翌朝早く、シバは、まだ眠たがっているソードを無理に起こした。城の敷地内に湧いて

いる天然の香湯に連れてゆき、まだ半分眠ったようにぼんやりしている体を、髪はもち

ろん爪の間まできれいに洗ってやる。それから部屋に戻って魔力で瞬時に乾かすと、

ソードを椅子に座らせたまま、髪を丁寧にくしけずり、薄く化粧をさせた。

その後、自分もきっちり正装したシバ・ガーランドは、ソードにも同じような装束をみ

つくろって着付けを始める。鏡の中で刻々変わってゆく自分の姿を眺めて、ソードはな

んだか信じられない顔をしていたが、すっかり済んでしまうと、ようやくそこで目が覚

めたように「へぇ?」と笑った。

美しい漆黒の髪を長くなびかせ、光る甲冑を身にまとい、背に重厚なマントを翻した自

分は、どこの上級悪魔かと見違える。

「馬子にも衣装だな」

と言ってシバはからかったが、実際、かなり見栄えのする美しい戦士に仕上がってい

た。

「へへっもとがイカスからな!」

どこも同じような形でそびえる魔界の砦の一つを前に、シバの隣を歩きながら、ソード

はどことなく、はしゃいでいる。こんな上等な格好をしたのも初めてなら、シバの職場

を覗きに行くのも初めてだった。そのシバは、いつもの几帳面な三つ編みを解き、スト

レートの長い金茶色の髪を黒いブーツの踵まで流している。2人並ぶと、強大な魔力を

まとった上流貴族の肖像画のようで、荘厳かつ、美々しい。辺りにいた魔族の女達はタ

メ息とともに見送り、男達は慌てふためいて身を隠した。

厳めしい門の前まで来ると、そこを守っている屈強な魔族たちが、皆一斉に背筋をのば

し、緊張した面持で敬礼する。シバが軽くうなずくと、一番奥にいた、そこの長らしき

悪魔が自ら重い門を開き、他の悪魔は全員その場に片ひざをついた。

「……………なんかよぉ……」

「どうした?」

「妙〜な感じだぜ」

シバに連れられ、面喰らった顔でソードは砦の奥へと進んだ。いつもなら、まっさきに

バカにしてケンカを売ってくるハズの強靱な悪魔たちが、どれもこれも、真っ青な顔で

拝礼したまま迎えてくれる。こんな扱いを、ソードは今まで受けたことがない。

執務をとる広間に入ると、壁の両側にずらりと並んだ魔族たちが、そろって恭しく頭を

下げた。

その中の最も美しく仰々しい装飾をつけた一人の若い悪魔が、シバの前に進み出る。彼

は、まずこの砦の統括者に礼をとり、それからソードに会釈すると、

「シバ様………そちらの方は?」

と聞いた。

「ああ…彼は……」

言いかけたシバに、すかさず壁に並んだの悪魔の一人が小賢しげに口をはさんだ。

「察するにシバ様の新しい部下……まぁ側近でございましょう?」

何か言い返そうとしたソードを片手で制して、シバは続けた。

「いや違う。部下ではない。彼は、私の……」

好奇の視線が集中している。いったい何を言い出すつもりかと、ソードは、つい頬を赤

らめて隣を窺った。

(こいつ……まさか…ここであのことバラすつもりじゃねーだろーな)

いつもシバに抱かれている光景を自分で思い出し、柄にもなく心臓が跳ねている。しか

し、そんな心配をよそに、この背の高い、美しい権力者は少し微笑みながら周囲を見回

して、こう言った。

「彼は、悪魔ソード。私の、最も大切な……ただ一人の親友だ」

たった一人の……『親友』。

その聞き慣れない言葉に、魔族達は動揺と畏敬の念をこめて、どっとざわめいた。

お互いを尊敬しあい、高め合い、時にライバルであり、時に最高の理解者でもある、対

等で、特別な存在……。

そんな言葉も関係も、概念すら、魔界にはほとんどあり得ない。

服従、隷属……。力の弱い者が弱いがゆえに、強者に従う。

そのことほうが、魔界ではどれだけ自然だろう。天界との戦いに備えて、魔王サタン

は、軍規と階級を定め、特に上級魔族同士の私闘を固く禁じていたが、放っておけば、

各砦の支配者である将軍同士ですら互いに相手を従わせようと殺し合うに違いない。

シバ・ガーランドに、『親友』などという天界と人間界でしかめったに使われない言葉

で紹介された悪魔を、彼らが好奇と恐れで見上げたのは当然だった。言われたソードで

すら、少々戸惑っている。

親友どころか、天界が、崇高な「精神愛」と比べて「下等な愛」と呼んで忌み嫌ってい

る肉体関係で結ばれた愛さえも、この魔界では無いも同然なのだ。

(そーいやシバのやつ……他につき合ってる悪魔もいねーんだよな〜〜。どっかで遊ん

でるって感じでもねぇし)

乱交が当たり前の魔界で、たった一人だけを毎晩抱くこと自体、妙な話だ。しかも、自

分の欲望のためというよりはむしろ、ソードの欲求を優先して満たすように上手く愛撫

してくれる……魔界ではちょっと信じがたい関係だった。

最初から、ソードはこの男との行為に抵抗を感じたことはほとんどない。シバに抱かれ

るのは、気分がいいから好きだった。そうでなければ、この自分が、いつも自ら身体を

任せるはずがない。

(それにしたって………)

急に、そんな言い方で他の悪魔たちに自分を曝した、シバの意図がつかめない。

(昨日の夜のことで、なんか、気が変わったのかな……?)

