温泉みたいに大きな浴室。


入り口側の壁以外は、すべてガラス張りになっていて、昼なら、庭園が一望できる。


でも今は、ガラスに闇がぴったりはりついて、湯煙にくもった黒い鏡のようだ。
そこに映った自分の顔と額を突き合わせながら、チラと横目に影を追い、


「お前さぁ…」
とナルトが言った。
「なんで、いっつもツリ目でスカしてんだよ」
「あぁ?」


サスケが、少し離れたところで湯につかり、目を細めている。
自分もとっぷり肩まで沈み、ガラスのサスケを見つめたまま、ナルトはもう一度ボソボソ言った。


「おまえが、楽しそーに笑ってんの、オレ、見たことねェもんなー」


ピシャン。
と湯がはねた。


「そりゃ忍者だからだろ。忍者に、喜怒哀楽なんて必要ないぜ」
「そっかァ?オレ、よく笑うぜェ?泣くしィ…」
「お前が、表情ありすぎなんだ」
「ふぅーん」


ブクブクと、ナルトの顔が半分沈む。
次の瞬間。
ザバァッ。と飛沫が飛んで、ナルトの姿がフッと消えた。


「!?」


消えた?とサスケが思うと同時。目の前の湯が盛り上がる。


「な?!」


気付いたときには、湯面から現れザブリと飛びかかってきたナルトに、サスケは、湯の中へ引きずりこまれていた。
「ぷはっ」
「ぎゃっははは〜っ」
ズブ濡れのサスケの髪をつかみながら、ナルトは、バシャバシャはねかえして大笑いした。
「ザマァみろってばよ!!くの一人気ナンバー1も情けねーったら!!」
「この〜…」
ザッと湯を切り返して、サスケがスルリとナルトの手を抜ける。
「何しやがんだよ!?ウスラトンカチ!!」


間髪入れずに、ガシッと、ナルトの肩を正面から両手でつかむ。顔と顔が、触れそうなほど近づいている。
みかげ石で出来た浴槽の縁に、ナルトの背中を押し付けて、サスケは、マトモに瞳を見つめた。
そらさずに、じっとナルトの瞳の、奥の奥までを見つめた。そこに映った、自分の瞳ごと、見つめた。


「…………」


ずっと息苦しかったのは、何度もそらしていたのは、この目を見ていると、ほんとうに欲しかったものを、思い出してしまうから。
ずっと探していた…復讐よりも、欲しいものがあったことを、ナルトをかばって命を落としたときに、気付きそうになったから。


でも……。


そう、いっそ言ってしまおうかと、サスケが思ったとき。


ナルトが先に、口を開いた。


「サスケ…もしもオレが…」
「……?」
「もしも…オレが…いつか封印が解けてバケギツネになっちまったとしても…それでも、今とおんなじ目で、オレを見るか?」
「ナルト…」
「なァ…見るか!?……サスケ!!」


声が、響いた。濡れた室内に反響して、二人の耳を打つように覆った。


シンとする。


冷たい外気が流れていく。




「バカ」



突然サスケが言った。
言ったまま、イキナリ乱暴に、目の前の唇を奪った。


「ン…?!…ん…ん…!!」


息がつまって、ナルトは呻いた。驚愕で、とっさに逃れようと身をよじる。
その体を、サスケの腕が抱き締める。動けないほど、強く。強く…。


「ん…あ…ぁ…」


冷たい翡翠色の石盤に押し倒され、ナルトはビクンとのけぞった。


「ひッ…やッ…」


局部を握られ、急に激しく擦られる。


「やめ…ろォ!!」


何がなんだかわからないまま、今まで一度も体験したことのない、痺れるような快感が、下腹部から突き上げている。


「アァ…アァッ…」


何が起こっているのか、全然わからない。
なのに、だんだん抵抗できなくなってくる。サスケの体に翻弄されて…。
くす、とサスケが笑った。


「キモチイイだろ?」
「ばッ…」


ぼうっと、ナルトの耳まで赤くなった。
その頬に唇を重ね、耳元に、サスケの声がささやいた。


「お前こそ…」
「え…」
「お前こそ…もし、そんなことになっちまっても…絶対、オレの顔、忘れんじゃねェぞ。絶対に……」
「……あ……」


サスケの瞳が、まっすぐに覆いかぶさっている。


夜の月みたいな瞳。


自分だけを見つめている、深い深い瞳。


ナルトがサスケを見れなくなったのは、サスケが自分をかばってくれたからだ。
それが死ぬほど、嬉しかったから……。
偶然の事故で、最初に唇が触れてから、忘れることが出来なくなった。そのときの、サスケの視線が、あんまりまっすぐだったので、体に焼きついてしまったのだ。
それ以来、ずっとずっと、唇が、うずくように、胸がうずいた。


だから…。


これ以上、信じて、期待して、もっともっと好きになっていくことが…怖かった。
もし、いつものように、信じて期待して、そしてまた、結局裏切られてしまったら……自分は、どうすればいいのだろう。


