やけに明るい夜だった。

  こうこうと光る大きな月が、地上をあまねく照らし出している。その蒼白い光の下。荒涼とした大地に、

  野営テントの群れが死んだ街並みのように、しんと静まり返っていた。

  殷の都・朝歌に向けて進軍する周の軍隊、約十万。

  皆、昼の行軍で疲れ、眠りこけている。

  (こんな所を妲己に急襲されたらひとたまりもなかろうに)

  楊ゼンは少し離れた小高い丘に立ち、不安というよりむしろ苛立だしい気分になりながら、それらを

  眺めていた。

  (火も焚かず、見張りも立てず。無防備すぎる)

  しかし、軍師である太公望例によってふざけた態度で、ふにゃふにゃ笑いながら

  (今宵は心配いらぬ)

  と言っただけだ。

  (師叔は何を考えているのやら)

   楊ゼンは自慢の三尖刀を握り、せめて自分だけでもと、神経質な視線を四方に配る。万一の場合、

  たとえ何が起ころうと師叔だけは守らねばならない。

   太公望と姫発に率いられた周の軍隊は、殷の関所を既に3つ、背にしていた。もうかなり殷の奥に進ん

  だ今、いつどこに伏兵があってもおかしくはないのだ。なのに、太公望は以前に増して呑気だった。

  (王太子・殷郊を手にかけてから、やはり師叔は変だ)

  もう、目くらましな表面にごまかされないほど、楊ゼンは太公望を信じている。

  だからこそ、いつもと全く変わりない平静な太公望に不安を感じた。

  (また無理している)

  一度助けた太子を、改めて殺さねばならなかった苦痛。仙道だけでなく、ついに多くの人間を死傷させて

  しまった後悔。それらに無関心でいるには、師叔の心はまだまだ人間的でありすぎる。

  だったら、なぜ自分に打ち明けてくれないのか。

  楊ゼンは、いつも己の痛みを決して見せようとしない太公望に、怒りに似たはがゆさを感じ続けていた。

  誰よりも近くで守っていたいのに、誰より遠い気がする。

  誰よりも近付いたはずなのに、気が付くと、そばにいない。

  (でも武吉や四不象なら何か知っているんだろうか?あるいは同僚の太乙真人さまや師である

  元始天尊さまには相談しているのだろうか?僕の知らない間に……)

  不意に、胸を引き絞られるような嫉妬にかられ、楊ゼンは大きく息を吐いた。

  (僕もまだまだ功夫が足りないからなぁ)

  彼にしては珍しく自己嫌悪を感じて、一見華奢な、しかし近付くと案外しっかりしている肩を

  すくめかける。

  と、その時。

  ふと、陣営から離れてゆく一人の人影を見付けた。

  (師叔?)

  月明かりに浮かんだ小さな後ろ姿。間違えるはずもない。確かに道服をきっちり着込んだ太公望。

  (こんな夜更けに、どこへ行くんだろう?)

  急に戦慄のような恐怖を覚え、彼は思わず駆け出した。どういうわけか、すべてに背を向けた太公望が

  どこか遠くへ、たった独りで行ってしまいそうな気がして。






   太公望は一人で歩き続ける。その後を、少し離れて楊ゼンが歩く。霊獣にも乗らず、供も連れず、

  ただ黙々と歩いてゆく師叔を、彼はあまり見たことがない。

  昼の寝トボケた明るさを目にしているから、余計、不吉な気がする。

  けれど、追いついて行き先を確かめるのは、何かためらわれた。美しい頬を強張らせながら、楊ゼンは

  黙って後をつける。

   不意に、前を歩いたままの太公望が、口を開いた。

  「おぬし、いつまでついてくる?」

  妙に低く、威圧的な声。たまに太公望は、そんな声を出す。優等生で他人に誉められることはあっても

  怒鳴られたことなどない、拒絶することはあっても拒絶されることに慣れていない。こんな楊ゼンは、

  その度にうろたえる。しかし、それを気取られぬよう無理に自分を落ち着かせ、精一杯大人びた口調で

  彼は言った。

  「あなたこそ、いったいどちらへ」

  「散歩」

  追いついて肩を並べた彼をチラリと横目で見ながら太公望が答える。もういつもの声に戻っていた。

  「軍師が夜中に一人で出かけるなんて軍規に違反します」

  「だが、わしもたまには散歩したいからのう」

  相変わらず、ふざけた顔つきで冗談とも本気ともつかぬ言い方をする。

  と、いきなり走り出した。

  「待って下さい師叔!」

  「おぬしは帰っておれ!わしは、ちと一人でジョギングしたくなったのでのう!」

  「ジョギング?道徳真君さまでもあるまいし!」

  ひょろひょろと、とらえどころのない動きで太公望が前を走る。

  (まるで軟体動物だ)

