「トイレ…どこ?」


「………」


スープも全部たいらげて、5杯もおかわりした後。
ナルトはサスケの後にくっついて、邸のさらに奥へと入り込んだ。
ふすまを何枚も開けると、橋のかかった大きな池や、あずま屋の見える広い庭園を囲むように、長い廊下が、どこまでも続いている。
廊下にそって、いくつも、いくつも、部屋がある。


「ま…迷ったら、出てこれねーかも…」


好奇心でキョロキョロしながら、ナルトは、迷路みたいな家だと思った。
やっと案内されたトイレだけでも、自分の部屋より大きい。
使い終わってから、ためしに廊下をはさんだ反対側の扉を開けてみると、室内プールみたいな浴場が見えた。


「ぶわ〜……」


なんだか、ボーゼンと眺めてしまう。すると後ろから、ポケットに手をつっこんだサスケが覗いた。


「なに見てんだ」
「お前、こんなスゲー風呂にいつも入ってんの?!」
「いや」
「え?」
「そこは、使ってない。……銭湯に行ってる」
「なんで?!自分ちの風呂に入らねェの!?こんなスゲーのに…」
「わざわざ沸かすのがメンドくさい」
「そっかぁ?」
「どーせ、オレ一人しか使わないんだ」
「でもよ…」


他人の風呂なのに、なんだか諦めきれない妙なナルトを、サスケは、しばらく微妙な表情で眺めている。
それからフイと視線をそらし、つまらなそうに言った。


「ここは広すぎるんだ」
「……」
「…なにもかも。独りで住むには……」


長い前髪から見えかくれする、切れ長の瞳に、淡い蔭が映る。
それを見ていたら、なぜか急に、ナルトはまた、自分が泣きたくなってきて、


「それって…お前…」


サスケの服のあたりをつかまえようと手をのばした。左手をのばし、右手を壁につっぱる。
……と。


「どぁ〜?!」


右手が、カベにメリ込んだ。
グイと腕ごと吸い込まれる。すごい勢いで、壁の中に引きずり込まれている。
気付いたときには、ぐるんと体が一回転して、別の部屋に投げ出されていた。
「って〜!!」
「オイ、気をつけろよ」
しりもちをついたまま、アタマをかかえていると、すぐに、サスケがやってきた。
相変わらず、少し背をまるめポケットに手をつっこんでいる。
ナルトは見上げて、怒鳴り返した。


「あっぶねェーじゃねーかよ!!んだよぉコレェ!!」
「カラクリ戸だ。お前も忍者なら知っとけ」
アゴでしゃくったその先には、壁に隣接して、巨大な水車みたいな仕掛けがある。
水車の羽に、ひっかけられ、水が運ばれるようにして、ナルトは壁にあいた小さな隠し穴から、体ごと引き込まれ、運ばれたのだった。
「なんで…こんなモンが家ん中に…」
言いながら振り返ると、
「あ…」
目の前に、隠し部屋がある。観音開きにドアが全開していて、図書館みたいに、書架がズラリと並んでいる。中には、ギッシリと手裏剣だのクナイだの千本だのはもちろん……見たこともないような忍道具が、数えきれないほど納まっていた。


………これは…武器庫だ。


「す…すっげー!すっげー!!」
ドキドキのあまり、ナルトはすっかり我を忘れて立ち上がった。
奥には、巻き物のつまった書庫もある。秘伝の奥義を示す禁断マークが、いたるところで目に光る。
「うわぁお〜……」
感動のあまり瞳を輝かせ、ナルトは、ボーゼンと眺めている。
その一切を後ろから眺めていたサスケは、なんだか不思議に気が緩むのを感じた。
(こんなの…いつぶりだろう)
この家に、会話が聞こえたのも。
この部屋に、笑い声が響いたのも。
(あの男が…)
……ここを出ていった日、以来かもしれない。


