしたみたいだった。元

来、気の弱い私はもうすでに自分が賠償する立場のような気

分になっていたが、しかしそのとたん、唐突に有名なエッセイ

が浮かんだ。

「外国で事故を起こしたら、決して謝ってはいけない」

そうだ。ここで謝ってはいけない。謝ると、謝ったほうが一

方的に悪いってことにされるってうわさだ。


 折よくそこへ通行人が走って来た。「君、大丈夫?」と、

彼は私を心配している。逃げるなら今しかない。私は忙しい

身だ。到着早々面倒に巻き込まれているゆとりなんてない。

私はおもむろに右手を振って笑顔でバイク青年を振り向い

た。足はもうすでに歩き出している。

「私は平気よ!ちょっと危なかったけど。ま、お互い様よ


ね。HAHAHAHA・・・・」

ははははは・・・・。イミなく笑いながら、私は足を引きずりつ

つ全速力でその場から遁走した。しかし腕はよく見たら青く

腫れ上がっていたし、足もスリ傷だらけだ。ひどいもんだ。

まだ初日だってのに。けれども、この数時間後、私はこんな

事故くらい全然たいしたことなかった・・と、半ベソかきなが

ら思うことになるのである。




第3話 ホテルのベランダはおっかない


 アクロポリスは最高だ。私は長年、父の「実際見てみると小

さくって全然たいしたことないからがっかりしたよ」という

言葉が頭にはりついて離れなかったので、がっかりしないよう

にがっかりしないようにと、十分心構えを積んで出掛けたせい

かもしれない。確かにアテナ神殿は全長70メートルほどで、現

代の建築技術をもってすればたいして巨大なわけではない。し

かし、アテネの空はたいして青いわけではないのに、なぜかそ

の方向だけが狙ったように紺碧で、白い大理石をくっきりと浮

かび上がらせるその様は、絵葉書を実物大に引き伸ばしたよ

りももっと迫力がある。

美しい・・。

私はなんだかやけに興奮してそう思った。

 アクロポリスの頂上に翻るギリシア国旗の下、正午の炎天

下だってのに、ビキニの美女やパンツ1枚の美少年美青年に

目移りしつつも(ヨーロッパの観光客はよくそーゆーカッコ

で遺跡を見物している)小1時間ほど神殿を眺めていただろ

うか。


 すっかりゴキゲンでホテルに戻った私は風呂にも入りキズ

の手当もその日の洗濯も片付けると、もう全く朝の事故のこと

など忘れていた。もともとすぐ有頂天になりやすい体質なの

だ。一息つくと今度は(順調過ぎてつまんない。旅はもっと

スリリングでなくっちゃ)などとゼータクまがいなグチをか

ましはじめた。ベランダの外は古代ギリシアの神々を統べる

ゼウスの神殿。オリュンポスのゼウスがそれを聞きたもうた

か。間もなく私の願いをお聞き届け下すった。


 洗濯物を干そうとベランダに出た私は、部屋のクーラーを

気にしてすぐに戸を閉めた。角の部屋でツインだから広々と

して、ベランダもゆったりサイズ。6階のここは見晴らしも抜

群。ますます浮き浮きしてひもを張り洗い物を取りに戻ろう

と思ったらさっき勢いよく閉めたガラス戸が開かない。もと

もとガタガタしていた戸だ。ったく建て付けが悪いんだから、

などと文句をたれつつもう一度今度は思いっきり引いてみ

る。

 この時ようやく私は事態を飲み込み、瞬間心底ぞっとし

た。こんなに怖いと思ったのは深夜に男に追いかけられた時

以来だ。

 一般にヨーロッパの安ホテルはどこも中古な雰囲気が漂っ

ている。ツインが主流だから部屋は広いが、エレベータは途中

で止まりそうだし、クーラーはついてても壊れかかった箱のよ

うだし、ここのガラス戸は閉めても下に3センチくらいの隙間

があいた。だが、何事も焦らず、あるがままに受け入れとくべ

きなのかもしれない。私は完璧に閉めようとして2度目に勢い

よく戸を引っ張ったのだが、そうすると、普段はついているの

かいないのかわからないような取っ手がフックの役割を果た

し、ガタガタ揺れるし枠はビスがはずれかかってバクバクして

るってのに、なのに、外からでは開かなくなってしまうのだっ

た。ギリシャ人の設計基準はどーなっているのだ?!

