一度やってしまったら、なしくずしだ。

踏み越えてしまった一線など、
昨日ゴミ箱に放ったコーヒーの空き缶レベルだ。
背徳の罪悪感すら、
最初に捨てさせられた童貞ほども傷まない。

それより、
いつでも、どこでも、どんなシチュエーションでも拒まれない。
そっちのほうが神経にひりつくように気になっている。
やはり、
そういうふうに調教されたんだろうか、
とも思った……。



「あッ、あ、…ん、ァ、…」

浴室で、両手を封じて、わざと背後から乱暴に突いているのに、
感じてる。
ひどく艶のある声で、
ひっきりなしに喘いでいる。
もっともそんなものは演技でだってできる。
それより女と違って下半身を見れば一目瞭然で、わかりやすい。
勃ち上がった先端からは先走りが溢れているから、
やはりキモチイイんだろう。
とはいえ、男の場合、それはそれでただの生理現象みたいなもんで…
見知らぬ相手に強姦されてもイくことはできる。
結局、どっちなのかと思った。

一度中に出し、引き抜いてから、
「たまにはオレのも咥えてみろよ」
と言ったら、珍しく戸惑った顔をした。

「どうした?嫌なのか?今まで、てめえにハマってたもんじゃやれねえか」
嫌味みたいに言うと、
黙って、両足の間に跪いた。

可愛らしい唇から、煽情的な赤い舌先がちらちら見える。
思った通り、歯もたてず、模範的に巧い。
それもなんだか辛い。
結局、全部が辛くなる。

思わず、懸命に奉仕してる頭と頬を両手で掴み、自分で強引に抜き差しした。
「んぐっ……ふ」
殉が辛そうに喘いだ。
それはそうだ。
喉の奥を硬いモノで突いている。
唇の端から精液と唾液がだらだら流れた。
「ふ…あ…」
美しい顔を汚して、だらしなくぺたんと座り込んでいる。
その両足の間からも体液が流れていたが、
さっき出したものなのか、今咥えさせられたせいでそうなったのかも、もう区別がつかない。
感じやすいカラダだ、とも思った。
そうなるように、いつもこんなふうに、誰かに犯されているんだろうか…
今でも…?

自分以外の誰かが大勢この姿を視ていたのかと思うと
妄念みたいな怒りしか湧かない…

しかし最初はともかく今のコイツなら、
影道の連中など誰でも瞬殺できる。
嫌な相手に身を任せる必要はないはずだ。
相手が外の誰でも、一対一で簡単に敗けるわけもない。
強要されて本気で抵抗する気があるなら、相手を確実に殺ることもできる。

それともこいつは、
誰でもいいんだろうか。
キモチ悦くしてくれる相手なら、
誰でも…
オレでも…

べつに…オレでなくとも…


雑念が多すぎるな…、
と我ながら嫌になる。

こんな関係はやはりダメだと思う。
お互いおかしくなる一方だ。
やめるべきだ。そう頭ではわかってるのに、
この自分の片割れをどうしても手放すことができない。


なぜだろう、と思った。





「…嫌なら断れ」

浴室から出た後、剣崎が唐突に言った。
「……?…嫌なのか?…あなたが?」
「オレの話じゃねえ。おめえの話をしてるんだ」

何を、言っているのかと思った。
ただ、
今日はもうする気がないのかと思ったら、
なんだか寂しい気がした。
だったら、今日はもう触れられない…。
これ以上は、近づけない。
誘われなければ、
自分からはとても行けない。

でも、このまま何もしなくていいから。
ただ普通の家族みたいに…
一緒にベッドに入って欲しいと思っている気もした。
ただ優しく背を抱いてくれるだけでいい。
でも自分から言う勇気もない。
そんな僭越なことが許される気もしてこない。

「なんだよ。それとも、まだオレが欲しいのか?」
「…いえ…そんなことは…」
つい俯いた。

「ヤりてえなら、そう言え」
「だから…そういうわけでは…」

兄が、なぜか苛立ったように舌打ちする。
そのまま乱暴に手首を掴んできた。
その場で高価な手織り絨毯を敷きつめた床に引き倒される。
馬乗りになってきた彼が何をしたいのかわからず、
少し怖い。
一度、抱かれて以来、いつもこうだ。
だんだん時とともに酷くなる。
エスカレートしていく行為が、兄自身にも止められないようだった。

そもそも…
常にスポットライトを浴びる世界で、
天才の名を欲しいままにして、
カネも名誉も権力も何もかも手に入れて。
秀麗な容姿さえ羨望の的で。
歩けば女性の甲高い声に取り巻かれる。

こんな人間がいていいのかと思うほど、天は二物どころかすべてを与えた。
その兄が、なぜ自分に執着したのかが、わからない。
最初は双子の弟だからと思っていたが、それ以上の関係に、わからなくなった。
もっとも、
これもただの気まぐれ、彼の暇つぶしの一環に過ぎないのかもしれない。
背徳という淫靡で邪なゲームにハマっているだけだ、多分。
あまりにも望んだものが何でもすぐに手に入るから。
手の届かないものに憧れているにすぎない。
池に映る月を望んだ、詩人のように。

自分に飽きたら、また新しい刺激的なゲームを探すのだろう。
それでも、今ここで一緒にいられるなら、それでいいと感じる。
そういう自分が、もうおかしい…
とっくに狂ってるんじゃないのかと時々、
殉は
自分自身にも怖くなった。

