ここからは…美しい水平線の彼方までが、よく見える。

青く光る海の向こう、空と重なる境界線が、傾きかけた陽に照らされ、うっすらオレンジ色に輝いている。

座っている場所から見下ろすと、石段が、まるで絶壁の岩盤みたいに連なっていた。
下まで、十数メートルは、あるだろう。

この体のわりには…ずいぶん上れた。
もっとも、このていどの高さなら、
以前のオレなら簡単に飛び下りることもできた。そういう訓練を、幼い頃から受けている。昔、ヴォルコフとオレの祖父が作った組織は、騙して集めた子供たちを地下に閉じ込め、無差別にレーザーをぶち込むような、地獄きわまりない異常空間だった。
オレが…
ふつうの子供にくらべて、感情の起伏がほとんど無いのも…
どんなアクシデントも、冷静に処理できるのも…
そう、しつけられているからだ。
たとえ目の前で人が死んでも、驚かないよう教育された。

なのに…
タカオと一緒になってから…オレは…
そういう所は…ずいぶん弱くなってしまった気がする。
以前より、ずっと動揺するし…体力さえ落ちた。
代わりに、オレは………
…いや、もう、それはいい。…オレの奥にだけ、しまっておけばいいことだ。


隣を見上げると、
木ノ宮は、さっきから…立ち上がったまま沈黙している。

コイツにしては……様子が…妙だ。

「おまえ…話があると言ったな?……なんだ?」

聞いてやったのに…それでも黙ったまま、遠い、水平線の向こうを、じっと見つめている。
唇を、かたく引き結んで…視線が、驚くほど険しい。

「どうした?」

いつものタカオじゃない。尋常ではない張り詰めた空気が…なにか…ひどく不安定だ。

「おい…木ノ宮?」

そのとき。
急に、上のほうから、
聞き慣れた…エンジンギアの音が届いた。
そういえば、この公園には、よくブレーダーが集まる。今も誰か数人で、練習している。入り乱れたベイの音と、子供たちの歓声が響いてくる。
それを聞くと、木ノ宮の表情が、ふと緩んで…
しばらく階段の上のほうへ視線を翻して眺めていたが…ついガマンしきれなくなったように、音のするほうへ数歩で駆け上った。

「お、やってる、やってる」
階段の頂上に、首だけ突き出して、木ノ宮は、いつもみたいに笑った。
「あーあいつ、スジはよさそうだけどな〜。直線攻撃しすぎだな。戦術おぼえりゃもっといけるぜ。あっちの奴は…まだまだか…でも練習積めば、いい線いけるぜ」
本気で、目の前の見知らぬ誰かを、応援している。

やはり…根っから好きなんだと思う。コイツの、そういう楽しそうな顔を眺めるのは…オレは…嫌いじゃなかった。
昔は、くだらないと思っていたが…今は…できれば、ずっと眺めていたいと思う。
それくらい…好きになった。
木ノ宮は、これ以上ない活き活きした顔で、他人のバトルを眺めている。

その瞳が、

突然、

影に塗りつぶされた。

「…ごめん、カイ。オレ、もうできねぇんだ」

一瞬、コイツが何を言い出したのか、わからなくて。オレは、階段の途中に座ったまま、黙って見上げ続けている。少し離れた上の方で、タカオの唇が…誰かのバトルをじっと見つめたまま、重く動いた。

「ドラグーンは、捨てた。だから、もう、できねえ。オレから約束しといて反故にするの…悪ィけど…」

「木ノ宮…?おまえ…なにを…言っている?」
まったく、わからないオレの前で、タカオは視線を戻すと、
今度は、まっすぐオレを見下ろして、はっきり言った。

「カイ、オレは、もう二度と、ベイはやらねえって…決めたんだ。だから…ドラグーンを…昨日、棄てた」

「棄てた?」
オレは…それでもまだ、よくわからなくて。
でも、言われた言葉の意味だけ理解して、おうむ返しに繰り返した。
「ドラグーンを…棄てた…だと?……昨日…?」

昨日…?……昨日…?!

だから、おまえ、まさか…オレに…あんな……

いや……しかし…
そんなこと、あるハズない。おまえが、ベイを捨てるなんて。そんなバカなこと…あるはずがない。
何を言ってるんだ、タカオは…。

オレは、無性に苛ついてきて、睨み上げて、低く怒鳴った。
「くだらん冗談はよせ。きさまが…捨てられるわけがない」
おまえが、ベイバトルを捨てるなんて…そんなこと、できるわけがないだろう?なぜ、そんな…あり得ない事を言うんだ?