ここで誰かが一緒なら、あー失敗失敗で済むっていうのに。私

は一人で、入り口にはドントディスターブだ。たぶん4日後の

チェックアウトまで誰もここへは来てくれない。

 私は指が腫れ上がるくらい何度もガラスを引っ張った。倍償

悟で体当たりもかましてみた。隣の仕切りも叩いてみた。しか

し、客が入っていないのか誰も応えてくれない。

 私は手擦りから身を乗り出して下を覗いた。ここは6階だ

が、通常、地上階は地下とみなし、その上階はレストランだか

ら1階というのは実は3階だ。つまり6階というのは日本で

いうと8階にあたる。おまけにやたら天井が高いのでウサギ

小屋ニッポンの団地感覚では、10階の屋上にいるような気分

だった。それでなくとも道路際はすごい騒音で呼んでも誰も

気付かない。こんな時でも頭で英作文しながら叫ばなければ

ならないので、全く理性を失うわけにはいかないのだが、全身

に鳥肌がたつほど寒くなった。こんなに空が青いのに、すぐ下

では何事もなく観光客がぞろぞろ歩いているというのに、ここ

で閉じ込められて困ってる人がいると気付く人は誰もいない

のだ。

(でも、こういうのって日常生活の中にも比喩的にありそう

だ・・)

そんなふうに、ふと思ってもみる。だが寒くなってる場合でも、

呑気に文学してる場合でもない。私は己の発想の貧困さを嘆

くゆとりもなく、いきなり強行手段に出た。洗濯ロープをたら

し、ぶらさがって下まで降りる!実を言うと私は風呂上がり

で、しかも目の前にはここより高い建物がないのをいいことに

パンツ1枚姿だったのだが、この際そんなことはどうでもよ

かった。けれど、映画で見るほど簡単じゃないのだ。ロープは

すぐ下の階にも足りないし、ちょっとぶら下がっただけで腕

が震えて手が離れそうになる。こんな高等曲芸は初心者にはム

リだった。ここで死んでは親にも申し訳がたたないし、半裸の

邦人女性墜落死なんて見出しがスポーツ新聞を飾るのもすご

くイヤだ。で、それは最後の手段にとっておくことにして、隣に

伝い渡るほうにトライしたが、柵の間に足がはさまりジタバ

タしているうちに、アザと傷はバイクとぶつかった時の3倍に

はなっていた。

 途方に暮れて、私はなんとなく外を見た。相変わらず真夏

のアテネは明るくにぎやかで平穏だ。私は部屋の中を見た。

ついさっきまでいた安全で涼しいベッドがみえる。手が届き

そうな所に日常が待っているというのにガラス1枚で私の手

には届かない。なんだかこの細いはさまれた空間だけが異常

な気がしてちょっとしたホラーのようだ。


 さて。結論から言うと私は3センチの隙間に賭けて無事戻

れたのだが、こんな時は無謀な危険を冒さずに翌朝9時までが

まんして待ったほうがいいだろう。どうせ清掃のオバさんはド

アに何が下がっていようとも、ノックもなしにいきなり入って

くるんだから。

 郷に入れば郷に従え、だ。ルーズなベランダはルーズに閉め

れば問題なかったのだし、また、閉まり切らない隙間に両手の

指をねじ入れ全身を突っ張ってテコのようにしながらこじ開

けることに成功したのだが、もしこの隙間がなかったら、とて

も自力で出ることはできなかった。しかし、こういうせっかち

な外国人のために、ドアは一目でわかるオートロックを設置す

るか、外からは開けれないという注意書きをつけるべきだ。脱

出できたら絶対フロントに文句を言ってやろうと思っていた

が、けれども、戻れたときにはもうそんな気力は残ってなかっ

た。おまけに、手をねじ込んだ時に絡み付いてきたカーテンを

力任せに引っ張ったら、勢いで全部はずれて落ちてきてしまっ

ていたし、積み重ねた椅子と机によじ登ってそれを修復してい

るとなんだか妙に落ち込んでくる。忘れていたが今日はまだ

初日なのだ。一体どうなることやら。先が思いやられる。





第4話 Do you have a room for tonight?



