リーン…リーン…
カイの頭上、軒先に揺れる…ガラスの風鈴が、涼しい音を奏でてる…
風が揺れると、青いサメが赤いキンギョを追いかけて、追いつくたびに、弾んだシッポで中央のドラムを叩くという…一風変わった風鈴だ。
下に吊られた薄絹みたいな手触りをした夏草色の蚊帳の中、
浴衣のタカオが、左手に祭りウチワを握ったまま両腕全開で、かーっと寝てる…
カイも隣で、うとうとしてる。
頬や腕や素足に感じるココの畳は、ちょうどよく柔らかくて…冷んやり涼しくて…清楚なイ草の匂いがして…
…気持ちいい…
ジーッと低いセミの鳴声が、慣れたBGMに響いてくる…
真夏の午後の、ゆるい風…
抜けるような、濃い青空…
ときどきタカオが、空いた右腕をパタンと伸ばしては、カイの唇に触れてくる…
どうせ…寝てるくせに…
いちいち丁寧に元に戻してやるのに。ニヤけた寝言を呟いては、また伸びてくるから…
何か、そんな夢でも見てるのかもしれない。
カイはちょっと赤くなった。
いかがわしい夢を見てるなら、即刻たたき起こすべきだが…
タカオの寝息で、襟から覗く陽焼けた胸が上下する。それを眺める横向きに、少し丸まったまま、…縁側に食べ残したスイカの色へと瞳を上げる。
これで、何度目だろう…
外は、ジリジリ音のするほど蒸し焼きなのに、
風通しのよい広々した家屋に涼しい樹木が茂るここは、別世界。木陰をくぐった風が、心地よく吹き抜けて…
眠くなる。
まったく何もしないで、ずっとゴロゴロしていたい。
まずいな、とカイは思う。
ここにいると…ヒマすぎる…。
それが、いけない。非生産的だ。
すると時々、赤くなる。
これはムダだ…完全に…ムダだ…
カイは時々落ち着かない。
でも…うつらうつらと気持ちいい…
まぁ、いいか…
あぁ…まただ…
…これは…いつもの何かに似ている。
…そうそう…セックスの時とか…ん?……違う違う…
気のせいだ気のせい……
……まぁいいか…
また額のあたりに、タカオの指先を感じながら、うとうとしていると…
頭上で、もう一度、リーンと鳴って…
夏の夜の短い夢みたいに、昨日のことを思い出した…
「オレ、これが、いーな〜。カッコイイじゃねえか!」
電車を乗り継ぎ、かなり遠くまでやってきた…地下のポルタ街でタカオが騒いでる。
隣でカイは、微妙に焦りながら、いつ逃げ出そうかとスキを窺っている。
なのにタイミングを誤った。
浴衣と和装小物がずらりと並んだワンフロアで、タカオがカイの手首をきつく握ってる。
温かい。
力強い。
居心地いい。
でもそれとこれとはまったく別だ。
カイは必死に抵抗したが、しかしそれこそ敵の思うツボだ。
タカオは夏休みの海水浴場なみに浮かれているし…二人の周りには、イロモノ浴衣が、サカナの大群をはらんだ高波みたいに押し寄せてる。
近頃完成したばかりのこの場所を、キョウジュに聞いて、タカオがやたら行きたがり…
このデート先(なんてカイは認めていない)を賭けて、勝負した。
ベイバトル、一本勝負。
本来のジツリョク通りなら当然、自分が勝つはずなのに…なぜか…こういう時は決して外さない、木ノ宮の実力はまったくナゾだ。それともホントに自分が弱いのか…?
弱い?オレが?何に?…ナゼ?……そんなハズあるものか!
憮然と見上げたカイの前には、今年の流行和モノが、ぎっしり整然と並んでる…
「いったい…何なんだ…これは…」
「え?だから浴衣だろー?」
「バカが。それは見ればわかる。オレが言いたいのは、なんでユカタがホラーかってことだ」
「ええ?おまえ、知らねえの?今年、流行ってんだよこういうの」
流行ってるだと?コレが?