  そのくせ早い。闇に見失いそうな気がして 楊ゼンは彼らしくもなく慌てている。

  「師叔!」

  ふっと、前を行く姿が消えた。

  「!」

  一瞬、取り返しのつかない焦りを感じた楊ゼンは、しかし、すぐに気付いて立ち止まる。半ば呆れた声で、

  彼は足元の短い草むらを見下ろした。

  「大丈夫ですか?道士のくせに、こんな所で転ばないで下さいよ」

  「うむ。しかし、どーも、片腕がないと走りにくくてのう」

  「大丈夫ですか?」

  今度は気遣った声で助け起こす。意外にも、太公望は蒼ざめた唇で、ぜえぜえ息を切らしてた。

  まだ、つい最近なのだ。太公望は、太子・殷郊を倒すために左腕を失くした。仙道としての力も

  使い果たし、今のところ回復の見込みがない。なのに、接する相手にそれを忘れさせる技を心得ている。

  今更思い出し、楊ゼンの声がしおれた。

  「すみません。まだ痛みますか?」

  「いや。体の痛みなど仙人界の薬ですぐ癒える。所詮、そんなことはたいしたことではないよ。

  そんなことは、のう」

  まだ息を弾ませながら、改めて太公望が歩き出す。その背が、ひどく疲れているような気がして、

  せめて失くした腕になれるよう、楊ゼンがそっと左側立つ。

  「で、どこへ行くんです?」

  「さあのう。散歩だからのう」

  「では、お供します」

  「いらぬ。おぬしは帰っておれ」

  久しぶりに聞く凛とした声。ギクリとしたが、今夜はどうにも引きたくない。いや、引けないのだ。

  この生殺しのような距離感が、楊ゼンにはもう耐えられない。だけでなく、今引いてしまったら

  二度目はない気がした。不思議に頼りない今夜の太公望のせいかもしれない。いつも明るい陽の下で、

  もっと厚みのあるはずの師叔が、不安なほどか細く見える。彼は居直りを決めた。

  「嫌です」

  「また、おぬしの『イヤです』か?」

  この天才道士特有の真っ直ぐな抵抗を返され、太公望はからかうように少し笑った。こうなると

  テコでも動かない。

  「いったい師叔は何を悩んでいるのですか?」

  「わしは何も悩んでなどおらぬよ」

  「嘘をつかないで下さい」

  「嘘などついておらぬ」

  「それが嘘です」

  「だから違うというに」

  突然、楊ゼンの語気が変わった。

  「太公望師叔!」

  「なんだ?でかい声を出すでない」

  「誰についてもいい。でも僕にだけは_僕の前でだけは決して嘘をつかないで下さい!」

  呆気にとられた顔で、太公望がキョトンと見つめた。いつもすました自信をけらかす、冷静と美しさが

  取り柄の男が、静かなまま激昂している。しかし何を思ってか、太公望はますますとぼけた顔をした。

  「楊ゼン、おぬし何を言っておるのだ」

  「何をですって?わからないんですか?」

  いつも他人を謀る彼が、自分を見つめる視線にはうといのか。それともやはり知ったうえで

  尚はぐらかしてしまうのか。

  楊ゼンはたまりかねて、とうとう我慢しきれなくなった子供のように一気にまくしたてた。

  「いいですか?太公望師叔!僕は自他ともに認める天才です。十二仙だって宝貝がなければ、

  ただ長生きなだけの人間にすぎないでも僕は、宝貝などなくても戦える。

  だから封神計画のことを聞いた時も、絶対に僕に任されるハズだと思っていました。

  それなのに………あなたが僕を手伝うならともかく、僕があなたを手伝うようにと、元始天尊さまは

  おっしゃった。僕が初めて感じた屈辱です。

  でも僕はあなたになんか負けるはずないと思っていた。なのに、すっかりあしらわれて。

  だからあなたには僕のプライドを、さんざんにした責任をとる義務があるんです!」

  「相変わらず……」

  太公望は呆気にとられたまま、聞いている。

  「率直すぎて恥ずかしいのう。しかも最後のほうは味がよくわからぬ」

  「だったら説明いたします」