「な…なんで…」
「あ?」
「なんで、こんなスゲーんだよ?!なんで、こんなイイもん、いっぱいあるんだよ〜!!なんで?なんでェ!?」
ホントに純粋に嬉しそうに。
ワクワク興奮して、ナルトがわめいている。
ふと。
サスケの奥に、複雑なものが込み上げた。
それは…自分も一緒に嬉しいような。でも、それではイケナイような。ただ羨ましいような。悲しいような。冷たいような。寂しいような。でもやっぱり懐かしいような。
いろんな過去や願望をいっぺんに思い出してしまったみたいな、自分でも、収拾のつかない感情だった。
「ウチハは…」
と、サスケは、低い声で言った。
「代々、大名直属の忍で…火の国大名の護衛をつとめていた。公式身分は、筆頭家老クラス。各国の里長とも、対等な関係にあったんだ。だから…」
「だからァ!?」
すっとんきょうな声をあげて、ナルトはビビる、というよりも、なんだかえらく嬉しそうに、はしゃいだ瞳をキラキラさせた。
「なんかよー、なんかよー。まるで、火影のじいちゃんちみてーだよなー。てか、それより、ぜんぜんスゲーッてゆーかぁ…」
ボソッと。サスケが応えた。
「一族からも、火影が出ている。初代と、二代目がそうだった」
「ぬァにィ〜!?」
今度はちょっと、悔しそうに眉がぎゅっと寄っている。
でも、その表情は、どこか澄んでて、やけに明るくて、絶対に『あの男』とは違っていた。


だからだろうか?
だから、こんなことをナルトに話してしまうのだろうか?
「だから、アイツも…」
と、サスケは思わず言っていた。


「ウチハがそうだったから。アイツも…ぜったいに火影になりたかったんだ。なれなかったから…狂っちまった…」


武器庫を睨んだまま、サスケが言った。
気配の変化に気がついて、ナルトは、はっと振りむいた。


「アイツ…って…誰…?」


「兄貴」


噛み締めたサスケの唇が、ゆっくり動いた。
「あの男は……昔、四代目と火影の地位を争って、敗けた」
そのときの、血を吐くようなあの顔を、サスケは今でもおぼえている。
あの男は、四代目に敗れたことが、死ぬよりも悔しかったのだ。人生すべてを否定され、プライドを踏みにじられ、生皮をはがれるよりも、もっと苦痛だと、アイツは思ったのだ。
「そのハラいせに、里を壊滅させようとまでしやがって…止めようとした一族みんなを殺して、出ていった。今に、ウチハよりも、火影よりも、火の国よりも、他国よりも、もっともっとすごいモン手に入れてやるって……そう言って、出て行った……」
「……………」
「あんな男が兄貴だなんて、オレは絶対に認めない。必ず、皆のカタキを討ってやる。アイツを殺して、アイツの野望を台無しにして、アイツのすべてに、復讐してやるんだ」
淡々と話しているつもりなのに、唇がひきつって、ノドが乾く。
ポケットの中で、ぐっと、指が白くなるほど、サスケは拳を握りしめた。
だって、そうしなければ…。


「そうしなければ、どこにも帰れない。オレには…どこにも居場所がないんだ」


冷静に、ただ話したつもりなのに。頬の筋肉がこわばっているのが自分でわかる。サスケは、武器庫の一点だけを、意味なくじっと見つめている。
それまでボンヤリ、瞳を見開いて聞いていたナルトが、
「なんで…」
と言った。声が、うわずって、かすれていた。


「お前…なんで、居場所がないなんて、言うんだよ?!」
「………」
「みんな、お前のこと認めてるじゃねェかよ!!」
「………」
「いつだって、サスケ、お前は……みんなの人気ナンバー1でよ!…なのに、なんで…」
「………」
「なんで、そんなコト言うんだよ!?」


絶対ナットクのいかない顔で、ナルトは怒鳴った。
怒っているのか、悲しんでいるのか、自分でもよくわからないような顔だった。
それでもクナイの一つを見つめたまま、サスケは小さく呟いた。


「でも、このままじゃ、なんだかツライ。皆が死んで、兄貴が生きてると思うと、オレは眠れない」


あの日をさかいに、幸せだと、感じたことがない。
生きることが、地獄みたいに、辛くなった。


「だから、オレは……」


自分の外見につきまとってくる連中が、嫌いだった。
『うちは』の名に、腰を引く連中を見下した。
幸せな奴らが、家族に囲まれてふつうに生きてる奴らが、ウザかった。
自分で自分が寂しいと、思ったことなどない。
でも。
いつも、独りの奴を探した。自分と同じように、独りで生きてるヤツ。復讐、という二文字の意味を知ってるヤツ。懸命に何かを追い求めながら独りで生きているヤツを、視線で探した。
知らずに、探していた。