カイは上目遣いに睨みながら、マジメに考えた。
伝統芸から、ほど遠い…あちこちに羽つきドクロを赤く染め抜いたブラックの…むしろ、違うトコでよく見慣れた…
「ん〜けど、ど〜っかで見た気がすんだよな〜この模様…」
「バカめ。シェルキラーのエンブレムだ」
「お〜っ?!そうそう!カッコイイよな〜コレ。オレ、やっぱ、これにしようかなー。あっちのクモの巣も捨てがたいけど…あと向こうのコウモリも…うーん悩むぜ。おまえは、どれにする?」
「………」
「そっか、じゃあ、おまえのはオレが選んでやるよ!」
「……おい」
「任せろって!」
「………誰が何を任せると言った!」
一緒に花火見に行くから!新しい浴衣、買いに行こうぜー!!
と、提案したのはタカオだ。
だが問答無用だ。
某国家的陰謀なみの暴挙だ。
拒否権なんて発動する前に連れ去られてる…
まったく、そんなものまで条件に折り込み済みだったとは、うかつだった。
やはり賭け事は、よくハナシを聞いてから、行うべきだ。
「負けは負けだから仕方ない」と、確かに最初は言った………言ったが……
「じゃ、おまえはコレな」
タカオがまた、別なフロアに引っ張りまわし。連れ回されたカイの表情が…硬いままに固まった。
「きさま…オレに…何させる気だ」
「え?だから花火行くんだろ?コレ着て…キレーだよな〜コレなんかいいよ〜。なんつったって、おまえは華があるし!」
たしかに、花は、ある……
目の前の値札のついた浴衣には…
ピンク地に、サクランボとバラ…
ライトブルー濃淡に、イチゴとクローバーの絡んだハート型の花輪…
黒地に、薄桃、黄、白のカサブランカ…
「…て……おまえ…全部、女モノだろうが!!なぜオレが女装などせねばならん!!」
「そういうわけじゃねえけど…オマエ、赤と黒とか派手なの好きじゃん」
「その前に、色々と間違っている」
「そうか〜?黒地に白ユリなんて絶対ぇ似合うと思うけどな〜」
「葬式みたいで嫌だ」
「そんじゃコレは?何か変わっててよくねえ?おまえ、変わったの好きだろ?」
カイは再びジロリと睨んだ。
…たしかに変わってる…浴衣としては…
黄色地に、パラソルとティーセット…
白地に、金魚鉢と蚊取り線香…
若緑濃淡に、ブーツとダイヤモンドリングとワンピース…
「だから、何で全部、女物なんだ!?そういう変わり方じゃなくてだ!!しかも、おまえはオレに対して何か猛烈に勘違いをしている!!」
「じゃあ、アレとかは?女モノじゃねーぜ?」
「……オレを演歌歌手にする気か」
「じゃコレは?……ん〜でもオレ、同じ模様の皿見たことあるぜ」
「それは皿のメーカーが作ってるからだ」
「ふーん?手広く商売やってんのな〜。けど皿ってのがなァ〜んじゃこっちは?」
「この一帯はモード系ブランドだ。よく見ろ。同じ柄のバッグだのクツがあるだろうが」
「何だよおまえ、ブランド拒否?ん〜そんじゃあ…これは?オレはコレ勧めてえけどな〜」
「…断る。浴衣というより、なにか別なモノに見える…」
「なんだよ、そこがイイんだろ?」
「バカか、よく見ろ!アイドルのステージ衣装とかバレエのプリマとか何かそんな感じだろうが!!」
「そこがイイんじゃねえかよ〜。どうせならオレ的にゃメイドとか…」
「殺されたいのか?」
「わーっ、わーった、わーったって。った〜く〜ショッピング施設で殺意みなぎらせんなよ。ホンっト、いちいちワガママだな〜おまえは〜」
「誰がワガママだ。おまえが言えたギリか」
「なんだよ〜おまえ、いつもぜってーフツー着ねえよソレみてえな服しか持ってねえくせに〜。だって変わったカッコ好きだろ?こう何つーの?フツー家や路上でコレはやんねえだろみたいな…」
