ロシアから戻ったら、イキナリ……




あの男が…屋敷に、居た…。









「カイ様!!…お帰りなさいませ……先ほどから進様が…」



執事の肩越し、シルエットを遠目に目撃しただけで、

オレは、不覚にも、荷物をすっかり取り落とし…
玄関で、固まってしまって…

それまでの…

…空港から皆で帰ってくるまでの、楽しかった気分とか、
また木ノ宮を、すぐ、からかいに行ってやろうと思っていた…妙に熱っぽいキモチとか…
この世界大会で手に入れてきた色んなものが…


すべて一瞬で、凍りついた気がした。


執事のやつが…何か言ってやがる。…とりなしってよりは…感激の嬉し泣きか?父子再会の?
バカな…いまさら…オレが喜ぶものか。


…オレにだけ…さんざん地獄を見せたくせに……
自分だけ、とっとと逃げやがったくせに…


なんで…いまさら…親父が…

執事が…まだ…何か言ってる…。

ああ…そうか…祖父が…つかまったから……ICPOの職員に…任意同行で事情聴取、受けるって………逮捕状が出て…勾留されて…… 起訴までいきそうだから…………それで…戻ってきたのか……つまりは、自分と会社のためだ…

…フン…そうだよな…

これで奴も、火渡産業の元社長だったんだし…どうせ今だって会社の持ち株で食ってるに違いないんだし…それが潰れりゃ困るってワケだろ。マスコミが要らんこと漏らさんように、細工だってしなきゃならんはずだ…


バカバカしい…


オレの、知ったことか。
何の関係もないんだ。こんな男……
自分の義務も運命も勝手に放棄して、オレにだけ押し付けて…祖父からも逃げやがったくせに…祖父が消えたら…こんな時だけノコノコと…



…畜生……




荷物を放ったまま…玄関に背を向け…そのまま外に飛び出した。
方向もわからず、とにかく滅茶苦茶に走っていたら…
息が上がって…色んなものが込み上げてきて…身体中の血液や酸素が、もう一度全部、入れ替わった気がして…

それでもまだ、走って、走って、走って…

やっと…

立ち止まったら。
今度は、

忘れていた憎悪が、まるで生まれ変わったみたいに、オレの全身を蝕んできて。

しょせんオレは…

怒りとか憎しみとか復讐で…相手を叩き潰す、ってことだけが、……




自分のすべてだったんだと…思い出した。













◇◇◇










「カイさんは…そのブランド、お好きなんですか?」


ウェッジウッドのティーカップで、同じ銘柄の紅茶を飲んでたら、近頃まとわりついてくる後輩に言われた。

寄宿舎のオープンカフェは、何だって持ち込み可だ。今、白くてまるいティーテーブルに載っているのは…小さな四角い青い缶…紅茶はフツーのアールグレー。ありきたりなインド香料の強い香りが鼻につく。
これで一応、英国王室御用達だからジョニーは喜ぶだろうが(奴の家にもありそうだ。女王サマご愛用のクイーンズウェアとかな)紅茶オタクのラルフが聞いたら、こんなのブランドでもなんでもないって抜かすだろう。

むろん、このメーカーのウリは、茶葉じゃなくて、それを淹れる道具のほうだが。

それにしても…
カップとソーサーは、カメオみたいな、青地に白の浮き彫り模様がついたジャスパー…世界的な流行モノ。
白のレリーフは、ギリシャ神話の英雄伝で……これも、ありきたり。
べつにホメるほどのモンじゃない。


ただ、
地色の青は、この工房、定番のペールブルーより、もっと深い。だが、ポートランドブルーよりは淡くて…不思議な青だ。

…この青が気に入ったから、買った気がする…。

なんとなくな…
…店の看板も青かったし…



青?



……変だな……オレは…青なんて…好きだったろうか…?

……………?



いやキライじゃないんだ…青とか紫とか黒、赤なんかは…もともと……


ただ……ひどく…渇いたみたいに…青だけ…を…


………… 青……青……青?…………青龍……キノミヤタカオ……?……



…………………


…………………おかしな連想だ………ドランザーも青かったし…むしろベイバトル不足ってことか…?


タカオには、あれ以来、会ってない。
会えるわけがない。

オレは…どういうわけか、朱雀を…呼び出せなくなっていた。

ロシアから帰って以来、いくらドランザーをまわしても、出てこないんだ……アレが…
感情が…高まらない。なにがなんでも勝ちたい、どうしても戦うべきだ、という強烈な感情。
それがちっとも湧いてこない。

だから、朱雀が出てこない。


木ノ宮とは、また全力で手合わせしたかったハズなのに……ドランザーは、勝手にスリープ状態に入ってしまった。


なぜだ?


