新学期、

桜も散り終わった頃。

ようやく講義も一巡して、選択受講するやつ決めて。
オレは当然、2年に進級してて。
殉も、高認とるための出願終わって…

今年の夏か?殉の、そっちの試験と合格通知…
多少時間くったとはいえ、それで高卒資格と同じになって…大学の受験資格が得られるし?
まァ…今んとこ順調じゃね?って思ってるけど。

あいつの…実力はともかく…

体が…とても気になる。

最初から何となく変だったが。
だんだん…少しずつ…弱ってくるようで…
近頃なんて、寝込んでばっか。

なんでだろうなって以前に、なんつーかなァ…全体に平均値より
華奢すぎるし。
だいたい肉や魚、あんまり食わねえし。最初は前の家での影響か…もしかして今のウチの家計、気にしてんのか?とも思ったけど。

どうも好きで食ってるもんが、
木の実、草の根系。

果物や山菜、茸は必須として。…松の実、ハスの実、昆布、
海藻をこんにゃくっぽく固めたの、
クルミとゴマを味噌であえてパリパリに干したみてえな大葉でくるんだやつ、
高野豆腐、紀州梅を一個だけ白湯に入れた飲物とか…
変なもんばっか。
多分、田楽とか木耳なんかも好きじゃねえ?

およそ若者らしくねえ。
健康的な10代男子の好むモンか?
何だろうな、その山に籠った修行者みてえな謎メニュー。
仙人にでもなるつもりか。

健康にイイ食餌って…思うべきか迷うトコだが…いやデモ現実、
健康じゃねえからな、さっぱり…


殉が、
あんまり気になるから、結局、オレも大学休んじまって。
100Vの小さいIHヒーターでおかゆ作りながら、
卵を、
この際、5個、まとめてナベにぶち込んだ。

白いんだか黄色いんだかよくわかんねえぐっちゃぐちゃの半固形物にして。
なんかもろゲル化してる感じだけど、
まあ人間の体も、ほぼゲル状物質の一種だからな、
とか考えながら、
飯茶碗にたっぷり盛り付けて。
ついでに鰹節と、醤油と、味の素かけたら、

…ん?
なんかコレ、猫まんまみてえ?…

と我ながら思ったけど。
とにかくチーク材のスプーンと一緒に
木製トレーに載せてベッドまで運んだ。

昨日の昼から何も食わねえまま…
もう夜だぜ?
36時間、絶食する気か。
放っといたらどこまでいく気だ。

これじゃますます…

衰弱しちまう…


「おい、起きて自分で食え」
「いらない」

やっぱり言い返しやがった。
しかも頭から毛布かぶって。
何だこの中途半端なハンガーストライキ。
こういう時のこいつってホント頑固で可愛くねえ。

「いいから食え。嫌なら食わせてやる、無理にでも」

低い声で脅したら、

潜ってた毛布から、
半分だけチラっと顔を出した。

その体、捕まえて
穴から引きずりだすみてえに、
背中とベッドの間に片腕つっこんで、

「ちょっ…何するんだ!?」
「病人のくせにムダな抵抗すんじゃねえ」

毛布ごと上半身だけ起こしてやった。

軽いなァ

と思って…。

…なんだか…
このまま…だんだん小さくなって…消えちまいそう…

もう心配通り越して、不安だったけど。
ソファ付属の大きめのアイボリーのクッション2つ重ねて
背中に敷いてやって。

「で?何?オレに食わされてえのか?」

つったら、
…そんなに言うなら食べてやってもいいですよ?…
みたいな?
ったく何だお前、オレの不安をよそに、そのふてぶてしい態度。

仕方ねえから、ベッドサイドに立ったまま、
ランチョンマットサイズの白っぽい木製ミニトレー片手に、
熱くないよう木の深めのスプーンですくって、
息で冷まして、

「ほらよ、」

突きだしたら、
でも案外、素直に口開いた。
オレのスプーンから
ちゃんと食って飲み込んでる。

「にいさん…」
「なんだ」
「もう少し、料理の勉強も、したほうがいいな」
「うるせえ。良質のデンプンとタンパク質の塊だ。それで食えりゃあ問題ねえだろうが」
「あなたでも、苦手なものがあるんだな」