昨夜、自分を子供扱いしているとからんだことで、何か思うところがあったのかと考え

てみたが、相変わらず冷静なシバの頬は、こんな時の彼には難しすぎて、よくわからな

い。

(けど………)

親友、という思ってもみない高度に精神的な発言に、ソードは少しシバを見損なってい

たようで、なんとなく顔が赤らんだ。

それにくらべたら、自分のほうが、よほど感覚的でいい加減なのかもしれない。気持ち

がイイからそばにいる。ソードにとって、シバ・ガーランドは[もしかすると、それが

彼にとっての最高の理屈なのかもしれないが]あくまで小難しい理屈抜きの存在だっ

た。

「さて……昨日までの報告を聞こう」

シバは、ソードを連れたまま、大広間の最奥、最も高い場所にある支配者の椅子に落ち

着くと「お……おい、オレはどーすんだよ?!」と少し慌てているソードを椅子の傍ら

に引き止めて「おまえはここにいろ」とささやいた。

(こいつ……なに考えてやがんだ……)

落ち着き払った「親友」の横顔に、昨日の夜からなんだかやっぱり読み切れないものを

感じて、ソードは少し不安になっている。もしかすると、見透かされているのは自分だ

けで、自分はシバの何分の一もわかっていないのかもしれない。

シバは隣にソードを立たせたまま、各持ち場の悪魔たちから簡単な報告を受け、テキパ

キと新しい指示を出している。その間、退屈なソードは椅子の肘に手をついたり尻を半

分だけ乗せてみたり、背もたれの上部を抱えるようにしてその上に顔を乗せてみたりし

ていたが、その落ち着きのない甘えた様子が、他の悪魔たちにしてみればいっそう脅威

で、彼らは終始チラチラとソードの方を伺いつつ、シバの命令を聞いていた。けれど、

(………。なんかな〜……)

それを高座から見下ろすソードは、内心、斬新で複雑な戸惑いを覚えて混乱している。

こんなに高い場所から、こんなに大勢の悪魔が怯える顔を、今まで見たことがない。誰

も彼もが恐れ敬い、ひれふする。しかしこれがシバ・ガーランドのいつもの視点なの

だ。この砦には、隅々までもシバの絶大な魔力が満ちており、やってくる者達を威圧す

る。

(ちくしょう……)

不意に奇妙な悔しさが突き上げて、ソードは牙をギリリと鳴らした。

(たく……なんだよ。シバの奴…偉そうにしやがって……)

そういえば……。とソードは思い出したくもないことを思い出して、いっそう不愉快に

なっている。

(これってよ〜オレの居る砦でいったら、ソドムの野郎と同じ立場なんだよな………)

あんな下衆野郎と……と思うと、意味なく腹が立つ。

(けッ……だいたい、オレがここにいる必要なんてねーじゃねぇかよ!なんだって急に

オレを連れてこよーなんて気になったんだ?)

朝とは逆に、唐突に不機嫌になったソードが「オレは先に帰る」と言いかけたとき、

「…………?……」

今までの武将たちが退出して、代わりに、別の集団が入ってきた。管轄内の将校ではな

く、女子供も含めた様々な出身、階級の魔族たちだ。彼らが延々と長い列を作って並ぶ

と、シバは高座を降り、一人一人、前から順番に話しかける。淡々とした顔は無表情に

近いが、瞳は穏やかだった。自分の番がくると、彼らは、各々訴えを述べている。いち

いちそれを取り上げながら、シバは、それぞれに応じた対処を与えているのだった。

(………………)

半ば呆然として、ソードはそれを眺めている。

(やっぱ………ソドムとは……違げーよな………)

というよりも、こんな奇特な上級魔族は、どこにもいないかもしれない。いまさらなが

ら、巡り会った不思議を感じて、ソードは前で揺れる長いライトブラウンの髪を見つめ

た。

(なんで………あいつ……)

あの日、ソドムの気分を害するとわかっていながら、自分を助けてくれたのだろう?上

級魔族でありながら、夜毎、下級魔族の自分を優しい腕で抱くのだろう?どうして……

こんな所に連れてきて、わざわざ「親友」などと言うのだろう?

