トッカリタウンは、いい街だ。いい街なのだが……。

音井家の屋根にとまったまま、コードは、なんとなくそう思っている。のんびりとした明

るい昼下がりの空気が身を包み、首をめぐらすと、数羽の鳥が群れている。小さな影達は

短い鳴声を上げながら、それぞれ、きままな向きへと飛び散らす。

(鳥は………自由の象徴だ)

コードはいつも、そう思う。だから、この姿を選んだのだ。

けれど、そう思いながら、しっくりしない何かがある。そう感じて下界を見渡すと、なん

だか妙に、不愉快なのだ。

(…………くだらん)

そういう言葉で気丈に片付けて、気付かなかったことにしておきたい。そんな気分でイラ

イラする。

このごろずっと、そうだった。

(ええい、俺様としたことが!!)

そう自分を叱りつけてみるが、現実世界にやってきて最初に感じたそのイラつきが、時と

ともに、どんどん募って大きくなる。このままでは、己の任務どころか、存在さえも危う

くなってしまうかもしれない……。

(そんなバカなことが………)

あってたまるか!舌打ちして、鋭い嘴を噛み合わせた時、

「しっしょー!!」

やたらと弾んだ陽気な声が、大きな手のひらと一緒に、いきなり上から降ってきた。





「ばっ……馬鹿者!!離さんか!!こらっオラトリオ!!!」

大きな手のひらで、翼ごとがっちり掴まれて、コードはじたばたもがきながらわめいた。

人間の姿なら一刀両断ではねのける彼だが、あいにくこの状況では、ただの鳥だ。

それを、大人びた瞳でニヤニヤと見つめながら、すらりとした背のバカ高い男が、どこか

嬉しそうにからかっている。

「師匠ともあろうお方が、スキだらけですぜ?何をぼーっと考えてたんです?もしや、こ

の優しく美しく頼りがいのあるオラトリオ君のことを想ってぼんやりしてたとか……」

「違うわい!!この大バカ者が!!」

「なーんだ。恋煩いじゃないんですか?」

「俺様がそんなくだらんことで悩むか!」

「ヤだな〜。恋愛は崇高な感情です。くだらなくないですよ」

「フン。貴様の頭と一緒にするな」

「ああっその言い方、キズつくな〜…………でも、こーしてると……」

「なんだ?!」

「師匠も可愛いっすよ?」

「こ……この無礼者!いいから離せ!!……貴様、それほど俺様に……」

「はいはい。斬られたくはありませんよ」

完全に怒ってしまう前に、オラトリオは怒鳴っているメタリックな鳥を解放した。

バサリ、と羽音を響かせて、コードがむっつりとオラトリオの紅い帽子にとまる。彼を頭

に乗せたまま、オラトリオは上目遣いに眺め、それからふわりと地面に降りた。

「師匠……」

「なんだ」

「さっきからずっと……何見てたんすか?」

「……………何も見とりゃせんわ」

「ふーん」

と言いながら、オラトリオは悪戯っぽい視線を注いでいる。それに気付いて、コードはブ

ロンドのかかる額をつついた。

「なんだ?その顔は」

「だって師匠……最近ずっと、ぼんやりしてるでしょ?いつも同じ所にとまって何か見て

やすぜ?」

「見とらん」

「そ〜んな、俺にまで隠さなくたって」

「見とらんと言ったら、見とらん!!」

あ〜ぁ。と苦笑して、オラトリオは頭の鳥を両手でつまんでひょいとおろした。むっとし

た顔で睨んでいたコードの瞳が、わずかに焦って横を向く。

その少々頼りない尊大な横顔を、オラトリオの真摯な瞳がじっと見ている。優しい光を秘

めたその視線が、その通りの静かな笑顔をつくっていた。

「師匠………俺でよかったら話して下さいよ」

「なにもありゃせん」

「嘘ですね」

「……」

「そういう高飛車でかっこいい師匠に俺は惚れてますけどね……」

「うるさいぞバカモン」

「だから、俺は聞いてるんです。師匠のこと……なんとなく最近、心配なんですよ。だっ

て、師匠にしては、どこかバランスが不安定だ。長い付き合いですからね、隠していても

俺にはわかります」

「おまえに気づかわれることなど何もないと言っておろーが」

「ホントに?」

まっすぐな視線がじっと見つめる。年下の子供のような、それでいて、大人びた穏やかさ

を持つ誠実な視線が、悪気なく彼を刺している。コードはとうとう耐えかねたようにボソ

リと言った。

「鳥が………」

「へ?」

「この辺では……鳥を飼ってる家がよくあるだろう?」

「え?ああ……そうっすね。カナリアとか?文鳥とか?インコとか……?そういうのです

かい?」

「うむ。それだ」

「で……?それが、どうかしたんですか?」

「そいつらがな………」

「ええ」

と頷いて身を乗り出したオラトリオの前で、不機嫌なコードがブスっと言った。

「みんな………カゴに入っとる」

「はあ?」と聞き返したオラトリオをその場に置いて、いよいよむっつりしたままコード

はバサバサ飛び去った。










「ちょ……ちょっと!待って下さいよ!!師匠!!」

電脳空間をスタスタ歩く細い体を懸命に追いながら、オラトリオは後ろから精一杯叫ん

だ。現実空間で彼の前から飛び去ったコードは、何を思ったか、そのまま研究室に戻って

ダイブした。それを追ってきたオラトリオだが、何故かコードは追いつかれるのを恐れる

ように振り向きもせず、暗い空間を滑るようにはなれてゆく。

「師匠!?」

ようやく追いついて、細い手首をつかまえようとした瞬間、コードの足許が丸く切り取ら

れ、華奢な体がすっと沈んだ。

「師匠!あんた、またアンダーネットに!!」

逃がすものかと、追いすがる。渾身の力をこめて床を蹴ったその勢いで、オラトリオはが

ばっと背後から抱きすくめ、そのまま一緒に地下へ落ちた。





「はなさんか!!この〜……」

「嫌ですね。いくら師匠の頼みでもお断りいたしやす」

「ったく何なのだ、おまえは〜〜」

「それは師匠のほうでしょう?!」

とらえどころのない真っ暗な空間を、どこまでも落ちてゆきながら、2人は相変わらずモ

メている。けれど、大きな力強い腕に抱きすくめられ、細い体は身動きできない。

(これでは……現実空間の鳥の時分と変わらんな)

かすかにため息をついて、コードは抵抗を諦めた。本当は、人型の今ならいろいろ過激な

手段もあるのだが、オラトリオの誠意きわまりない無防備な視線を見てしまうと、あえて

逃れる気力が薄れる。

(……いかんな……)