笑った。

この数日で、
初めて。

微笑ていどだったけど。

なにこれ、嬉しそうじゃねえか。
そんなにオレの失敗姿が見てえなら
高校の学園祭でやらされたメイドのコスプレ画像とか…見せてやってもいいけど?
多分、竜の奴がまだデータ持ってる。

河井には「剣崎くん、意外と似合ってますね」とか真顔で言われるし。
石にはキモイと罵倒されるし。
竜なんざ妙に優しい生ぬるい感じで苦笑しやがって。
オレの中では全力で葬り去りたい過去の一つだが…

お前がそうして笑ってくれるなら、
見せてやってもいいんだぜ?

つーか、わりとオレ、
おまえの前では、夜、アレしくじったりしてるよな…
そっちはカウント入ってねえのかよ?

「でも…味は好きだな…。下ごしらえゼロで見た目も最低だけど」
「じゃあ良かったじゃねえか」

ちょっとずつで時間かかるけど、食わねえこともねえし。
だから大丈夫か。
…ライトグリーンに、白とレモン色の、銀杏の葉のプリント柄入ったダブダブのパジャマ姿眺めながら
無理に思った。
ライトブルーのオレのと、色違いで同サイズ。
オレはぴったりなのに。
一卵性の双子なのにな…
でも、この歳じゃさすがにもう成長しねえかなァ…とか。
じゃあせめて、パンとかバターとかチーズみてえの大量に食わして太らせねえとダメなんじゃねえかと…思ってみたり。

「にいさん」
「ん?」

いつもは食後に、煎茶とか抹茶とか正座して飲んでる奴だけど。
今日はベッドでオレの淹れた紅茶飲んでる。
病気のときは紅茶いいぜ?
って言ったら、それは素直に従って、

飲み終わった自分のマグカップをオレに返して、
黙ってじっと見上げてくる。

夜のキスは?

って、ねだってるの知ってるけど。
こいつ…売りなんかやってたくせにキスも知らなくて。
恋人同士ってこういうのするんだぜ?
って教えてやったら、
やたら喜んですっかりハマっちまって。
なんだかなァ…と思うけど。

「食後のデザートじゃねえんだから。治ったらな」
頭に、軽く唇で触れてやった。
「なら無理して食べなきゃよかったな」
くるっと背中向けて、
また毛布にもぐり込んじまった。
「ったく。なに拗ねてやがんだお前は…可愛くねえ。オレの言うこと聞いた、お駄賃かよ」

だけど…
一番、体に負担なのアレじゃねえのかって。
どう考えても…。
あんなに年中、下剤使ってて体に良いわけねえってか…
年中、過激ダイエット状態じゃねえ?
だよなァ…多分…。

キスだけじゃダメかって聞いたことあるけど。
ダメみてえで。
しかも養父母の暴行で
本来、一番スタンダードな性感帯のハズなのに…
前でほとんど感じられなくなっていて…。
あんだけ傷めつけられてりゃそうかもしんねえが…
傷だらけだもんな。むしろヘタに触ると痛がる。
代わりに養父の性暴行でバックばっかり快感覚え込まされてて。
困ったなァって思うけど、
どうしたらいんだろうなって、
オレにもよくわからねえ。

てか何でヤんなきゃダメかなって思うんだけど
オレ的には。
そんなことしなくたって、オレはめいっぱい愛してるのに。
何か…
色んなもんが直結しちまってるんだろうな…とは思った。
あの行為に。
本来は、結びつかなくていいことまでもが。