「アレはオレが買うんじゃない。デザイナーが勝手に作るんだ」
「何それ…オーダーメイドとかゆうやつ?」
「いつも家で使ってるデザイナーが、オレを見るとインスピレーションが湧いたとか何とか抜かして、勝手に製作する。それを着用してるにすぎん」
「ふーん?……けど…おまえが黙って着てるんなら、それ、すげー気に入ってるってコトじゃん」
「………それは…」
「つまりおまえはヘンなの好きだし似合うってコトだよ!ついでに、そのデザイナーに頼んでさあ、今年は変にエロい水着と、変に脱がせやすくて激ヤバな下着も作ってもらってく……ギャーッ」
頭頂部を抱えてうずくまったタカオの横で、
今度はカイが指さした。
「フン。変、変、きさまに連発されたくない。……それほど変にこだわるなら、コレはどうだ?おまえの大好きな龍が入ってるぞ。ひとに女装させるなら、まずは自分がやってみろ」
「龍〜?!」
ドランザーの攻撃型軸で殴られたタカオが涙目で見上げると、大輪のカトレアに、うねうねと一匹の長いドラゴンが巻きついている。
「どうだ?女モノとしても斬新だろうが」
「おお〜。ドラグーンがいる……でも青龍じゃねえもんな〜。コレどっちかっていうと黄龍じゃねえ?オレ、青がいいよ、青〜」
チッ…自分だって、たいがいワガママなくせに…
カイは舌打ちしながら、それでもまた次のフロアに引きずられていく…
なにか…ムダだ…。
タカオと居ると…イチから十までムダだらけだ…
しばらく、あちこちウロついた後。
とうとう先に試着室に入ったタカオが、不機嫌な顔で腕組みしているカイの前に、
カーテンを跳ね除け、現れた。
「なー?!カッコイイだろ〜!?見てくれよカイー!」
結局、
ジブンはコウモリにしたらしい。肩のあたりにぼかしの入ったクモの巣と、三日月をあしらった流雲、そこにコウモリのシルエットが白く染め抜かれている。すっきりした藍染の綿紅梅が、ホンモノの武家らしくて爽やかだ。角帯は腰骨のあたりにキッチリ締められて、足許は同色の雪駄。…綺麗に着こなしている。
カイは、一瞬、ドキリとして…それから、ますます不機嫌になった。
なんだ…木ノ宮の奴……
……もしかして…似合ってるんじゃないのか…?
元々、和モノな男だしな……とすると……カッコイイのかコレは?…カッコイイだと?……認めたくないが……かなり………いや無い、それは絶対無い!!……
「じゃあカイは、コレな。ゼッタイ、オレ、これがいい。な、試着してこいよ!」
「だから、おまえの目はフシ穴か!」
「いいから着てみろって。イイカンジだって。おまえは地味なの似合わねえんだよ。どっちかってえとフワフワしたカンジがいい。いっそ芸能人ぽいのとか…何かこ〜男がフツーは着ねえやつ…」
「オレは普通でいいんだ!というか何でオレが女物の浴衣きて、おまえと二人で青木川納涼花火大会なんぞに行かなきゃならない!?」
「だっておまえ負けたじゃん」
「…」
「で花火に浴衣は付き物だろー?いいじゃねえか元々そういう約束だったんだから〜」
「いつそうなった」
「エ?だからオレ的にはさ〜チョウチョみてえの着せてえけど…アゲハ蝶みてーのとかさ〜イイよな〜。でもコレも似合うと思う!なんならオレが着付けしてやるよ。心配すんなって、すぐできるから!」
「おい待てっ誰も心配など…というか、ひとの話を聞け!!むしろ、キサマのアタマがチョウチョのようだっ」
仕立て上がりのユカタごと、カーテンの内側に押し込まれ、狭い室内の隅に圧しつけられて、ジタバタ脱がされるのは…まるで…
プールの強姦!?…シャワー室とか…!?