そうは思っても、ふと気がつくと、この背の高い、ブロンドの髪をした後輩のペースに巻

き込まれているのだった。

違法地下空間に向かって、いまだ2人は落ちつづけている。遠くから見ると、小さなコー

ドの体は、オラトリオの長いコートの体にすっぽり埋まってほとんど見えない。

きつく締め付ける腕の力はとても強い。けれどそのくせ、押さえつけているようで、引き

止め、すがりついている気もする。

「オラトリオ……」

「はい?」

「この下はアンダーネットだ。アクセスは犯罪行為だぞ?」

「んなこたぁ〜当然わかってますって」

「職務の自覚がないのか?!オラクルのガーディアンが、そんなことをしてタダですむわ

けなかろうが!」

「バレなきゃいーんでしょ?それは師匠も一緒ですよ」

「…………では、このまま俺様と一緒に降りて……アンダーネットでおまえだけ迷子に

なったらどうする?」

「いいですよ。別に……。それでも、俺、師匠をさがしますから」

「……………」

ふぅ、とコードはため息をついた。顔は怒っているが、声はもう穏やかだった。

「言葉の意味がわかっているのか?ハッカーやウイルスだらけの場所なのに、おまえの力

は使えない。死ぬかもしれんぞ?」

「いいんですよ。俺の恋は、いつも命がけっすから」

「………馬鹿な奴だ」

「酷いなぁ師匠〜〜その言い方。俺はね、師匠、あんたに……」

「まぁ……」

と言ったコードの、照れたような怒ったような微妙な顔が、むくれたオラトリオを遮って

いる。

「それもおまえの決めることだ。……仕方あるまい……」

「そりゃどーも」

ニヤッと笑って、オラトリオが抱きすくめた腕に力をこめる。

(チッ……またこいつにハメられたか……)

