9.テストの結果と、その後のこと



いきなり、辺りが明るくなった。

「……………!?」

さすがに驚いて楊ゼンが見上げると、頭上に、小さな太陽のような光球が

浮かんでいる。

「これは……?」

「僕の照明宝貝だよ。月明かりでは、少々寂しいのでね!やはり戦いに

は、華やかな光がなくては……」

「まったく、おぬしは、妙な宝貝ばかり考えるのう」

苦笑のような太公望の声が、思っていたより近くに聞こえる。楊ゼンは

ぎょっとした。

(まさか……話を……全部聞かれた?)

怒りに冷水をかけられように、正気に戻って、よく見ると、太公望は先刻

の場所を動いてはいない。趙公明の指示通り、彼の描いた円から一歩も出

てはいなかった。

しかし、そうと知らないうちに自分が移っていたのか、闇から浮き出た師

叔はずいぶん彼の近くに立っている。

その場所に彼を留めたまま、趙公明は、悪戯っぽく片目をつぶってみせ

た。

「さあ、楊ゼンくん。戦闘を再開しよう!その前に、キミの本性を、ここ

で披露してね」

「………趙…公明」

ギクリとしたあまり、太公望の方を見ることもできずに、楊ゼンは、全身

を強張らせたまま光る衣装を睨んだ。

「でないと、太公望くんが石像になってしまうよ!」

さあ、早く!と彼は促した。

確かに、このままでは勝てない。それは先程の打ち合いでわかっている。

十天君以上の力を持つ趙公明を倒すには、とても人形ではムリだった。

チラリと、楊ゼンは、太公望の姿を視線の端につかまえた。

気配でもわかる。大きな瞳が、じっと、こっちを見ている。

今、半妖態をさらしたとして。

(あの瞳に、僕の妖態はどう映るんだろう?やっぱり…醜いと、思うのだ

ろうか)

怖い、と今初めて、楊ゼンは実感した。理屈など、すべてふっとんだ。

太公望師叔に、自分の姿を見られるのが怖い。この顔が体が、偽りだと知

られてしまうなんて……。

(そしたら……師叔は……?)

おそらく、自分を追放などするまい。戦略上好ましくないことを、策士の

彼がするはずがない。そんなことは、わかっている。

(でも……)

内心はどうだろう?そして、たぶん、人間に戻りたがっている師叔は…

…。

それは、永久にも思える時間だった。

一つ、大きく息を吐いて、楊ゼンは目を閉じた。

(次に目を開けた時、師叔の瞳はどんな色に変わっているんだろうか…

…?)

嫌悪?哀れみ?

