もうずいぶん長いこと曇天なのに、今日は…雨が、降ってない。
生ぬるい体温みたいな梅雨の風が、絡みつき…しっとりカラダを包んでくる。
薄手の軽い羽根布団を一枚だけ素肌にひっかぶって、カイは、こっそり考えた。
一人のときは、虫唾が走るほど嫌いだった。
人肌も。
中途ハンパなこの季節も。
「なぁカイー」
一枚の、同じ夏用羽根布団にくるまって。背中合わせのタカオが、部屋の薄暗がりを向いたまま呼んでくる。
「ん?」
もぞもぞ動く背後から、タカオの気配が…徐々に徐々に滲みてきて…目の前の、空と同じアッシュグレーの空気に溶けはじめる…
「なぁカイー」
「…ん?」
また、タカオが背後から呼んだ。
「なんだ?」
「……」
黙ってる。なぜかタカオは先を言わない。
「木ノ宮?」
視線を向けたら、
同時に寝返りを打ってきた、蒼っぽい瞳にぶつかった。
笑ってる。
薄闇の中で。イタズラ気に。
「へへっ…ただ呼んでみただけー」
「バカ」
軽くノックする手のカタチで、タカオのアタマを、コンと小突いてやった。
ネイビーブルーの髪が触れ、そこだけ乾いた感触にフワッと沈む。
重なってきた同じ素肌と、タカオの重みを強く感じて、カイは少しだけ身じろいだ。
体温も。
心音も。
首筋にかかるタカオの息も、乾いたシーツに押しつけられる感触さえ…みんな、それでもまるで…今を取り巻く空気みたいだ。
「カイ、おまえ…髪のびたな」
ちょっと笑って…タカオがカイの襟足に触れた。柔らかい襟髪に手を入れて…耳の後ろと首の後ろの生えぎわを、指でそっとなぞってくる。
カイは、くすぐったい顔をして、肩をびくっと震わせた。
「オレが、切ってやろうか?」
「冗談だろ。どんな髪にする気だ」
「じゃあ…このまま伸ばすか…。そうだ、オレとおんなじくらいのばせよ。そしたらおそろいになるじゃねえか」
「……バカバカしい。何がおそろいだ」
「ペアルックだぜ?一種の」
「何がペアだ……やッ…め…」
花のつぼみみたいな匂いのする襟髪に、顔を突っ込んだタカオが、…カイの敏感な、産毛みたいな生えぎわを、ぺろっと舐めた。
カイの動悸が速くなる…
空気の匂いが濃くなる…
外を取り巻くすべての生き物の気配が…ぐっと近づく…
「なぁカイー」
「だから、おまえ…さっきから何なんだ」
「違うぜカイ」
「…なにが?」
「また…‘ん?’…て、言ってくれよ」
「…なに?」
カイは、とまどった。いつものことだ。それでもタカオのコトバは、空気と同じだ。声が、息を伝い…肺に吸い込まれ…血液にまで溶け込んで全身を流れだす。
「おまえの…‘ん?’…て声が…オレ、すごく好きなんだ…」
「……バカ」
とっさに呆れた恥ずかしさで、カイは思わず空に向けて視線を逃がす。庭に面した四畳半のココは、タカオの家の小狭い一角にすぎないのに。何だか外の一部みたいだ。
濃い緑の匂い…
水たまり…湿った土…草いきれ…
静かな木々…潜んだ生き物…
開け放した敷居からよく見える…梅雨空。その下に漂う…
不思議な色の池と、開いたばかりの睡蓮……人肌みたいな湿度と温度が、揺らめく風に運ばれて、二人の上に、とどまっては、しなだれかかり…互いの間を行ったり来たり、撫でるように…
雫を帯びた草花と、タカオの口から入った空気が、カイの中にも入ってきて…
つながる。
この、自然の吐息みたいな呼吸の中で。世界の端で、自分のカラダとタカオのカラダが一つになって、混じり合う…
タカオが自分で自分がタカオで…肌も内臓も精神も脳も、みんな溶けてしまって区別がつかない。二人分の体液と空気が、一緒になって循環する…