いっそ心療内科にでも連れてったほうがいいのかとも思ったけど。
そういうことすると
こいつの大事なもん否定したり傷つけたり…
何かを壊しちまいそうで。

それはそれで躊躇した。


「殉…」

ベッドサイドに座り、
もぐり込んだ背中に、声かけて
毛布の上から撫でてやった。
そんなことじゃ納得できねえのもわかってるけど。

「キスだけなら…いいぜ?でもキスだけな、今夜は」

もういい。
と膨れて拗ねて拒否ってもいいのに。
こいつは
恐る恐るこっちの様子窺うみてえに、
毛布からチラっとだけ顔出した。

ほんと何だか…猫みてえ。

「隠れてちゃ出来ねえだろ」

やっとだんだん出てきたから。
なんか古事記のアマテラスみてえだな、
とも思った。

こいつに負担かけねえように、
オレがこいつの顔の両側の…
ベッドに、両腕ついて。
うんと屈んで、
まつげ触れそうなほど近づいてから、

「お前、ほんとキス好きだなァ」

つったら、

「キスじゃなくて、にいさんが好きなだけだ」

ちょっと怒ったみてえに言い返してきた。
でもにいさんとキスするの、すごく気持ちいいし…。
って、ほんのり赤くなりがら。
やっぱりどうしようもなく可愛いと思う、
まァオレも、病気だけど。

「んっ、ンッ…ぅんッ…んぁ…は、ふ…」

なんか動物的だけど
動物的にゃ間違ってるよなァ
生殖しねえ、増えねえDNA複製できねえし…べつに増えたくもねえけど…
なんて思いながら。

くちゃくちゃガム噛んでるみてえな音響かせて。
互いに舌絡ませあって、
奥や歯の裏まで舐めあって。
唇ぴったり合わせて

殉の頬が、熱い。
息も、舌も、熱い。

これ…38度6分だな…。
誤差プラマイ1分未満のオレの結構、正確な体温測定で、
そう思った。
さっきより絶対、上がってる。
まァ飯食ったらふつう体温上がるってのあるが。
元々こんなに熱高えくせに…
頑張って食べて、…よくこんなことしてるよなァって…
傍観者みてえに思ったけど。
いや当事者だよなオレも?いちお…

「んんっ、んぅッ…は…ぁ」

急に、
オレを押しのけて
自分から唇離して、
殉が、なんだか妙に蝋か紙みてえな青白い顔で、
喘ぐみたいに言った。

「やっぱり…気持ちいいけど……気持ち…悪い…」
「はあ?」
「すまない…。なんだか…また…吐きそう…だ」
「また…って…」
「頭、ぐらついて…なんか…喉から…上がって…きそうで…昨日から…ずっと…」
「はァ?……バッカじゃねえのか、おめえ…」

ほんっと呆れたぜ。
自分から、さんざんしたいって、言っといて。
だからオレが言ったじゃねえか。

「だから言ったんだ…食べなきゃよかったって」
「いや、そこじゃねえだろ。お前、自分が言ってることのが、おかしいって気付けよ」

唇の唾液、
指で拭ってやって。
腕の中の身体、
ベッドに戻して。
代わりに、
冷凍庫からケーキについてきた保冷剤だして、三つまとめてタオルにくるんで、
額にのせてやった。

「だァからオレが、おとなしくしとけつっただろうが。なのに、物食わねえわ、薬は飲まねえわ、あげくこんな……いちいち言うこと聞かねえからだろ」
やっぱりつきあうんじゃなかった。こいつの可愛さにほだされて。
ったく危ねえなオレも。

「にいさんとしたら…治るかと思って」
「オレのキスは特効薬じゃねえ。オレと同じ理1受けんなら、もちっと科学的にモノ考えろ」

そしたら、ややしばらく黙った後、

「大学なんて…行けるんだろうか…」
少しぼんやりしたみてえな…
寂しいような不安なような定まらねえ瞳で、
白っぽい天井見つめたまま、殉が言った。

「能力的には問題ねえが?」
「それは…わたしも、そう思う」

可愛くねえなァホント。
まァその通りだけど。
この間、ためしに予備校の模試、申し込んで受けさしてみた。
判定、余裕で合格ライン超えてた。
憎たらしいほど華麗にA判定。
理3も余裕じゃねえ?やべえぜコイツ…
って思うほどは、
…オレもバイトでカテキョも塾講もずいぶんやったけど。
こいつより優秀な奴、そう見たことねえ。
同じくらいの奴らは、まァ上のほういきゃ結構ゴロゴロいるけどな。
てかまァ世界に出りゃあ色々いるけど、上には上が。

でも一度見ただけで、何でもすぐに理解して憶えちまうなんて、
結構、レアな能力だぜ?
そのうえオレがすでに、受ける大学で習うはずの数学、物理、化学も教えてるし。
入試なんて楽勝だろ?

