「最近、リックと、うまくいかねえ〜!?だから、どうすりゃいいかってぇ〜??」

一応、来客用の茶托なんぞ出しながら、木ノ宮タカオが、妙な裏声を張り上げている。その目の前で、タカオの茶飲みトモダチ、兼、ご近所の主夫・マックスが、今にも泣き出しそうなカオで、うつむいていた。

「そう言われてもなぁ〜」
いつもに似ない相談に、ともかく相手に合わせて深刻な表情は、してみたものの。黄色い卓上ポットからお湯を注ぎ、超テキトーな緑茶を入れると、タカオの鼻先には、景気のイイ茶柱が、ぴょこんと一本、起っている。
「オレとカイは、いつだって激ラブ絶好調だしなー」
「タカオ〜!!」
とたんに、日頃は穏やかなスカイブルーの両眼が、ハリケーン災害なみに暴れだした。
「ボクは真剣ネ!!いくら自分がシアワセ絶頂だからって!!こんな時まで、ノロケないで欲しいネ!!」
「あ、わりぃわりぃ〜」
もっとも、サッパリ悪気のないタカオは…茶菓はカリントウと、ラムネ三兄弟、どっちにしようかと悩んでいる。
「でもよ〜、おまえらの生活って、オレ、よくわかんねえからな〜」
「それは…デモ…」
「んん〜アメリカ人の夜の生活ってどんなだよ?…やっぱ激しーのか?…ま、カイもあれで、けっこー夜は、すげーんだけどな〜エへへ〜!」
「んもゥ…そう、いう、…すーぐ、自分ワールドに浸って、また、デレデレと…!!」
「あ…いや…悪ィ。でもマジ、何か裏テクあったら教えてくれよ〜。カイにも、ぜひ、させてみてぇ…か……ら…………」

真正面から本気で呪われそうな眼光に、さすがにマイペースなタカオも、正気に戻って座り直した。

「…ま、いいや。んで具体的にゃどういう…?」
金髪をなびかせた、お向かいの親友は、またしても、どっと、うつむいている。どんより曇った暗い瞳は、いますぐ大粒の雨が降りそうだった。
「それが…リックが………ボクの作った…マヨネーズ入りチョコレートケーキと、マヨネーズ入りアップルパイを…」
「あぁ…食ってくれねえのか」
すぐに悟ったカオで、タカオは、しみじみ頷いた。
「そりゃわかるぜ、マックス。けどな……ありゃ人間の食いモンじゃねえし。いくら愛してたって、リックにも出来るコトと、出来ねえコトが…」
「なに言ってるネ!!」
「あぁ?」
「リックは当然、ちゃんと食べてくれるヨ!!全部、残さず、おかわりだってしてくれるネ!!!」
「なら問題ねえじゃねえかよ…」
ふたたび、猛烈な突風に押し戻され、ドッキリひるんだタカオだが、
「……しかし、すげえな」
ちょっと感動のあまり、また別な方向へ飛びかけた。

「やっぱ、愛だな〜愛!!…オカワリって〜そりゃすげえよ…。まあでもオレだって…カイが食いてえって言うなら…たとえどんな魔境珍味でも…」
「タ、カ、オ!!」
「あ…はい」
「だからネ、ボクが困ってるのは…その時、リックが…」












「変な顔すんだってよ。あ、いや、マズイとかじゃねえんだって。それもある意味スゲェけどな。なんかもっと別な理由らしいんだけど…」

身ぶり手ぶりで、ようやく話し終ったタカオを、
綺麗に切れ上がった瞳が、ジロリと一瞥した。
「その理由が、わからないから?……理由を突きとめて何とかしたい、だと?」
きさま、また…ささいなくせに面倒なモメ事を持ち込んできたな…。という視線が、タカオを見ている。

「なー。何か考えてくれよ〜カイ〜。おまえ、そういうの得意だろ?」
「………」

部屋のド真ん中を堂々と占めるベッド端には、タカオの美しい恋人が、スッキリ腕組みしたまま、足を組んで座っている。優雅な銀細工に、ピンクのドレープが幾重にも入ったメルヘンタッチなダブルベッドだが……返ってきた、ややハスキーな低い声は、
メルヘンからは、かけ離れていた。