オレの…バトル感情のコントロール中枢は…

やはり…怒り…憎悪…

それが、すべての発端だったからな。


つまり、


敵が…


必要なんだと、気がついた。


相手を憎まなければ…オレは戦えない。
なのに、もう…木ノ宮は…憎んで潰すべき敵ではなくなってしまった…

かといっていまさら、親父をベイで屋敷から叩き出す気力も湧かないし…いくら憎いといっても。だいいち、そんなことしたら…木ノ宮の奴が怒るだろう…。アイツは、おせっかいな男だから他人の親でも…粗末にしたら、きっとハラを立てるに違いない…。そこにベイなんか使ったら…激怒する。

だが、最強の称号も…今は…べつに欲しくない。

あんなに欲しかったのに…今はもう…どうでもよくなってしまった。どうせオレはボーグの教育に洗脳され…祖父に踊らされてただけなんだ。

あんなに必死だったのに…あんなに本気だったのに……。くだらん大人どもに…いいように利用されてただけだなんて…。オレの意志だと信じてたのに、そう思い込まされてただけなんて…
……あんまり、くだらなすぎて…


…もう追いかけるものが…何もない。


世界中のブレーダーを潰して、全員分の聖獣をコンプリートしたいなんて…オレはもう…思ってやしないんだ…。
思えなくなってしまった。

だが、代えが…ない。

オレのバトルベースは、怒り、…それも…相手を焼き尽くして完全消滅させたいほどの激しい怒りなのに…
潰すべき敵が、いない。
オレの憎悪をぶつける相手が…いない。
命を賭けても、ベイで戦って欲しいものが、なにもない…


だから、朱雀も出てこない…



結局…オレは…BBAの連中を、祖父のために、オレ自身のために…利用しようとして……でも一緒に居るうちに…だんだん…そんな気が失せてしまって…すっかりホンモノの仲間みたいに錯覚して…ロシアで過去を取り戻しかけたのに…その勢いで、今度はホントに仲間になってしまった……

きっと…アイツらが…優しすぎたから…

おかげで、いちいち奴らの顔が浮かぶから…オレはもう…非道なことなんて、できやしないのに……凝り固まった憎悪だけは、いまだ傷跡みたいに疼いていて……晴らす術もないまま…中途半端なオレだけが…残ってしまった。

なにもかもが…中途半端だ…まるで、ホンモノのオレがどれだったのか、わからなくなりそうなほど…バトル感情までが…濁ったように…

これでは…オレは……戦えない…




……本気でベイをやらないオレに…木ノ宮は………興味ないだろう。




だから、会いにも…行けなくなった…。




…そういえば



これしかないのか…
オレたちを結ぶものって…



そう…気付いたら


…なぜか…

とても…苦しい気がした。



……なぜだろう……



……どうせ……そのていどの…仲だったのに…












◇◇◇






「やっぱさぁ…」


埠頭のコンクリートに、仰向けに転がって、

「……住所と電話番号、聞いとくべきだったよなぁ…」

タカオが、組んだ両腕をマクラに…綿アメそっくりな軽い雲の浮く、快晴な空に向って…クチをとがらせた。

「はい??」
隣のキョウジュが、パソコンをヒザに置いたまま、顔を上げる。誰の話か、わからない。タカオのアタマでは、しっかりつながってるらしいが…唐突だ。

「だからさぁ…カイのだよ、カイの〜」

両足は巻貝の張りついた海のほうへぶらぶら落として…両腕を護岸コンクリートに伸ばしながら、タカオがまた、空へ向って呟いた。


「はぁ…まぁ…なんか聞きにくいですけどね…カイの場合…雰囲気的に…」
「なんであいつ、教えてくんねえんだろ」
「さあ」

並んだ白いソックスと、…ジーンズの両足の…ずっと下ほうでは、波がちゃぷちゃぷコンクリートを叩いてる。だんだん、ゴネたように、タカオのかかとが、護岸を蹴ってバタついた。

「てか、なんでさあ、あいつ、来ねえの?すぐ…遊びに来るって言ってたのに…」
「わたしに聞かれましても…」
「すぐ来るって言ってたんだよ。だから、聞かなくともいいかなって…。もしかしてオレん家わかんなくて、そのへんで迷ってんじゃねえのかな」
「それは…ないと思いますけど…」
「公園でも河原でもさあ…オレの居そうな場所なんて、カンタンに見当つくと思わねえ?」
「ですよね…タカオ、わかりやすいですから…」

ガバッと、タカオが起き上がった。

「キョウジュ〜それじゃ慰めになってねえだろ〜」
「ええ?」

そのまま、海のほうを睨んでいる。
それから、がっくり肩を落とした。

「やっぱ……あいつ…オレになんか…キョーミねえかなァ……ねえよな…」
「はあ?あるんじゃないですか?だって、予選で一度負けてるわけですし…カイとしてはリベンジを…」
「そういうコトじゃなくってさ」

