「まァた修行か?…殉、おまえ、…いつまでやってんだ、それ?」
双子の兄の剣崎順が、
鬼の顔似の山頂の、
右にそびえた角のてっぺんで、両足組んで座ったまま、
退屈そうにこっちを見下ろしてる。
そんなに暇なら、どっか出掛ければいいものを。
今ならどこへだって行けるはず。
簡単に。
なのに。
兄はまるで、はりついたみたいに、
…ココからずっと動かない。
「座禅なんか坊さんみてえに組みやがって。何年も何年も。よくやってられんなァ。飽きねえのか?」
「あなたこそ…。何年も何年も、わたしの邪魔をし続けて…飽きないのか?」
「飽きねえな。一向に?」
ホストみたいな白いスーツ姿で。重ねて組んだ両足の膝に、片手で頬杖ついて。
ニヤニヤ笑ってる。
なんだろう、このひと…。ホントに…。
困ったものだ。
とは思うが。どのみち自分には、どうしようもない。
この、亜硫酸ガスの結界の中にやすやすと入ってこれるのは、
唯一、彼だけだ。
自分が作った制極界すら無いも同然。
だって敵意は皆無だし、
限りなく同一人物に近いカタチで、
魂すら、やたら馴染んで、親和しまくり…
そのうえ、…
「にいさん」
「ん?なんだよ、殉」
「…邪魔なんだが。そこにずっといられると」
「気が散るのか?」
「ああ」
「そりゃあ、おめえの修行不足だな。よし、じゃあ気が散らねえようになるまで、じっくり見物しててやる。なんせ時間はたっぷりあるからな」
「そうですか。じゃあ…」
小石を一つ、投げてみた。
手を使わず、
気だけで、弾いて飛ばす。
飛んだ石は、兄の顔をすり抜けて、コロンと、向う側へ落ちた。かんかんかんと、そのまま、この絶壁みたいな岩山から、遥か下まで転がり落ちていく。
「なにそれ?テレキネシスか?ついに人外魔法か。おめえどんどん妙な方向いくな。楽しいのか、それ?」
「だから魔法じゃない。世界原理の一部を識れば、誰にだって出来ることだ」
「へェ?じゃあオレにも出来たかよ?」
「無理でしょうね。あなたは雑念が多すぎる。主に、この世に対する欲望や情念や執念みたいなものが強すぎた」
「そりゃあどうも。つーか実の兄に向ってなんてこと言いやがる」
「だってホントのことでしょう?」
「まァオレは、世界一とか無敗とかに、やたらこだわってたけどな?おめえと違って、魔術師や奇術師になりてえ欲望は無かったな、ぜんぜん」
「だから魔法でも奇術でも妖かしの法でもないって、何度言わせる」
「何度でも?…オレが飽きるまで?」
「しいて言うなら、法術だ。影道拳術奥義の、極致といってもいい」
「似たようなモンだな。つーか、影道にそんなのあったか?おめえの自作だろ」
ニヤついて、からかってる。完全に。
この、樹海の奥の地獄谷の、
さらに奥の奥で。
修行の末、やっと出来るようになった、気の操作。
莫大な気を溜め、滞留させ、コントロールする。
攻撃だって可能だ。
だから気だけで飛ばした物質を、兄にちょっと当ててみた。
でも、まったく当たらない。
よけてもいない。
だいたい気にもしてない、本人が。
肉体が無いから、当たり前だ。
だから制極界だって易々と出入りできる。
それはもう本人の、自由自在に。
…では、やっぱり…結局、触れないのか…
と、思った。
生身の肉体でなければ、せめて接触できるかも、と…思ったのに…
じゃあ、コレもダメだ。
つい溜息が出た。
欲望というなら、自分にとっては、それが唯一残った我欲だ。
何もかも世俗の心は棄てたのに、それだけは、いまだ重たく残ってる。
重すぎるほど。
だからいつまで経ってもダメなのかも?