空気がタカオで。自分も空気で。部屋いっぱいに広がったタカオに、カラダ全部を飲み込まれ、じわじわ侵食されている。でも不快じゃない。
それは確かだ。
「なぁ、もっかい言ってくれよ」
「だから何をだ」
「だから、‘ん?’て返事するの」
「…知らん」
そう言われると、意地でも言ってやらない。
カイは密かに思ってる。
負けになると、嫌だから。
まったく…ただの退屈しのぎに、一度だけ遊んでやろうと思ったのに。気まぐれだった。退屈してた。誰も自分と同じ世界にやってこない。恐れて遠巻きにするだけで、陰で汚く罵るだけで、誰も近くに入って来れない。それが癪だ。つまらない。
誰か、オレの遊び相手になってくれ。
本気のオレと、誰か本気で遊んでくれ。
そしたら、きっと、この寂しさが、少しだけでも癒せるから。
オレは誰も愛せないが、たぶん愛したフリくらいは出来るんだ…
安堵が欲しい。一度でいいから…
ほんとうに…一度で…いいんだ…
ただ、それだけのキッカケだったのに。
なぜか、
一度じゃ済まなくなった。
「カイ?」
「ん?」
つい反射で言ってしまって、カイは、うろたえた。
絡まってきたタカオの喉が、喜んでる。ふとももにふとももが直に絡みついて、両足の間に、同じくらい汗ばんだタカオの足が入ってくる。
こんなの、キライだったのに。
うっとうしい。
梅雨と同じだ。
全身に絡みつく空気が、うるさい。他人の存在が、怖い。肌は、湿度が高すぎる…
曇天の空は…重苦しい鉛色で…いつも、とても…寂しい…
人は嫌いだった。裏切るから。
でも自分だってそうだ。いつのまにか、そうなってしまった。もう、いつからか…裏切り癖が治らない。
どっちが本当だろう。人の存在は……
…裏切るほうか?求めるほうか…?
わからない。だから、怖い。大キライだ。自分も。他人も。人肌も…
「カイ、おまえさ…」
「なんだ?」
「こんな時ばっかじゃなくって。たまには天気のイイ日も遊びに来いよ」
「……考えておく」
「…そりゃいいけど、本気で考えろよ?」
「………」
「聞いてるか?オレはホントに本気で言ってるんだぜ?」
首に回されたタカオの指が、やっぱりカイの生えぎわを、くすぐってる。
タカオは決して嘘は言わない。
それは…もう…知ってる。
そんなだから…自分はタカオが憎らしくて…でも捨てきれなくて……出ていってはまた戻ってきて……そうして…タカオは、
何度、裏切っても…待っててくれる…。今度こそは、もうダメだろうと…死ぬほど思った後でも待っててくれる…
でもカイは、
これ以上、負けるのが嫌だから。
何もカンジないよう努力した。
何も…重くなるのは嫌だった。自分も。相手も。心底想うなんて、とんでもなく…重すぎる。嫉妬、束縛、不安、激しい執着…毎日毎日、色んな心配が妄想みたいに湧いてきて…愛した深さと同じくらい傷つくにきまってる。自分も相手を傷つける。
…きっと苦しい…
そんなリスクはごめんだ。
だからオレは…誰もスキになったりは、しないんだ。
スキになったら、きっとオレが…負ける…
木ノ宮みたいに、オレには他に何もないから…きっと余計にアイシテしまう…
だから…オレが、きっと…負ける……
スキにナラナイ…キノミヤなんか、ゼッタイスキニナラナイ…
熱のこもった呪文みたいに唱えてみる。
「ン……タカ…オ…?」
しかしそれも、また唇を咬まれたりしたら、そこで終わりだ。
「なんだよ?最後まで、やんねえの?……いつもみたいに、するんだろ?」