すでにわかったと思っていたはずのことが、急にまたわからなくなった気がして、ソー

ドは、さっきからずっと惑い続けている。

その間も、列は短くなってゆき、とうとう最後の男がシバ・ガーランドの前に出た。

「?……なんか……怒ってんの?おまえ………?」

急にくるりと、長いマントをひるがえして椅子に戻ってきたシバを、ソードは怪訝な顔

で迎えた。それまで穏やかだった瞳が、キツく光っている。そこにいる悪魔が、何か気

に触ることでも言ったのかと、ソードは足許に控えている男の顔を見た。

「シバ様におかれましては、たいへん御機嫌麗しゅう……」

そう言い始めたのは、ぞっとするほど卑しい姿をした、低級悪魔だった。シバは椅子に

戻り、片足を組んで座ると、鋭い視線で男を見下ろした。

「挨拶はいい。用件を言え」

「実は…この度……このわたくしめに上級悪魔の位をいただきたく…」

はーん。なんだ、位ねだりか。という顔でソードは軽蔑した色を投げた。ソドムのとこ

ろにも、よくこんな輩が来ているのを見たことがある。普通は貢ぎ物の如何で、ある程

度の地位は買える。権力者の気に入れば、そこそこの階級を手にすることはできるもの

だ。

(へーえ……どこにでもいやがるんだな〜……。けど……)

シバならこんな時はどうするのだろうと、ソードは椅子の方をうかがった。椅子の主は

あいかわらず、鋭い、けれど淡々とした視線で相手を見下ろしている。

「上級魔族の位が欲しいとは……おまえは何か、特別な戦功でもあげたのか?」

「戦功ではありませんが………シバ様にお納めいただきたく、すばらしいものをお持ち

いたしました」

そう言うと、彼は、おもむろに、一対の魂と人間の頭部を差し出した。

(………けッ……この野郎、なんてもの持ち込みやがる)

それを見たソードも気分が悪くなるほど無惨な、殺される寸前の恐怖に歪んだ幼い少年

少女の首だった。

「これは人間の中でも稀なほど美しい双子の兄妹でして……見事な色の魂も一緒にお持

ちしてございます」

「貴様は……」

そう言ったシバの声は、ソードがこれまで耳にしたことがないほど冷たい響きを含んで

いた。

「この者たちと、何か魂の契約を結んでいたのか?」

「いいえ。これはもう、ただ、シバ様に受け取っていただこうと、わたくしめが苦労の

末に探し当て………」

「なるほど。ここで断わられたら、また無関係な人間を供物にして別の砦を回るのだろ

うな」

「は?」

「いや、おまえの申し出はよくわかった」

「そうですか、おわかりいただけましたか!!では、わたくしめに位を……」

醜い口もとを喜びにひきつらせた悪魔の前で、長く美しい指先が軽く一閃した。瞬間、

落雷のような光が、その男めがけて垂直に落ちてくる。醜い笑顔が、ぐしゃり、と潰れ

た。

「誰だ………?」

凍りついたように、しんとした広間に、シバの明らかに不機嫌な低い声が響いた。

「この男を砦に入れたのは誰か、と聞いている。……私はいつも、このような者をここ

へ通すなと言ってあるはずだ」

と、その言葉に刃向かうように、先刻、ソードを部下だろうと言った将校が一歩進み出

た。

「わたくしですよ。シバ様……。しかし、あなたも気短かなお方だ。なにも殺すことは

なかったのに。貢ぎ物を袖に入れ、代わりに官位をくれてやる。そんなのは、どの将軍

もやってることでしょう」

「………そうだな。で?貴様は?そこの悪魔に何を貰ったのだ?」

ソードの前では一度も見せたことのない酷薄な瞳で、シバは、足許に転がる死体と、目

の前の将校を見つめた。

「やはり、人間の魂のおこぼれか?代わりに、この者を陳情の列に加え私に引き会わせ

ると?」

「だとしても、あなたに、わたくしを裁く権限がおありですかね?」

いやらしい自信をひけらかし、最近将校に加わったばかりの、この上級魔族は、小狡い

卑屈な唇をめくって笑ったみせた。

「なにしろ、わたくしは……サタン様より遣わされた、あなたの目付け役……」

そんなもんがいたのかよ?という、ちょっと驚いた顔で、ソードが視線を走らせた時、

シバが別人のように冷酷な口許で微笑んだ。

(え……?)