「おまえも…」


とサスケは顔を上げ、ナルトを見つめた。


「おまえも、そうなんだろ?」
「え…?」
「おまえも、ふつうに生きれなかったから。自分を否定する、自分の幸せを奪ったヤツらに復讐してやりたい。そういうことなんだろ?」
「…………」
「イタズラするのも、火影になりたいのも。みんな、それは、おまえが平穏に生きるための…周りに対する復讐なんじゃないのか?」


思いつめたように、異様に輝くサスケの瞳。
ナルトは、なぜか苦しくなった。


「オレは…」
サスケの視線に、今にも絞め殺されそうな気がしながら、ナルトは、たどたどしく言葉を吐いた。
「…オレは……たぶん…違うってばよ」
「…………」
「そんな…復讐とか、すげーことじゃなくって」
「…………」
「…ただ目を…オレの目を、ちゃんと見て欲しかった。それだけだ。そしたら、何も要らねえと、思った……」


淋しかったから。
どうしようもないほど。そのためなら、何を捨ててもいいと思うほど……。


「そっか…」


ふぅ、とサスケがチカラを抜いた。それから、クルリとナルトに背を向けた。緊張が切れて、落胆したタメ息みたいだった。


「………おまえは…オレとは、違うんだな…」
「サスケ?!」
焦ったように、ナルトは叫んだ。
ズキンと、全身が痛んだ気がした。
「待てよ!!サスケ!!」
サスケの背中が、このまま、どこか遠くへいってしまう気がする。
まるで追いすがって引きとめるみたいに、ナルトは言った。


「べつにィ…いいけどよォ」
「……?」
「復讐だって、いいけどよォ」
「…………」
「それがお前の夢ってことなら、たぶんオレが火影になりてェのと同じだし。でも……なんか………」
「………」
「わかんねェけど…なんか、違う気がする……」
「違う?」
肩ごしに、視線だけ振り返ったサスケに、ナルトは大声で言いきった。
「オレってば、楽しいもんよ!!」
「…………」
「火影になるためにガンバル!!すると少しずつ目標に近付く!だんだん皆がオレの目をちゃんと見てくれるようになってって……ソレって、楽しいもんよォ。すっごくワクワクするし、なんか、嬉しくて…。でもよ、でもよ!!お前は…!!」


なんだか、目的に近付くたびに、もっと苦しくなるみたいな…。


ふと、ナルトが聞いた。
「お前ってばさ、兄貴殺したら、どーすんの?」
「どうって…。それで終わりだぜ。恨み晴してセイセイするんだ」
「そんだけ?」
「あとは…一族再興して……」
「どうやって、再興すんの?」
「……それは……」
「それは?」
「……………」


一瞬つまってから、そのときはじめて、「再興」について、実は何も考えてなかったことに、サスケは気付いた。


「誰か…生き残ってる一族、探し集めて、またここで一緒に住んで…前みたいに…」
言ってるうちに、バカらしくなっている。
なんか、違う。
絶対、違う。
(もしかしたら、オレは……)
ほかにやりたいことなんて、ないのかもしれない。
兄貴を殺す以外には。
だって、何をどうしたって、死んだ家族は帰ってこなのだ。自分も、変わってしまった。もう無邪気になんて笑えない。いつからか、冷めた笑顔しか出来なくなった。
もう、前のようには、生きれない。何の苦しみも知らなかった、幸せな時代になんて戻れない。
たとえ兄貴を殺しても。復讐が終わっても。何も考えずに幸せに生きていられた頃には、戻れないのだ。


「アイツは…」
と、サスケは呟いた。
「皆を殺して、ワザとオレだけ殺さなかった。オレを苦しめるために…わざと生かしておいたんだ」


あのとき、ただ泣くだけだった無力な自分が憎い。
アイツと同じ血が、自分にも流れていると思うと、血継限界の血さえ…憎い…。
こんな血がなかったら、あの男だって狂わなかったかもしれない。度を過ぎた野望を抱かなかったかもしれない。
復讐…というのは、本当は、自分自身の血に対する、復讐なのかもしれなかった。


