「どうした?黒夜叉」

野火が、
さっきから石段の途中で固まったままの同僚に、
不審な視線を向けた。

「いや…その…」

真っ赤だ。
影道では総帥と並んで珍しくも、少女みたいな彼の顔が、
首筋から額までも。

「まさか熱でも…」
「野火、……我々は、このまま館へ戻ろう」

「何を言っている。順様がお越しなら、出迎えてご挨拶申し上げねば…。しかも、総帥がなぜか見当たらない…。先日のこともある、即刻、お探しせねばならん」
「いや…総帥は…大丈夫だ…。いや、…大丈夫じゃないかもしれないが、大丈夫だ…」
「言ってることが、おかしいぞ、お前…」
「ともかく!…今、行ってはダメだ…!お二人は、そっとしておかねば…」
「…は?…」
「だからッ!!…邪魔をしてはいけない、と言っているんだッ…!!」

同じ側近どうしの相棒が…
いつも冷静な奴なのに…
こんなにうろたえて動揺しまくって逆ギレてるのを、
見たことがない。
どうしたんだろう?
とは思ったが。

「お、…おい…」

その野火の手を掴んで引っ張って、
引きずるように、
石段を逆戻っている。

華奢な男なのに、
凄い力だ。

自分の半分どころか三分の一もない体格のくせに…
猛烈な勢いで
今下りかけていた石段を上っていく。

そのうち、下に止まっていた黒のリムジンが、
動き出した。

多分…しばらくは戻ってこない…

ほっとした顔で…
黒夜叉は、ようやく野火の手を放した。

「どうしたのだ、一体…」
「なんでもない。だが…」

この事態、状況を…総帥に…
いかに、ご報告申し上げるべきだろうか…。
いや、あくまで自分は何も聴かなかったことに…。
いや、しかし…このままでは…

混乱する。
いやでも…わたしが知ったと、ご存じになられたら…
総帥はもっと…混乱される…多分…

やはりここはわたしが…胸に秘め、
墓の下まで持ってゆくより他には…

「顔色が悪いぞ…さっきから…」

赤くなったり、
青くなったり…
冷や汗流したり…
一体、どうしたというのだろう?

「野火。…おまえが鈍感な男で、本当に良かった」

「なに?」
「…だが…万一…」

順様が、やはり本陣の館にお泊りになりたいなどと
ワガママをおっしゃられたら…
どうすればよいのだろう…。
自分独りではとてもフォローしきれない…
やはりここは野火に話しておいて…
いやダメだ…。
お二人の許可なくそんなことは…

それに野火は、ことのほか総帥に心酔している…

それはもう、生真面目に、ぞっこん畏敬、崇拝、尊崇の念の域を遥か超えるくらい…
惚れ込んでいる。のに…
この事実を知ったら…一体…なんと…

「やっぱり顔色が悪いぞ…お前…」

「……」


うろたえ続ける黒夜叉と、それを見てつい動揺している野火の上で、

カラスが一羽、カァ、と鳴いた。







◇おわり◇