  勢いとはいえ、ここまできたら、もう行けるところまで行くしかない。楊ゼンはあっさり意地を捨てた。

  けれど本来思ったことは何でもはばかりなく口にする彼である。欲しいものを手に入れるための

  赤裸々な告白など苦ではなかった。多分こうしなければ太公望は応えてくれない。

  真実の言葉でなければ真実を返してくれない。

  「僕は少し前まで自分に出来ぬことなど何一つないと思っていました」

  「幸せな奴だのう」

  「だから、僕には他人を試す資格があると。僕は自分が認めた人間の下でし働きません。

  それは、能力というものを高く評価しているからです。

  そして、僕が僕の能力をとても高く評価しているからです」

  「つまりおぬしが他人を認めるといっても、結局は、そのおぬしも持っているという大切な能力

  とやらを認めるだけではないか。それは、自分で自分に敬意を払っているにすぎぬ」

  冷めた態度で、太公望が突き放す。やはり、彼はよく見抜いている。だから最初、自分は嫌われた。

  楊ゼンにもそれはわかっている。しかし今はもう、あの頃とは違う。

  そのことを、師叔も気付いているはずだ。

  気付いているはずだ?

  わからないから言葉を続けた。

  「僕は仙人の資格を持っていますが弟子を取りません。大切な僕の時間を弟子ごときのために使いた

  くないからです」

  「そうであろう。おぬしが愛しているのはおぬし自身だけだ」

  「だから、ここまで強くなりました。天才と呼ばれるまでに。でも__あなたに負けてしまった。無論、

  智謀では到底かなわない。そう思ったから僕は__あなたの剣になると決めたんです」

  「能力主義のおぬしらしいではないか。わしにも好都合だがのう」

  「でも僕は聞仲にすら完敗で……あなたのお役に立てなかった。それがとても苦しくて。

  僕はあなたに逢って変わりました。いえ……変えられてしまいました。この僕がです。

  聞いて下さい師叔。僕の尊大なプライドが悲鳴をあげているんです」

  「…………」

  「あなたの力になりたい者は大勢います。武吉くんも四不象もそうでしょう。

  いまや崑崙の問題児たちもすべてあなたに従うつもりです。みんな、あなたの力です」

  「楊ゼン……さっきからおぬし、なにが言いたいのだ」

  とうとうしびれを切らしたように太公望がため息をつく。知らぬ間に、二人はずいぶん歩いていた。

  遠くに何か黒々とした異様な建造物が見えている。太公望がそちらへ視を走らせた時、

  ひときわはっきり声が響いた。

  「僕は……僕は、師叔の一番になりたいんです!」

  情けないほど真摯な声。羞恥にうるんだ瞳を隠すように逸らしながら、美貌の天才道士が

  懸命に言っている。

  「誰も知らないあなたを……僕だけが知りたいのです」

  しばらく、太公望は黙っていた。さくさくと、二人の足音だけが静かな夜を震わせている。

  永遠に近い時間が過ぎたと、楊ゼンが感じた時、

  「………おかしなことを言う奴よのう」

  中途半端に困ったような、それでいて本気で戸惑っているような声が返ってくる。暗がりに伏せた

  太公望の表情は読ない。黙って彼は歩き続ける。けれどもう、ついてくるな、とは言わなかった。






  「ここ……ですか?初めからここへ来るつもりで?」

  楊ゼンはそれを振り仰いで怪訝な顔をした。

  巨大なドームがそびえている。お椀を伏せたようなその建造物は古くて壮大で、しかも、

  そっけなかった。

  「殷王家の墓………ですね。そうか。だからこの近辺で戦闘は起こらないと?」

  「うむ。殷は祖先と宗教を恐れる民族だからのう。いくら妲己でもあえてここで面倒は起こすまい。

  あやつの人心を操る術も相当かかりが悪くなってきておるようだしな」

  「でもなぜ師叔がこに?」

  太公望は答えない。その時、ハタと楊ゼンは思い当たった。以前、聞いたことがあったのだ。

  (ここに、師叔の大切な人々が今も奴隷として眠っている)