修行だって無限に終わらない。
そう思ったら、余計に溜息しか出てこない。
「なんだよ?つまんねえツラしやがって」
「あなたが邪魔ばかりするから、修行が進まない。だから、…」
あなたにも、さわれない…
いつまで経っても。
そう、愚痴みたいに零したら。
やっぱり兄は、嬉しそうにニヤニヤ笑ってる。
「まァ百万年くらい頑張るんだな。ん?…でもその前に、寿命くんだろ。おめえの。そしたら、さわれるんじゃねえか?抱き合ったりもできるかもだぜ?」
「ほんとうに?」
「たぶんな?」
多分じゃあ、わからない。
やっぱり、嘆息。
ふわふわ楽しそうな相手を、恨めし気に見上げてみる。
まったく、幽霊のくせに。
墓石の下におとなしく眠るわけでもなく。
どこまでも、自分を翻弄し続ける。
生きてる間中そうだったのに、死んでからまでなんて…
酷い。
この世から消える直前、まるで双子の弟がいたことを突然思い出した気まぐれのワガママみたいに、
フラリとやってきて。
命令口調で、最期まで看取らされたあげく、この樹海の、影道領域に、本人の遺言通りに納骨させられて。
しばらく普通に暮らしてみたけれど、結局、絶望したみたいに何もかもが嫌になってきて。
影道の皆には、修行と称して、この岩山に引きこもった。
これでもう、誰にも会わずに済む。
面倒なつき合いも、
生活も仕事も、すべて投げ捨てて。
現世のことは。
なにもかも…
でもべつに…
どの総帥もやってることだ。
人生の終わりには、必ず。
多少早いが、自分も隠居して、今からそれやったっていいんじゃないか、
と思っただけだ。
無責任に、仕事も何もかも放り投げ、側近たちに押し付けて。
身勝手だった兄みたいに、自分も生まれて初めて身勝手に、自分のやりたいように、心のままに、やってみたくなった。
それだけだ。
そうしたかったから。
どうしても。
あんなにやりたい放題だった兄が、そのせいであっさり死んで。
でもそれは、彼の、いや自分たちの生まれ落ちた家の巨大な運命に突き動かされた結果で。
それは、彼にとっても自分にとっても、そんなに大事なことだったんだろうかと、今さら納得できない気になって。
今までの、何もかもがわからなくなった。
考える時間が欲しかった。
抜け出したかった。
この重い想いから、
何もかも解脱して。
でも。本当は、自分が、あまりに模範的な良い子できたから、オトナになって、突然の反抗期。
ってだけかもしれない。
と思ったりもした。
ずっと一族の皆のために生きてきた。自分を殺して、その名の通り、運命に殉じて。
生まれたときから、
ずっとずっと。
それが、
剣崎の家が、自分に定めた運命だから。
そう信じてきたから。
でもだから、
もう好きにしたっていいだろう。
存在の片割れだった兄だって、死んでしまった。
もういない。
どこにも。
彼を光にするために、自分は影になったのに。
その彼が、いない。
一緒に生きてみたかったのに。
結局、一度もそんな夢すら、叶わなかった。
だから…。
生まれた瞬間から我慢ばっかりし続けたせいで、
成人したある日、突然、逆ギレてしまった、
気がする。
奔放に生きた双子の兄が、あっさりあの世に逝ってしまって以来。
ある種の糸みたいなものが、ぶっつり切れてしまった。
逢いたいのに、もう会えない。
光にすべき、彼がいない。
もう影に徹する存在理由さえ、ない。
一族に尽くす理由がない。
というより気が失せた。
今まで全力だった分、反動で、何もかもが吹っ飛んでしまった。
だから何もない。
自分には。
なので、
兄を弔いながら、ずっとひとり、経ばかり念じてた。
この、鬼の形をした岩山のてっぺんで。
経を、毎日毎日、ほぼ眠らずに、千日?
いやもっと。
何十万回も唱えた、と思う。
そしたら、ある日、
突然に、
何かの気配を感じるようになった。
懐かしい…
一番逢いたい気配。
だから、
さらに念じて、
気を集中させて、
精神をどんどん透明にしていったら。
奇妙なことに、あるときから、
靄みたいに、目の前に影が映るようになった。
人影…?