と、この古武士じみた彼は少し思ったが、なぜか悪い気はしなかった。足許には、傾きか

けたビルの並ぶ、廃虚の都市が見えている。






「おい、いつまでこうしている?とっとと、おろさんか」

路地裏にうまく着地したオラトリオは、コードを両手に抱えたまま辺りを見回している。

「おいっ」

腕のコードが、もう一度声を上げると、オラトリオは軽く片目をつぶって微笑んだ。

「いーじゃないっすか。もう少しこのままでいましょうよ。せっかく危険な場所で2人っ

きりになれたんですぜ?俺にも騎士の気分に浸らせて下さいよ」

「この……たわけっ…ここがどういう場所か知っておろーがっ!こんな体勢で敵に会った

ら……」

「会ったら……俺が守ります」

うっとつまってコードが見上げる。嘘のないオラトリオの瞳にぶつかって、彼はさすがに

黙り込んだ。

「ね、師匠………」

じっと見つめながら、急に改まったように、オラトリオが言った。

「俺…前から気になっていたんですけど……」

「ん?」

「師匠はどうして、この違法空間にちょくちょく降りてるんですか?」

「面白いからだ」

「だから、どうして?」

「違法だから、面白いんだ」

そっけない返事に苦笑しながら、オラトリオは重ねて言った。

「どうして、違法が面白いんです?命だって危険だし……だいいち、ここへ来ること自体

が犯罪だ。師匠は犯罪が好きなんっすか?」

「そうかもしれん」

「いくらなんでも……それはマズいっしょ〜」

「うむ、マズいな」

真面目なのか冗談なのか、わからない口調で言いながら、少し考えて、コードは付け足し

た。

「犯罪行為は長い電脳空間生活の退屈しのぎの名残り……と言えば通りがいいが、実のと

ころ俺様にも、よくわからん。どちらかというと……本質に近い問題かもしれん」

「本質って……師匠の本質ですか?」

「俺様の……というより、すべてのロボットプログラムの本質……かもしれんが……やは

り、わからんな。こんなことを言う俺様のほうが壊れているのかもしれんし……」

「師匠……?」

「俺様は………人間の禁じたことを、やってみたいのかもしれん」

ええ?と、オラトリオが聞き返す。けれど、そう言ったコードの瞳には、自嘲にも似た不

思議な色が浮かんでいる。

「俺様は……」

どことなく言いにくそうに、コードは俯いた。

「失敗、廃棄されたバンドルの片割れで……結局ヤツを守ってやることすら出来ずに……

俺様を追ってきたヤツをこの手で消した。我々の存在は人間の手の内。人間は憎いが憎め

ない。そう、プログラムされている。だが………」

「……これが、ささやかな反逆ってやつですかい?」

コードは黙っている。しばらくそうしていたが、不意にまた続けた。

「カシオペア博士にも、音井教授にも感謝はしている」

「それは、わかります」

「シグナルの甘ちゃんをサポートするのも異存はない」

「あいつは俺達の切り札です」

「だが…………やはり気に入らん」

「師匠………」

「気に入らん」

そう繰り返してから、いっそう不機嫌に、コードはつぶやいた。

「鳥が………鳥カゴに入っとる!!」





決して、裏切られたわけじゃない。ただ、あまりに電脳空間の生活が長すぎて、待たされ

すぎて、現実空間に現実以上の夢を抱いてしまったのかもしれない。

電脳空間を出て。リアルなボディを手に入れて。そうしたら、電脳空間よりも広い世界

で、電脳空間でやってきた以上の力を手に入れて、それ以上に強くなれる気が、いつのま

にやらしていたのかもしれない。

「俺様にかぎって、そんなハズはないのだが……」