「……」
上に重なったタカオが、ニヤニヤ笑ってる。
「おまえとただハダカで抱き合ってるだけじゃ…オレが拷問になっちまうよ」
「フン。言ってろ」
「それって、オレのほうがカワイソウだろ?」
「きさまが被害者ヅラするな」
どうせ、同じモノが、同じ位置で、同じキモチを示してる。アタマと違って、それはやたら考えなしで節操なくて、バカバカしいほど素直だ。カラダ同士がわかってる。取り巻く空気もみんな知ってる。どうせまた淫らな声で、タカオを銜え込んで、梅雨みたいに濡れそぼり…
甘い吐息みたいな大気の中で、
世界が、
たった一つになる。
「おまえだって、けっこう好きだろ?それ…」
「な…」
「だって、いつもビショ濡れ大雨洪水注意報じゃねえかよ〜。啼き声上げて騒ぐから暴風警報もアリってか?」
「きさま…っ」
「おっと…ガケ崩れにもご注意下さい〜」
「アッ…」
もう、しっとり濡れはじめた下半身を、乱暴に引き割かれた。
「あ…うっ…そんな…キサマ…いきなり…」
「天災はいつもイキナリなんだよ」
「ワケがわからん…」
「いいの、いいの。地下水で、もう地盤、緩んでるから」
「だから…ワケが…アアッ…」
悔しい…これじゃまた負けてしまう…
ずるずると一気にタカオが浸入してくるのも防ぎきれずに、突然の土砂崩れでカイはボーゼンとしてしまう。両手を上げて、ただ成り行きを感じるしかない。いずれダムさえ決壊して水浸しだ…
「はっ…アッ、あっ…あぁ…」
慣れきったカラダは腹立たしいほど従順で。すでに、どうにもならない。強くナカに打ち込まれる度に、びくっびくっと背筋を反らし…カイは密かに慌てた…
「あっ…う…うぅ…タカ、オッ…」
このままじゃダメだ…
ここを、出ないと…
湿度の高すぎる、ここを出ないと…
早く、生ぬるい体温みたいなこの世界から…出てしまわないと…
せめて、次の梅雨が来る前に……
「けどオマエ、…なんでそんなに勝負するんだよ?」
「ひっ…?!…は…」
「競技じゃねえから、これは。レンアイに勝ち負けなんて、ねえんだよ。あるとしたら…」
「アアーッ…」
逃げた両足を、タカオは両手で捕まえて引きずり戻し、
二人の顔の間で、グイと広げた。
瞳が、合ってる。
「や…っ…やめっ…きさまっ…」
「あるとしたら、そりゃぁ…」
カイを柏餅の葉みたいにくるっと腰から二つに折り曲げて、上からこじ開けた尻にまたがった。
「オレのほうがだんぜん負けてっから。安心しろって。何かもうオレ、連戦連敗なカンジだから」
「どこがだっ」
首の後ろと肩だけで体重を支える、半分でんぐり返ったマット運動みたいな無理な格好で、カイは泣く泣く叫んでる。
「きさま、今すぐおりろ!!バカ!!」
「ん〜これ…後ろ向きのがやりやすいんだよな〜顔見えなくなるけど…」
「やめろォッきさま、もう動くなッ」
「仕方ねえなぁ、挿れて回って前向くか…」
「うァあッ!?」
タカオが上から貫いた。
「あっ、アッ…あ…ン…」
タカオが腰を落とすたび、カイの太腿が上下に弾み…背筋からつま先まで一直線に震えが走る…。投げ出された足の甲がシーツを削り…
硬く勃ってきたカイの先から、雨の雫が滲みだした…
「はッ…アア…」
すかさずタカオの手の平が根元から強く扱いてやる。
「ああっ…はなせっバカ…ッ…は…ぁ」
だらだら唾液を流して、カイはみっともないほど悶えてる。そろそろ正気が保てない…
「んんっイクまで、もうちょいっ…」
「はぁっ…アッ…ンッ…ン…きっ…キノミヤぁ…」