 それから4日ほどうろついて、私はアテネを出ることにし

た。あれ以来、トロリーで罰金をとられた以外は何事もな

く、考古学博物館では通りすがりのおじさんが写真撮影のチ

ケットをくれたので、(アテネの国立博物館では胸にそれをつ

けてないと、館内で撮影できない。チケットは窓口で売ってい

る。三脚を立てるなら更に割増だ)300ドラクマもうかってし

まった。


トロリーの乗り方なんて、どこのガイドブックにも載ってる

が、そのうちのある1冊によると、切符は切れ込みの入って

いるほうを改札機に差し込むのだという。私は生まれて初め

て乗ったギリシアのトロリーで、さっそく素直に実行してみ

た。ところが、どういうわけか途中でひっかかって差し込め

ない。一緒に乗ったお姉さんも同じようにがちゃがちゃやっ

ていたが、彼女が諦めたので、私もなんとなく力ずくで押し

込む作業を中止してしまった。そうでなくとも振り落とされ

そうなほどの非人道的な揺れのせいで、すでに私は流血をま

た1カ所増やしており、そろそろどこかにしがみつくことに

専念したかったのだ。


 が、それをまるで見計らったかのように現れたのはめった

に乗っていないという車掌。始めに隣の彼女、次に私が、さ

あ今すぐ1500ドラクマ出せと言われて、私は何がなんだか

ちっともわからないまま初めて乗る外国人はみんなこういう

目に会うんだろうか・・などと思いながらサイフを出した。お

金と引き換えにもらったのは黄色い紙が1枚。彼女のほうは

何語かわからない言葉でなにか抗議していたが、結局同じ紙

をもらってしまった。コレは一体なんなのだ?ほんとに初心

者に必要な証書なんだろうか。ギリシャ語ばっかでちっとも

読めない。


 コレの正体が罰金受領のイエローカードであるのがわかっ

たのは後のことだ。だったら私も抗議ぐらいすべきだったの

かもしれないが、出せと言われてわけもわからずすぐ金を出す

ほうもどうかしている。それにしても隣の彼女はわざわざ私

から切符を25ドラクマ上乗せで買い取ってまで差し込んでい

たのに、気の毒なことをしてしまった。(私がふっかけたん

じゃないよ。彼女が釣りを受け取らなかったのだ)ガイド

ブックによればめったに検札はないということだったが、不

届きな観光客が多いので方針を変えたのかもしれない。私の

見た限りではたいていどこでもやっていた。で、そのキップ

の切れ込みの件だが、どうも切れ込みのないほうを差し込ん

でいる人が圧倒的に多いし、切れ込みの入っているほうは途中

でひっかかって改札されない可能性が高い。ま、1枚くらい

なら罰金証も記念だが、ちなみに1500ドラクマというのは通

常料金の20倍。


 話をもとに戻す。私の本日の目標は、スパルタの博物館で

資料を収集し、かつ今夜の寝場所を確保することだ。

 スパルタ行きのバスチケットはキフィソーターミナルで買

うのだが、折しもその日はギリシャのゴールデンウイークと

もいうべき3連休の初日で、お里帰りのUターンラッシュは

最高潮。首都アテネの人口はどっと地方に流れ出し、アテネ

が空っぽになる一方、今頃買うんじゃバスのチケットなんか

ないってことらしい。それじゃ困るんだけど・・。私は本当に

困って思わず窓口で、えー?!とか叫んだもんだから、急い

でその人は付け加えてくれた。


「席はないけど立ちっぱなしでもいいなら発券できますよ」


 通勤ラッシュみたいなバスで3時間半は結構キツい。私の

前に立ってたお婆さんなんか、途中から、立ってる人達の足

の隙間に寝そべってしまった。パンやお菓子を持ち込んで遠

足気分の人が多い中いきなり吐く人もいるわでそのたびにバ

スは止まって小休憩。お昼近くにドライブインに入ったかと

思うと運転手が「15分休憩っ」と怒鳴っていきなり降りて

走って行ってしまった。おもむろに客達がぞろぞろとそれに

続く。どうやらここのレストランで勝手に食えということら

しい。


 ドライブインはどこも同じ様相で豊富なカフェテリアバイ

キング。パンもお菓子も肉もサラダもごっそり並んでいて、

トレーを持って好きな皿を取り最後にレジでお会計。


 私はギリシャのグラタンを試してみることにした。ゆで過

ぎなほど柔らかくしたマカロニに日本の3倍くらいチーズを

かけ、オリーブオイルでどっぷり浸したその食い物が我々の

感覚に合うのかどうかは別として、同じ地中海のせいかギリ