と不機嫌に言い放ったコードに、オラトリオは苦笑した。

「でも師匠って、案外、純粋ですから」

「フン」

フテくされた顔で視線を逸らしたコードにも、実をいうと、本当のところは不明なのだ。

ただ、ずっと、何かが憂鬱だった。電脳空間を出て、現実空間に逃れても、やはり、人間

に創られ、人間の与えた運命に捕われた存在であることには変わりはない。そう実感する

ことが、憂鬱だったのかもしれない。

存在を、生きる目的を、創造主に握られている。

かつては、この屈辱的な制約を突っぱねるために自ら妹達を愛し守ることを、自分に課し

た。

「だが、もう、みのるもユーロパもエララも……エレクトラさえ……あえて俺様が守る必

要はなくなったのかもしれん」

「あー?師匠……もしかして、娘を嫁に出した父親の哀愁ってわけですかい?」

「たわけっ」

「案外……」

とオラトリオは苦笑混じりに言っている。

「師匠って、依存症の気がありますからねぇ?誰かを守ってないと、自分の存在を確認で

きないとか……?」

「うるさいぞ。バカ弟子が」

「でも……師匠には、シグナルのサポートがありますぜ?」

「わかっとる」

「もっとアイツを鍛えてやらないと」

「わかっとる」

「まだ正体がわからないとはいえ……Drクエーサーの人間形態ロボットの件もありま

す」

「わかっとる」

「アトランダムのような事件がまた起きないとも限りません」

「わかっとる」

「音井研究所の居心地が悪いわけでもないんでしょう?」

「わかっとる」

「師匠〜〜!」

「わかっとる!と言うておろーが!!」

癇癪を起こしたように、コードは怒鳴った。わかってはいるのだ。しかし、それでも、ど

こかがうっとうしい。現実空間が、電脳空間よりも、もっと広く豊かなものだと期待しす

ぎたのかもしれない。実際、現実とは、思っていたほど広くも深くもなかったと……感じ

ている。

しょせん、どこへ行こうと人間とロボットの関係は変わらない。

これ以上、自由になれるわけじゃない。そんなことは、カルマやオラトリオを見て、とっ

くの昔にわかっているハズなのに、それでも心のどこかが苦しかった。

「俺様にも、よくわからん」

渋々、コードは白状した。

「わかっとるが………よくわからん。とにかく、ハッキリしているのは滅入っとるという

ことだ」

それをしばらくじっと見ていたオラトリオの目が、急に悪戯っぽく輝いた。

「………やっぱり、なんだかんだいって師匠は純粋ですからねぇ」

「やかましい。誰に物を言っとる」

「それじゃ、俺も協力しますよ」

「あぁ?何をだ?」

「反逆のお手伝い。俺も昔、一番困った時に助けてもらいましたからね」

言うなり、彼は、ひらりとコートの裾を翻し、コードを抱いたまま隣の廃屋に飛び込ん

だ。

「おいっ何をする気だ?!」

「だから、人間に対する……俺達ロボットの反逆」

いきなり桜色の小さな唇を吸い、オラトリオはくだけた調子でニカッと笑った。

「んっ……んッ……」

熱い舌先が歯茎をなぞり、奥へ入り、上顎や頬の裏を動き回ると、コードの全身を、ゾク

ゾクする感覚が駆け抜ける。

「…こ…このバカモン!!」

息を切らし、ようやく唇を引き離したコードが、真っ赤になって怒り出した。

「突然、何をする!」

「だから、言ったでしょ?」

「これのどこが人間に対する反逆なのだ?!」

「よーく考えてみて下さいよ?俺たちロボットは何のために創られたんです?」

「なに?」

「俺達は、人間の役に立つためのプログラムなんですよ。だから……」