じれったい顔が、また空を向いた。
頭上を、白いカモメが一羽、飛び越えていく。 港のほうで、パウゥッと小型船の警笛が鳴り…波をかく軽いエンジン音がパタパタ響く。
…カウカウと、かしましいウミネコの鳴き声がした。

「なぁキョウジュ…ものは相談なんだけどさ」
「なんでしょう」
「どぉあっても付き合いてえ相手がココにいたとして、突然、押し倒したら…やっぱダメかなあ?…ダメだよな〜…」
「それは、やはり…一度は、先方に確認とらないと…」
「けどさぁ…それが限りなく無理そうな場合、どうしたらいいと思う〜?」
「でもムリヤリでは犯罪になってしまいますから。それに、そういうコトって付き合う前にやるんじゃなくて、付き合った後にやるのでは………って…いったい、誰の何の話してるんですかっ!??」

「んーーー」


うなったタカオは、ふたたび、バタッと寝転んだ。














◇◇◇






少しずつ…寄宿舎のオレの部屋に、青いものが増えていく。

買っても買っても、落ち着かないのに。
買わないと、もっと落ち着かないから…摩訶不思議だ…。

なんなんだ…これは…
オレはいったい、どうしたんだ…


病気か?
何の?
青いもの依存症??


まさ…か…


キノミヤ依存症?………


…………そんな…バカな…




息が詰まりそうになってきて…部屋を出た。



部屋ならもう一つ、持っている。



同級生との共同生活なんて、まっぴらだから、自宅から通学していたのに。親父の顔を見たくないばっかりに、急遽、寄宿舎の手続きをした。ムリヤリだ。それでも、誰かと相部屋なんて絶対嫌だと言い張ったら…舎監が、個室にしてくれた。
どうせ寄付金の多寡で、待遇の序列が決まるガッコーだ。つまりは祖父の築いた金のチカラだ…

…たく…胸クソ悪い。どいつもこいつも…

自分で特室に居座ったくせに…それさえ窮屈で、オレは、ときどき抜け出した。



港近くに数十年は放棄されてた…もう使われるアテもない火渡産業の古い貸し倉庫の一部を利用して、部屋を作った。むろん勝手にだ。どうせ親父だって、一人で好きにやっている。あいつに言われる筋合いはない。
会社は…オレの知らない間に、新しい火渡エンタープライズになっていた。重役が…大幅に入れ替えられて組織の再編成をしたのだと…メディアがどこも騒いでいたが…知ったことじゃない。

オレの大事なものは…これだけだ。

ベイ、ベイスタジアム、優勝記念品、それに…世界大会の直後に撮った…アイツらとの記念写真…。
なんか…ベイ関係だけ…ってのも笑えるが…。………。

ぜんぶ、大急ぎで、運びこんだ。
一応の備品もそろえた…ココが、オレの家なんだ。今のとこ。


窓を開け、風を入れ換え、ソファに落ち着いて、壁に飾ったアイツらとの写真を眺めていたら…ほんの少し前のことなのに…ものすごく懐かしくなってしまって…

できれば、あの写真の中に帰りたい気さえして……

会いたい…と…思った。

フレームとガラスにうすくホコリがかぶるのも気になって、
壁からはずして、磨いてみた。柔らかい布で何度もぬぐって…そっと傷を入れないように………そしたら、ひどく…不思議な気がした。

なんで…こんなことしてるんだろうな、オレ…

信じられない。 皆の前では、そんなもの要らないと言ったくせに。結局、後から…撮影した奴にデータもらって、拡大プリントアウトして、丁寧にフレームに入れた。

大事に飾った。
…どうせ過去の記録にすぎないのに…

どうかしてる。
こんな現場…木ノ宮には…恥ずかしいから…とても見せられない。
でも…
オレにも…どうしても捨てられない…大事なものが…あったんだ。


ガラスの曇りがすっかりとれたら…タカオの胸の金メダルまで…ぴかぴかに光って見える。

タカオは…笑ってる。

大口あけて…ウィンクして…あいかわらず…バカ面だ…


両手に持って眺めていたら…なんとなく…

ほんとに…なんとなく…


…そうしたくなって………まるで冗談みたいに…


ガラスの上から、タカオの唇に…自分の唇を…あててみた。


硬くて…冷たい。

アタリマエだ。
バカみたいだ。

ガラスに…痕が…残ってる…。


急に恥ずかしくなって、慌てて消したのに。それ以上に、どうしようもなく苦しくなってきて…気が狂ったみたいに会いたくなってしまって…このまま行こうかと思った。

どうせ、いつもの河原か公園で、ぎゃあぎゃあと…うるさくトグロまいてるに違いないんだ。



だがオレは…ドランザーを持ってない。 ガラスケースに収めたまま…もう取り出す気もない。そのオレが…アイツに会って…何て言えばいい?