ギクリとして、ソードは彼を見つめた。見慣れぬ解いた長髪が、余計に美しく恐ろし

く、見るものを凍りつかせる横顔に映えている。いつものシバからは想像もつかない

が、これが、シバ・ガーランドのもう一つの姿なのかもしれない。淡い微笑を浮かべた

顔に、ギラリと、真に悪魔らしい瞳が輝いた。

「そうだったな。各砦に最低2人は、貴様のような者がいる」

「ご理解いただければ、それでよろしいかと」

「では、残りの者に伝えてもらおうか。このシバ・ガーランドに監視をつけるなら、階

級や魔力だけでなく、もっと頭の良い魔族にしていただきたい、とな」

「それは……どういう?」

手入れの行き届いた、きれいな爪先の並ぶ形のよい指が、もう一度閃いた。

無粋な将校の顔が、その形のまま弧を描いて吹き飛ぶのを、ソードは、まっすぐに見つ

めている。その男も上級魔族であり、認めたくはないが今のソードではとても歯が立た

ない。しかしそれを遥かに上回る、圧倒的な魔力だった。血飛沫がびしゃりと硬い床に

叩き付けられ、悪魔の死体が二つになる。シバは無表情に戻り、辺りを見回すと、

「誰か…この人間の子供達の魂を…人間界に返して、体を葬ってやれ」

それだけ言って、立ち上がった。そのまま目で促され、ソードも一緒に広間を横切る。

そして2人は、もと来た扉を出た。





2人分の靴音が響いている。長い廊下を黙々と歩きながら、ふと、シバが、先刻から、

むっつり黙りこんでいるソードをチラリと見下ろした。

「疲れたか?」

「そーゆーわけじゃねーが……」

「疲れた顔をしているぞ?」

「フン」

黙って2人は、高い天井の下、木の根の張ったような仄暗い壁の囲む通路を、砦の出口

に向かって歩いている。前を向いたまま、ソードが珍しく吐息のようにつぶやいた。

「……おまえのこと一日中ずっと見て………考えてたら…なんだか、わかんねーことが

増えて………………くたびれた」

「では、ゆっくり考えるといい」

ソードが見上げると、いつもの優しい瞳が微笑んでいる。こんな笑顔を毎日見ていたの

は実は自分だけだった気がして、つい、動揺したまま視線をそらした。遠くに小さく、

外の光が見えている。



それからしばらくの間、シバは、ことあるごとにソードを連れ歩き、周囲の魔族たちに

「親友」を紹介した。

あのシバ・ガーランドが、美しい下級悪魔を大事に連れ回している。興味と驚嘆で、魔

界の噂はすぐに広がった。









「おもしろくねぇ………」

ブスっとした頬を、ぶくぶくと半分まで湯に沈めて、ソードはシバの城内にある広々と

した浴場につかっている。今も、シバと一緒に、招かれた上級悪魔の城から帰ったばか

りだ。ごつごつした大きな岩をいくつも積み上げて造った露天の浴室から見上げると、

ちょうど夜半の巨大な満月が頭の真上にある。その、どんなに手をのばしても届かな

い、大きく美しい月に向かって、ソードはおもいっきり悪態をついた。

「たく。シバがなんだってんだよ!バカヤロー!!」

叫び終わると、それを見計らったように、カサ……と耳元で軽い音が響いた。慣れた気

配が頭の後ろに立っている。

「ずいぶん、機嫌が悪いな」

「サイコーに悪ィぜ!!」

そのまま仰け反って、ソードは逆さまにシバを睨んだ。

部屋着に着替え、解いていた髪をきれいに三つ編みにしなおしたシバが、ソードの隣に

ある岩を踏んで立っている。形のよい唇が月の翳を反射して、冴えた光を含みながら微

笑んでいた。

「気に入らねぇ」

「何がだ?」

「服なんざ着込んでスカしてねーで、てめーも入れ!!」

濡れた手を岩の上にのばし、ソードは存外細い足首をつかまえると、湯の中に引きずり

こもうと力任せに引っ張った。

軽く笑ったシバが、どうやったものか、あっさりその手をはずして、ふわりと次の岩に

移動する。

「この〜………」

ますます腹が立って、ソードは湯の中から睨み上げた。シバはほとんど楽しげに笑って

いる。

「ソード……。そんなに…可愛い顔をするな」

「だっ……誰が可愛いだァ?!」

クス…と笑みを浮かべ、シバは自分でその場に着衣を落とすと、ソードの隣へ音も立て

ずに身を沈めた。淡い月に照らされて硬質な色を放つなめらかな冷たい肌が、一時的に

そこをとりまく湯の温度を下げている。

「う……」

ちょっとたじろいで、ソードは隣を見つめた。何度見ても、シバの身体は、ソードのそ

れより凛々しく美しい。バランスのとれた逞しさが、自分を圧倒するようで、並ぶとな

んだか気が引ける。身体だけではない。すべてにおいて、シバ・ガーランドは今の自分

に勝っているのだ。

「ちくしょう……おもしろくねー……」

もう一度、ソードはボソリとつぶやいた。

「だから、どうして、そんなに機嫌が悪いんだ?」

「てめーのせいなんだよ」

「だから、どうして私が気に入らないんだ」

「てめーのせいで、近頃さっぱり…誰もケンカを売ってこねぇ」

えぇ?という顔で、シバが見つめ返している。ソードはますます不機嫌にぶくぶく沈

み、目から上だけ出して隣の男を睨んだ。

シバ・ガーランドの「親友」。

この「肩書き」の効果は計り知れない。まず、その辺の低級魔族は全く彼に手を出そう

としなくなった。同じ下級魔族たちは、嫉妬と羨望の目で彼を見る。上級魔族たちは、

半ば屈辱的なイラつきを見せながらも、やはり、直接彼をどうこうしようとはしなかっ

た。

皆、怖れているのだ。彼を、ではなく、彼の後ろにいるシバ・ガーランドを。それがわ

かっているから、ソードはおもしろくない。こんなことなら、以前のように、正面から

バカにされケンカを売られるほうがまだマシだ。

「そうかな。……不要な生傷が減って良かっただろう?」

シバは相変わらず淡く笑ったまま、からかうようにソードを眺めている。

「よくねーよ!!実力でそうならなきゃ意味ねーだろーが!!これじゃまるで……」

「権力者の情婦が力を握るようなもの……か?私の女にされるのは、やはり嫌か」