「ハン。職務を放棄し、違法空間で、ロボット同士で愛し合う。確かにこれは人間の意図

することではないな」

「でしょう?その証拠に……ホラ……」

と笑って、オラトリオはコードの細い顎に手を触れた。

「俺の指が震えてますぜ?俺のデータが……これはとても危険なことだから、もうやめと

け、と言っている」

「フン。今からこの俺様に何かしようとしている男のセリフとは思えんな」

「俺とは、嫌ですか?」

「馬鹿め。………それなら……とっくに斬っとるわ」

暗い空間に低く囁く声が響き合い、大きな影と小さな影が、重なるように崩折れた。






破れた窓ガラスが見える。

その、光る断面を見つめるコードの瞳が、細く歪んだ。

「う……あ……」

着物の裾をしどけなく広げた細い両膝が震えている。さっきからオラトリオの指がコード

の体に入り、腸壁を探りながら奥を突いていた。

「く……」

痛みとともに、鈍い快感が、コード自身にも伝わっている。痛いのか、いいのか、よくわ

からない。奇妙なもどかしさで、コードは身をよじった。

「オラトリオ……!!」

「なんです」

「おまえ……こんなこと……どこで憶えてきた」

「嫌だなぁ師匠〜〜俺の情報量を侮らないで下さいよ」

「フン……。ガキのくせに図に乗りおって……うッ……あぁ…」

コードの濡れたような唇から淡い吐息が漏れ、呼吸がだんだん荒くなる。背に感じる冷た

い床の感覚が消え、少しずつ、体に挿入された異物を受け入れていた。闇に白く浮き上が

る肌が、ほんのり上気して艶やかに光っている。

「師匠……」

「………ッ……」

「綺麗ですよ……?……その……俺を感じてる顔……」

「たっ……たわけっ……あ……は…ッ」

頬を染め身を縮ませたコードのものを口に含みながら、オラトリオは時折、思い付いたよ

うに話した。

「でも、これって……かなり……逆説的な皮肉ですよね」

「何が……だ……」

「人間が…俺達を…より忠実に高度な仕事をさせようと創った結果が……こんな行為まで

可能にしてしまったんですから……」

「…………あ……ああ……」

「俺達は、人間の駆使した最高技術の結果です。人は……俺達を人と同じように創りすぎ

たのかもしれません……」

「う……く……」

感覚が高まり、全身が反応する。その細い腰をとらえ、オラトリオはコードの両足の間に

全身を入れた。

「ちょ……っと待て!貴様……まさか……」

「え〜〜?最後まで、やるんでしょ?」

「…………う……しかし……〜〜」

吃ってしまったコードの身体が、わずかに怯えている。彼は可笑しいほど緊張した瞳で、

オラトリオの股間を凝視した。

「そ……そんなモノを…ホントに……俺様に入れる気か?!」

「力抜いて…師匠。ちゃんと、ゆっくりやりますから」

「待て!!まだいいとは言っとらんぞ!」

「まーまー。そうカタくならないで」

「貴様……〜〜そう強引だと女を口説いて成功しても……嫌われるぞ」

「いいんです。俺、このところ師匠しか口説いてませんから」

「ふん。貴様の行為は口説いた後にやることだ………あうッ……」

熱くて硬いオラトリオが、コードの中を探りながら入ってくる。動きが激しくなると、

コードの何かが混乱した。

「あッ…あッ……アッ…」

苦痛と快感と、恐怖と悦楽と、人間のプログラムに違反する罪悪と喜びと……それらが、

オラトリオの穏やかな優しさと一緒になって、彼を揺らした。





「どーです?」

仰向けに寝転んだ胸の上に、華奢な美しい身体を乗せて、オラトリオは興味深げに微笑ん

だ。そこに乗った桜色の髪の下から、不機嫌な声が応えている。