タカオはすぐに…闘ろうぜ!って普通に笑うに違いないのに…



迷いながら、外に出た。


………それに……憎悪をバネにするなんて…アイツを裏切る戦い方だ。誰かを一方的に傷つける、破壊するためのバトルしか出来ないのなら…アイツに会う…資格がない。だからオレは…ベイをやめた。

もう……やめたんだ……オレは……


ふらふら歩いていたら、

最短の河原に出てしまった。 ココは…支流がちょっと違う…アイツの家の近くとは…

…濃いグリーンの鉄橋の下から見上げると…ガタガタ電車が通っていく。

この線路は…

アイツの町に、つながっている。
オレたちが出会ったあの場所にも…つながっている。

乗ってしまえば、すぐなのに。
いや歩いたって行けるんだ…そんな距離だ。

何度も何度も考えた。
夜も、昼も、考えた…。


でも
乗れないから…




町を歩いた。






◇◇◇






「やっぱカイはさぁ……もう…来ねえのかなぁ…」

いつもの埠頭に大の字になり…タカオは、コンクリートを、両手でパタンパタンと叩いている。左足のヒザ下だけを…海のほうにぶらぶらさせて…時々かかとで護岸を蹴りながら、晴れた空に、クチをきいた。

「なぁ〜キョウジュ〜」
「さあ…」

いつも通り隣に座った彼も、TFT画面しか見ていない。キーボードを叩きながら、テキトーな相槌をうった。

「シェルキラーも解散してしまいましたしね。…なぜか、この辺りには、いないようですよ。このところ誰も見かけないって、言ってましたから」

「じゃ、どこ行っちまったんだよ」
「さあ」

「なぁ…それって…もしかしてオレに会いたくねえとか?」

「…タカオ〜それ、ちょっと自意識過剰ですよ」
「だよなぁ…」

素直に納得してから、タカオは、独り言みたいに呟いた。

「あいつってばさぁ…世界征服とかさぁ〜…なぁんかスケールでけえじゃん〜異様に〜。モンダイは…その状況で、オレが突然ナンかしたとして、逆上してキラワレたら、どうしようかってコトだぜ」

「ナンか…て?」
「ナンかは、ナンかだよ。アレとかナニとか〜」

「ベイブレードのことじゃなくて?」

はじめて、メガネが、こっちを向いた。

「んーーー」
と上がって引っ張ったタカオの声が、

「んー」

と、ふたたび下がり



やっぱり、空を向いたまま、


タメ息をついた。





◇◇◇









…どんどん…青いものが増えていく。

べつに増やしたいなんて、ぜんぜん思ってやしないのに。
毎日、1個ずつ買ってたら、いつのまにか、部屋中に溢れてしまった…。


どうなってるんだ。
どうすればいいんだ。
このままでは、どこもかしこも、オレの周りは、スキ間なく青だらけになってしまう。

オレの中まで、いっぱいで…もう入りきれない。

ほとんど窒息しそうだ。


やはり…オレは…重度の依存症なんだろうか?
……もともと…?

昔、親父に依存してたように…次に親父への憎しみに依存して…それから祖父の野望に依存して…それから木ノ宮へのリベンジに依存して……そして今は…木ノ宮自身を…

そうやって…次々と…いつも何かを狂ったように追い回すことで…自分の…どこかを…制御してきた…
そうしなければ…いられなかった…

どこを?…なぜ?…


…………………。



……………………もう…始末におえない…。


とにかく、なんとかしなければ…


だが、どうやって?



わけなく限界を感じて…町を彷徨っていたら…

海外ブランドショップばかりが建ち並ぶ、派手な通りのなかで…



ふと…

それが、目についた。



ショーケースの奥からささやいてきた…


青い光。



まるで…一粒の青い真珠みたいな……スターサファイア。




コレだ、と感じた。

なぜなのかなんて…考える間もなかった。


とっさに…タカオの…髪とか瞳とかを…思い出した。


キラッと反射で輝いたら、…アイツの笑顔に見えてしまった。




スリランカ産の最高級品でございます…なんて口上は、ほとんど聞いていなかった。ただ…



サファイアは…天上の歓び、誠実のしるし、裏切りから守るもの…


そこだけハッキリ聞こえた。

誠実…喜び…裏切りから守る者…
やっぱり…アイツにちがいない…



シルクの陰影に転がって…無造作に煌いていたのは…

天から地上に墜ちてきた青い星…
中央の輝きがちょうど星の形に現れる……スターサファイアをのせた…プラチナのピアス。



ピアスをあけると運命が変わるって…いったい、いつのウワサだったかな。そんなことは、どうでもいいが…だとすると、オレの運命だって、当然、変わるにちがいない。


…運命…だ?