「で?何がそんなに不安なんだ」

殉は、黙ってる。

「身体か?…まァ…そりゃあ、そんとき考えりゃいいだろうが。
合わなかったら辞めりゃいいし。辞めるのはいつでもできるし。
……あ?……そういやァ…」

構内で
この間、バッタリ会っちまって。
強気な天パ野郎の、女子みてえな弟。オレが昔、
児童養護施設で一緒だった奴ら。
その弟のほうだけ独りで歩いてて
…瞬ってやつ、
これが見事に、あのまんま美少女みてえに育ってて。
アレに比べりゃあ、ウチの殉なんてすっげえ普通にクールでかっけえとかマジ思った。
お前、多分、モテまくるんじゃねえか?オレよりも。
性格いいし。

「にいさんよりも、なんて、ありえない」

って、なんでそこで断言してんだ。
自信あるのか無えのかわかんねえ奴…
つか、こういうの、ブラコンっていうんじゃねえのか?多分…重症でこじらせた…。
ココロの病が深刻だしなァ…。
って何か思ったけど。
ま、いっか。とか。
あんま考えてもホント仕方ねえし。

「少し寝たらどうだ、解熱剤飲んで。お前…昨日もほとんど眠れてねえだろう。具合悪いと、よく寝れねえしな」
「…必要ない。横になっていれば、そのうち治る」

ったく…なんでそういうのばっか頑ななんだ。
よくわかんねえ。もう色々わかんねえけど。
とにかく好きにさせとくか。って。
オレも一緒にベッドんとこに、
二人掛けの四角い布張りソファ引っ張ってきて
横に並べて、
今日、受けるはずだった必修の講義の内容、チェックした。

ま、コレ出席しねえと意味ねえやつなんだけど。あんまり。
…後で、教授どもが出してる本も、全部いちおざっと目ぇ通しとくか。
一度見たら、何でもすぐに理解して記憶できる。
ってコレ実はオレも持ってる特技なんだよな。

偏差値最高狙うってだけなら理3もアリだったんだろうが…
なんか機械いじりやりたくて。
進路、医学科とか絶対、嫌だし。
…でも、
殉がこんなだって知ってたら
殉のために、理3受けて、医学部にしときゃ良かったのかなァ…。
と、ちょっと後悔みてえに珍しく思った。

まァ進振りで今ならギリギリ、専門変えりゃいいだけだが別にオレの成績なら…
つっても…医学部6年かかるし卒業だけで…そんで国試で医師免取って?つーか免許もらいたての医者なんてペーパードライバーより使えねえ…そっからせめて10年修業して?
デモ難しい病気にゃ使えねえもんなァって状態で既に34才?…長ぇ…長すぎだろ…それじゃ色々、間に合わねえ…

はァ…

溜息しか…

…って…

ん?

「おい…大丈夫か?」

なんか…じっとうずくまって固まったまま動かねえのに、
青い顔してるから。
肩揺すって声かけた。

「殉?おい、殉?!」
「にい…さん…」
「うん?どした?大丈夫か」
「やっぱり…薬、飲みたい…」

か細い声で、枕抱えて
ベッドに這いつくばったままこっち見上げて。
死にかけたみてえなツラしやがって。

ったく、じゃあだから、最初からオレが言ったときに、飲んどけって。
そういう話じゃねえか、ホント世話のやける。

でも

コイツがいるから、
オレも頑張れてるわけだし。
コイツに手ぇかかんなくなったら…暇すぎてつまんなすぎて、
やることなくなっちまうかもな、オレ。


…だから…
あの瞬て奴が、
正直、気の毒だった。

青々してきた雑木林みてえな並木の下で、バッタリ会って、
お互い奇遇に驚いて。
結構、懐かしがって。
で、なんでお前ここいんの?
つったら、
来年、どうも受けたいらしくて。
下見に来たって話だった。
しかも理3狙いかよ、やるなオイって思ったけど。
受かったら、殉と同期になるなと思ったりして。
あーでも理1とじゃ授業かぶんねえか?せめて理2だったらな…
なんて思いながら、

ところで兄貴どうしてる?