「そんなもの、当人同士で話し合えば済むことだろう」
「ミもフタもねえこと言うなよ、おまえ〜。それじゃハナシ、終っちまうだろー!!」
「話なら、すでに終っている」
「て、オイ〜」
あまりにも照れ屋なうえに几帳面、簡潔、実務的で、律儀すぎる彼から、友達思いな行為を、わかりやすく引き出すのは、かなり難しい。しかしタカオは慣れているので気にもせず、いつものように肩や色白の首のあたりにスリスリすり寄って、ねだってみた。
「かもしんねえけどよー。それが出来ねえから、わざわざマックスが相談に来たんだろー?」
「……いずれにしろ、おまえが首を突っ込むことじゃない」
「いーじゃねえかよカイ〜。マックスが困ってんだ。友達だろ〜?なんか力貸してやろーぜ?」
「………」
「なぁなぁ〜」
「………」
「じゃあ、代わりにオレ、今夜ァ、カイにィ、こないだ試しそこねた、すっげーキモチイイコトしてやるから!なっ!!」
「…………きさま」
「きっとヤミツキになっちまうくれェ気持ちイイーコト!!」
「…………」

一見、淡白で無表情な頬が、とっさに染まっている。
とはいえ、
しばらくすると、小さな薄い唇を引き結び、いっそう不機嫌に黙ってしまった。

「勝手にしろ。ともかく、オレはごめんだ。他人の情事に介入するなど…」
「けど、マックスは大事なトモダチだろ〜?」
「それとこれとは、別問題だ」
「たく、かてェよな〜カイは〜。ま、それだけに浮気の心配も少ねェけど」
「うっ…うわ……!??」



「……ま、いっか」

なにか怒らせてしまったうえに、カイが、なかなか相手になってくれないので。タカオは、
一度、諦めたフリをして、その間、家の反対側へ行ってみることにした。













異次元空間じみた屋敷は、大小さまざまなカタチの部屋が、迷路みたいに入り組んでいて、誰がどこに居るのかも、よくわからない。
外観はどこにでもある、やや大きめなだけの屋敷だが。中に入ると、もっと異様に広い感じがする。侵入者が、まちがって入ると二度と出られない…、という一風変わった日本家屋だが、居住者には、すこぶる感じがいい。
さまざまなレイアウトの部屋を器用に通り抜け、まったく迷わず到着したタカオは、こぢんまりした山っぽい部屋の前で、立ち止まった。


『すめらぎけのひょうさつ』


でっかく描き殴られた、真っ黄色いクレヨン文字が、力強く盛り上がっている。
盛り上がってるのは、細長く切った茶色の、色画用紙の上だ。それが、門の表札として、柱に、画びょうで止めてある。


「いっつも思うけど……よくわかんねぇモン貼ってあんな〜」
独り言に呟いてから、引き戸に手をかけ、タカオは、めいっぱい怒鳴ってみた。
「おい、ユーリィ、いるかー?」
「木ノ宮…!?」
と出てきかけた背の高いロシア人を、短い腕が、急いで引っ張り戻している。
「こら、タカオ!!ここは、オイラん家なんだから、黙って入ってくんじゃねぇ!!ちゃんと玄関で、ぴんぽーん、て鳴らせよ〜!!」
ユーリの腰の横から、フワフワした赤毛と大きな緑の瞳が、カラフルな穴グマみたいに睨んでいた。

「………あーハイハイ」

『ひょうさつ』

の下についてる、もう一枚の赤い画用紙に視線を落とし、タカオは、「おまえ…ここ、オレんちだろうがよ」と、一万回は言ったコトバを、いまさら繰り返すのも、もう嫌なので、(けど、こっちはこっちで疲れるんだよな〜)と思いながらも、要求を実行してやることにした。

「………」

赤い小さな画用紙には、下っ手クソなインターホンの絵が、白のクレヨンで、いっぱいいっぱいに描いてある。
その真ん中を、人さし指で、ぶっすり刺して、「ぴんぽぉ〜ん」と口で言う。

と、

「ハ〜イ!!誰だよー!?あ、タカオじゃねえか!!何か用かぁ!?」

今度は、やたら舞い上がった軽やかな声で、いそいそ出てきた少年に、思ったとおり目眩がしたが。それもいつものことなので、サックリ無視して用件に入った。









「エ?……アメリカ人の…夜について???」


あまりにも品のない、ダイレクトな質問に、
「いや…その…オレは共産圏の人間だから…資本主義社会の新文化は…ちょっと…」
うろたえたあまり、つい、ひと昔前の旧ソビエトなセリフを吐いてしまってから、「いや違う」と、ハッと我に返ったものの、