カイは慌てた。
「き…きさま、何を…」
「いやオレ、自慢じゃねえけど、おまえ脱がすの慣れてるし。和服も、いちお慣れてるから」
「そのヒモは何だっ」
「これで最初に縛るんだよ」
「こ…こんな所で、きさま、そんな性癖を…」
「違うって。まァそれもイイけど。そりゃまた今度な、新プレイにとっとこうぜ!」
「離せバカっおまえの悪趣味につきあう気は…」
やや、しばらく…
暴れた小部屋が静まった頃、
等身大の鏡に映っていたのは…
幻想的なグラデーションの淡いブルー地に、大小の純白な牡丹花が流れる、清楚で艶かしい浴衣姿…
帯は流行りの兵児帯で、淡いパールピンク地に銀葉が鈍く光る…
結びは角だし。
カイの白い手首には、帯と同じ生地の巾着カゴが巻きつけられて…
足元はヒールタイプの黒塗り下駄。鼻緒の先に、白い足指がチラチラ覗いている…
まるで雑誌のグラビアから抜け出たようだ。
「ホラな、すげー似合ってるだろ?」
ナゼだ……おかしい…
鏡の前で、カイは愕然とした。
タカオはすっかりご満悦だ。
「イイな〜ソレ!や〜っぱ勝った甲斐あったぜ!ついでに髪も結えよ。花とか飾ってさ〜かんざしつけろって。可愛いから!」
「断る!!」
「帯留も可愛いのあるぜ?…ほら、ビーズのコサージュとか…」
「要らん」
「何だよ〜いいじゃねえかよ〜似合うのに〜」
「それはキサマのアタマがビーズのように空洞だからだ」
…コイツはやはり、すべてにおいて、間違っている…
「持久モードの尖った軸でホントに脳天ブチ抜かれんうちに退け」
「ちぇっ〜何だよ〜負けたくせに〜ついでなのに〜負けたくせに〜約束したのに〜潔くねえな〜」
「…」
結局、コサージュの帯留と、大きな花弁の揺れる、かんざしが増えた。
タカオはもはや有頂天だ。
カイはこれ以上ない仏頂面だ。
「そんじゃま、このまま金払って河原行くか。そろそろ夕方だし」
「オレは一度、帰る」
「え!?何で??」
「バカめ。せめてムダを省くためだ」
「なんだそりゃ」
「おまえには関係ない」
「ってオイ〜カイ〜待てよ〜」
カイは猛然と歩き始めている。浴衣の裾が翻って、白い素足が丸見えだ。追ってくるタカオが「カイー!!見えるってー!!おまえ全部見えるーっ!!」真っ青なカオで心配してる。しかしカイは聞いてない。
バカな…こんな姿で、のうのうと陽のあるうちに歩けるものか。
それも二人で…。
それにオレはヒマが嫌いなんだ…。
それに河原へ行くということは…当然、奴らに…
花火の夜の人出は、驚異的だ。
まったく、どれだけの人間がこの町に住みついて、そのうえ今夜に限って一ヶ所に密集していくのか…これほど人間がいたのかと疑うほど、人人人…
人の川に流されて、身動きつかない。
その状況で、充分、夕闇を狙って行ったのに…
「カイ〜!どうしたネ、その格好…ベリービューティフル!!アジアンビューティーなキモノ美人ネ!!」
おもいっきり鉢合わせてしまって、カイは土手の上で固まった。
しかも二人連れだ。…しかも二人ともエキセントリックな浴衣だし。…それはどうでもいいが…
カイは慌てたあまり、真顔で言った。
「マックス…人違いだ。オレは火渡カイじゃない」
「そうネ、いつものカイじゃないケド…」
「ああ。いつも以上に蠱惑的だな。とくに髪を上げた首筋あたりが…」
隣でレイが妙に大人っぽい雰囲気で、にんまり微笑んでいる。
カイはますます慌てた。
「レイ、きさま…怪しげな言い方で、ひとを上から下までジロジロ見るな。だからオレは火渡カイじゃ…」
「やけにめかしこんで、妬けるな」
「レイ、べつにオレは木ノ宮と来たわけじゃないぞ。それに人違いだ」
「これからタカオと待ち合わせか?」
「だから違うと言っている」
「まぁまぁ、落ち着くネ、カイ。なにも気にすることないヨ。ボクたち、みーんな知ってるから」
「みんなって、どこからどこまでだ。いや待て、どういう意味だマックス」
レイが落ち着きはらった声で、くっくっと笑う。マックスの青い瞳は楽しそうにキラついている。二人とも、からかってるのか本気なのかよくわからない。レイの綺麗な長い指先が、カイのアゴをするりと撫でた。
「う…」