絶望みたいな決心で、楊ゼンは決めた。

仙気を変える。体を、細胞の並びを、戻してゆく……。

「ほう……やっとやる気だね!」

愉快げな、趙公明の声が聞こえた。

と。

急に楊ゼンは、まだ人間の形をしているその手を、つかまれた。

「……………?!」

気がつくと楊ゼンの視界に、大きな瞳が映っている。

「もう…やめよ。もう…いいのだ、楊ゼン……」

太公望が、言っていた。憐憫ではなく、ただ、すまないとだけ思っている

瞳の色で、楊ゼンの手をとり、目の前に立っていた。

「師叔!?あなたは…何をやってるんですか?!こんなことをしたら…周

の兵たちが!!」

言い終わらないうちに楊ゼンの叫びは、高らかな笑い声にかき消された。

「趙公明……!!」

決して狂気というわけではなく、ただ、心の底から楽しんでいるように、

趙公明は笑っている。

「おぬし……いったい……」

とうとう、やや呆れた太公望が声を上げた時、

「実にトレビアンだ!!」

いささか興奮した口調で、趙公明が言った。

「これで、方針が決まったよ」

「なに?」

「おっと、その前に、約束を果たさなければ……。これが、宿営地に残し

てきた僕の従者たちをバクハツさせるスイッチだ」

手の平に納まる銀色の直方体をかざして見せたかと思うと、止める間もな

く、それを握る。

趙公明の手の中で、小さく乾いた音がした。








下界で、爆音と閃光が散らばる。轟音がいくつも乾元山を突き抜け、太乙

と玉鼎のいる部屋さえ小刻みに揺れた。

「な……………!?」

思わず立ち上がった太乙の前で、もう玉鼎が出かけようとしている。あっ

という間に彼は斬仙剣を持ち、外に通じるドアへ向かっていた。その背に

「師兄!」

と呼びかけて、太乙は、やれやれという顔をする。

「人間界の戦いには、なるべく関わるな、とさっき言ってませんでし

た?」

「……嫌な予感がした」

「取り越し苦労かもしれませんよ?」

「虫の知らせ、ということもある。今、ちょうど楊ゼンの話をしていたば

かりだ」

「そうですか。では……」

と言って、太乙は微笑した。

「私もそこまで、お供しましょう。散歩がてらにね」











二人が、夜空を見上げている。

「まったく……」

と、楊ゼンの隣りに並んだ太公望が、ため息をついた。

「アタマのおかしな奴にさんざん、つき合わされたようだのう……」

その金鰲仙人の姿は、もうない。スイッチを押した直後、彼は高らかに笑

いながら

「今日は実に楽しかった。惜しむらくは、宝貝戦が、中途半端だったこと

だね。まぁ、次の戦いは、本格的に行うから期待してくれたまえ」

と言い残して、消えた。

趙公明が掻き消えた向きとは反対の、周軍宿営地の方角からは、今も爆音

が響いている。輪郭のあいまいな黒々とした煙りが、幾本も立ち上る。照

明宝貝は趙公明が持っていってしまったが、代わりに、空には、爆音とと

もに、いくつもの絢爛豪華な華が咲いていた。

「花火……とはのう……。ひっかけてくれたものだ」

太公望は、苦笑している。けれど、楊ゼンは黙っていた。

いくつもの光が輝いては消える。

ひときわ大きな光の粒が滝のように流れ落ちて消えた時、太公望の傍らか

ら、これまで耳にしたことのないような、か細い声が聞こえた。

「師叔……ひとつ、聞きたいのですが…」

「……どうした?」

「あなたは最初から知っていたのですか?趙公明の爆弾がハッタリだった

ということを……」

遅れて、ドン、と響いた音の後に、短い静寂が漂う。

太公望の声がした。

「…………そうだ、と言ったら?」

首に下がった楊ゼンの、大きな金具が、かすかに鳴った。

「例えば……」

と楊ゼンの声が、続いた。

「例えばの話です。本当に例えばですが……もしも、僕が……妖怪仙人で

……通天教主の息子なんかで…それで……崑崙を裏切ってしまったとした

ら……?