って訊いたら、

「兄さんとは…別れました」

ものすごくしょんぼりしたみてえに言った。

「はぁ?!なんで?あんなにお前のこと可愛がってたのに…」
「僕が…あんまり女みたいで嫌になった…って」
「……」
「見た目も中身も…母さん思い出す…って。男にすがって泣いてばっかりで独りじゃ何も出来なくて…って…それで…出てっちゃって。今どこにいるのかもわかりません」
「…そっか…」

何も言えなかった。
でもあの天パが何でそんなに変わっちまったんだろうって。
…なんだかオレまで裏切られたみてえな…
理不尽な怒りみたいな気になった。

「でも、必ず、兄さん見つけてみせるから。だから、僕も独りで何とかできるようにと思って…」
「で、理3?」
「はい。日本一のところに入れたら…そしたら…少しは、ぼくのこと認めて…帰ってきてくれるかなって…」

…すげぇ…兄貴のためにそこまでするとは…たいした奴だなァ、
と思ったけど。

「なに?医者やんのか?臨床?それとも基礎?将来は超エリート教授か?当然…」

って訊いたら、
基礎研究じゃなく、実際に人を救いたいから臨床行くって。
それも大学残って臨床の教授とかやるよりも、公立の病院に勤めるんだって。
しかもでっかい国立センターなんかじゃなくて…孤島や無医村とかの、小さい診療所がいいんだって…

何だよ…せっかくあそこ行くなら、
…官僚コースで医療制度いじくって医師会や国家、国民牛耳るって手もあるのに…
その肩書き利用して、ほかにも何だってやれるのに…色んな頂点、行けるのに…

なのに…
どんだけ地味な希望だよ。

やっぱあのまんま…
優しいまんま…
奇特に育ってんじゃねえか…。

だいたい理3の奴って、自分たちは世界一の超天才で
あなた方とは格が違いますから?同じ大学だとは思わないで下さい?
みてえな?
そっくりかえった自信満々な連中多いのに…。
まァ周りも異次元扱いだし。もっとも、オレもそうだけど…上の連中はあんまり変わんねえが、成績は。
理1も文3も理3も、上位者の点数は、さして変わんねえ。
自信も。
つーか世界見回しゃあ上には上がいるんでバトルは常に熾烈。要求されんのも、最後は成績なんかより斬新アイディアだし。
井の中の蛙だの、脳天気な天狗になれるほどは、気ィ抜いちゃいねえ…

けど…
それでも…
こんなに楚々とした、…弱者に寄り添う…有能で謙虚で、心優しい奴に育ってて…

と思ったら、ますます
あの天パ、どうかしちまったんじゃねえかと思った。

あいつ、どうしたんだろうなホントに。
お前を…
多少なりとも仲間と思って頑張ってたオレが、バカみてえじゃねえか。

「そういえば、弟さん見つかったんですか?」
って訊くから。

「ああ」
来年アイツもココ受けるけど、
つったら、
「じゃあ、ぼくと同じ学年ですね」
って。

会えるの楽しみにしてますって笑顔が、
やっぱり美少女みてえで可憐だったけど。
なんだかえらく寂しそうで…大丈夫かよ?…と思ったが…

他人の弟まで心配してる余裕、
オレには全っ然、ねえからな。

…けど話、色々聞いてたら、
瞬の知り合いに、もう一組、べつな一卵性の双子がいて。
そっちは兄貴が二重人格で、弟殺そうとしたあげく、
殺されかけた弟もおかしくなっちまってて。
結局、二人とも事件起こして閉鎖病棟入ったつってた。
弟は医療少年院送致って話だったが…兄貴のほうは…
精神科のアレに入院って完全にアレじゃねえかよ…
いやそれより事件て何だよ?
何か…家族や友人も含めた…無差別大量殺戮みてえな??
…そんな話だったが…