ビクッとカイの首が退いている。
「どうだ、カイ?これからオレと?まあ、一夜の過ちも、人間ならば、あることだ」
「アヤマチって何だレイ。オレは何も間違っていないぞ。まちがってるのは、むしろ木ノ宮のほうだ」
「そうネ、タカオを選んだのが、そもそものまちがいネ」
「誰が何を選んだんだマックス」
と言ってる背後から、
「おーい!カイ〜!なんだよ、先に来てたのかよ!だから一緒に行こうって言ったじゃねえか!!」
問題ブツまで現われた。
この人混みだというのに、全員どんな目をしてるのか、まったくナゾだ。
ナゾだらけだ…
「まったく、妬けるな」
「だろだろ〜。もう何かスゲーって感じでさ〜も〜キレーだから〜カイ〜」
「木ノ宮、少しはキサマ空気を読め!というか黙ってろ!!おまえが入ると余計ややこしく…」
「やっぱりタカオにはもったいない気がするネ」
「同感だ。オレが先に出会っておけば良かった」
「え?なになに?何か先着順なの?」
「木ノ宮、黙ってろ。というかおまえ…どこに手を…」
さっそく背後から抱きついてきた腕が、合わせた襟のスキマから、さくさく浸入している。
「こらっ木ノ宮ッ」
「タカオ〜カイが嫌がってるネ。こんなトコで、やっぱりエスコート失格ネ」
「そうだなぁ。やはりタカオには任せておけん気がするな」
「レイ、だからおまえの見間違いだ。オレは火渡なんて男は知らん」
「かまわんさ、オレはどんなマチガイでも」
「オレは何も間違っていない」
「おいレイ〜!!おまえ、もしかして、さっきからカイのこと、くどいてる!?なに誘ってんだよ!?」
「ふっ…あいかわらず、そこだけカンがいいな、タカオ」
「え、マジ!?」
「ストーップ!!ちょーっと待つネ。じゃあ、このさいダカラ…」
「あーっマックスまで〜っ何だよいったい〜」
「タカオ〜独り占めはよくないヨ。カイはみんなの私有財産ネ」
「おまえ…なんか日本語オカシイよ……てアレ?カイは…?」
からん…ころん…からん…
黒いハイヒールの下駄が、土手の上を、一目散に逃げている。
何なんだ…アイツらは…いつも何なんだ…オレを見るたび絡んできやがって…
面白がっているのか!?…そうだ…何か…遊ばれてる気がする…
レイにしろマックスにしろ…
オレはシェルキラーのリーダーなのに…最強の武闘派集団だって率いてるのに………何なんだこの状況は…
無理に結い上げた短い髪が風にこぼれ、めくれた裾からすんなり長い素足が見える…
途中で、いくつか、
「あれ!?カイさん!?カイさんじゃないですか!??」
「カイさんだぞ!!」
「まさかカイ様!?」
「大変だ!カイ様が…」
「かっ…カイ様がすごいことに…!!」
「お待ち下さいっカイ様ーッ」
などという男どもの絶叫を多数、聞いた気がしたが、すべて無視した。
ご学友もシェルキラーもお坊ちゃまも
今は知ったことじゃない。
というか来るなオマエら!
誰も今のオレを見てはいかん!!!
というか何でここまでカンペキな女装なのに全部バレて…
「う…っ」
慣れないヒールが高すぎて…不覚にも…転んだ。
くそ……いっそ化粧まですればよかったのか……
そうだ…カンペキ度が足りなかったに違いない……潔さが………いや、もっと真っ暗になってから来ればよかった…
…なんでオレがこんなメに…
まったく面白くもない。
それもこれも全部、木ノ宮のせいだ。
ヤツがムダにヒマすぎるのがいけない。だから、いちいちオレが巻き込まれる…
「チッ…」
立とうとしたら、ズキンと痛んだ。
「バカな…」
なんて…情けない…
こんなことがあってたまるか!ヒールで足をくじくとは…
だいたいキモノにしろヒールにしろ下駄にしろ、全速力で突っ走るには不都合だ。
これほど非合理的な衣類が、いまだ存在する文化が、すでにいかん。
「!?」
白いフトモモ丸出しでベッタリ座り込んでいたら、背後に突然、欲望まみれの黒い影が近づいた。
「ひゃ〜おネェちゃん、スゲー格好ぉ〜。今夜のご予定はどぉーなってんのぉ?」
「お色気すぎて目がくらむぜ。カレシどこ?」
「いねーなら、おれらと遊んでよ。どーせ誰もご予約ねえんだろ?アンタを、お持ち帰りさせてよ」
「なんだと…」