「なんだと……?まさかてめー……そのためにわざわざオレを引っ張り回してるわけ

じゃねーだろーな?!」

「そうだと言ったら?」

「ナメんじゃねー!!」

ザブリと湯を撥ね上げ、いきなりソードが殴りかかった。湯煙と飛んだ飛沫が煙幕のよ

うになって相手の姿を隠す。けれど、シバはよけもせずに軽く片手を上げ、正確な寸止

めでソードの拳をつかんだ。

「く……」

全身が激痛で強ばるほど、きつく手首を握られてソードは屈辱と悔しさにギリギリと牙

を鳴らした。

「なんで……」

「うん?」

「なんで、てめぇ!!そんなに嬉しそうなんだよ?!オレが……こんなに頭にきてるっ

てのに……!!」

「そうか………私は嬉しそうか?」

「ふざけてんじゃねーぞ!!このヤロウ!!……………って……畜生!!」

苦笑しているシバを残った手でもう一度殴ろうとして、結局、両手を封じられてしまっ

たソードは、腹たちまぎれに、そのまま突進して体当たりついでに唇に噛みついた。

「痛……」

さすがに驚いて、シバがいつも冷静な瞳を大きく見開いている。間近の唇から流れた一

筋の血を、自分の舌で丁寧に舐めとって、ソードはやっと少し雪辱したように牙を見せ

てニッと笑った。

それを見返すシバの瞳が、いっそう楽しげに揺れている。

(こいつ……やっぱり喜んでやがる………)

なんだか、わけもわからず、またムカッときて、ソードはそのまま舌を割り込ませ、そ

こにあった同じものにからめて強く吸った。吸われた舌が、より強くからみかえす。と

ころが、そのとたん、急にソードの身体が、ビクッと怯えたように強ばった。

「ソード?」

いぶかしんでシバが唇を離すと、相変わらず、強気な視線が睨んでいる。けれど、舌を

差し入れると、やはりソードの身体がひるんで震えた。

「おまえ………」

「なんだよ?!」

「いや……」

シバはなんでもない顔で首を振った。しかし、やや気掛かりな視線で見つめている。

(やはり……変だな……)

ソード自身は、はっきり自覚していないのだが、シバに触れられると無意識に身体が怖

がって逃げる。最初に砦に連れていった日の夜からずっとそうだった。気付かぬフリを

して抱いていたが、どうも日を追うにつれて、だんだんそれがひどくなる。

(多分……)

とシバは思った。絶対的な力の格差をまのあたりにして、本能が恐怖で拒絶しているの

だ。

(こいつに言っても認めないだろうがな……)

今も、必死な瞳が睨んでいる。自分を惹いたその瞳に、彼は軽く口づけた。

黙って、シバはつかんでいたソードの手をはなすと、片手でそっと肩から背に腕を回

し、軽く自分の胸に抱き寄せる。浮力でふわりとソードの腰が膝に乗った。

「シバ……?」

わずかに不安な顔で、ソードはシバの膝に正面からまたがったまま、なめらかな広い胸

にぴったり頬をつけた。

鼓動が、聞こえる。

自分と同じ生き物の証である、危うく脆い音。それを聞くと、ソードはわけもなくほっ

として目を閉じた。そのままシバの手がソードの手を引く。そして己の鼓動の上に重

ね、指を導いて爪を立てさせた。

「シバ……?どうしたんだよ?」

少し驚いて、ソードの瞳が薄く開いている。その髪を撫でながら、この上級悪魔はいつ

ものように微笑んだ。

「こうやって……この心臓をつかみ出せば………私を殺せるぞ?」

優しい声だった。あまりに深く柔らかな囁きだったので、ソードは言われた意味が一瞬

わからなかった。シバは穏やかに微笑んでいる。

我にかえって、ソードは瞳を大きく開き、シバを見上げた。

「おまえは……他の悪魔に……てめぇの殺し方を教えるのかよ?」

「ああ。ソード……おまえにだけはな。……教えておこう」

とがった耳にささやいて、シバはもう一度微笑した。くすぐる吐息と言葉の意味に何故

かソードの頬が熱くなる。どぎまぎする心を押し殺し、彼はぶっきらぼうに言い返し

た。

「フン……。……そんなにオレに惚れてんのかよ?」

「………そうだな」

シバが緩やかに笑っている。なんだか、妙に胸が踊って、同時にわけもなく腹ただしく

て、ソードはもう一度シバに口づけた。

「………んっ……んうッ……」

深く唇を合わせたまま、双丘の間に、いきなり指を二本同時に突き入れられ、ソードは

ビクンと震えてかぶりをふった。シバの指は、常より容赦なく入り込んで、軽く性感を

刺激した後、すぐに、指より大きな別のものが入ってくる。

「ンッ……ンッ……ンンッ……」

口唇を嬲られ、呼吸を奪われ、シバ自身を身体の奥にくわえこんだまま急に揺さぶられ

て、ソードはもがいた。その逃げようとする腰を片手で無理に捕らえて、シバは己を更

に深く突き入れる。そうしながら、もう片方の手でソードの手をとると、それぞれの指

と指の間に己の指を入れて、しっかり握った。

「んんッ……んッ……」

湯面を泡立てる激しい動きに、今にも殺されそうな喘ぎをシバの喉に吐き出して、ソー

ドは切ない快楽と、同時に襲う怯える本能に耐えている。逃れることも声をあげること

すら封じられ、無意識の恐怖に身がすくむ。それでも、しっかり握った大きな手から優

しい救いを感じとり、ソードは強く握り返した。

「あ……あ……うあッ」

ようやく解放された唇から、苦悶の喘ぎが漏れた。荒い呼吸を迸らせ、動きと息を合わ

せようと躍起になりながら、ソードは怒鳴った。

「ば……バカヤロウ!!……苦しーじゃねーか!!ヤってる途中で息が止まっちまった

らどーすんだよ?!」

「そうだな。それも、かなり間抜けな話だな」

「んだとォ?!…………ア……アア……ぐぅッ……」

全身で突き上げられて、体が強ばる。それでも懸命に感覚のすべてで応えようとしてい

る。ソードは、まるで勝負を受けて立つように必死に動きについてゆこうとしていた。

それを感じたシバの瞳が、また喜んでいるようにクスリと笑う。

(まったく……こいつはなんでもすぐにムキになる……)