  「お墓参り……ですか?」

  「そうだのう。そうともいえるのう……」

  またしても読めない言葉で、太公望があいまいな相槌を打つ。ストレートな楊ゼンにはそれが

  恐ろしく苦痛だ。とうとう耐えられなくなって問い詰めようとした時。

  すぐ耳元で独り言のような声が聞こえた。

  「殷郊は……何を守ろうとしていたのか……」

  「師叔……?」

  「あやつは殷のために我々と戦うと言った。が、ただ純粋にすべての民の暮らしを思うなら、

  周と争い血を流す理由などなかったのだ。あらゆる人間が国境を越えて同じ人であると思っている

  のなら。おそらく殷郊が命を懸けたのは……」

  殷の心。

  殷という国をつくった一つの民族の誇り。

  では、誇りとは? 

  すなわち自分達だけが『人間』であると考える、単純で純粋すぎるエリート意識。

  彼らにとって他民族は家畜以下だ。狩りの得物だ。時々捕獲しては、奴隷として飼い殺すか、葬送の

  儀式として墳墓に生き埋める。

  人間が人間を家畜以下として扱う世。

  だがそうやって、どの民族も生てきた。たまたま殷が、この時代の覇者であったにすぎない。

  「わしは……わからなくなったのかもしれぬ」

  月の光さえ吸い込む、闇よりももっと暗い墓標を見上げ、太公望が自嘲じみた声でつぶやいた。

  「のう、楊ゼン。わしは……おぬしらが思っているより、もっとずっと単純な男なのだ」

  「単純?どんな人間も_仙道をも謀殺できるあなたが?」

  楊ゼンの隣で、小さな笑い声が、ため息とともに漏れた。

  「わしが元始天尊さまに連れられ仙道の世界へ来たのは十二の時。はじめて崑崙に登った頃は毎晩

  夢を見た。そこではいつも、わしの村が燃えておるわしの羊も家も人も焼かれて……生き残った者は

  殷の軍隊に連れ去られる。そして父上も母上も……兄様も妹も……羌族の仲間すべてが、殷王家の為に、

  ここへ生き埋めにされる。そのすべてを、子供のわしが、ただ何もできずにじっと見ている。

  あまりに恐ろしくて悲しくて悔しくて涙も声も出ぬ。毎夜……毎夜……。だから……」

  と、太公望は言った。その手が小刻みに震えていた。

  「わしは……初めは復讐するために道士になったのだ。異民族の捕獲を指図した殷の仙女を殺すために

  修行した。悪い仙道さえ追い払えば、この世は平和になるのだと思って……」

  物音一つしない静かな墓地に、太公望の声だけが吸い込まれてゆく。月の光を背にしてそこだけ

  切り取られたように真っ黒い人影がふと楊ゼンを振り返った。

  「人は土地を持つと変わってしまう。そう、昔、父上が言っていた」

  「変わる?」

  「良い土地を持つ者だけが栄え、富を集め、そして弱い者を支配するようになる」

  「農耕をすると収穫の違いで貧富の差がでる、ということですか?」

  「そうだ。そして最も強い者が王となり、都をつくり、国をつくり、そして世界を支配しようとする」

  だから、羌族は農耕をしない。羊を飼い広大な地上すべてを郷とし、流浪する。

  みんなが平等であるために。みんなが幸せであるように。

  「わしは……禁城の朱は好かぬ。あれは血の色だ」

  殷王朝の権力の証。朝歌にそびえる王宮の赤い柱は、他民族の血を吸って立っている。

  だが、その柱を、過去には何度も羌族が破壊した。三百年前に聞仲が泣いた日も。

  この世がすべてそうなのだ。

  人という生き物がそうなのだ。

  何をしても無駄だ。あの惨劇の日、羌族の死体と瓦礫の中で誰かがそう言った。

  確かに妲己は悪い。だが、本当にそれだけだろうか?仙道がいなくなっても、殷が周に変わっても、

  結局この世何一つ変わらぬのではないか?