「オレは…」
なんとなく、自然な思いつきのように、サスケが言った。
「兄貴を殺せたら…べつに、死んでもかまわないのかも…な」
たぶん生きていても、もう意味がなくなる。復讐を果たしてしまったら、もう何もないのかもしれない。
未来も、夢も。
残るのは、もう二度と、ふつうの幸せを感じることのできなくなってしまった、抜け殻みたいなバカな自分だけ。
だったら、いっそ…。
「イヤだ!!」
突然、空間を裂いた鋭い声に驚いて、サスケの肩がビクッとはねた。
振り向いた目の前で、ナルトが、ものすごい顔で、わめいていた。
「お前が死ぬなんて、オレはイヤだ!!ぜってェ嫌だッ嫌だ嫌だ嫌だってばよッ!!」
両手の拳を握り、歯噛みして、ナルトがメチャクチャに怒鳴っている。
「もう、あんなおもいはしたくねェってばよ!!」


あんな…。
波の国で、サスケが目の前で死んだとき。ナルトは、ものすごくびっくりした。もう二度と、あんな目には会いたくないと、思った。
自分が死ぬより、痛かった。
すごく、痛かったのだ。
痛くて、痛くて、体内に封印された、あの忌わしいバケモノに身売りしてもいいとさえ、信じた。


「サスケ…」
もう、なにがなんだか、わからないように。
それでも、自分自身とサスケの両方を、必死に説得するみたいに。夢中で、ナルトは叫んだ。
「サスケ…おまえが違うんじゃねーのかよ!?」
「………」
「ホントは…おまえもオレと一緒じゃねぇのかよ?」
「………」
「ホントは、復讐よりも、もっと欲しいものがあるんじゃねえのかよ!!なぁ!!なァ!?サスケ!!」


………泣いて、いる。
ナルトが…口を歪めて、大声で。
瞳に、真珠のカケラみたいな、雫を浮かべて。
サスケは、その光を、ぼんやり見つめた。


(ほんとうに欲しいもの)


そう言われて、体のどこかに、箱をもう一つ、見つけたような気がした。
意識の、奥の奥に、こっそり隠しておいた小さな箱。
その箱が、ゆっくりと開いたような気がした。


ほんとうは……。


復讐がしたかったわけじゃない。
ほんとうに欲しかったのは……。
もっと…あたりまえな事…。
ただ…幸せに、暮らせていたらよかったのだ。
ふつうに、生きていられたら、それでよかったのだ。
それが出来ないから……復讐を誓った。
でも、あんまり一生懸命に、兄を憎んだり、自分を憎んだり、復讐のための力を手に入れたり、そういうことに躍起になっていたので、隠した箱があったことさえ、忘れていた。
忘れることに決めていた。
思い出すのが、怖かった。
幸せなヤツらがウザいなんて、ウソだ。ほんとうは、うらやましかっただけなのだ。
そういう弱いウソつきな自分に、ナルトと居ると、なぜか気付いてしまいそうで、怖かった。


……でも……。


ナルトが、泣きながら怒鳴っている。
「復讐でいいよ!!それ、やれよ!!でも!でも!!それが終わったら、終わったら…そしたら…」


大きな瞳だ。と、サスケは思った。
ナルトの表情は、自分とは違う。喜怒哀楽が、大きくて、リアクションが、大きくて。忍とは思えない。なんでも、ドタバタで……。
でも……。
ふっとサスケの口から、言葉が漏れた。少し染まった頬をそむけて、ぶっきらぼうに言っていた。


「ナルト…なんでお前が泣くんだよ。顔、ぐっちゃぐちゃだぜ。みっともねぇ」
「ウッセー!!てめぇが悪ィんだろ!?」
「顔、洗ってこいよ」
「よっけェなお世話だっつーの!!」
「……風呂…入ってくか?」
「…へ…?!」
「晩飯も…ここで食ってけよ。泊まってっても…いいんだぜ」


でも……。



それが、ずっと隠していた………ほんとうに言いたいことだったような、気がした。





【to be continued】