こんな時に情事と戦いを混同するのは魔族の妙なクセかもしれない。けれど、

決して負けを認めようとしない魂は、光彩を放つように美しい。その光をすくいあげ、

形にして、もっと煌めかせてみたい。もしも、輝く資質があるのなら……。

「ア、アウッ……ア、ア、ア……」

短いストロークで擦られるたび、ソードは中途半端でもどかしい快楽に、身を捩った。

シバはわざとソード自身には手を触れず、中に入れた己だけで刺激している。内側から

その部分を摩擦され、達きそうでいながら何かが足りない。

「あ…あう……シ……シバァ……!!」

既に立ち上がっている自身に思わずのばした手を遮られ、ソードは正面から抱き合った

まま苦悶した。時折ぶつかるシバの腹部で、先端の裏だけを曖昧に擦られ、抑制された

苦痛が募る。

「あ……はぁ……はぁ……てめ……自分ばっか遊んでねーで……も……いいから…はや

…く……いかせ……」

乱れた息が、湯煙に混じる。自身の熱気とシバの熱と、湯の熱さにとりまかれ、のぼせ

たようにソードの瞳が空ろになった。

ともすると沈みそうなその身体を、握った手に力を加えて支えながら、シバは、ソード

の限界ギリギリまでを計っている。

「う……う……シ…バァ……」

半開きの口から嗚咽が漏れて、焦点の合わない視線が彷徨いはじめると、さすがに少し

可哀相になった。

(………ここまでだな)

もう少し続けてみたい誘惑を切り上げて、シバの手がソード自身を握り、根元から先端

までを速く強く扱いた。

「あ……あぁッ……うあ………アウッ」

急激に反応させられた意識に、大きく仰け反ったソードの喉がひくりと上下する。下腹

部が二、三度ビクビク動いたかと思うと、身体を駆け巡っていた欲望が一気に放たれ、

少し遅れて身体の奥にも熱い流れが迸った。





湯からあがり、夜風に曝され、火照りすぎた身体が冷やされていく。

ソードは、シバの腕の中で傾きかけた月を眺めた。身体は、動かすのがおっくうなほど

疲れていたが、ここ最近支配していた得体の知れない震えは、前より感じなくなってい

る。少し満足げにソードが言った。

「さっきより、届きそうな気がするぜ」

「なにが?」

「月。さっきより……近くなった」

「気のせいじゃないのか?」

「うるせーよ」

ソードを抱いたまま寝室に向かって歩き出したシバの瞳が笑っている。やっぱり嬉しそ

うなその顔に、ソードはフンと鼻を鳴らした。










その翌日も、ソードはシバに連れられて、砦に足を向けた。

いつもの長い通路を抜けると、執務室に続く吹き抜けの広間がある。歩きながら「もう

ここには来ねー」と騒いでいるソードに何か言い含めていたシバが、ピクッと立ち止

まった。

吹き抜けの中央に、見慣れぬ魔族の影が3つある。凝った衣装に身を包んだ美しい上級

魔族が一人、シルクハットのような帽子をかぶった上級魔族が一人、そして、姿はよい

が、少々巨大な体躯をひきずる下級魔族が一人。

真ん中の一番前に立っている整った上級悪魔の男に向かい、シバはささやかな笑みを含

んだスキのない顔で、言葉をかけた。

「久しぶりではないか。バジル・ホーネット。魔界四元将がわざわざ2人も揃って私の

砦に何の用だ?」

しかしそれには答えず、バジルと呼ばれた悪魔は、冷静な瞳で興味深そうにシバを眺め

ている。

「なるほど。………噂は本当なのだな」

おもむろにそう言った、知的で節度のある雰囲気は少しシバにも似ていた。シバよりも

明るい髪を二つにふりわけ、長く背に波打たせている。互いに相手がようやく確認でき

るほどの距離をおいて対峙しながら、シバは、それとなくソードを後手にまわした。

「噂だと?」

「ああ。シバ・ガーランドともあろう悪魔が、素性の知れぬ下級悪魔をずいぶん可愛

がっているそうだな」

「なぁ?!…誰が素性の知れぬ下級悪魔だ!!」と前に出ようとしたソードを引き戻

し、シバは、警戒したまま相手を見つめている。バジルが一歩前に出ると、かばうよう

にソードを背に隠した。

「おい、シバ!オレは……」

「ダメだ、ソード。おまえは下がっていろ」

低いが、有無を言わせぬ声だ。一瞬ひるんだソードはそれでも前に出ようとしたが、ま

るで頬を平手打ちするような視線で睨まれ、ビクッと動きを止めた。

「ソード……いいな、私のそばから離れるな」

「なんなんだ、いったい!」

その間も、バジルの視線は、ただ一人、シバに注がれている。と、突然、その靴が床を

蹴った。手から吹き出し操る水で槍を造り出した、と思う間もなくシバめがけて投げつ

ける。強烈な爆風、放電音。ソードが気がつくともう、2人はシバが造り出した防御壁

の中にいた。

「く………」

網膜を刺す光の中で、ソードは懸命に瞳を開いている。

(なんなんだ……このヤロー……)