シャにはイタリア料理が多い。ピザ屋なんて日本のラーメン

屋のノリだ。 朝9時半にアテネをでて、スパルタに着いた

のは1時。博物館の用事が済むと、いよいよ本日のメインイ

ベント宿さがしだ。本当はそんなものをメインになんてした

くないのだが、なにしろギリシャは初めてなんだからしかた

ない。


 西欧だとたいてい、旅行者用のインフォメーションがあっ

てそこに行けばすぐに予算や人数に合わせてホテルの斡旋、

予約をしてくれる。しかしギリシャでは紹介はしてくれるが

泊まれるのかどうかはいちいち自分で確かめなければならな

いのだという。想像しただけでおっくうな話だ。私は断られ

ても断られても次々とチャレンジするといった根性に欠ける

人間なので、3軒以上断られたら野宿するしかなさそうな気

がした。実は成田からのフライトで偶然、隣席の人が、ある

旅行社の添乗員さんだった。団体さんを案内してもう何度も

ギリシャに来ているという彼女に、私はいくらかでも情報を

得ようと根掘り葉掘り聞いたのだが、その彼女がすすめてく

れたのはアテネの旅行代理店へ行くことだ。そこで全部予約

をしてもらえばいいという。地方の代理店で頼むよりは確実

で安心だということだった。


 ところが行ってみると、最初は、さあどうぞいらっしゃい

ませご用件はと笑顔で寄って来る彼らが、いざ用件を言うと

途端に難しい顔をする。そして、そんなことよりもデルフィ

の1日ツアーはどうかとか、ペロポネソス半島を回りたいな

ら、お得な7日間ツアーがあるからそれにしたほうがいいだ

のと言い出してパンフレットを持って来るのだった。

「ツアーは結構だから、とにかく私が指定する場所のホテル

をとってくれ」

と言うと

「それはとても高くつく」

と答える。 

「いくらくらい?」

「そうねえ、スパルタなら安くて2万5千ドラクマくらい」

 どうも、彼らはある特定の目玉地域に絞って商売してるの

で、提携ホテルのない場所では莫大な仲介手数料がかかると

いうことらしい。それにしても高すぎる。実際に私が泊まっ

たのはAクラス・朝食付きで8千ドラクマだったんだから。

旅行社のシステムはいまいち素人の私にはわからないが、や

はり添乗員さんと流しの旅人のような奴とでは発想がずいぶ

ん違うので、やり方も同じってわけにはいかないらしい。

 で、私はとりあえずスパルタに来てしまった。インフォ

メーションに行けば町のホテルの住所と電話番号を記した一

覧表がもらえるという。賢い人なら片っ端から電話するのか

もしれないが、なにしろ私の英語の電話は通じた試しがない

のだ。ロサンゼルスで知り合いの大学に電話したことがあっ

たが、3回かけて3回ともイタズラ電話と思われて切られて

しまった。中国でホテルのフロントに電話した時は、後でこ

ちらからかけなおしますからとかなんとか言われて体よく

追っ払われた。とにかく電話はいけない。音声だけなので、

スピーキングとヒアリングの実力がモロに発揮されてしま

う。


 インフォメーションに行くと、人が道端にまで溢れてい

た。係の人が留守で、みんな待っているらしい。肉付きのい

いおじさんやおばさん達が日に焼けた腕や足をムキムキと出

して溜まっているのはなんだか壮観だ。私が列の後ろにつく

と、すぐに何人かが取り囲んでにぎやかに話しかけてきた。 

「やあ、一人かい?」

「どっから来たの?」

「これからどうするの?」

私が今夜のホテルを探してるんだと言うと、彼らは、なあん

だってな顔をして口々に指さして教えてくれた。

「ホテルだったら、ほら、あそこも、あそこも、ここにも、

こっちにも」

「安いのがいいならこれとこれ」

「あっちのは高いけどいいホテルだよ」

「俺はこっちをすすめるな」

「だめだよ。そこは高すぎるって。わたしはこっちの2軒が

いいと思う」


・・・・・・・・・・・・。もう行ってみるしかあるまい。私は決意し

た。ここから見える一番大きな看板にとにかく入ってみるの

だ。

 シンプルだけれど青と白が美しいそのホテルの、ぴかぴか

光る大理石のフロントで私はとりあえず、恐る恐る言ってみ

た。


Do you have a room for tonight?


黒の蝶ネクタイをつけた、いかにもなお兄さんは、いかにも

大袈裟にうなずいた。


Yes, off cource.