古いうえに野暮なうえに下衆な声だ。
しかも目眩がするほど失礼だ。
誰もって何だ!誰もって!!だいたい誰のおかげでこのオレがこんな姿に…
無視したら、ザラついた手に、いきなり足首を掴まれた。
「きさまら…その手を離せ…」
「ナぁンか言ったァ?」
わざと鼻にかけたイカレた声が、しつこく耳元に吹きかかる。
ずるっと引きずられた。
ただでさえ転んだときにヒネった足が…痛い。
両手をついて顔を歪めたら、相手は獲物を捕らえて勝ち誇った顔をした。
「おれらが手当てしてやるよ、ナァ?」
「そーそー」
「このまま黙って消えろ。今ならトクベツ、2割引ていどで赦してやる」
「ヘェ…カワイイこと言うじゃん…でもびびって震えちゃってる?」
「誰のカノジョか知らねーけどカワイソーに」
「キレーなキモノがビリビリ破けちゃうよぉ?」
とり囲んできた影が三人とも嘲笑ってる。
カイの肩も唇も足首も小刻みに震えてる。
ギリ…と歯が鳴った。
「きさまら…誰が…」
「ハァ?」
「ナニ?犯されてえって?おれらに?」
「おとなくしくしてろよ、そんなら痛い目に会わずに、すぐ済…」
「誰が誰のカノジョだーっ!?」
ガシッ、とカイの巾着が三人連れの顔面中央にヒットした。
きれいに弧を描いて吹っ飛んだ真ん中の男の背中を、
今度は別な足が蹴り倒した。
「はぁい。オレオレ〜正解は、このオレのカノジョ〜でーす」
「なんだテメエ!?」
残りの二人が一斉に振り向く。
どっかの若旦那みたいな格好で、タカオが突っ立っていた。
「ばーか、そりゃオレのセリフだっちゅーの。オレの大事な箱入りカイに何してくれてんだよオメーら」
「木ノ宮ッ!?余計なマネをするなっ!だいたい誰が箱入りだっこいつらはオレの相手…」
「ええっ!?なになに!??まさかコイツらって、…何!?おまえの何なわけ!??」
「寝ぼけた勘違いするな!いいから、おまえは引っ込んでろ!いつのまに来やが…」
「ええ〜っちょっと待てよカイ〜もっかい聞くけどオレって、おまえの本命じゃねえの!?」
「やかましい!きさまと痴話ゲンカするヒマなど…」
「フッザケんなテメエら…さっきから…」
拳を突き出して、突進してきた体を、タカオが軽くよけた。
が、
すれ違いざま男が、背中に隠し持った木刀を抜いた。
「木ノ宮!!」
カイの顔色が、一瞬、変わった。
「おいおい〜まさかこのオレに試合の申し込み?」
「試合だァ?フザケんな。こいつァただの木刀じゃねえ。真剣なみの切れ味だぜ?テメエなんざまっぷたつだ」
「ふーん。特注かぁ…でもウチにゃホンモノあるしなぁ…じっちゃんのだけど」
まっすぐ突っ込んできた刀の先を、タカオが、寸前でかわした。
紙一重だ。
ギリギリまで引きつけ、つんのめった男の腕を、肘で撃つ。弾け飛んだ刀を素速く片手で掴み取り、逆にピタリと突きつけた。
「ひ…」
まっすぐノドに当たってる。
突けば、終わりだ。
クルリと回した剣さばきは、まるで円舞だ。
すらりと肩から伸びる剣が、なぜかひどく美しい。
カイは一瞬見とれて、それから気がついて急に腹がたった。
タカオはニヤニヤ笑ってる。
「やーっぱ100年は早ぇんじゃねえの?オレと勝負は…」
そのまま撃つでもなく、ポンと遠くに木刀を放り投げた。
「木ノ宮!!このバカ…なんで…!!」
「バカにしやがって…」
男の両眼が逆ギレる。巻き返せる、と信じた次の瞬間、
どかっ、
と今度は、カイの巾着が、おもいっきり男のわき腹を反対側へ吹っ飛ばした。
「バカかきさま!!なぜトドメを刺さない!!」
「いやだって…剣で相手するにはちょっと……つうか何その小物入れの破壊力…」
「フン、きさまの力など借りるまでもない、ということだ」
「ええ〜?」
「だから、きさまが来るまでもなかったんだ。あいかわらず余計なマネばかりしやがって」
「いやでも一応オレってばさ〜おまえを助けにきたヒーローっぽくねえ?首に抱きつく感謝のチューとかねえの?チューとか〜」
「あってたまるか。おめでたい羽頭め」
「でも、おまえの四天王よりゃ強ぇだろ?オレのほーが断然?」
「アタリマエだ!!オレより弱い男が、オレとつきあう資格などあると思うなっ!!」