まだかなり押さえているが、凄まじい魔力だ。まともに受けたら、一瞬で魂ごと砕かれ

てしまう。

(シバと同じか……それ以上?……上級魔族にはこんなヤツがゴロゴロいやがんのか

よ)

シバは、まっすぐに突き出した手のひらで、完璧な魔法防御をつくり、静かにバジルを

見据えている。軽く手の甲で払うと、2人を襲っていた魔力が、すっと霧散した。

「さすがだな、シバ・ガーランド。だが……これではどうだ?」

笑ったままのバジルの魔力が、不意に変わる。ソードは、ぞっとしてシバを見上げた。

(こいつ……シバよりも強ぇーぜ……)

とっさにそう感じた魔力は、2人を同時に金縛りにしてしまうほど強烈で激しい。とこ

ろが、

「いったい、なんのマネだ」

と言ったシバ・ガーランドの魔力も、瞬時に入れ代わっている。長い髪が突風に煽られ

るように宙に浮き、瞳が輝いたとたん、恐ろしい力が放たれて、あっという間にバジル

の魔力を無効にした。

「さすがに腕は確かだな。どうやら気が触れたわけでもなさそうだ」

苦笑したバジルが床に下り、何事もなかったように、さっきの話を続けていた。

「この間、サタン様の監視を殺したそうだな」

「……………」

「なぜそうやって逆らう?サタン様を裏切るな。あなたのためだ」

「誓約通り、命令に背いた覚えはない。だが、あの監視は気に入らぬから処分した。

で?……私を処断しに来たのか?サタンにどんな指令を受けたのだ?」

「いや、これは個人的な忠告だよ。サタン様からの伝言は、監視がシバ・ガーランドの

趣味に添えなくて申し訳なかった、と」

「………」

「だが……あのお方の恐ろしさはあなたも知っているはずだ」

「………」

「忠告ついでに、もう一つ言っておこう。身分違いの関係は、ロクな結果を招かない。

その下級悪魔のせいで、あなたが破滅しないことを祈っている」

「んだと?!この……」

また飛び出しそうになったソードの前で、それだけ言うと、美しい上級悪魔はふっと消

えた。追うように、残りの2人も消えている。

やれやれ、とシバは内心、ため息をついた。

(サタンは私の無礼を黙認か。余裕だな。それにしても……)

それだけの用件で、バジルがわざわざ他に2人も引き連れてきたことが不可解だ。

(しかも、そのうち一人は四元将だった)

少し気になったが、考え事を始めるよりも、もっと深刻な気配を感じて、とっさにシバ

は振り向いた。

「ちくしょう……」

舌打ちして、ソードがイライラと牙を鳴らしている。今にもとびかかりそうな勢いで、

三人の消えた空間を睨んだままだ。

(今度会ったらブっとばしてやる)

そう思って拳を握る。にもかかわらず、さっきから体の震えが止まらない。

超一級の戦士同士のぶつかりあいに初めて出くわして、その魔力に体が圧倒されている

のだ。歯の根がカチカチ合わないのを必死にこらえて、ソードは低く言った。

「たくムカつくぜ。なんてったっけ?あの上級魔族……よく…顔見えなかったけどよ…

……」

その声に、敵だけでない、自分に対する意趣を感じとってシバはソードを見つめた。

「…………?」

「……くそ!……力の強ぇー奴は皆…おまえみたいに…天使と姿が似てやがる」

「………。魔界の原生物と交配してから、魔族も様々な形態を持つようになった。だ

が、純血の上級魔族ほど、もとの形……つまりサタンに従って魔界に堕とされた天使に

似ている」

「そいつらが、おまえやサタンみてーに強ぇーわけだ」

「ソード……」

「シバ……てめぇ………」

「…………?」

「いつもオレといる時は……力をめいっぱい押さえてやがったのか?」

「…………」

黙って肩に触れようとしたシバの指を、反射的に振払い、彼は唐突に踵を返した。

「どこへ行く」

「…………わかんねー……。けど…ちょっと独りで訓練してくる」

その背に向かい、シバが静かに言った。

「私が怖いか?ソード……」

「………んなワケねーだろ」

「そうか……」

小刻みに震える体を見つめて、シバが微笑んだ。

この間からずっと……彼は、試しているのだ。

己のすべてを明かし、ソードを『親友』と扱ってみることで、真にこの下級悪魔が自分

の「親友」になりえるのかを。同時に、守ってやるべき者ではなく対等な者として、愛

することができるのかを。

(だが……)

そうすることで、かえってソードに強大な敵をつくり窮地に追いやるかもしれない。

(確かに…私の友だと言えば、多くの魔族は手をだすまいが……)