第5話 恐怖の絶壁バス旅行



 百聞は一見にしかず。慣れてみると宿さがしなんて全然た

いしたことなかった。観光客の殺到するクレタだのミコノス

だのといったような島のイメージばかりがあったから、夏の

ギリシャは大変だと思い込んでいたのだったが、それはきっ

と局所集中型である観光社側の営業理屈に違いない。ヨー

ロッパのあっちこっちからのんびり集まってくるバックパッ

カーや湯治客や家族連れがキャンピングカーなんかで呑気に

歩き回ってる田舎では、アテネの旅行代理店も日本の旅行代

理店もテが出ない代わりに、個人客にはよりどりみどりだ。 

まあ、国によっても違うだろうけれどギリシャに関しては、

みんなが行くような所に行く人は、有力な代理店に頼んだ方

がいいだろうし、毛色の変わった所をえり好みしたい人は自

力でやるほうが有利だ。


 それにしてもスパルタはいい所。町はほとんど2本のメイ

ンストリートの交差点部分に集中してるから、若者が長居を

するには退屈な所かもしれないが、リュック背負って探検し

たりオリーブ畑で昼寝をするなら最高だ。ただ、道端で水の

ガブ飲みはやめたほうがいい。とにかく砂漠みたいに喉が乾

くし、もちろん水はどこも安全基準なのだけれど、硬水のせ

いか大量に入ると腸のあたりで異変が起こる。で、トイレに

紙がなかったりするからいろいろと・・・・。でも、ペットボト

ルはどこでも売ってるしアテネなら0.5リットルで百ドラク

マ。地方なら半額くらいだ。


 ホテル裏の公園で、毎日この辺を散歩しているというお爺

さんとベンチで一緒になって、少しギリシャ語を教えても

らった。杖をついて、結構もーろーとしたカンジなのに、

「結婚してるのかい?」と聞くからしてないと答えると

「じゃあ、わしとしよーか」なんてかます爺さんだ。


 こういう時いつも思うが、実は彼はギリシャ語しか話せな

いし、私はギリシャ語なんてほとんどわからないんだけれ

ど、それでも通じてしまうから魔可不思議だ。いつもは気付

かない、生きるという原始的な潜在能力が甦ったかのよう

に、日本で聞いたら絶対聞き取れないはずの言葉も聞こえて

くる。決して誇張して言っているわけではなくて、たとえば

スワヒリ語とかなんとかだって、ただ楽しくご飯食べて眠る

くらいならその場で誰にもできるだろうと思う。
 
もっともやはり複雑な気持ちや状況を伝達しようと思ったら

訓練が要る。博物館の館長さんは、友達が日本に旅行したこと

があるとかで、いろいろ話してくれたけれど私はうまく応答

できなくて本当に恥ずかしい思いをした。


 翌日ついでだからとビザンチンの廃墟ミストラを登った

後、オリンピアへ向かった。スパルタからトリポリまで出

て、そこからバスを乗り継いでオリンピアへ行く。

 午後3時。スパルタのバス停でコーヒーを飲んでいたら、

親族勢揃いみたいな一団がどっとなだれ込んで来た。子供家

族が地元に総出で里帰りってなかんじで、そのダイナミック

なことといったら髭もじゃのオッサン同士も美しいお兄さん

同士もいきなり抱き合ってマウス・トゥ・マウスのキスの

嵐。

(すげ〜)