「ご贈答用ですか?」


と店の人間が聞くから、頷いておいた。



コレが…そうなのかは知らないが…

ただ… 巨大な穴が、空いてるんだ…。

オレの、胸に…


いつどこで、あいてしまったのかも、わからないが、


あるとき、小さくあいて。それが徐々に広がって…救いようもなく…


無いともはや、生きられない。
なのに 、目の前に無い。
どうしても、無い。


そういう空虚な、救えない空洞。


それを埋めるためにも…今はどうしても…このピアスが必要だった。


1つでいいんだ。

2つは、要らない。たった1つでかまわない。

胸の穴も一つだし…
アイツもこの世に一人しか、いない…



シェルキラーをやってたときに…どいつだったか、ピアスホールをあけてる奴がいて。何人かは、いて…そいつらのハナシでは、色んな方法があるらしいが…一番、カンタンなのは、太い安全ピンを突き刺すらしい。

要は、耳に穴をあければ、いいわけだ。

尖ったものなら、何だって、かまわんだろう。手近にあったのが、 たまたま授業で使う工具用のニードルだったから、それを持って、寄宿舎の、誰もいない夜の厨房に入り込んだ。

アイスピックそっくりなソレを…ガスバーナーの青白い炎で、しばらく焼いた。

金属部分が…赤く…光ってる。

まぁ…消毒は、こんなもんでいいだろう。

あとは、ぐさっとやればいい。先が鋭利で長いから、これなら人も殺せるはずだ。耳を突き通すなんて、わけはない。多少、径が太いから…血まみれになるだろうが、服は捨てればいい。

部屋に戻って、ユニットバスの、鏡に向った。ここなら、流血で汚れても、すぐに洗い流せるし…

耳は…冷やすか、麻酔か、何かしなけりゃ…やたら痛むだろうが、
オレは痛みには、強いんだ。

右手にニードルを握り、
鏡を覗きながら、左の耳たぶを、左手で引っ張った。

……ああ

…このままじゃ…耳を貫通した後…左の親指にまで、ぐさっとくる。

だがクッションに使うモノが、すぐには見つからないし……さがすのも面倒だ。

骨までいかないていどに突き刺して…引き抜いて…さっき一緒に買ってきた18Kのファーストピアスを押し込めばすむ。

ほうっときゃいずれ血は止まるだろう。


カガミの中で、もう一度、確認した。
位置は…このへん…

いいんじゃないか?

オレの顔も、いつも通りだ。
…まったく、面白くもないほど、オレは…何をやっても表情があまり変わらない。

アイツは…いつも…あんなに、くるくる変わるのに…


………?


…なんだろう……急に、タカオの顔が浮かんでしまった。


…なぜだろう……すごく……悲しそうだ。


タカオの奴が、カガミの中から、やめてくれ!!って騒いでる。


ホントに引っ張った耳の中に…アイツの声まで聞こえてきた。
…変だな…オレが、おかしいのか?ついに耳までイカレたか?

絶叫してる…
泣きそうだ…

…どうしたんだ…?木ノ宮…
なにを騒いでる?

幻のくせに…

おまえ…なんで、そんなに必死に…わめくんだ…?


……………。




せめて、使用器具は、医療用ピアッサーくらいに、しておくか。
工具用ニードルじゃ、ダメだって……あんまりタカオがうるさいから…


…部屋を出て…わざわざ買いに行った。

夜中に寄宿舎を抜け出して…何やってるんだ…オレは…
もっとも門限の後に塀を乗り越えるなんて、いつもやってることだから、これもたいしたことじゃないんだが。


たしかに、
専用器具だけあって…こっちのほうが…自然に痛くはなさそうだった。


ホチキスみたいなそれで、
左耳に、
ガシャンと貫かれたら


…どこか…胸の響きに…似てる気がした。


しばらく脈打つみたいにズキズキしていたが…それも…何かに…似てる気がする…


何だろうな…


この痛みは……前にもあった…




二週間くらい経ってから…ステンレス製の付属ピアスを、小箱の中身に取り替えた。


鏡の中で…オレの左耳に、ちょこんとタカオっぽいものが乗っている。



…いいんじゃないか?…なかなか…





おかげで…重症化していた青いもの集めが、嘘みたいに、おさまった。



当然だ。
これでいいんだ。



……いいのか?