そこで、最後の一人がハッとした。
「も…もしかして…あなたは…シェルキラーの…」
すでに遠くに埋まってた二人も慌ててヨロヨロ顔を上げた。
「かっ…カイさん!??まさかカイさん!?」
「すっ…すんませんでしたっ!!まさか、あの武闘派集団で有名なカイさんだったなんて…」
「し…知らなかったんですそんな格好だから…お…おれら全員…前々からあなたに憧れて……ぐはあーっ」
雪駄と巾着が、見事に同時にヒットして、
黒い影が、3つまとめて夏の夜空に吹っ飛んだ。
「だからオレは火渡カイじゃないと言ってるだろうがっそんな格好もあんな格好もないっ!!今見たものはすべて幻だっ!!忘れろ!!」
「イヤもう誰も聞いてねえって」
「……」
「それよりカイ…」
「まだ言うか、きさままでオレを女扱いしやがって…」
「じゃなくて、大丈夫なの?おまえ…」
「フン…だから誰に言っている」
カイは河原の草むらに、ヒザから裸足のくるぶしまで約1センチほどめり込んだまま、パールピンクの巾着を振り上げた。
「こいつの底には、鉛板と鉄球が仕込んであるんだ」
「は?」
「おまえと別れてから、急遽、仕込んできた」
「………何それ…もしかして…あの…いつも腕につけてる赤いやつの代わり?」
「当然だ。今日のコーディネイトに、アレは合わない」
「いやでも…いつも無いほうが…オレ的にゃナマ腕丸出しで、嬉しいんだけど…」
「ふん、そのテには乗らん。オレに筋トレをサボらせる気だろうが」
カイはなんとなく得意気だ。
しどけない格好で、ずっしりクソ重い巾着カゴを顔の前にブラブラさせてる。
タカオは隣に座りこみ、突然それごと、ぎゅうっとカイを抱いた。
「おいっ何をする!!」
「イヤなんとなく……ま、気にすんなよ」
カイの背中で、タカオの手に拾われた黒いヒールが一緒に揺れる。
転んだ拍子にヒネってしまったカイの足は、ヒザの上まで泥だらけだ。
「ごめん。でも似合ってたんだよマジで。でも…あ〜やっぱ一人にすんじゃなかった」
「なんだと?おまえ、オレをナメてるのか」
「イヤ無い無い…めっそうもない全くアリマセ……あだっ」
鉄球入りの巾着が、ゴトンとタカオの頭上に乗った。
「あ痛たた…って何だよコレまんま凶器じゃねえか。…なんで?わざわざ、こんな祭りのときまで…」
「フン、きさまのようなヒマ人間にはわからんことだ」
「いいから教えろよ」
「ただの花火鑑賞ではヒマすぎて、時間がムダで、もったいないからだ」
「はい?」
「この余暇を有効利用して腕と上半身を鍛えるために、さっき火渡産業の工場裏で作成してきた」
タカオの眉根がつい寄った。瞳は上を向いている。
「またかよ、おい〜。デート中まで、ヘンな基礎トレ考えつくなよ」
「誰がデートだ。きさまがオレを、巻き込むからだ」
「なんかよくわかんねえけど…とりあえず余暇っておまえ、ムダでヒマだからいーんだぜ?」
「おまえのは多すぎだ。おまえの成分を分析してみろ。おそらくおまえの95%はムダとヒマで構成されてるはずだ」
「残りの5%は何なんだよ」
「あとは食うとか寝るとか歯を磨くとか、そんなのだ」
「何だよそれ〜…あ、わかった!その95%って、カイのことだぜ?」
「オレは9割5分も、おまえに付き合ってない」
「いやオレの妄想分も入ってるから。夢の分もあるし」
「きさま…このオレがムダでヒマな存在だと抜かす気か!?というかおまえ、日頃オレで何を妄想している…」
「ヒミツ〜。言ったら殺されそうだし〜」
「……おい…」
「まぁ、だからつまり、ムダとヒマってのは、人生でもっとも大切だってハナシだよ」
「木ノ宮!ごまかすな!!」
「おお〜…花火…」
どーん。
と鳴った白い煙の空砲の後、
ひゅるひゅる上がった光の玉が、墨色の空に、ぱーんと散った。
漆黒のキャンパスに、光の絵画が、大きく大きく広がる。
それからゆっくりと、
炎色の粒々が、幾千幾万も、二人に向って降り落ちてくる。
「うわ〜光のシャワーみてえ」
タカオが、ため息みたいな歓声を上げた。
今年度の大会開始を宣言するDJが流れ、イタリア音楽にあわせて、花火たちが、ゆらゆら揺れる川面の舞台で踊りだす。