私はしばし呆然と見送っていたが、失礼だからやめたけど、

ちょっと写真に収めておきたい光景だ。ああいうのはいかに

も外国〜な気分にさせてくれる。

 トリポリからオリンピアへのバスは1日3便。朝、昼、晩

に1回ずつだ。トリポリに着いたのは午後4時だったから、

その日に出るならもう午後6時15分発の最終しかない。

私は付近を見回してみた。交通の要所というのは、どうもこ

の国では宿泊施設に力を入れているとはとても思えない。騒

音の中に看板のはずれかかった汚いコンクリートの建物群。

それがホテルだ。だが、オリンピアに着くのは夜10時。それ

もちょっと不安。

 結局私はその日のチケットを買うことにした。とりあえず

行ってみる。なんとなくそれでこの国はいける。そんな気が

した。

 トリポリ〜オリンピア間のバスは有名だ。だが、高所恐怖

症の人、命の惜しい人、また、誰が事故に遭わなくとも自分

だけは遭ってしまうという自信のある人、そういう方にはと

てもこのルートはお勧めできない気がする。

 真打ちは中盤からだ。はじめはスカイラインみたいな所を

のどかに走っていたバスが、よたよたと今にも落ちそうな橋

を渡りはじめた頃からだんだん怪しくなってくる。どう見積

もってもバス2台がすれ違えそうにない狭い山道。バスのタ

イヤのすぐ隣は目もくらむ渓谷だ。あんまりスレスレに走る

から窓からは道路の縁が見えなくて、まるで数百メートルの

空中を浮いてるとしか思えない。ロープウエーかモノレール

の気分だが、残念ながらそれらほど私は安全性を信用できな

かった。ガードレールはついているけど形ばかりで大型車な

ら楽に乗り越えられそうだし、それも時々はなかったり、

あっても外側に向かって破り抜かれていたりするのだった。

絶対・・毎年何台かは犠牲者が出てるに違いない。

 しかしそんな所にもやはり住んでる人はいる。絶壁の所々

に張り付いたように村ができており、バスはそれら集落に寄

りつつ進んで行く。はじめは失礼にも廃村寸前みたいな所か

と思ったが、入ってみるとバックパッカーや家族連れのキャ

ンピングカーでごった返しており、日本の温泉宿場町ってと

ころだ。みんなこんなところにぞろぞろ遊びに来ちゃって怖

くないのかなぁなどと思ったのだが(これは帰りのことだけ

れど)オリンピアから再びトリポリへ向かうときにバスの中

で知り合いになったお姉さんは

「曲がりくねって細いから運転するには難しい所かもしれな

いけれど・・」

とあまり難しそうでもない顔で言っていた。彼女はコン

ピュータ関係の仕事をしていて家族と一緒にアテネに住んで

いるが、この近くの村には母方の実家があるので小さいころ

からしょっちゅう遊びに来ていたのだそうだ。今は祖父母は

なくなっており、家だけが残っているので毎年夏のバカンス

に使っているとのことだった。黄色いスーツの似合ういかに

もキャリア持ちOLって感じの若い美女。彼女は切符を持た

ずに乗車して車掌に文句を言われていた私を助けてくれたの

だった。

(別に無賃乗車を決めてたわけじゃなく!チケット売り場が

見つからなかったので車内で買うのかと思ったら、車掌に、

一度降りて前の小屋みたいなところで買ってくれと言われた

のだが、それが分からなくて困っていたら通訳してくれたの

だ。さらに彼女は、地方の小さなバスではたまにそういうこ

ともあるが、普通、チケットとは窓口で買うものだと教えて

くれた。でも、窓口って・・ただの売店だったり茶店だったり

インフォメーションカウンターだったりするので・・それ相応

の設備を想像する人には分かりにくいと思う・・・・で、たぶん

このバスも幹線バスなんであって、1日3本しかないとはい

え日本でいったら新幹線か特別急行並の感覚なんだろうが・・

それも我々にはわかりにくい)

彼女は英語とギリシャ語のほかに仏語も話せると言ってい

た。たぶんギリシャのエリートなんだろう。

 話はそれたが、客の中には彼女のような人も多くて、とに

かく誰もこわがってなどいないのだった。あんまり道が細い

せいか、上下バスは単線電車の待ち合わせ交換みたいに各村

でだけゆき違うっていうのに、ときどきは舗装もガードレー

ルすらなく、重心が傾いただけでもあっと言う間に谷底に滑

り落ちそうなところもあるっていうのに、運転手はアイスを

なめなめ片手運転だし、おまけにだんだん日も落ちる。夏と

はいえ9時を回った頃には私の願いも空しく外は真っ暗闇に

なった。尾根にかたまって灯りだす明かりは、山の黒い縁を

飾って白く光る。きれいだ。ああ、あんな所にも村があって

電気が通ってるんだ・・なんて昭和初期みたいな感動に浸った

りもしたが、見とれてる気分じゃない。その間中、私は非科

学的とわかっていながらなるべく体が車の外側に寄らないよ

うに工夫してみたり、呑気にアイスなんか食ってないで頼む

から運転に集中してくれと運転手に祈ったりしてたのだが、

とうとう夜にはそれも疲れて寝てしまった。



 なんだか道路が広がった気がしてふと前をみると、両側に

高速道路の常夜灯みたいなのが並んでいる。この近代設備を

見てとたんに希望を感じてしまう私も相当安易に文明汚染さ

れてるが、橙色の明かりはすぐ近くの大きな群れへと続いて

いた。もうすぐだ。

 それにしたってこんな夜中にほうり出されていいんだろう

か。なんとなく、いざそうなると、私はバスを降りるのが

おっくうになった。

(今夜はどこに泊まろう・・)

気楽なようでいて一番やっかいな気がしたのは実はコレだ。

日本に帰って自分のベッドで目を覚まし、はっと思ってほっ

としたのが、ああ・・今日からは寝場所を探さなくていいん

だ・・ってことだったんだから、よほどプレッシャーだったの

かもしれない。イタリア人のワナにはまり、友達と二人で一

度だけミラノの駅で夜明かししたことがあったが、野宿なん

て経験浅いし元来私は気の小さい奴なのだ。しかし、日本人

はイコール金持ちって思われてるし、相手が外国人なら襲っ

ても良心が痛まないなんて考えてる輩もいるから、女性の独

り歩きでは、やはり気をつけたほうがいい。ダマしのテク

だって色々あるし・・・・。


 さて、バスを降りるとそこはいきなり夜店の商店街だっ

た。この辺の町はほんとに小さくて、その1コ1コがぽつん

ぽつんと道路沿いにかたまっているのだが、ここも例外では

なく、バス停から始まって道の両側にずらりとホテルだの土

産物屋だのが軒を連ねており、しばらく歩くともう町外れに

なる。

 でも、夜だってのに観光客は大勢歩いてるし、ざわめく暗

がりに明かりがにぎやかに立ち並んでるその感じはまるで夏

祭りの夜。

 気に入った。やっぱり来てよかったな〜と思いながら行き

交う人々にまじっていると、二階建てでやたら平べったく広

がってる鉄骨の建物が目についた。

(おしっ。今夜はここだっ)