オレは…なにをしてるんだろう……












◇◇◇




「カイ…どうしてんのかなぁ…元気だといいな」

今日は高台の公園で、手すりに、両腕とアゴをのせたまま…タカオは海を眺めている。少し…寝不足みたいに、ぼうっとしていた。

「大丈夫ですよ」
キョウジュが後ろのベンチで、やっぱりキーボードを叩きながら答えている。
「カイですから。タカオとは違いますって」
「どうゆう意味だよ…って…だよな〜…だいじょうぶだよなァ…あいつのことだもん…」

干した洗濯物みたいに、手すりにブラブラ下がりながら、タカオが呟いた。

「なにをそんなに心配してるんですか?」
「ん〜それがさ…」

干し物が…珍しく暗い顔をした。

「すっげ変な夢…見ちまってさ」
「ユメ?」

手すりの上で、タカオは二つ折になっている。

「それが〜…古〜い…オバケ屋敷みてえな風呂場ん中で…カイが…何かヘンな…とがったキリみてえなモンで、自分のミミ、刺そうとしてんだよ。ヘーキな顔でさ。オレ…もんのすげーアセっちまって……。でも…何してんだよ!?ヤメロ!!…って叫んだら…とりあえずやめてくれてた…。……良かったよ…あれ…すんげー痛そうだったし…」

「それで?」
「それで、終わり。目、覚めちまったから」
「………ヘンなユメですね…」
「だろ〜?」

タカオはまた、ブラブラしている。

「…ときどき…思うんだよなぁ」
「なにをです?」

「カイって…ホントは…バトルに向いてねえんじゃねえのかなぁ…ってさ」

キョウジュが、手を止め、振り向いた。

「ええ?!…何言ってるんですか…あんな好戦的な人…ぜんぜんリアル感ありませんよ、そんな話」
「そうかなぁ…?…だって、何か…不自然じゃねえ?あいつの戦いって…」

くるりと鉄棒みたいに回って、タカオは、手すりの上に腰かけた。

「あいつのバトルってさぁ…何か…いつも…無理してる気がすんだよなぁ…」
「無理って?」
「テクニックとか才能のこと、言ってんじゃねえよ。そりゃすげえと思うよ。そうじゃなくて…」
「なくて?」

「 ……だって、あんまり…楽しそうじゃねえもん」

「たしかに、タカオは、いつも自然に楽しそうですけどね。でもカイは勝負に厳しい人ですから…」
「そりゃわかってるけど。だけどさ…バトルで笑うつっても…なんかこう…ヘンだしな…あいつ…んん〜わかんねえ?キョウジュ〜」

もどかしい顔で空を見上げながら、

バトル中、何度か聞いた…
カイの…
妙にカン高い、気が違ったみたいな、異常な笑い声を思い出して、ちょっとタカオは悲しくなった。

「あいつ…テンション上げすぎだろ…変なとこで…」


だいじょうぶかなぁ…

また、タカオが言った。
でも、夢の話だ。
カイが聞いたら、バカにして笑うに違いない。


………

「なぁ、キョウジュ〜」
「はい?」
「あいつ…何してやがんのかなあ…今頃…」
「さあ…」

「やっぱ…」
「はぁ?」

「住所、調べてくれよ」

「だって大転寺会長が教えてくれた自宅には、今、いないって…言ってたじゃないですか。取次ぎの人が。でも居場所は、たとえ誰であっても教えられないって、学校も…誘拐の心配とか多いからでしょう?…カイの場合。いくら友達だって主張しても、プライバシーは、聞き出せませんよ」
「だから、そこを、なんとかさ〜。キョウジュって、ほら、何かの登録とか盗み見るの得意そうじゃん」
「わたしを犯罪者にしないでください。カイの学校なんて…突き止めたところで、警備員と監視カメラ付で部外者は立入り禁止ですよ」
「だから、そうやってさ〜パソコンとかで、何とかなんねえの?」
「なりません。もしハッキングするなら、プロバイダのIDだって偽造しなければなりませんし…そのためには身分証から偽造しなければなりませんし…それからネットカフェのような場所からアクセスしないと…」

「ほらほらぁ〜…やっぱ、やれそうじゃん」
「できませんって」
「ロシアじゃ不法侵入だって一緒にやってくれたろ〜?」
「だって、あれは…相手がもっと犯罪系でしたから…」
「じゃ、いいじゃん」
「わたしの話、ちゃんと聞いてくださいよ〜」


手すりの上と、ベンチの上で。押し問答が続いている。


目の前は、海。
カモメがまた一羽、湾内をぐるぐる回ってる。
なにか探しているようだ。魚?貝?…それとも……もう一羽…?



タカオは、やっぱり、…どうにかして、押しかけてみようかと思っている。



でも、事件が起きるほうが、早かった。










◇◇◇






誰かに…つけられてる…。


と思ったのは、少し前からだ。
途中から一人増えて、二人ほど。

誘拐には気をつけろと、昔から、ガッコーでも寄宿舎でも家でだってうるさいが。
ただの金目や玩具に見える、可愛いだけの他のお坊ちゃん連中は別として…このオレが、そんなドジ踏むものか。
シロートの尾行を巻くくらい、わけがない。