まるでワルツかミュージカルだ。一大パノラマだ。
光の大劇場だ。
呆けたみたいにタカオと一緒に見上げて、カイは、少し驚いた。
思ってたのと、違う。
近所に住んでたはずなのに、いつも通る河原なのに…初めて見た気がする。
これは…想像よりも、ゲイジュツっぽい。
そんなに…くだらなくもない。
タカオの隣は涼しいし、きらびやかに動く光の華は頭上いっぱいに広がって、音も光もヤケドしそうに散りかかる火の粉まで、全身を撃ち抜くほどの大迫力で。見晴らしのいいココからは、大勢の人々の楽し気なざわめきまでが肌に響く。
それは、なんだか悪くない。
川べりに向って、ざわざわ揺れる人の群れを、ときどき舞い上がる巨大な光輝の花束が照らし出した。
赤、青、黄、緑、ピンク…
その下には夜店の屋台が建ち並び、虹色に光るセルロイドのオモチャが、いくつもいくつも、くるくる回る。
まるで、夢のようだ。
ぼんぼりみたいな灯りの中に、子供たちの笑い声と甘い菓子や安い玩具が宝石みたいに下がってる。
「アレ、買おっかな〜」
「なんだ?チョコバナナとか、わたあめか?」
「え…?」
夜店を見ながらタカオが笑った。
「違うよ。あそこの…あの…ウチワと風鈴。今夜の記念にさ」
「そんなもの…」
必要ない、とカイは言った。
バカバカしい。
そんなもの、菓子以上に役に立たない。
「なんで?」
「あたりまえだ」
そんなもの…
生きていくのに必要ない。
使えない。
力みたいに役立たない。
ウチワと風鈴なんかあったって、何も誰も倒せやしない。
圧倒的パワーとは、違う。
持ってたって、誰にも何にも勝てやしない。
「いーんだよ、それで」
タカオが笑った。
その笑顔を、花火がくっきり照らし出した。
「なぜだ?」
「なぜでもさ」
また、ぎゅうっと抱いてくる。
あったかい。
ほっとする。
居心地いい。
なぜだろう。
でも、やはり…これは、ただのムダだ。
カイはやっぱり思ってる。
でも…
なんだか…これは…悪くない。
どーん、
と、また腹まで響く音がした。
タカオがそのたびに、ぎゅうっと抱きしめてくる。
そのたびに、全身を膨大なエネルギーで撃ち抜かれる気がする。
聖獣パワーより、すごい何かだ。
バチバチと、細かい炸裂音と硝煙の臭いが後を追う。
遠くでは、まだ「カイさん」や「カイ様」を探す声がする。
レイとマックスはきっと一緒に同じ空を眺めてる。きっと二人で笑ってる。
「ヒマな連中だ」
「オレ達もだろ?」
「……」
カイの背中で、黒いヒールがカラカラ鳴った。
「帰り、おぶってくから」
「要らん。たいしたことない。逆にヒネればすぐ治る」
「痛ぇこと言うなよ」
「おまえの足じゃない」
「うん、じゃあ、そーゆーことで。オレがおぶってくから」
「……」
空と川べりを、グランドフィナーレの仕掛け花火が洪水のように埋め尽くす。
その夜、
河原は美しい音と輝きで、巨大な光の滝になった。
リーン……
と夜店で買った風鈴が鳴る。
カイは寝返りをうった。
耳元に、タカオの寝息が聞こえる。
ここは、ウチワなんか無くたって充分、涼しい。
やはり買うだけムダだった。
風鈴なんかなくたって、誰も困らない。
足は、自分が言った通り、たいしたことなかった。ちょっと腫れて、歩くとズキズキ痛いだけだ。それでもタカオは、冷やして湿布を貼りつけた。
ヒマだ…
何もすることがない。
ここにいると、何も困らない。急がなくていい。焦らなくていい。戦わなくともいい…。敵を、必死に潰さなくても生きられる。
誰も憎まなくていい。
何に怯えなくともいい。
ただタカオの隣でいつまで眠っていてもかまわない。
リーン、
と、また風鈴が鳴った。
またタカオの腕が伸びてくる。
ときどきカイの頬が赤くなる。
…そういえば…まだ今年は…海に行ってない…
両サイドにヒモのついたギリギリの水着を持ってこいと、タカオがしきりに懇願してる。
そんなモノ誰がはくか!とカイはそのたび殴ってる。
それもムダなハズなのに…
ムダいいって。それがいいんだって。なるべく今年はヒマつくってムダにボーッとしようぜ!楽しいから!!
なぜかタカオの弾んだ声が聞こえた気がした。
◇END◇
|