「んんッ…あ、あ、ぁ…ヒイッ…もう…嫌…だ…やめて…下さい…」
両手と、ペニスの根本を、余った包帯できつく縛られた。
赤く充血して屹立したそれを酷く嬲られながら、
背後からも貫かれている。
直前にナカへ、勃起を促進させる淫薬も塗り込まれた。
麻薬の残りも一緒に。
薬物は直腸から直に吸収されて回りが早い。
異常な快感と昂揚した感覚に、赤い舌を覗かせ、唾液を流しながら、殉は
錯乱したみたいに喉を見せてのけぞった。

「はずして欲しいのか?」
耳元に囁かれ、懸命に頷く。
「じゃあまだダメだ。もう少し我慢してろ」
「そん…な…アッ…ア、アぁッ…」

先走りと一緒に、涙が溢れて視界が翳む。
クスリのせいで、正気が保てない。
このままこの奇妙で激しいセックスの快感がクセになったら、
もう日常に戻れない気がする。
怖い。
でも逃げられない。
今夜はどういうわけか、この急に思いついたプレイから簡単に解放してもらえそうもない。
この異様な絶頂はいつまで続くんだろうと、
殉は恐ろしくなっている。
多分…何度も気絶させられて…
でもその後で、
滅茶苦茶、優しくしてくれる。
そのギャップにいつもほだされて
期待して
翻弄されてる気もした。

兄は、本来あっさりしてるくせに、自分には変にしつこい。
基本的には巧いくせに、わざと下手クソなフリをして意地悪く責め抜かれるときもある。
そんな時は快楽よりも苦痛が優り、
酷く辛いと感じた。
あんまり酷くされて辛かった時、一度だけ
「こんなやり方してると…付き合った相手にすぐ嫌われますよ」
と言ったら
「余計な忠告だ。こういうひでえことはな、おめえにしかやらねえ」
と返ってきた。

「おめえだからやるんだろうが。他人にこんなことやれるか」

妙なトクベツだ。
これも一種の幸せなんだろうかと思ってしまうところが、
自分でももうダメな気がする。
それとも、ただの異常な愛情だろうか。
よく…わからない。

一切が、殉は、この兄にだけは嫌とは言えない。
まったく、ただの一度も拒絶したくはなかった。
最初は自分がそういう性癖だったのかと意外な気がして呆れたが、
どうも、兄に抱かれているのがイイらしい。
求められていれば、何でもいい気がした。
肌を重ねるほどに近づいて、
触れられる。
堂々と。
これが堂々としていい行為なのかというと実は世間的には逆だったのだが。
自分の中では、兄に求められるのを口実に、
存分に近くにいられる。
本来、ここに居ていいはずのない自分が、まったく、何の気兼ねもなく、この相手に触れることができる。
それが、とてもイイと思っているらしかった。

本当は、抱きしめてもらえるだけで満たされたのかもしれない。
優しくされるだけで満足だったかもしれない。
けれど人生でそんなこともほとんどなかったので。
才能でもなく道具でもなく、
ただの自分自身が求められている事実が、
歓喜になる。
たとえそれが相手の気まぐれでも。
期限付きの、身体だけの関係だったとしても。
ただの契約でも。

ずっと無理しかしてこなかった。
あの暗い場所で、皆のために、
養子先の一族の期待に添う者として。
それが、耐え難いほど辛かったのかもしれない。

でも兄も…

何でも持っているのに。
もしかすると寂しかったのかもしれない。
と思った。
酷く抱かれるたびに、なぜかそう感じた。
こんな抱き方、多分、狂っていなければできない。
双子の弟の自分を、こんなふうにするなんて…

仲間に囲まれて、何一つ不足も不自由もないくせに。
ずっとこの家でひとり孤独だったのかもしれない。
この巨大コンツェルンを与えられ、背負わされて。
彼は、ここの後継者だ。
そのためにこそ、創られた。
自分はそのために、不要だったから棄てられた。

そうして、
拾われた先で、やはり一族を、背負っている。
そういう意味では似ていたかもしれない。
不思議な偶然みたいに…
自分も、背負わされている。
家の義務を。
責任を。
自由に生きることなど許されていない。
その名の通り、家と一族の、影の道と運命に殉じる。
だってそのためにこそ、あの家に買われたのだから。
それが、
自分に期待されるすべてで、
存在意義の全部で。
それを、心のどこかで、酷く恨んでいたのだろうかと、思った。
今更だ。
それでも、奥底では、ずっとそうだったのかもしれない。
自分を産んだ者たちに捨てられたことに対しても…。
だからそれを、
この自分とは似ていながら正反対の地位と力を持つ、
栄光の塊みたいな実の兄、
双子の片割れという存在で埋めたかったのかもしれない。

強引にはぎ取られた心を満たされたい。
たとえどんな歪んだ形でも。

それは、向うも同じなのかもしれなかった。

「ヒッ…」
クスリで狂った感覚の中、限界まで勃起させられて。
でもイけなくて。
限界を超えて狂いそうになっている。
途中、何度も気が遠くなった。
そのたびに意識を強引に引き戻され、
中を怒張したものでえぐられて、さらに絶頂が酷くなる。
兄の胸に、長い絹糸みたいな黒髪をまき散らし、身体が不自然にのけぞった。

「に…さん…イかせて…お願い…だから…」
死にそうな泣き声で、何度も頼んだ。
兄が早くこの遊戯に飽きて、
また優しくしてくれればいいと思う。


でも兄は、

自分の何に苛立っているのだろう。

だんだん酷くなる行為に、
殉はいつか殺されそうな気がしてきている。

それでも、一緒にいたい。

カラダだけでも熱烈に欲しがられてるのが
すごく

嬉しい。


それが、自分の狂気なのだろうと、思った。





◇to be continued◇