それに一人は、話にもならんから、わざと、つけさせてやってるくらいだ。


もう一人はモンダイだが。


これまで感じたことのない…妙な気配のやつだった。


しかし、

そいつが、目の前に現れたとき、
最初は、まったく、そんなふうに思わなかったのに…


ほとんど救世主に見えたんだから、たいしたもんだ。



聖獣を使う…ゴリラみたいな男。だが、そんなことは、どうでもいい。肝心なのは、コイツが、オレの大嫌いなタイプで、どうにも、しつこくつけ狙ってくる奴で、…そのうえオレと対等に戦える戦闘能力を持つ野郎だったってコトだ。

おまけに タカオだって嫌いそうな男だから…もう完璧だろう。



とうとう…オレに… 敵が、できたんだ。



ようやく…
怒りで潰せる、相手が現れた。



憎悪が高まったら…あとは自然に、朱雀が呼べた…



…これでオレは、ドランザーを自在に操れる…



…それにこいつなら…タカオを裏切ることには、きっと、ならない。



会いに…行けるじゃないか…堂々と…




もしかして…運命が変わったせい?
このピアスホールで…?


だが祈願がかなえば、札は燃える。


すぐに部屋に帰って、 ピアスを、はずした。
多少いびつに開いたホールは…そのうち、ふさがるだろう。

穏やかなバイオレット系ブルーに光る…星のピアスは…もとの小箱に収めた。


代わりにドランザーを握って、服を着替えた…。



行き先なんて、決まってる。



しかし…タカオは何て言うだろう。
どうせまた…ベイのハナシを振ってくるに決まってるが…

オレには話すことが、何もない…


木ノ宮の気に入るバトルなど…一度もやってないんだ…









◇◇◇







「カーイー!!!」

「……」



久しぶりに会った タカオは、思った通り、何も変わっちゃいなかった。

まぁ、そんなとこだ。コイツが急にオトナになるわけないんだし。
オレのキモチに気付くわけもない。
むろん進展もしない。

コイツも青龍を呼べなかったというのは驚いたが…タカオの場合、守らなきゃいけないものが発生すれば、爆発的なパワーが発動するらしい。やはり、オレとは違う…。だが…タカオとは、もともと、そういう男だ。

木ノ宮の自宅に泊まることになったのは…意外だが…
フトンを並べて一緒に寝るのも…べつに初めてじゃないし…
タカオがやや興奮ぎみな気もするが…コイツはいつだって興奮ぎみなんだ。

「あの後、おまえがどんなバトルをしたか、聞かせてくれよ!」

ほら、来た。

おまえの関心は、それのみか。

だが、オレは…あれからバトルなんてしてないし…話すほどのこともない…。


仕方なく少し離れて、後ろを向いたら、

「わかってるよ〜。おまえは一人がいいんだよな〜」

はぁ…。


と、なんだか、妙にやるせないタメ息が聞こえた。



だがオレだって…タメ息くらい、つきたい。


実は…コイツに…すこし…何か…されてみたい…だなんて…
密かに…想ってるだなんて…

オレから言い出すことは、とてもできないし…
いずれにせよ、この膠着状態は、あと100年は、余裕で続くだろう。


……墓まで持ち越しだな…。


コイツもガキっぽいが。コイツの祖父もガキっぽいし…DNA的にダメな気がする。


まったく…何だって、こんなことになってしまったんだ。
何の呪いだ?…いつ?どこで?…
オレがあんまり非道な、荒れたことばかりしてたから…深く反省しろってことなのか。

たしかに……辛い…

だが会えただけでも良しとすべきだ…
そうだ…会えた…だけでも…


思わずこっちもタメ息ついたら…


首の後ろに…タカオの視線を感じた…。

…聞こえたんだろうか?…オレの吐息が…?


「でも…今夜は一緒に寝れるからな!」

ドキリとするほど近いところで声がした。
弾んで、明るい。

それから…

いきなり後ろから、かるく覆いかぶさってきて

首筋に…柔らかい息が…かかった…

「…良かったぁ…」

なに…が…?

「な、オレ、うるさくしねえから。おまえがキライじゃねえように、静かにしてるからさ!今夜は眠くなるまで、ずーっと、こうしてようぜ!」
「なに…言ってるんだ…」

やめてくれ…
心臓の音が……まちがって、おまえに聞こえたりしたら…どうする…
いまにも跳び出しそうなのに…

なんで…おまえ…

オレの首に両手をまわして…後ろからオレに…抱きついてるんだ…?