「なぁ、ユーリならさ、色々、知ってんだろ?」
「いや…オレは…」
「知識とか、すげえありそうじゃねえか!もったいぶらねえで教えてくれよ〜。夫婦モンダイの危機なんだよ!一般的な傾向と対策とかさ、ユーリなら、ズバリわかんじゃねえのか」

ユーリ・イヴァーノフは、どう返答すべきか、戸惑ったあまり、

…そういえば、もうペレストロイカが始まってモスクワに、マクドナルド1号店が出来てからだいぶ経つよな…などと意味不明なことを考えていたが、

「頼むよ!親友のマックスが、困ってんだ!」
「いや……しかし…」

逃避するスキが無いので、追い詰められてしまった。

ところが。
ちょうど、そのとき。

「木ノ宮、バカなことを、そいつに聞くな」


……ほとんど神々しく見える…助けが…現れた。


「カイ…!!」
「なーんだ。やっぱ来てくれたのかよ〜カイ〜!!オレがココだって、よくわかったな〜!!」

「きさまの脳はシンプルだから、選択肢の幅が狭い」
「エヘッ!それって、オレのことなら何でもわかっちまうってコト〜!??」

………いやそれは単純バカだから行動が読みやすいってコトだろう…

と、今度はユーリも冷静に思ったが、
泊めてもらってる社交辞令上、思っただけで、黙っていた。

それよりも…
せっかくカイに会えたので、二日前、渡しそびれた物を出さねばならない。というか、カイにそれを渡すために、わざわざロシアからやってきたのに、
国際空港でも迷わなかった自分が、木ノ宮の家の中で迷ってしまい、たまたま会った大地の部屋に泊まってしまった。それが一昨日のことだ。

おかげで、なにか…重大な誤解を受けている気がする…


向いに座ったタカオが、隣のカイに、ヒソヒソ囁いた。
「なぁなぁ、思うんだけどよ」
「ん?」
「アイツら…どっち受だと思う?」
「……知らん」
「大地のやつ…オレのカノジョが会いに来たーっつって喜んでたけど……カノジョの意味、わかってやがんのかな〜。また脳内ゴッコ遊びじゃねえのかよ?」
「……だから、知らん」
「じゃあアイツら……ぶっちゃけ、ヤってると思うか?」
「木ノ宮………バカか、きさま…下世話なことを聞くな!」
「下世話じゃねぇだろ。愛情表現なんだから〜。オレはマジで二人の心配して……つか、むしろユーリの心配か、この場合……」
「いいから、きさまはもう黙ってろ!!」


なにやら不穏な単語が、いくつか聞こえ……木ノ宮が、カイに叱られてるのは、よくわかったが。深く追及すると、余計ややこしくなりそうだったので、ユーリは、この際、何も聞かなかったことにした。

「それよりも、ええと…そうだ、……カイ。おまえに、これを」
「?」
「実は先日、昔いた例の修道院が取り壊されることになってな。……あれ以来、立ち入り禁止になっていたんだが…無理に入って、いろいろ回収してきた。そのとき、偶然、見つけたものだ」
「………」
濃紺の大きな封筒を覗き込んだ、カイの表情が、一瞬、動いたが、

「おまえ…これを届けに、わざわざロシアから?」
そう言ったときには、もう、いつもの無表情に戻っている。

ユーリが、穏やかに笑った。
「ああ。それに……どうしてるかと思ってな」
「大地が、か?」
「え?…いや…そんなふうに…見えたかな」
少し慌てた色が浮かんだが、こちらも一瞬だけで、やはりすぐ、元の笑顔に戻っている。

似たように色白、静寂、妙に読みにくい者同士の短い会話は、ときどき食い違っていたりして、
周囲からもカナリわかりにくかったが……当人たちは、とくに不自由ないらしかった。

カイの隣にひっついているタカオを眺めながら、ユーリが、また少し笑った。

「でも、もう……要らなかったのかもしれんな」
「どうかな」
「そうか?」
「まぁ、せっかくだから、もらっておく」
「そうか」

タカオと大地が、何だか暗号みたいだな〜と思ってるうちに、あっという間にナゾのやり取りが完了している。なぜか少し緊張していた空気が…ほっと柔らかく溶けた。

「ああ、それから…ボリスが持ってゆけと言うから…」
和やかな空気のまま今度はタカオに向い、ユーリは、旅行用スーツケースから、ビンを2本、取り出した。
「え?なになに?お土産?!……オレにくれんの??」