…マジ怖え…
上には上がいるなって
ちょっとびびった。グレード高すぎだぜ。

ウチなんてホント、平和で普通。
ほんっとバカみてえに、平凡だなオイって。
…いや、普通って大事だよな。
とっても。

「にいさん…」
「ん〜?どした?」

他人のじゃなく。
ウチのが、枕からこっち見上げてる。
やっぱりオレには一等、綺麗に見える瞳で。

「今日…講義、行かなくて…良かったのか?」
自分のために。

って、気にしてくれてんのか。
やっぱ優しいよなァ…お前も。

「いーんだよ。一、二回サボるくれえ。あんなモン習うほどのこっちゃねえ」

なんて。
常に必修科目は
予習、復習、受講する、が基本なんだけど…。
やたら出席にこだわる授業する奴もいるしなァ…
たまァに性格悪ィ奴いたりして、大学教授って時々、変に些細なことでへそ曲げやがって意地悪するとか、たまにだけど…
たぶんアレらって、世間で揉まれてねえからだよな絶対…とか。
後で進学に響くかも…?…
なんて内心、ドキっと思ったが。
殉には言わなかった。

「おめえが気にすることじゃねえよ。それより…おめえがオレにあんまり心配かけんな。…まァ、時々かけてもいいけどよ、もちっとオレの言うこと聞け」

つったら、今度はちゃんと
「はい」
って言った。

まァお前がハイっていうときは、たいがいその通りにはすんだけどな。

「にいさん…」
「なんだ」

しばらくおとなしく寝てた殉が、
不意に、
熱で少し火照ってきた頬で、こっち見上げて、
半分、毛布かぶった中から、とってもちいさい小声でポツンと言った。

「今度、一緒に…温泉行きたい」
「エ?」

…何?…今なんつったお前…?

「温泉?」
「ん」

マジでか?

温泉だ??


ええッ?!

…一瞬、
聴き違ったと、思った。
なんだその突然の爆弾発言…てかそんなマトモな単語が…お前の口から出るとは…
でもよ…

「…お前…大丈夫なのか?…」

裸…見られるけど…
不特定多数の一般人に…

うん。
て頷いた。
兄さんとなら、いい。
って。

「でも、なんでだよ、急に」
「…この間、河井くんが…」

なんか、あれ以来、時々ここに遊びに来るようになった河井に、
休火山の樹海の奥に
温泉湧いてる珍しい場所があるって聞いて。
行ってみたくなったらしい。
何だソレ?って思ったけど。

…いんじゃねえか?
すげえ進歩だろコレ。
だって養父母に暴行された傷だらけの体、
フツーの人間に視られたくなくて、
銭湯も嫌だつってたくらいだし。
そのくせ一般人の近寄らねえ危険なとこには躊躇なく行くし、
まだよくわかんねえんだけど、
こいつの思考回路。

温泉なんてマトモすぎ。
やっぱオレのダチども紹介した甲斐あったか…。
って…思ったんだけど…

「は?今なんて?」

…どうも話、よくよく聞いてたら。いわゆる…
秘湯ってやつ?
ほとんど人間の近寄らねえみたいな。
時々、
致死性の有毒ガスが大量に立ち込めて、
死人、出てるみたいなんだけど…?
自殺者とかも、やたら多いみてえなんだけど…?
…人間の骨や頭蓋骨がいっぱい落ちてる原生林の奥地って…

…なにそれ、魔境?!

温泉て…魔界の温泉て意味??!

…コレ、大丈夫なのか?
オレたち、行っても……。

珍しく可愛いこと言いやがると思ったが…
…やっぱ変だよな…この案件…。

「殉、それな、受かってからにしろ、そしたら付き合ってやらねえこともねえ」

受験、先な。
って言っといた。
遊びたがる子供叱る親みてえに。

そしたら、
にいさんはケチで意地悪だ。
って。
また毛布に、すっぽりもぐっちまった。
出たり引っ込んだり…潮干狩りの貝かおめえは。
……。ったく。
河井にゃ、世間知らずのこいつにあんま変なこと吹き込むんじゃねえって
厳重に注意しとかねえとな。

けどそしたらおそらく、「え?なに言ってるんですか剣崎くん。ぼく、殉くんに温泉でる話しましたけど。観光地とは言ってませんよ?むしろ規制されてて一般人は立ち入り禁止で…」
とか言われそう。
………。