思わず…硬直していたら…
だんだん密着してきた体温が…


ありえん奇声を張り上げた。



「うおっ?!おまえっ…耳に穴あいてる〜っ!!!」

「……それがどうした。放っといてくれ。そのうち…ふさがるんだ」


慌てて言った。
なぜあけた?、なんて聞かれたくない。
どうせ答えられない。

タカオは…急に、黙り込んでる。
…じぃっとピアスホールを…視られてる…視線を感じる…

なにを…考えているんだ…
コイツ…
もの考えると、すぐ眠くなりそうな奴なのに…


「これ…自分で、あけたのか?」
「ああ」


ふうん。


とタカオが言った。

それから、やっぱり…黙ってる。…変な…沈黙だ…


…視られてる…


なんだろう…耳からじわじわ広がって…カラダ中が火照ってきそうだ…


… しかも痛い…


心臓が…胸が…頭の中までズキズキして…耳が脈打つようで……そうだ…コレは…前にもカンジた…
ピアスをあけた瞬間…
それから…

オレの胸に、ホールがあいた瞬間だ…


そうなんだ…小さな穴は…だいぶ前からあいていた。たぶん、親父を憎みはじめた頃からずっと…それが…だんだん広がって…何かで埋めないと、ふさがらないほど巨大になって…
だから必死に野望なんか追いかけて…それから木ノ宮を追いかけて…

それでもふさがらなくて…だから…オレは…

…今度は…タカオを………

そこでホールは、ある時、途方もない大きさで、ガシャンと音をたてて固定した。


だから、ピアスをはめたのに…

今は…あいた穴だけが…


… 残ってる……


…もっともっとオレの近くに…コイツが居てくれなくては…いられない…
依存症じみた、狂った不足……オレにも…よくわからない…えぐられて痛み続ける傷のような何か…






「んじゃ、ふさぐの、オレが手伝ってやるな!」



「…?!」



突然、ペロっと耳の裏を舐められた…

あんまり驚いて…動けない…


ぱくっと付け根まで…くわえられ…ホールを舌先で撫でられて…

「…ぁ…」

小さく声をあげたら…


横に倒された…


な…何するんだ…おまえ…

抱きついたまま…オレの上に乗りかかっている…
頬が…ぴったり触れてる…
前髪と吐く息が…くすぐったい…


「怒ってねえ?…」


タカオが心配そうに…しげしげ見つめてきた。


おまえ…静かにしてるんじゃなかったのか?

…………それとも急に方針を…変えたのか?

そんな…手段があったとは……フェイント後に…プロセスを全部とばしてイッキに勝負にでるとは…
さすが攻撃型…考えることが、違う…いや…無いのか…コイツは面倒なことにはアタマを使わないやつだ…


でも…


しきりにアタック値の効果を、気にしてる…


黙って固まってたら…


「えっへへ!」


勝ったみたいに嬉しそうに笑って。



今度はガラスじゃない…柔らかくて温かい本物の唇が…耳からカラダに入ってきた…


「…あ…っ…」


「へへ!…やっぱカワイイ声!」
「…バカが……」


「怒ってねえ?」

「…んっ…っ……」

耳を吸って、
首を吸って
舌を吸って

一つ、何かやるたびに、タカオのバカが聞いてくる…

「怒ってねえ?キライになんねえ?…オレのこと…?」

「…ア…っ…」

ピアスホールを舐めながら…下着に突っ込んできたタカオの手が…オレの局部まで掴んできた…

「…ふ…」


崩れた布団に倒されて、たたんで積んであったスキ間に挟まるみたいに…折り重なって…動いてる…


「…ん……う…ぅ…」
「へへ!…カイ?」


「…は…ぁ…」



どうしよう…知らない間に…下着まで…濡れてきてる…
ひとの手の中に…自分のものがあるなんて…変な感覚だ…思ってもないように弄られて…くすぐったいし…ゾクゾクする……

ここで、こうくるとは…思わなかった…

予想外の…展開だ…


でも…


「カイ?」


また木ノ宮が…オレのピアスホールを舐めてくる。
舌先で…カタチを探るみたいに…

タカオの腕が…むきだしの肩を撫で…腰のあたりを這っている…



「…ぁ…ぅ…」




カラダ中が…違うモノに…変わりそう…だ…






耳のホールは、ふさがるだろう。



胸のホールは…どうなるだろう…




木ノ宮は…まだきっと…オレのホールの深さも暗さも知らない…

オレがオレでいるために…何かに依存し続けなければ、いられない…激しく渇いた飢えみたいな…オレ自身も、どうにもならない狂い……まるで癒えない傷のような…
おそらく遠い日に…親父や祖父に穿たれた闇い穴………その上に大きく開いた…底も見えない……深い穴…


いつか埋まる日がくるだろうか…


このホールにぴったり合う…何かで…?




それは……たぶん…


…あの、青い星のピアスにも…似ているはずだ…



ただ…もっと、綺麗に青く…大きくて…






「カイ?」

「木ノ…宮…?」

「ヘーキだぜ?オレって、これから、もっともーっと、でぇっっかくなるんだから!」



まったく本気な顔と声で。

写真よりも鮮やかな瞳で…ウィンクして…



驚くオレの上で…




タカオが、星よりも眩しい…

目の醒めるような青に煌く…




超特大の、ブルーサファイアみたいに… 笑った。










◇END◇