「…………痛かった」

「それだけっすか?」

ちょっと間をおいて、声が続いた。

「が、悪くないこともない」

「でしょ〜〜?」

軽快に笑って、オラトリオは言った。

「人間と違って俺達の行為には生殖の目的がない。考えよーによっては、究極に純粋な

愛っすよ」

「単なる生理現象かもしれんがな」

「あ〜〜、またまた。すぐそーやって俺の気持ちをはぐらかす〜〜」

「おもいあがるな。しょせんは、人間の感覚に似せて創られた擬似的なものにすぎん」

「俺が師匠を好きなのも?師匠が……さっき乱れて上げた声も?」

ぐっとつまって、コードは黙った。

「よかったでしょ?最後は俺にしがみついて……すごく感じてたじゃないっすか」

「やかましい!!そんな奴は知らん」

赤くなってわめいてから、コードはボソリとつぶやいた。

「勘違いするな。結局これも…人間の作った電脳空間の中での……プログラムの戯れ事に

すぎん」

「電脳空間の……ザレゴトねぇ」

はぁ。とタメ息をついて、オラトリオはサラサラと流れる桜色の髪に触れた。

「憂鬱、まだ直んないっすか?」

「…………………そんなことで片付くなら、苦労せん」

「だったらねぇ、師匠?」

しばらく考えてから、ふざけているようで真剣な瞳が、すらりと奇妙なこと言った。

「いっそ、師匠も鳥の体をやめて、人間型になってみたらどうっすか?」

「俺様が……この……今の姿で……現実空間に生きると?」

「体はシグナルと同じミラで作りやしょうよ。あれは、不思議な金属ですから……今はわ

かりませんけど、成長すれば、もしかすると人間以上の生命体になれるかもしれやせん

ぜ?」

「フン。今さらそんなヒマが教授にあると思うか」

「な〜〜に。教授には黙って、俺達だけでやるんですよ」

「な?……………何を言うかと思えば……そんなこと、できるわけがなかろう」

バカバカしい。という顔で、コードは笑った。けれど、オラトリオは余裕を崩さない。

「オラクルのデータを参照して、そうっすね〜、せめて誰かもう一人くらい手伝っても

らって………」

「寝言は寝てる時に言っとれ」

「あれ?俺、激マジですぜ?」

「で?……そんなことをして……いったいどうする……」

「そうですね〜。人間型になって……そんで……」

にっこりと、ブロンドを垂らした紫の瞳が笑った。

「俺と一緒に逃げてみませんか?研究所と全く無縁な所へ……」

一瞬、さすがのコードにも意味がわからない。ややしばらく遅れて、ようやく実感がとも

なうと、瞳が見開き、呆れたような声が出た。

「いかんな。おまえ……ついにバグったのか?」

「も〜〜あんたは、失礼だな〜。師匠、俺はあんたの為に言ってるんですぜ?」

「だったら、もっとマトモな事を言え。何を考えている」

「他意はありませんてば。いや……あるのかな?ま、今は、俺のためでもある、と言って

おきましょう」

「…………いずれにせよ、不可能だ。そんなことが……」

「やってみなけりゃ、わからんでしょう」

無謀な、それでいて、すべてを了解したうえで決断したような、落ち着いた瞳が、じっと

見据えている。

「さぁ?どうしやす?師匠……?」

「もし……もしもだ。そんなことが出来たとして……そして、どうする?」

「その先は、師匠が考えることですぜ?ま、それを見つけに行こうってわけですがね…

…」

当惑した顔で、コードは、目の前の男を見つめかえした。

「俺様は………」

けれど、先の言葉が紡げない。アンダーネットの闇が静かにその動揺を包んでいる。

■to be continued■