その、気配の相手だ。
たぶん…いや絶対。
だから、さらに集中して頑張ったら、
だんだん、影が実体みたいに見えてきて。
輪郭が、くっきり浮かびあがって。
厚みも増して。
さらに頑張ったら、
とうとう、あるとき、
姿が、そこから抜け出るように、ぜんぶ見えてしまった。
数年ぶりだ。
看取って以来、
この世から彼が消え去ってしまって以来、
初めてだった。
「にいさん!!」
思わず立ち上がって駆け寄ったら、
でも、思いっきり突き抜けてしまって。
誰も、いない。
しかし確かに、目の前で、白いスーツのサイドポケットに両手を突っ込んだまま、
剣崎順が、呆れた顔で、
地面に両手と両膝をべったりついた自分を見下ろしている。
何か言ってる。
だけど…聞こえない。
ブザマだな、とでも言われてるんだろうか。
と思った。
唇の形からすら、わからなかったが、たしかに何か言っている。
自分に向かって。
顔は呆れてる、
でも瞳は優しい。
表情はとても温かくって柔らかだった。
つい泣きそうになったが、必死にこらえた。
いつもみたいに、
ずっとそうだったみたいに、
我慢して我慢して。
また座禅を組んで、
経を唱えて、
集中して、
気を溜めて、練って。
世界と一体になれるほど、
宇宙と一緒になれるほど、
全銀河と抱き合ってその一部になりきって、
さらにそんな自己存在を自分で感じとれるほど、
精神を研ぎ澄まして。
自然と、全世界と、全宇宙と、
一緒に気を循環させて。
個を感じて、
大凡を識る。
我を感じて、
梵と一つになる。
認識の真実、唯識の世界に届くように。
精神を、感覚を、
すべて有にし、かつ無にする…
そんなふうに、
頑張って、頑張って…
そしたら、あるとき…
「やっと、ここまで来れたかよ?ええ?おい」
とうとう、
声が、聞こえた。
まるで分厚い次元の壁を、貫通したみたいに。
今まで、唇の動くニュアンスほどもわからなかったのに…。
何を言ってるのか、全然わからなかったのに…
やっと…聞こえた…
やった!
…これで…話せる!!
「にいさん!!!」
「殉、遅えよ、おめえ。…ったく何年、待たせる気だ、オレを」
思わずまた、
立ち上がって駆け寄ったら。
でもまた、思いっきり突き抜けてしまって。
地面についた両手と両膝が、痛い。
尖った岩が突き刺さって血が流れたこんな傷、全然たいしたことないのに…
ものすごく、痛い。
間抜けな自分が。
やっと逢えたのに、
やっぱり逢えないココロが、
痛い。
「バッカだなァ…おめえ…。いい加減、学習しろ。まだ無理だろ。おめえ生身だし」
「にいさん…」
「けど、オレの声、聞こえんだろ?もう」
やっとだけどな、
って。
そう言って、兄の声が、
笑った。
久しぶりに聞いた、
その楽しそうな、ひねくれた皮肉みたいな、
とても優しい声。
「泣くんじゃねえよ、また。…ったく…いい歳してみっともねえな。ガキか」
はい。すみません。子供です。
素直に答えて、うなだれたら。
でも、
重さも感触も何もない、質量も実体もない手が降りてきて。
自分の頭のあたりを、ぽんぽん、と軽く叩いた。
何も感じなかったけれど。
そうしてくれてるのは、はっきりわかった。
「いつか、…触れるかもわかんねえぜ?…おめえの修行とやらが、完成したらよ?」
そうなんだ…。じゃあ、頑張ります。
って、
泣きながら言って。
それから…
頑張って、頑張ってみたけれど…
…今に至る。
「この方向じゃ、ダメなんじゃないのか?…もうこれ以上は…」
やっぱり溜息混じりに愚痴ったら。
「男がダメなんて簡単に言うな」
とたんに厳しい顔して。
まるで昭和の親父みたいな言いっぷり。
まだ二十代のくせに。
…ってまぁ自分もだけど。
双子の兄は、容姿が、最初に現れて以来、まるで自分と一緒に歳とっていくみたいだった。
もう死んでるハズなのに。
自分がそう思ってるから、自分が自分の姿を映して彼を視ているだけだから、そうなるんだろうか?
と、思ったこともあったけど。
どうやらホントに一緒に変わっていくらしい。
歳を重ねるみたいに。
よく…わからないけれど。
だって肉体も無いんだし。もう…とっくに…
もっとも歳のわりに老けてたから、お互いに。
10代ですでに30代みたいな雰囲気だったから。
あんまり変わらないのかも?