サスケを…憎んでしまうかもしれない。人間すべてを、憎んでしまうかもしれない。


もう二度と人の姿に戻れないほど、狂ってしまったらどうしよう。




……でも………。


「イデッ」


突然、ナルトは悲鳴を上げた。足をつかまれ、すごい所に、何か固いものがぶつかっている。


「いってーってばよ!!何しやがんだテメー!!!」
「もっとイイこと。だろ」
「何がいいんだよ!?こんのぉ〜!!」


ジタバタと暴れる手足を押さえつけ、サスケは、ニヤと笑った。


「今度…ゲームやるか」
「へ?」
「カード集めて、忍者ゴッコやりてぇんだろ?」
「お…おォ」
「よし。じゃあ、その前に…」
「な!?…何しやがんだよ!!いてーってッ!!」
「もっと足開けよ。ナルト」
「うっさいってばよ!!…てんめーッ…な…何やって…アッ…アアアー!!」


湯煙のなか、サスケの体が、強引に、体の中に入ってきて、もつれたように激しく動く。なにもかもが、初めてで、ぐちゃぐちゃのまま、ナルトはあられもない声ばかり上げている。


(けど…)


ぼうっとしたまま目を開くと、濡れたサスケの黒髪が、ツヤを帯びて、キラキラ光る。


(なんか…きれいだぁ…)


いつのまにか、ナルトは、酔ったみたいに見とれていた。
















三日後の正午。


腰に手をあてたカカシが、橋の上で、二人を前に仁王立ちになっていた。
珍しく、スゴイ剣幕で怒鳴りつけている。


「どういうことだ!?お前ら!?」


黙ってうつむいたサスケに、所在なげなナルトがうろたえている。
二人とも、手ぶらだ。
ジロリと見下ろして、カカシは低い声で叱咤した。


「オレは、お前らに、課題を与えたはずだ。なのに、提出物が何もないとは…。この三日、お前らは、なにやってたんだ!?」
「…………」
「…………」


二人はカオを赤らめたまま、一様に黙りこくっている。それを見比べ、カカシは、急に黙りこんだ。
それから軽く、一つセキばらいをして、


「で…」


と言いなおした。


「この三日間は……楽しかったか?」
「え?」


二人が同時に顔を上げる。
憮然としたまま、カカシは繰り返した。


「この三日間は、楽しかったか?って聞いてるんだ」


やや、しばらくあって。


「ま…まぁ。それなりに」
「オレさ、オレさ、いろいろあってさ!!」


とたんに元気になるナルト。頬を赤らめて横を向くサスケ。
見ると、二人とも、前より、ずっと近くに立っている。互いの指先が触れそうなほど。
突っ張った緊張がほぐれて、自然に同じものを見ているような、優しい空気がとりまいていた。
それを、つぶさに見ていたカカシが、


「よし」
とマジメに頷いた。


「べつに、オレは、目に見える物だけを持ってこいと言ったわけじゃない。……ってことで、二人とも試験は合格みたいだな」
それから、呆気にとられている二人に向かい、
「実を言うとな」
カカシは、堂々と切り出した。
「お前ら、波の国から帰ってから、妙にギクシャクしてただろ。だから、チームワークと、今後のよりよい仕事のために、オレが特別企画したってわけ」
「そ…それじゃあ…」
え〜!!とボヤきかけたナルトに、カカシは平然と、
「その通り。下忍の中間試験ってのはウソ。正式にそういう制度はない。しいて言えば、オレの特別試験だな」
「先生ェ………」


はーっとナルトが息をつく。
サスケが、チッと舌打ちする。
カカシは、真顔で続けた。


「ちなみに、これは木ノ葉の新人下忍に対して最近よく適用される、チームワーク改善のための特別任務で……。作戦名を考えたのは、オレじゃなくて、オレの同僚……ってお前ら聞いてるか?」


まだ解散、も言ってないのに、ナルトとサスケは、二人で歩き出していた。


「ったく、まいったってばよー」
「最近の木ノ葉の上忍の考えることは……よくわかんねぇ」
「でもさ、でもさ。中忍試験とかカンケーなくて、ホッとしたってばよ」
「フン。オレは、べつに困らなかったぜ?いちおう、欲しかったものは持ってきたし…」
「な!?何だよ、それぇ!!」
「教えねェ。……おまえは、マジで何も持ってこなかったのかよ?」
「お…オレだって、ホントは持ってきてたってばよ」
「何を?」
「教えなーい」
「フン」


並んだ後ろ姿が、徐々に遠ざかっていく。
カカシは、べつに引き止めもせず、
「ま。いいか…」
とアタマをかいた。


「まぁ…たぶん…あの様子なら、二人とも、手に入れてきたんだろうからね」


ほんとうに欲しいもの。


目に見えないけれど、たしかにそこに、あるもの。
とても…大切なもの……。


……とても……。




ニコッと、カカシが笑った。


「さてと。それじゃそろそろ、中忍選抜試験の志願用紙、渡しちゃおーかなァ」


その自信ありげな笑顔と一緒に。


遠くまで続く木ノ葉の青空と、降りそそぐ暖かい陽射しが、二人の背中を見送っていた。








(終)