何の脈絡もなく広々とした庭に入り込んだ私は、それが割と

有名なチェーンホテルだったのに気がついた。こういう所っ

て予約がいっぱいだったりすんのかな〜とちょっと不安に

なったが、空き室のキーがフロントのカウンターにずらっと

並べてあり、お好きなのをどうぞということだった。クー

ラーなんかはないけれど、広いし、各部屋のドアは外につな

がっていて、ホテルというよりはLDKのマンションみたい

だ。

(ほーほー。いーんじゃないかい)

部屋のカギが開けにくくかかりにくかったことをのぞけば居

心地のいい所だ。私はすっかりゴキゲンで、夜の町に散歩に

出掛けた。

 果物屋で桃、ナシ、すももを1個ずつ・・なんて細かい買い

方をしてかじりながら歩けば、珍しくも本屋を発見。古代の

ギリシャ人は文芸に秀で、ローマなんて文法さえギリシャ征服

時にかっぱらって、それで文化レベルを上げたって話だが、現

代では書店がほとんどないよーな国なんだなあ、ここは。価

格も他の物に比べてやたら高価だし。オリュンポスとかトロ

イでも「君、お土産は何を買うの?」と聞かれて、「本が多いか

も」と言ったら「それはすばらしい。とてもとても良いことで

す」と、えらく感激されてしまった。もっとも、ソクラテス

だって1冊の書物も残さない人だったんだから、文字より言

論に価値があるって考えも普及してるのかもしれない。

 で、いちばん目を引くお土産は、というと復元した壷でも

土地名入りのTシャツでもない。動物のH絵葉書だ。クマも

サルもネコもトリもみ〜んなまとめて写真になっている。20

種類以上はあったかな〜。ニンゲンのもある。絵だけど。日

本だったらワイセツなんとかで逮捕されそうな図案だ。ちゃ

んと物体がのびて入ってるとこの赤絵式の絵などは、アテネ

ならどこのキオスクにも売っている。ま、裸体と本能を貴ぶ

お国柄だし、歩いてる人も半裸が多いから違和感ないし、いい

んでありましょう。でも日本じゃ、あの図柄がプリントされた

Tシャツなんて着て外は歩けないな。





第6話 鉄道は本当に遅れるか?



 翌朝早く、オリンピアの古代遺跡と考古学博物館に向かっ

た。朝から36度もある時期だ。モンスーンアジア的な湿気は

ないとはいえ、風通しのよいオーブンに入ってる気分だ。遺

跡を見るなら絶対朝1番にかぎる。

 ゼウス神殿の、巨大な柱が大根の輪切りみたいに転がって

るところで、輪切りの一つにカメラをおいて自動シャッター

で柱と自分を撮る・・なんて面倒なことをしていたら、いきな

り後ろから

「あれあれ、あんた、あたしが撮ったげるよ」とオバさんの

声。

(に・・日本語だっ)

アテネを出てから1度も会わなかった日本人が振り返ればぞ

ろぞろいる。団体ツアーで先頭を歩くこのオバさんはベテラ

ンガイドさんに違いない。私はすぐにそう思ったのだが、聞

いたら全然違っていた。彼女はギリシャ人の夫と結婚して18

年アテネに住んでる兵庫の女性で、今日は弟一家が日本から

遊びに来たから、自分の一家も引き連れて案内してるとのこ

と。

 ここへ泊まりにくるのに、半年も前から予約していたとい

う彼女は、私の安易な話を聞いて

「若い人ってのは心臓が強いからねえ」

と言っていたが、やっぱり大勢だったらそのくらいの準備は

必要なのかもしれない。

 博物館に行くなら送ってやるよと言ってくれるのでワゴン

車に乗せてもらったら、そこはオリンピックの博物館だった

りして、私が考古学のほうだと言うとまた私だけ乗せて送り

返してくれた。なんだか、かえって迷惑をかけてしまってす

まなかったが、とってもパワフルな頼れる母さんって雰囲気

の女性で、「この辺は泥棒が多いから気をつけなよ」

と教えてくれた。


 オリンピアが済んだら次の目的地はコリントスだ。私はト

リポリまで戻ってそこからとりあえずアルゴスに向かうこと

にした。

 アルゴス方面のバス停は、トリポリのターミナルではな

く、そこから少し道を下った所にある。ところがバス停の前

の喫茶店で聞いたら、アルゴスに行くなら鉄道だと言われ

た。全然気付かなかったが、隣は悪名高いギリシャ鉄道の駅

じゃないか。 

 鉄道はまずい。暑い。狭い。遅れる。かねてからそう聞き

及んでいた私は、あまり余裕のない日程のことなので考えに

入れてはいなかったのだが、このときばかりは

(いいかもしんない・・・・)