ビール瓶よりひとまわり小さい…1本には、透明な液体。
もう1本には、草色の液体…。

「………ロシア産…ウォッカ…」
そこで、珍しくカイが愕然と呟いた。

「コレ、もしかして酒じゃねえのか!??」
さっそくタカオが飛びついている。転がした透明なほうを、大地が覗いた。
「変な字ばっかで、ぜんぜん読めねえよー。何て書いてあんだ?」
「ストロワヤ。食卓の、という意味だ」
ユーリが笑っている。
「ストロワヤは…バイカル湖のほとりで作られる。バイカル湖のように、透明度が高くて味が澄んでる」

「ヘェ!バイカル湖かー懐かしーぜ!な、カイ!!よしっ飲んでみようぜ!!一気飲みーっ」
「よせ!50度もあるんだ。弱いくせに…こんなもの一気に飲んだら死ぬぞ。その前にノドが焼ける」
「焼けんの、ヤダな〜…じゃあ、ちょっと飲み」
「ダメだ。きさま、どちらかというと酒乱だろう。テンションが不要に上がるから危険だ」
「え〜っ!!いーじゃねえかよ!!せっかくもらったんだぜー!?」
「ダメだといったら、ダメだ!!ここで飲むのは、オレが許さん!!!」

カイが珍しく焦っているので。気にしたユーリが、大地に聞いた。
「……木ノ宮は、それほど…酒乱なのか?」
「知らねえ。けど……酔うとすぐ、人前でタカオに襲われるからカイが嫌がるんだって……前に師匠が言ってた。最後まで、したがるの??…だっけ?、止めるのが、もぅすげえ大変なんだって…」
「お…襲……人…前…」
静かに硬直しているユーリの前で、

「んじゃこっちは?」
人目もはばからずイチャイチャ抱きつき、タカオが、草色のほうを指さしている。慣れているのか…もうすでに慣らされてしまったのか…カイも、そのていどでは動じなかった。
「ズブロッカ。草の名前だ。ズーブルが食うから、ズブロッカ。この色は…おそらく、ズブロッカ入りってことだろう」
「ズーブル?」
「野牛のことだ」
「ホントだ。ラベルにウシの絵が描いてあるぜ!」

ふと、
カイが呟いた。

「野牛…か…。……そうえば…アレも、たしか…そうだったな…」

「アレ?」
「………」

しばらく、何か考えている。それから急に、
そこにいる全員が、ドキリとしてしまうほど、綺麗に微笑んだ。

「フン……そうか。なるほどな」

「どうしたんだよ…カイ?」

「木ノ宮、おまえ、今から行って、マックスを呼んでこい」
「えっ…じゃあ、もしかして、何か考えてくれたのか!?」
しかし、それには応えず、
「リックには、マックスよりも遅れてココへ来いと言え」
「わかったぜ!リックは後から来りゃいーんだな!」
それから、
「ユーリ、おまえ今、ヒマか?」
と聞いておきながら、答えも待たずに、
「今からオレがいう買物に行って、その後、おまえはマックスと一緒にキッチンまで来い。…キッチンに来る時は、木ノ宮とリックは連れてくるな」

次々と、誰も断る間もなく、指令した。

「え〜!?なんで、オレが入っちゃいけねえんだよー!?」
「答える必要はない。……おまえは、あの二人を喜ばせたいんだろう?」
「そぉだけどさ〜」
「なぁなぁ!オイラはー?!台所、行っていいかー?」
「木ノ宮とリック以外は、どちらでもかまわん」
「じゃあオイラ、カイとユーリと一緒に、行くー!!」

「なんだよ、大地もOKなのに〜何でオレがダメなんだよ!?」

しかし、いくらゴネてもカイが無視するので、
「ちぇっ。わかったよ〜も〜ぉ……ユーリ、行こうぜ?」
タカオは、ついに、むくれて立ち上がった。

タカオに引っ張られたユーリの頭には、

カイから、お買物メモを受け取る間も、思いっきり『?』マークが浮かんでいたが、
カイが『?』なことを言うのはいつものことなので。
とりあえずサイフと買物用のマイバッグを持って、木ノ宮と一緒に、出かけることにした。

部屋を出ぎわに、チラリと盗み見ると…

カイは…
なぜか

気付いた者が、びっくりするほど…
不思議に楽し気な光を、瞳の奥に、隠している……。



■to be continued■