と思ったりもした。
「つーか、どっちかってえと…ずーっと20代前半って感じだけどな、ルックス的には」
「ふたりとも?」
「だろ?…だって双子だし」
兄はふわふわ浮かびながら、やっぱり足を組んで、
頬杖ついて、何もない空間に座ってる。
そうして、
「まァ似たような運命辿ってんじゃねえか。双子らしく?」
当然みたいな顔で、そんなふうにも言った。
似たような時期にガキ作って、
似たような時期に女と別れて。
似たような顛末で…
「わたしは死んでませんけど。それにあなたみたいに情熱的でも何でもありません。最初から一緒になっても別れてもいませんが?全部、義務でやったことです」
「義務ねェ…?…おめえの嫁って、どんなの?」
「あなたと違って、暗がりで顔もよく見てないから、全然わかりませんよ」
「よくそんなんでガキ作れたな」
「一種の任務なんで、ウチの。相手は側近たちが決めました。しきたり通りに」
「すげえな。任務遂行かよ…。忠実に。てかクソマジメ…何でもそうだったな、おめえは。ずっと。一族のため皆のため、ってよ。てめえ自身のために生きたことあったか?」
「ありますよ?」
「いつ?」
いつって…それ…
まさに…
「今でしょう?だから今、自由ですよ?」
「人生初の我儘がコレか」
「ええ」
「座禅組んで、魔法修行が…」
「だから魔法じゃありませんって、何度言わせる気ですか」
「何度目だったかなァ…?忘れちまったぜ」
ずいぶん経っちまったからな、アレから。
オレが死んで以来。
世界はどんだけ変わったよ?
相変わらずふわふわしながら、剣崎順が、ニヤニヤ笑ってこっちを見てる。
どうせ何でも識ってるくせに。
そう思ったが、黙ってた。
自分だって、あれから修行して、おかげで、死んだ兄の声も姿も視れているが、
世界のこともわかってる。だいたいのところ。
俗世の下界で、一体、何が起こっているのか。
集中すれば、感じ取れる。
そこまでは、行けた。
目指す次のステップは…
遥か遠いけれど。
だって死んだ兄に逢いたいとか、話したいとか、ましてさわってみたいなんて。
そんなの、煩悩の中の煩悩だし。修行とは、まさに真逆。
もっとも、大昔、絵の中の天女に惚れて。逢いたいがために、セックスしたいがために、修行がんばって、ついに羅漢になった男がいたらしいけど。
ああ、それに…惚れた男のために、やっぱり頑張って修行して、ついに天まで昇った男がいたっけ…
そのときも、位の高い菩薩が、サポートしてくれたらしいから。
男なのに、好きな男の子供を産んだ男もいた。そのときだって、仏神が援けてくれた。
男が乳だって出せる凄い技もある。
なんだって可能だ。
神や仏の域ならば。
ほんとうは、煩悩も欲望も、持ったまま昇華だって、できる。密教修行の真の果てには。
密教の奥義中の奥義。でも不可能じゃない。そこまでいくのが…果てしなく大変なだけで……
やっぱり無理か…わたしには…
あんまり…兄といたい、現世の我欲のほうが、強すぎて…
「おい、おめえ…」
「はい」
兄は、相変わらず組んだ膝に頬杖ついて、やたら楽しそうに話しかけてくる。
「おめえんちのガキ、大変なことになってるぜ?」
「知ってますよ。わたしにだって、多少はわかる。影道領域と、その周辺くらいはね。あなたは、全世界、地上のことは何でもわかるんでしょうけど?」
「おめえは、気で?修行の成果ってやつか?」
「ええ」
「じゃあ、てめえのクソガキ、えらいことになってんの、見えんだろ」
「見えないが、わかる。もちろん、あなたの家のほうもね」
「ウチは、いいんだよ。ほっとけ」
「じゃあ、同じじゃないですか。わたしと」
「家庭放棄で?」
そうです。
と思ったが。
自分だってそうだったから、
思った通りに、
そう言った。
「子供なんて、ゴミ箱に捨てといても、育つ者は、勝手に育つ。雑草だってそうなんだから、同じでしょう?」
「まァそうだな」
むぅ。と頷きながら、兄はニヤニヤ笑ってる。
「けど日光だの水やんねえと、途中でしおれるとか、干からびて死ぬ場合はどうよ?いまどきはたっぷり肥料も必要なようだし?」
「肥料?そんなもの、ある時はあるし、無いときはない。陽と水が無ければ、それも仕方ない。滅ぶも生きるも、その者次第。世界とは、そういうものです。違いますか?」