なのに…
タカオは、オレを見下ろしたまま、聞いたこともないような静かな声で、そう言った。

「捨てられるよ。カイ、おまえのためなら」

「オレの…ため?どういうことだ」
タカオは、しばらく、黙っていた。
それから…ふと、微笑った。まるで、今にも泣きだしそうな瞳だけが、かすかに小さく微笑んでいた。

「ごめん、カイ。…オレ…レイと一緒に…つっても、ほとんどレイが調べてくれたんだけど…。ブルックリンとの試合の後、おまえが運ばれた病院と、診た医者っての探して……そんで…大転寺のおっちゃんに頼んでもらって…」

「……まさか…おま…え……」


「ああ、聞いたんだ。全部…おまえのこと…」




オレは…息を呑んで


…舌もうまく動かなくて…乾いたような掠れ声しか…出せなかった。



「……………勝手な…マネ…を……」

「ああ。怒ると思ったぜ?だから…言えなかったけど」

それを…知られたことも。
自分が…木ノ宮の行動を、まったく読み切れなかったことも。
すべてが、オレを驚愕させて、オレは…動転している自分を、隠しきるだけで、精一杯な気がした。

数歩、下りて近付いてきたタカオが、そこで立ち止まった。

「カイ…おまえがブレーダーをやめるなら…オレも、やめる」

しっかりした瞳が、オレを見つめている。
オレは…その視線を、必死に跳ね返そうとして、どうにか自分を取り戻そうと唇を痛いほど噛んだ。

「木ノ宮…勘違いするな」
「カイ?」
「オレは…やめない。最後まで、ブレーダーとして、ブレーダーのまま…」
「わかってるよ、カイ。おまえ…」

木ノ宮の不思議な視線が、綺麗に微笑んだまま、まるで貫くように、オレを視ていた。

「…オレとやって…死ぬ気だろ」

静かなその声が…何か別のもののように、聞こえる。
心臓が…滅茶苦茶な早鐘みたいに打って…今、自分がどこに居るのかも、わからなくなりそうだった。
オレは…いったい…どうしてしまったんだ…オレは…

「カイ…フザケんじゃねえよ。そんなバトルに、オレが、つき合えるかよ?!……って、言いてえトコだけど……」
そう、続けて。
その語気を、タカオは、苦しい吐息みたいに呑み込んだ。
「医者が……言ってた。おまえ…あの後、入院しちまってたのに…オレの試合のために…わざわざ病院、抜け出して来てくれたんだな。そん時も…もう危なかったってのに…
オレの部屋で倒れた時には…それでもう…手遅れだったんだって…。この後、どう処置したって、もうどうにもなんねえって言われて…オレ…とっさに、その医者、ぶん殴りそうになったけど……結局、殴れなかった……」

タカオは…そのままオレのほうに下りかけて、でも立ち止まったまま階段の途中に腰をおろした。
背を丸めて両膝に肘を落として、下を向いた顔から、静かな声だけが、まるで木々のざわめきみたいに、伝わった。

「オレさ、おまえが寝てる間、いっぱい考えたぜ?レイやマックスが言ってたみたいに…あの試合、止めればよかったのか、とか。おまえは、きっと、オレが止めたら…一生オレのこと許さなかったと思うけど。それでも止めたほうが良かったんじゃねえのかって、ずいぶん思った。
少なくとも…マックスとレイは世界の未来なんかより、おまえを守ろうとしたんだし。そう考えたらオレは…おまえのこと…あんなに好きだ何だって思っといて…結局…そんな資格も、なかったのかもしれねえなって…」

「木ノ宮…おまえは、間違ってなど、いない」

あまりに心臓が苦しくなって、オレは、急いで遮った。

だって、そうだろう?タカオ…
おまえは…オレの、ブレーダーとしての、プライドを守ってくれたんだ。何より、あそこで敗けたら…オレは、おまえに対して顔向けできなかった。
あの時のオレには、それが命よりも大事だったんだ。だからおまえは、絶対に、間違ってなんか、いないんだ。

なのに。
…本当に…悲しんでる声が、細く、でも、はっきりと言葉を吐いた。

「カイ…ありがとうな。でも、おまえがBEGA に行っちまった後…レイに言われたんだ。オレは…カイのこと、何もわかっちゃいねえって。最初はそんなハズねえよって反発したけど…結局そうだったかもしれねぇって…今は思う」

不意に上げた、その瞳が……

大きく、見開いて。

まるで…泣いているように、大きく、強く瞬いた。

「オレが…いるから!!カイは、そこまでするんだって!!命賭けて、死ぬまで賭けて…どんな辛ぇ手段とっても、たとえ死んじまっても…カイは、絶対に、やろうとするんだって!!いつも…カイは…そうなんだって!!…だから……」

…本当に…泣いていた。

「前も今も……オレのせいで、カイが、こんなになっちまったなら…オレ…もう、二度とやらねぇよ。出来ねぇよ!!だから…ドラグーンは…もう捨てたんだ!!」

透明な…ガラスみたいな雫が…こぼれ落ちている。

「レイに責められたからとか、そんなんじゃねぇ。アイツは、そんなことしやしねえ。ただオレ…カイが辛ぇ思いするの嫌なんだよ。でも…そう言うとカッコイイけど。
本当は…おまえが死んじまうかもしれねえって思ったとき、オレ、すっげぇ怖かった。でもそれが、オレのせいなんだって思っちまったら…もう、ベイなんて触れねぇって感じた。本当は…怖くて…どうしていいのかわかんねえほど、怖くなっちまって…もう、やりたくとも出来ねぇんだよ。だから、オレ…もう…戦えねぇんだ」