悦がった顔を紅潮させて、カイが大きく口を開く。チラチラ見える赤い舌の奥までが喘いでる…
足りない…もっと、足りない…
自分でも恥ずかしいほど腰だって動かしてる…
これじゃ…警報通りだ…
湿度が上がりすぎて大雨だ。
「アアアーッ」
タカオの下で、白い肌が崩れ堕ちた。
「すっげえな…おまえ、こんなにいっぱい出しちまって…ちょっと…おい?大丈夫か?」
「ひ…はぁ……ひ…」
外も、梅雨が降りだしてる…
何度も吐精させられて…カイが泣き声でわめき散らした。
「バカッいい加減おりろッこの変態が!!」
「だ〜。や〜っぱ大騒ぎじゃねえか。暴風雨だ。オレばっか悪者だ」
「やかましいっ」
「も〜ノリノリのくせによく言うぜ」
濡れた両足の間から、タカオの顔がひょっこり覗く。瞳が近づき、カラダが近づき、ナカに挿入ったタカオまで、ぐいぐい抉ってカイの奥を刺激した。
「アァ…うぅ…」
「だっておまえ、途中でやめたらそれはそれで怒ってんじゃん。ったくワガママ女王様かよ〜〜勘弁しろよ〜」
「…ふっ…く……はぁ…」
タカオが上でグラインドするたび、つなぎ目から濁った雫が滴り落ちる。
「あっ、あ…」
ぬめった指でカイの先端を擦ってやると、また小さな唇が開き…悦がった瞳がボンヤリ霞んだ。
外の雨が、激しくなる。
縁側までが濡れてくる…
ヒクヒク喘ぐカイの躯が泣き出して、前も後淫ろも濡れ続けてる…
カイのプライドどころか何もかもがめちゃくちゃだ…
「か〜…そのうちまた、どしゃ降りだな〜…外も…コッチも…」
「きさ…ま…おぼえてろ…」
「やっぱワガママ女王様だよ。オレが下僕とかそんなんだよ。てかカイ〜バトルじゃねえからコレは。…オレはやっぱり真夏の晴天がいいよ。何か報われねぇ気分でガッカリするから」
でもスキ…
そう言ってタカオはすぐ元気になる。
「ダイスキだぜ?カイ…オレは、雨でも嬉しいぜ?」
タカオがやっぱり笑ってる。ちょっと不安気に。
見上げたカイの頬が、あっというまに紅くなる。
慌てて視線を逸らした。
「オレは…雨がいい…」
「そう?」
雨のほうがまだマシだ。
土砂降りなら、声も音もかき消してくれる…
大気に漂い、タカオと自分の間で交換される…結晶化したこの想いを…雨の中に溶かし込んで隠してくれる…
「いいか、木ノ宮。オレは、おまえなど…」
「あ〜はいはい。わかってるって」
タカオが苦笑する。
これは、どこまで知ってる笑顔だろう。
オレはオマエなんかスキにナラナイ…
ゼッタイナラナイ…
またしきりと呪文を唱えながら…カイは甘い声で喘いでる。
今までずっと…好きな季節など、なかった。人肌だって、そうだ…
大キライか、どうでもよかった。
「タカオ…」
「なに?」
カイの瞳が、濡れている。
まるで外の、とても寂しい…だからそれ以上に、熱を含んだ雨みたいに…
タカオが深く抱きしめた。
不安定な大気の揺らぎ…その奥から両腕を伸ばし、もっとしっかり白いカラダを近くに寄せた。
カイの…雨に溶けた想いまで。
たぶんタカオは、コイビトの嘘つきな唇より、肌と同じ、梅雨の空気を信じてる。
大丈夫、大丈夫…
オレたちは、きっと離れない…離れられない…
タカオも胸で呟いてる。
「やっぱ梅雨も、いいなぁオレ…。でも秋も冬も春も…おまえと一緒ならどれでもいいな」
「フン。…バカが」
引き寄せられたカイの白い腕が、
おそるおそるタカオの首に巻きついて…いつか…ぎゅっと、抱き返した。
◇END◇
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