オレの弟、ものすごく頭イイけど、
やっぱどっかアレだよなァ…。
ま…オレも殉のことばっか言えねえけど。
双子の弟に、時々失敗するとはいえ…ちゃんとセックス出来ちまったりしてるあたりとか…
けどコイツ、巧いんだよなァ…口でするのとか…煽って自分から上に乗ってきたり…そういうの…。
ダメなんだろうけどホントは…そんなの巧いって。
でもコイツの育ち方が…アレすぎて…
困ったなァ…って。
いっつも思うけど。

しかもソレ無いとダメとか…オレとじゃねえとダメとか。
…ほんと、業が深い。
深すぎてどうしたらいいかわかんねえくらい…。

何となく、ぼんやり眺めてたら、
目の前の毛布が、ちょっとだけ動いた。

まァでもさっきより顔色マシだし。
薬、効いたのかなって。
やっと熱、ちゃんと上がって、正常に下がってきたっぽいし
消炎鎮痛剤とか…抗炎症剤が効くってことは…どっかこっかで年中、炎症起こしてんだろうけど…体内で。
とくだん細菌やウィルス感染してるわけでもなく。
どこに明確な器官疾患あるってわけでもねえんだけどな。

…でも明日にはもっと良くなってんじゃねえか?

そう思ったら、
もうどうでもよかった。
他のことは。

「殉、なんかあったら、オレをすぐ起こせよ。我慢すんじゃねえぞ、いいな」

一応、丸まってる毛布の貝に声かけといて。
こいつ、いつもギリギリまで言わねえから。
あの養子先じゃ当然そうなっちまうんだろうが。
いまさら仕方ねえけど。
そんなのも…少しでも改善すりゃいいかなって…。

今夜は、ここで寝ることにした、
オレもこのまま。
殉の背中に敷いてたクッション取り戻して、
一個は足のほうに投げて両足のせて。
もう一個は枕にして。
大学の資料と教科書は、顔にのっけて。
ベッドの隣に並べたソファの上で、
オレも眠っちまった。

明日、
もっと良くなってることを祈って。
何か色々…。
色んなことが…


ホントは…


あんまり心配で、精密検査、受けさせた時…
医者に言われた。

…あいつ…もう長くは…生きねえだろうって…。

子供の頃から虐待受け続けて…
性的にも挙動おかしくて…
それでいっそう身体おかしくしちまって…
ほかにも色々おかしくて…

免疫も…
元々正常じゃなくて…
本来、発達すべきとこも全然してなくて…
要するに…
身体は…とっくに欠陥品になっちまってて…
最初からボロボロで…そう長くはもたねえだろうって…


そっか…

じゃあ今生は…オレが先に置いてかれるのか…
って。
ショックで何度も何度も泣いたけど。

殉には言わなかった。

最期まで、今度は
オレがきっちり面倒見て、つきあってやるからな…
って。

せめてオレが…
もっと早くお前を見つけてやれてれば…
こうはならなかったのかって。
それだって何万回も後悔したけど…

仕方なかった…もう…いくらてめえを責めてみても…現実は、どうにもならなくて…

やっぱり…
オレたちって、

せっかく一緒に生まれても…
離ればなれにされて…

その後やっと見つけだして再会して、
ようやくまた一緒になれたのに。

結局
短い間しか、一緒にいられねえんだな…

と思った。

たとえ何度、
転生しても。

なんでだろうな、殉…。

これがオレたちの、運命ってやつなのかよ…

でもまた…

きっと死んだら、一緒に生まれ変わろうな…。
次の世も、また次の世も…
ずっと…

そうしてりゃ…
人間の一生分くらいは…
なんとか合計で稼げるんじゃねえかって、時間…
…オレたちの…一緒にいられる時間が…

なァ…殉…そう、思わねえか?


寝顔は、
毛布に隠れて見えなかった。

でも今そこに、お前がいるのがわかってるから、
いいよ。
って。
そう思って、
オレも寝た。

明日、何か奇跡が起こって、
オレたちが、
もっと長く一緒にいられますように…


そんな…限りなく見込みの薄いコトを、

懸命に、

祈りながら。





◇to be continued◇