あとから、あとから…雫が、流れ落ちてる…。

「だけど、オレが戦えねえなんて、そんなの、もういいんだよ。それより、オレ…おまえのこと…なんも知らずに…こんなになるまで傷つけちまって…そんなことにも気付かなくて……ほんとに…おまえの気持ち…何も気付けなくて…。…おまえの心も…命も…めちゃくちゃにしちまって…………いまさら、あやまったって、どうにもなんねえのは、わかってるけど……ほんとに……オレ……。…カイ…ごめんな……ほんとに……ごめんな………………だから…」

……オレは……もう、二度と……やらない…。


「木ノ宮……」


なんてことに…なったんだ…
オレの予測を超えたことが…たて続けに起こって…
どうすればいいのか…わからない。
ボーグで、あれだけ戦闘訓練を受けて。もう人が目の前で、何人死んだって、気にならなかったはずのオレが…
……どうしていいのか…わからない……

だが、木ノ宮…やはり、おまえは誤解している。
オレには…おまえに会うまで…オレ自身の生きる目的なんて…何一つなかったんだ。ただ…他人の野望に踊らされて…
それを自分の野望と勘違いして…他人に、知らずに利用されて、生きてただけだ。

だが、おまえに会って、はじめてオレは、自分の意思で、おまえを選んだ。

おまえが、オレに、生きる意味をくれたんだ。

そんなおまえが、そこまでする必要が…どこにある?

それが…おまえにとって、どれだけ大事なものだったか、オレはよく知っている。
たぶん、おまえは、おまえ自身の命より、それが大切だったはずだ。
おまえのすべてが、いつでもベイに関わっていて。生きることの、なにもかもが、そこに向かってて…
それを知ってるオレが…タカオから…ドラグーンを取り上げるなんて…
ブレーダーであることを…捨てさせるなんて…

おまえの、すべてだったものを…
命より大事だったものを、このオレが…奪いとってしまうなんて…
…そんなことに、なるなんて……

「木ノ宮…オレは…」

どうして、そんなことに、なったんだ。

どうしてだ?

でも、オレには…おそらく、それしか…出来なかったんだ……
オレは…何もかも捨てて、おまえを目標に戦ったり…
敵を叩き潰して勝ったり…

むりやりにでも敵を作って、そいつに勝って…
そのために自分を酷使することしか…どうしても…考えつかない人間だから…

オレは……そういう生き方しか…知らないから……だから……だか…ら…


「木ノ宮…オレは…どうすれば、よかったんだ?」


どうすれば、いいんだ。オレは…

このままじゃ…オレは…




「カイ?」




「……おい…カイ!??」




それは…故意じゃなくて。

たぶん…偶然のはずだ。



思わず立ち上がって、木ノ宮のほうへ無理に駆け上がろうとしたら…

全身に、寸断されるほどの、激痛が走って。


一回だけ、短い悲鳴を上げた以外、

躯が、まったく動かなくて…


とっさに伸ばそうとした手が、

手すりを、

掴みそこねて、



爪だけが、かすった。




「カイィィ!!」




身体が…落ちていくのが、わかる。

でも、これで良かったんだと…思った。

たぶん…この高さから落下したら…今のオレなら…きっと、もたない。
一瞬で終れるだろう。何もかも…

オレ達の関係が、白紙に戻せたら…木ノ宮だって、そのうちまた…オレのことなど忘れて…きっとベイをやれる。


やっぱりオレは…おまえが好きで…

とても好きで…

おまえが泣くと…胸が痛くて…辛いんだ。

こんな痛み、おまえに会うまで、知らなかった。


オレは…

タカオ……本当は…おまえと…ずっと一緒に…いたかった…。

なのに、結局、最期まで、そんな人間にはなれなくて…

おまえをさえ、そんなふうに傷つけてしまって…

それでも、オレは…

おまえのことが、こんなに…好きだから…

だから…オレは…

きっと、死んだら、おまえを探す…

また…生まれ変わって…かならず、おまえを、探すだろう…。


そうしたら…今度は、オレも…

最初から…もっと…ふつうの家庭に生まれて…。

ふつうの人間として育って、生きて…。

ふつうの子供として、おまえと出会って…

そしたら、今度こそ、ずっと一緒にいられるかもしれない。

ずっと…本当に好きだった…おまえと一緒に…いられるかもしれない。



なぁ…木ノ宮…

それじゃ…ダメか?

ダメだろうか……?

タカオ……


悪かったな…おまえを…そんなに泣かせてしまって…

おまえの目の前でだけは…絶対に死なないつもりだったのに…
それだけ、うまく…いかなかった…

でも…どうか大目に見てくれ。


……もう、これで、何もかも…終…る…か……ら





「待てよッカイッ!!」


「待ってくれよッ……オレをッ…」




「……オレをッ置いてくなよッ!!……カイィイイイイ!!!」





意識が遠のく瞬間、

視界の端に、


タカオが、手を伸ばし、一緒に飛び下りてくるのが…見えた気が…した…




■to be continued■