確かにそれも、あったのだ。それでソードが満足するような悪魔ならば、あえてそれ以

上を求めるつもりはなかった。けれど……

ソードは歩きはじめている。ふと思い出して、シバはもう一度呼び止めた。

「ソード!」

「ん?」

「どこへ行くのもかまわんが……」

幻樹海にだけはもう行くな、そう言いかけて口をつぐんだ。どうせ止めてもこの悪魔

は、行きたければ行くにきまっている。

「なんだよ?」

肩ごしに振り向いたソードに、シバは、ただ、

「気をつけてな」

とだけ言った。

「んだよ……たくガキじゃあるめーし」

とたんに頬を染めて、ソードがプイと横をむく。その彼にシバは小さく笑って付け加え

た。

「おまえも十分……天使の姿に似ている。さっき仕掛けてきた男はともかく、後ろの上

級魔族は粗末なものだし、その後ろの下級魔族の顔は魔法で造ったニセモノだ。………

おまえのほうがずっと綺麗だよ」

「な……なに言ってやがるバカヤロー!!んなこと言うヒマがあるならなぁ、もっと強

力な闘い方を教えろよ!!」

「……そうだな。もう少し魔力が上がったら、考えてやってもいい」

「ホントか?……どのくらい上げりゃぁいーんだ?」

「そうだな。とりあえず………」

言いながら、シバは、いつも自分の部屋でやっているように、解いてある長い髪に小さ

く呪文を唱えた。くるくると、髪が独りでに結い上がる。

「………?」

「……このくらい……私の髪を上手に結べたら、次を教えてやろう」

「ばっ………バカヤロウ!!!」

駆けてゆく姿を見送り、シバは微笑んだ。無論、髪のことはただの冗談ではなく、例え

小さな魔法であっても、それほど器用に自在に使いこなせるなら……という意味だっ

た。

(だが……本当に幻樹海へは行かねばよいが……)

思案げに執務室へと向かいながら、彼はため息をついている。この間、陳情の列で訴え

を聞いて知ったばかりだが、妙な死体が増えているのだ。魂を抜かれた悪魔の異様な死

体が、その付近にゴロゴロ捨てられている。喰われたわけでもないのに、魂だけが抜か

れているというのだ。

(やはり…調べてみたほうがいいかもしれんな)

なんとなく不吉な予感がして、シバは、ソードの出ていった方角を見つめた。外は、雨

の降りだしそうな灰色の曇天が続いている。









先刻の、3つの魔族の影が、曇った空を飛んでいる。

シバ・ガーランドの砦から戻る途すがら、バジルは、やや厳しい目つきで背後を振り

返った。

「ガラム……」

と呼ばれた、細長い円筒形の帽子をかぶった上級魔族の男は陰気な細い目をジロリとあ

げている。その男に向かい、バジルはやや命令口調で非難した。

「なぜ、勝手についてきたのだ?……おまえはシバに用などなかったはずだ」

ふん。と、頬骨の高い、傲岸な顔でガラムは笑った。

「いいだろう、オレの勝手だ。詮索はするな」

その不遜な態度を戒めるように、バジルの切れ長の瞳が、細く凄んでいる。

「おまえ……なにを考えている?」

「なんのことだ?」

「……何をたくらんでいるか知らんが……一つ、言っておく。あまり四元将として見苦

しいマネだけはするな」

「チッ」

いまいましげな唸りを残して、ガラムは、彼の後ろにぴったり控えた、もう一人の魔族

とともに姿を消した。





「バジルめ……」

自分の城に戻ったガラムは、おさまりのつかない顔でいつまでも歯噛みしている。同じ

四元将でも、自分の方が力も階級も低いため命令には背けない。

「だが……オレの計画が成功すれば……オレのほうが……」

神経質な顔でイライラしながら、ガラムは一緒に帰ってきた悪魔に言った。

「どうだ?シバの後ろにいたあの小僧……オレにはよく見えなかったが……あいつだっ

たか?」

「はい。まちがいありません。たしかに、あの時、幻樹海にいた悪魔です」

「なんということだ……。では、例のものはシバ・ガーランドが持っているのかもしれ

んぞ?」

「しかし私の魔目では……まだ知っている気配はありませんでした」

「ならば……とにかく気付かれぬうちに、あの小僧を捕らえて例のものを回収しろ。貴

様の魔目を存分に使ってな。……貴様も、それだけの能力がありながら、下級魔族ごと

きでいるのはガマンならんだろう?計画が成功したら、貴様にも砦の一つもくれてや

る。いいな?ドゥーガ」

魔力で人の形を保った、ドゥーガというその悪魔は、陰惨な目を細めてうなずいた。

「用が済んだら、小僧はすぐに始末してしまえ。証拠が残っては面倒だ」

そう命じてから、ガラムは嫌な顔で陰気に笑って言い直した。

「……まあ、あの小僧を例の実験に使ってもかまわんがな…。手頃な下級悪魔だ。ちょ

うどいい材料かもしれん。……成功したらオレは、あのシバ・ガーランドにも勝てるか

もしれんぞ……?」

薄暗い城の中で、気味の悪い忍び笑いが響いている。

◆to be continued◆