師叔の作ろうとしている理想の人間界の、敵になってしまったとしたら…

…そしたら、師叔は……僕を殺しますか?」

静かだった。

風さえも、かたずをのんでいるように動かない。

小さな道服から、声がした。

「おぬしほどの者がそう決意したなら、よほどの理由があろう。わしは止

めはせぬ。だが、封神計画はやめられぬ。だから……」

と、太公望が言った。

「わしが、おぬしを封神するよ」

風は動かない。静まり返った闇の中で、互いの心音だけが聞えそうな気が

する。

ふっと太公望の微笑が漏れた。

「だがのう……もし、そうしたら……。封神計画がすべて終わって、わし

の役目が終わったら……わしも、封神台へゆくよ。おぬしと一緒に……」

「師叔…………」

もう一度、楊ゼンの襟もとが鳴った。しかし今度は、染み込むように澄ん

だ音色だった。

「のう、楊ゼン……」

「はい?」

「おぬしは、わしの進軍が遅いんで、ずっと気にしておったな」

「はい……」

「あの折、いくつか理由を教えたが……むろん、どれも本当だ。妲己と戦

うまでの修行時間も欲しかったし、周軍や、殷の民のことも確かにある。

あるが……」

そこで太公望は、また笑った。

「天化が、わしが休みたいだけだろう?と、からかっておったが……それ

が一番正しいかもしれぬ」

「師叔……?」

「わしは…迷っておるのだ。最後の戦いに向かうことに。殷と周が戦って

…金鰲と崑崙が戦って…そして、わしの手で、多くの金鰲の妖怪仙人を封

神することに……」

「…………」

「恥ずかしい話だが……、以前は迷わなかった。人間さえ救えるなら、妖

怪仙人など殺してもかまわぬと、思っていた。わしは……家族を殺した妲

己たちを憎んでいて……そして……妖怪仙人は、皆、悪い奴だと思ってい

た……」

でも。

と、彼は楊ゼンを見つめて、微笑んだ。

「実は、ある時、一緒に歩いた仲間の中に、妖怪仙人がいて……気がつく

と、その者は、わしの中で、とても大切な存在になっていて……そした

ら、金鰲と戦うのが、ある日とても辛くなっていた」

「……師叔……?!」

「だが、おかげで、わしは……憎むことからずいぶん解放された。憎悪と

は、疲れるものだからのう……。その道士のおかげで、ずいぶん優しくな

れたのだ。

わしは残念ながら、その者の原形を見たことはないのだが……たぶん、ど

んな姿でも、わしは……わしの目には、とても美しく見えると思う……」

「…………師叔…………」

「わしは…いつか彼が、自分の口から打ち明けてくれるのを、待っておる

のだ。もし、万一その道士が仲間にバレることを悩んでいるのなら……わ

しは思っている。

いっそのこと、自他ともに認める崑崙の最強道士になってしまえばよいで

はないか、と。そしたら、誰も軽蔑など、したくともできまい?」

「師叔!!……僕は……僕…は……!」

太公望が笑った。

「なにを……おぬしが泣きそうな顔をしておる?……これも、例えばの話

だよ」

……例えばの、話だよ……。

そう言って、太公望は微笑んだ。

「僕は……ここにいても……あなたのそばにいても……いいのでしょう

か?」

「楊ゼン……」

その手をとって、太公望は、自分の頬に押し当てた。

「師叔……?」

「おぬしがいたから、ここまで来れた…」

互いの温もりが、伝わりあう。

「僕は……あなたがいたから、崑崙道士であることに、迷いませんでし

た。封神計画も……」

太公望の手が、楊ゼンの手を、頬から首へ、首から胸へと、己の肌に導い

た。

「今夜はもう……宿営地に戻る気がしない……。抱いてくれぬか?楊ゼン

……」

「珍しいですね……。あなたから誘ってくださるなんて……」

「今夜はのう……特別サービスだ。おぬしが落ち込んでおるから……」

照れたように、澄んだ瞳が笑った。

どんな楊ゼンを映しても変わらない、大きな、美しい瞳。

まぶたに、楊ゼンはそっと、くちづけた。









「……………あッ……」

まだ少年のような、細い声が、周囲の闇に吸い込まれる。なめらかな白い

肌に手を滑らせ、楊ゼンは、淡いピンクの突起を指でつまんだ。

「…………っ……」

震える快感が、太公望の体を通し、楊ゼンにも伝わる。しなやかな肉体に

舌を這わせ、指でさぐると、太公望自身にぶつかった。

「うッ……あぁ……はぁッ……」

巧みに、基部から扱き、徐々に先へ追い上げて、最後に亀頭をキュッと絞

る。

「ん……ッ……」

二三度、腰が上下して、太公望の腕が、楊ゼンをきつく抱きしめた。

「楊…ゼン…っ……!はや…く…入れ…!!」

激しい喘ぎが闇に散り、楊ゼンをせかす。

さっきから、もう十分な固さを持った楊ゼンが、太公望の中に誘われる。

「……う……っ……ん…んッ……ああッ…アッアッアッ…」