「だよなァ?自然淘汰が自然、か」
笑った。
兄が。
やっぱり楽しげに。
オレもそりゃあ大賛成だなァ
…なんて言いながら。
「捨て子の野生児だしな、オレら、基本的には」
「生きるために親を頼るなんて、ありえない。わたしの感覚では。たとえそれが子供であっても」
「けど衣食住くれえは、渡しといたほうがいんじゃねえのか?ガキのうちは。オレもおめえも、それくらいは、あっただろ」
「だったら、わたしの側近たちが与えてる」
「おめえは、養育義務違反だけどな」
「あなただって、そうだろう」
「オレはいんだよ。死んでんだから。この世の法律関係ねえし」
「たとえ生きてたって関係なかったんじゃないのか?」
「まァそうだ。おめえみてえにな。なんせ双子だからなオレたち」
「そうやって、わたしに何年もまとわりついてる暇があるなら、たまには向うに行ってやればいい」
「だって聞こえねえだろ。見えねえし。どうせ」
「見えて聞こえたら、行くのか?」
「行かねえな」
「…やはり、あなたは…」
「ありゃあな、この世に生まれたときからオレの子じゃねえんだよ。この世の子だ。この世界と大地の子だ。ってのがわかりにくいなら、まァ、石の子だ。石松の子でいいだろ。それで間違いも問題もねえ」
「世間では、あなたと高嶺くんの息子、という認識みたいだが」
「オレの息子がなんで、てめえの名前も漢字で書けねえアホなんだよ?しかも才能ねえ。しかもバカだろ、あいつ。竜にも似てねえ」
「あなたが、教えなかったからだろう?」
「親が漢字なんて教えるか」
「わたしは教えてもらったが…一応…」
「ウチは放置だった。ん?いやでも家庭教師みてえのいたな確か。ほぼ会ってねえけど。塾みてえのも行けって執事が言ってた気がするが、行ったことねえ。ガッコーもテキトーにサボってた。母親はどっか勝手に出歩いて遊んでて、父親は忙しすぎて滅多に顔も見たことねえ。つーか、顔、憶えてねえかもな…オレ…どっちも。…そう言うおめえはガッコーすら一度も行ってねえだろうが」
「そういえば…そうだったな」
「だいたい親が手取り足取り教えなくたってな、てめえ自身で何でもやれるもんだろ、フツー」
「まあ、そうだ。概ね、わたしも、そうだった」
「マトモに育たねえとしたら、そりゃあ本人の自己責任なんだよ。親、関係あるか」
「ないな、わたしもそう思う」
身勝手な双子が、
身勝手な言い分で、
勝手な結論に至ってる。
でも当然だ。
だいいち自分は、実の親の顔も知らない。
世話された記憶もない。
養父はスパルタで、強制してくる過激な課題をクリアできなければ、
その場で死ねと言う人だった。
実際、兄弟子も弟弟子たちも、だいぶ死んだ。
あっさり殺されてた。
それがココの掟だ。
だから、自分もそうしてる。
それのどこが間違ってるのか、全然わからない。
思い返せば普通の少年時代どころか、学校と名のつく場所にも行ってない。
だから行ける者なら、行けるだけでも幸せなハズだ。
漢字も生きる術も、だいたいそのへんで教えてくれるはずだ、
多分。
……。
「だろ?」
「ですね」
「だから、ほっときゃいいんだよ。才能あるなら、勝手に開くし。開かねえなら、それ込みで、無かった、ってことだぜ」
「わたしも、そう思います」
なんだか…それも気の毒な話だな。
と、どこかで思わないでもなかったが。
人間はだいたい、自分の生きたことしかわからない。
体験した価値観の中からしか、物を見れない。判断もできない。
だから、結局、そんなものだろう、
ウチの場合。
そう思いながら、今もやっぱり亜硫酸ガスのたちこめる結界の中で、座禅を組んだまま、
家庭なんて放置。
だって家庭ってそういうものじゃないか?
いや何だっけ?家庭って?
…そんなもの、あったかな、ウチに
…無いよな…
と考えた。
そんなもの、どこにも無かった。
自分も。兄も。
たぶん…普通の家庭なんて見たこともないから、
永久にわからない。
憧れた時期も昔はあったが…
もう忘れた。
自分の夢も…希望としてはあったかもしれないが、
気付けば、自分を捨てた親たちと同じことを、自分もしている。
でも、そんなものじゃないのか?
この世界とは…?