  「それでも今は……妲己を倒さねばなりません」

  「そうだ。わかっておる。わかってはおるのだが……」

  月明かりに、道服の肩が揺れる。声を殺して、太公望は泣いているのかもしれなかった。ここに眠る

  父母や兄のもとへ、たった独りで泣きに来たのかもしれなかった。

  誰にも見せない迷いの為に。

  「師叔……」

  楊ゼンの長い指が、その頬に触れた。

   太公望は、いつも守るべき誰かのために傷ついている。その姿が己のことしか考えなかった楊ゼンを

  変えた。しかし誰にも本心を明かさない師叔は、本当は誰よりも孤独のかもしれない。

  「なぜ僕に、こんな話を?」

  「おぬしが……聞きたがったからであろう?わしだけの秘密を……」

  少し、彼は笑っていた。痛々しいような笑みが楊ゼンをやわらかく責めている。とたんに、手に入れた

  喜びと無理に暴いてしまった罪悪感が同時に楊ゼンを苛んだ。

  「僕は……僕は……どうすればいいのでしょう?」

  「さあのう……。天才は自分で考えなくてはいかん」

   添えた指に力を入れ、楊ゼンは目の前の体を引き寄せる。軽い息遣いが、互いに交じり合うほど近くで

  聞こえた。そのまま指をすべらせ、かみしめられた唇に触れると、首筋手を回し、黙って口付ける。

  舌をからめ、太公望の苦渋を自分の体に流そうとでもするように吸っていた。

  「…………それが_おぬしの答えか?」

  「そうだと言ったら?」

  「ここでは……ちと不謹慎ではないかのう」

  「では、あなたの御家族と殷王家。ともども公認ということにしてもらいます」

  ふっと太公望が笑った。

  それは、楊ゼンも、おそらく誰一人として見たことのない、不思議に素直な微笑みだった。

  「それも、よかろう」







  月明かりの下で睦み合う姿が、影絵のように映る。

   楊ゼンが太公望のものを口に含むと、白い頬がのけぞって軽い髪が振り乱れた。楊ゼンは口一杯に

  頬張り、舌で基部から念入りに舐め上げる。その度に太公望の腰がずりあがり、反った喉から

  苦悶のような声が漏れた。

   太公望の不規則な荒い呼吸が楊ゼンの頭上に降ってくる。舌で強く吸うたび白い内股が震え、

  くわえられたものがびくびく動く。額に密着した太公望のなめらかな下腹が激しく上下し、二、三度

  腰を振ったかと思うと、白濁した液が勢いよく楊ゼンの口中に溢れた。

   ただ何も考えない。情事だけの時間。

  けれど太公望の頬には、安らぎに似た仄かな微笑が浮かんでいた。

   楊ゼンはそのままもう一基部から頬張り、念入りに舌先で探るように舐め、溝をなぞりながら、

  唾液と体液で濡れた指を双丘に這わせる。秘所を押さえ中に指を入れると、股間がびくんと

  引き締まった。思わず腰を浮かせた太公望の、道服の肩が脱げおちる。

  露になった肌に、蒼い月を反射して汗の粒が仄かに光っていた。

  ………今だけは、どんな苦悩も忘れて欲しい………

   楊ゼンのものが深々と太公望を貫く。腰を動かしながら楊ゼンは太公望の乳首を細い指でつまみ

  軽く揺らした。同時に空いた手で二つの袋だけを擦りあわせるように揉む。わざと、勃ったものには

  触れずに、ただ奥からき上げ、周囲だけを刺激する。

  「………ッ……う……アッ……」

  あまりにももどかしい快感が、まるで拷問のようにいつまでも続いている。耐え切れず、

  太公望は無意識に片手を伸ばし、暗い空間をつかんだ。

  「楊ゼン……楊ゼン!……もう………」

  「まだ……。まだです師叔。まだ……いかせない」

  …………ずっと、このままで…………

  そう願った楊ゼンの美しい唇が、冴えた月を映していた。






  地平線が白み始めている。

  「久しぶりに頭が真っ白になってのう__気持ちが良かった」

  まだ寝転んだまま太公望が笑った。身繕いをしながら楊ゼンがふと思いいて口にする。

  「でも……この戦いが無事終わったら、師叔も仙人界へ帰るのでしょう?」

  答えはすぐにない。しばらくして口元に笑みを残す声が返った。

  「おぬしは……そうするがよい。他の仲間と共にのう……」

  聞き違えた?と楊ゼンが振向いた時、橙色の光が視界を遮る。

  それは、透明な夜明けだった。

【蒼い夜のなかで……終】