仰け反った、太公望の唇から、突き上げられる声が漏れた。女に挿入する

のとは違う短い往復に合わせて、嬌声が続く。

若々しい体に似合う、激しい営みが、幾度ととなく繰り返される。

と、つい疎かになった楊ゼンの右手を握り、太公望は自分のものに押し当

てた。

「楊ゼン!一緒に……いこう……」

「一緒に……?」

「……ああ」

「一緒に……?ずっと……?」

「………ああ!」

「これからも……ずっと……?」

「…………ああ!!」

「この先……どんなことになっても!!」

「もちろんだ……!!」

楊ゼンの手が、太公望を握った。

感覚が一つになり、楊ゼンは今、ようやく本当に、全身で感じた。

二人でいることの安堵を。

その幸福に温められて、ずっと感じ続けていた不安が溶けてゆく気がし

た。

「師…叔……っ……僕も……!!」

抱いているけど、抱かれている。

同じ生を共有している。

それが人間と人間以外の者であっても。

柔らかい自然の褥が二人を包み、夜の霧が絹のようなベールをかける。

その夜は、暖かだった。









仙界に帰る途中で、太乙は何度も玉鼎をからかった。

「ほらね、取り越し苦労だったでしょう?」

むっつりと、玉鼎は押し黙っている。

「弟子といったって、もう十分大人なんだから……」

「おまえがそれを言うのか?太乙……」

「だって、ナタクはまだ子供ですよ。いくつだと思ってるんです?」

「だが、楊ゼンだって……」

言いかけて、玉鼎は、苦笑した。

「たしかにな。だが、親にとっては、いくつになっても可愛い子供でいて

欲しいものだよ」

「そうですね……。それに、子供たちには、まだ知らせたくないこともあ

る……」

「太公望の考えている良い人間界を作る計画には、それだけでなく…もっ

と他の思惑も隠れている……というようなことも?」

「…………。そうですね。でも、結局、戦いの質と結果を決めるのは、あ

の子たちなのかもしれません」

「うむ……」

頷いた玉鼎は、太乙とともに乾元山へと戻ってきた。

「まあ、さっきのお茶の続きでも。近頃あまり会えませんでしたから

ねぇ。封神計画が始まって以来……」

太乙が微笑む。久しぶりに道士時代の呑気な生活を思い出して、玉鼎もう

なずいた。










翌日の正午近くなって、ようやく太公望と楊ゼンが戻ってきた。

もうすぐ、周軍の宿営地が見えてくる。

「皆……心配しているかのう……?」

先に立って歩きながら太公望が、のんびりと言った。

ええ。

と苦笑した楊ゼンに、彼は、そのままの口調で、ふと言った。

「わしは……ずっと迷ってきた。……いろんな事を」

「師叔?」

「この戦いが終わって……もし生きていたら、仙道をやめて人間に戻ろう

とも考えた……」

びくっと、楊ゼンの肩が揺れた。

「しかしのう……先のことは、やはりわからぬ。だが今は、これだけは決

めている。どんなことをしてでも、戦いには勝つ。

どれだけ犠牲を出そうとも……。

それでも…ついてきてくれるか?わしを、助けてくれるか?わしは…おぬ

しとは………最期まで一緒にいたいのだ」

「師叔……」

泣き笑いのような楊ゼンの顔が、ようやくいつもの自信をのぞかせた。

「あなたが死ねと命じるなら、僕はいつでも死ねますよ」

「バカモノ!おぬしは死んではいかん」

「努力します。……一緒に生きましょう。昨日の約束通り……」

「うむ」

微笑んだ太公望の手が、楊ゼンの手を握る。そのまま、二人は陽光の中を

歩いてゆく。どこまでも、そうして行くように。

「おお、そういえば……楊ゼン」

「はい?」

「一つ、正直に言う。あの趙公明のバクダンだがの……わしは……本当に

わからなかったのだよ。本物なのか、それともハッタリなのか……」

楊ゼンの笑顔が解放された喜びに溢れ、春の陽射しのように穏やかに息づ

いて輝く。

前方には、宿営地が見えていた。

そして、次々に走り出てくる、天化や武成王たちの姿も見えだして……。











禁城に戻った趙公明は、上機嫌でくつろいでいた。

「ああ妲己、すばらしい発想が浮かんだよ」

「あら……趙公明ちゃん、もうお帰りだったの?」

「もしかしたら、僕は長年の念願を果たせるかもしれない」

「長年の……念願?」

「美しく咲いた花を、いかに美しく散らすか、さ。最高に僕らしく!最高

に妖怪らしく!!……最高に美しく花を咲かせて!そして散らす!!それ

にふさわしい相手をみつけたかもしれないのだよ」

「……………趙公明ちゃん……」

「太公望くんの最終テストがまだだったが、それは直前でいいだろう。あ

あ、それから……対戦ドラマのほうだが、テーマは、『愛』。やはりこれ

しかないね。キャスティングも済んだ。それで、きみに少々協力して欲し

いことがあるのだが……」

◆END◆