「おめえんちのは、なんか…猛獣集めてかたっぱしから叩き殺してるみてえだが、いいのか?アレで?」
「そうしたいなら、すればいい。わたしが止める理由はない」
「動物愛護法違反だな」
「このまま続くようなら、影道は破門する。そうすれば、わたしとは無関係だ」
「鬼だろ、おまえ」
「そうですよ?それが何か」
「ひでえ…オレよりひでえな」
「あなただって…もし生きてても、そうするくせに」
「おう、よくわかってんじゃねえか」
「それに…野火たちがそう躾けたのだから。それも仕方がない」
「だが、あいつらに養育任せたの、おめえだろ」
「任せてはいない。ただ置いてきただけだ。その結果がそうなのだから、仕方がない。最初に、わたしは、間違った子供は叱れと言った。でも彼らはそうしていない。だからそうなった。当然の結果だ。つまり、それだけだな」
「やっぱ、おめえ…鬼だな」
「当然だろう?」
だって…
ココに棲んでるのは、鬼しかいない。
無論、あなたもね。
そう言ったら。
兄は、やっぱり笑って。
まったくもってその通りだぜ?
と、楽しそうに応えた。
相変わらず、ふわふわと、この世でもあの世でもない空に、自在に浮かびながら。
しかし、それにしても…
どうして兄は、いつまで経っても、成仏しないんだろう?
息子は野生に放置で、気にもしてない。惚れた女とやらのもとへでも逝けばいいのに、それもせず。
勝手にウチの影道領域に納骨させて。
自分自身はといえば、あんなに完全燃焼してたのに。
迷わず天国か地獄か、
いずれにしろ直行したと思ってた…
「ほかに想い遺すことでも…あったんですか?」
「ああ。あった」
「意外だな」
「誰だって、あるだろ、フツー」
やっぱり意外だ。
そんな一般論で返してくるあたり。ますます…
いったい何を想い遺したというのだろう。
兄は相変わらず、ブラブラしている。自分の結界の中で。
鬼の岩の上で、今度は左の角に寄りかかったまま、エラそうに腕組みなんかして。
足は、一応、地に着いていて…見かけだけだが。片足で立ち、もう片方は軽く膝を立て、背後の、寄りかかった岩に預けてる。
「おめえは、オレに成仏して欲しいのか?」
「……」
「どうだよ?殉…」
そう聞かれて、つい、
黙ってしまった。
言いたくない。
というか、
言えない。
でも、
「殉、オレはマジメに訊いてんだぜ?答えろ」
わかってる。
念おされなくとも。
…欲しくない。
本音は。
全然。
このままずっといて欲しい。
ここに。
わたしのそばに。
わたしだけの、そばに…
「だろ?」
「エ?」
「おめえが、そうだから。いてやってんだよ。感謝しろ」
片目、つぶった。
笑ってる。
ウィンク?
「わたしの…心が、読めるのか?」
「ああ。丸見えだぜ?ずっと」
おかげであの世に、逝きそびれた。
そう言って、笑ってる。
恥ずかしい、
と、これほど思ったことがない。人生で。
顔から火が出るなんて、生ぬるい。
もういっそ全身に燃え移って灰になって消えてしまいたい。
兄と同じように。
「まァだからさっさと修行しろ。そしてせめてオレにフツーに触れるように頑張れ。ま、そのうちにおめえのほうが寿命尽きて、一緒にあの世に逝けるかもしんねえけどな」
それまで、ずっとココに、いてやるよ。
そう言って。
また片目をつぶって笑った。
そう…だったのか…。
また涙が溢れそうだったが。
こらえた。
と思ったけど、 やっぱり、
零れてた。
たくさん、たくさん…
バッカだなァ、おめえ。
って、
また兄が微笑んだ。
やっぱり涙浮かべて。
同じ顔して。
わかってる。
本当は、そんなこと望んじゃいけないのも、わかってた。
でも、仕方ない。
だって
何度、諦めようとしても、ダメだったから。
何度、棄てようとしても、棄てられなかった、
魂の、悲痛な絶叫みたいな、想い。
たった一つの、遺った想い。
だから
代わりにほかの一切を棄ててしまって
周りの大勢をも不幸にして…
…何もかも…
ほかの喜びも幸せもすべて捨ててしまって…
でも…
それが、
真実、
鬼になるってことじゃないのか?
あまりにも一つのことに執着しすぎると、
人の最期は、
皆、
鬼になってしまうと、
いつか…聞いた…
◇to be continued◇
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