と、思ってしまった。今も、あの宙吊りバスを再体験したば

かりだ。もう、地上がいい。私はすっかり弱気になっていた

ので、よたよたと駅に急いだ。

 確かにアルゴス行きのバスはないのだが、多分、アテネ行

きか、ナフプリオン行きに乗れば、途中でアルゴスを通ると

思う。バスがいいと思う方は試してみるとよいかもしれな

い。きっと電車よりは速いと思う。

 駅は停車場という言葉がぴったりな鄙びた風情で、実にノ

スタルジックな茶色い列車が入ってくる。駅に張ってある路

線図と時刻表を見てもよくわからないので、切符売り場の駅

員さんに聞くと、アルゴス行きはもうすぐだという。アルゴ

スまでは1時間。厚紙みたいな硬い切符を買って、1本しか

ないホームに立った私はちょっとラッキー♪なんて思ってい

た。このまま着けばまだ明るいうちにアルゴスだ。うまくい

けば今日中にコリントスまで行けるかもしれない。

 しかしやっぱりそうは甘くなかった。気持ち良く走り出し

た列車は、唐突に山腹へと入り出す。窓の外はまたもや谷

底。おいおいまたかよ、と思う間もなく急停車。いつまで

たっても動かないから向かいの人に聞いてみる。

「事故ですか?」

「違うと思いますよ。でもなにかトラブルがあるんでしょ

う」

さあ、このなにかのトラブルで10分進んでは20分止まる・・と

いうのを果てしなく繰り返すという旅がはじまった。私は途

中からすっかり諦めてリラックスすることに専念したが、ど

うにもこれがくつろげない。車内はボックス式で4人セット

で向かい合って座っているのだが、この4人とも足がぶつか

るほどに狭いのだ。しかも扇風機だのクーラーだのはついて

ないから止まるとただもう地獄のように暑い。みんな猛烈に

タバコを吸うから車内は白く煙って霧がかかっているよう

だ。外は谷底だから降りるわけにもいかず、宙吊りが嫌だか

らこっちにしたのに状況はあまり好転したとはいいがたかっ

た。

 でも、こういう旅にはきっと別の楽しみ方がある。一緒に

座っていた3人は夫婦に女の子1人の家族で、ペットボトル

に凍らせた紅茶を持ってきて、溶かしながら飲んでいた。見

回すと、家族でお弁当やお菓子を広げてなんだか遠足みたい

な雰囲気だ。私の向かいの女の子はウォークマンみたいのを

つけてたが、それをはずして、どこから来たのと私を見た。

日本からと言うと、へえー遠いねと驚く。

 その時、女の子の隣にいたお母さんが立ち上がってタバコ

に火をつけた。するとそれまで彼女の豊満な胸の下に隠れて

見えなかったTシャツの模様と文字が、胸の下から現れた。

青い海と空に飛ぶ白い鳥。そして大きくSAGAと書いてあ

る。SAGAというのは国産タバコの銘柄だ。そのパッケージ

を拡大したTシャツなのだが、よく見るとCAMELの帽子やベ

ルト、Mallboloのシステム手帳を持ってる人があっちこっちに

いる。タバコグッズが流行ってるんだろーか・・と思いつつ、

SAGAって何かギリシャ語で意味あるの?と聞いてみた。

「別に・・Mallboloとかと同じよ」

と、彼女はMallboloを吸いながらその箱を振ってみせた。言わ

れてみれば国産だけど、SAGAって文字は英語表記だし英語

の意味しかないのかもしれない。英語の銘柄が幅をきかせて

いるのは何も日本だけじゃないのだ。

 そんなことをしているうちに、私の隣にいた黒いカイゼル
髭のお父さんが

「ほら、次が君の降りる駅だよ」

と教えてくれた。

 夕暮れにポツンと置かれた停車場。アルゴスに着いたのは

午後8時を回った頃だ。でも時と場合によって遅れの度合い

も様々だろうし・・ま、悪口はあまり言わないでおきましょう。 

さて、駅に降りて私はハタと迷った。

(ここは・・どこ?)

よく考えてみたら、私はアルゴスを知らないし、駅がアルゴ

スのどの辺にあってこれからどうすればいいのかも何も分か

らないのだった。