「カイ……、…カイ……カイ?…」


なんとなく…呼ばれたような気がして、
目を開けると。

真っ白い湯気の中に、
タカオの輪郭が、ぼんやり見える。

「おまえ…沈んじまうぜ?…起きてるか?」
熱くもなく、ぬるくもない湯の中で、
体がふわりと浮いて引き寄せられた。

…また、腕の中に戻っている。

さっきまで、ベッドの上にいた。
タカオに、初めて抱かれて…
そのまま何回も抱き合って。
それから、少しだけ
気を失っていた気がする。

タカオに連れられて、浴室に来たのを、憶えていない。しかし、それも、
さっきまでの余韻が続くようで…嫌な気分じゃなかった。
後ろから、暖かい両腕に抱かれたまま、ゆらゆらと、たゆたうように浮かんでいる。
「……カイ…体…キツかったか?」
「いや」
「どこも…痛いとこねぇか?」
「ああ」
「どこも…苦しくねえ?」
「ああ」

また、しばらく…ものの区別のつきにくい、朝靄みたいな空間で、ふわふわ漂っている。

「…なんかオレ…また無茶やっちまったかなァ…?」
「おまえは、いつもだろ」
珍しく、自己嫌悪みたいな声が、後ろからして。それから、なんだか言いにくそうな小声が聞こえた。
「カイ…あのさ…オレ…その…おまえの中に……出さねえようにって…思ってたんだけど」
「べつに…いい」
それは…後のことを考えると体にはどうかと思うが。でも、そんなことは、本当に、どうでもよかった。少なくとも…嫌な気分じゃない。
「けど…あのな…えっと、その…」

「……ッ…木ノ…宮…!?」
指が…いきなり、また…挿入ってきて…思わず、湯面を叩いた。湯煙りが噴き上げ、体が半分沈んで、溺れそうな錯覚のまま、目の前の肌に抱きすくめられている。
「ワリィっ、カイ、すぐ終るから」
「……きさま…先に…言え」
湯気が…ノドや肺の奥まで入り込み、吐息と区別がつかない。

「…あッ…は…」
木ノ宮の中指が、オレの中に潜り込んで、さっきの残渣をかきだしている。また…同じところを擦られて…カラダが熱を思い出しそうになった…。

「もう…いいッ…いいんだ、木ノ宮ッ……ア…ッ…ぅ…」
熱が集まって…また…自分の中心が…欲しくなってる…。

「ヘヘッ、もしかして…カイ、また…したくなっちゃった?」
「バカ、きさまだろう、それは…」
「うん、オレは、そう」

コイツは……。

「あ…うぁ…」
そっと前からも握られて…躯が痺れる。これじゃ…本当に…

「カイ…オレ、ほんとに、してえけど…。何回だっておまえとやりてえけど…。でも…今は…やっぱやめとくよ。おまえの体に…あんまり障ると…悪ィから」
体に入った指は、それ以上は進まず、ただ、さっきの名残りを追い出している。
「だったら…もう…いい」
「カイ…?」
「いいんだ。少しくらい…残しといて…やる…」

コイツが全部、出ていくよりも。少しくらいは、躯に残っていたほうが…なんだか…
寂しくない気がした…。

「じゃ、体、洗おっか」
それから、じゃれるみたいに、しばらく、湯飛沫のなかで、もつれあって。木ノ宮がシャワーを飛ばしてふざけたり、二人分の体や髪を洗ったり、遊んだりして。最後に乾いた大きなバスタオルを一緒にかぶると、
何気ない口調で、聞いてきた。
「今日、どうする?」
「外に、行く」
「え…どこ?」
「近くの河川敷。それから公園」
「いつも…オレたちが集まってた?」
「ああ」

タカオは少し驚いて、しばらくの間、黙って考え込んでいた。それから、
濡れた髪を一緒に拭いて、いつもみたいに明るく笑った。

「そっか…。うん、よし、行こうぜ。今日…天気いいかな?」

バスタオルにくるまって二人で廊下に出ると、早朝の青い光が、差し込んでいる。

さっき抱かれてから、たった数時間しか経ってないなんて…かえって不思議な気がする。


…あんまり美しい…想い出みたいな時間だったから、かもしれない。

たぶん死んでも…オレは忘れないだろう。

オレの…カケラみたいな魂が…きっとバラバラになっても…タカオ…おまえのことを…憶えている。


だんだん明けていく暁の空が、いつも以上に綺麗に澄んで、透明な空気の音まで、聞こえそうな気がする。
「今日、すっげー良い天気かもな〜」
隣で木ノ宮が、軒先の向こうを見上げて、笑った。

白く透けた有明の月が、淡く光る橙色の雲の上に…まるで昨日を惜しむ名残りみたいに…浮かんでいる。







その日の午後。
二人で、まどろんだように眠って目覚めると、もう陽が高い。
食欲がないから断った食事を、それでもタカオに摂らされた後。
玄関を出たとたん、
全身に受けた陽射しが、強く眩しすぎて、反射的に目をつぶった。

後ろから、すぐに両手が、抱きかかえるように支えてくる。
「おまえ…二ヶ月ぶりくらいじゃねえか?外出るの。ウチ来て倒れてから…初めてだもんな」
「……ああ」
「ホントに…行けるか?」
「ああ」
「具合悪くなったら言えよ?すぐ戻るから」

連れられて、久しぶりに、通りに出ると…
街の喧噪にのって、あちこちに工事中の表示と、緑のネットシートが見える。ビル建設のボーリングの音がカンカンと活気づいて響いてくる。
「だ〜いぶハデに、ぶっ壊れてたからな〜。けっこう街も、これで元に戻ってきたっぽいだろ?」
「そうだな」
「BEGAの本部付近なんて、ひどかったけどさ、わりと立ち直り早かったよな〜」
「ああ」

たしかに……オレの身体より、はるかに優秀な進展具合だ。

物を…壊すのは簡単でも、作るのは難しい。
と、よく言うが。
ビルなんて壊れても、いずれ完全に、元に戻る。
同じ跡地に、もっと高いビルだって、建てられる。物とは、しょせん、そんなものだ。

人間は…
なかなか、そうもいかない事が…多いんだが…。


……心も…体も…関係も…。



通りを横切って、川へ向かった。
まだ、とても独りでは歩けないから…木ノ宮の右腕につかまって、ときどき休みながら、少しずつ歩いていく。

「ヘヘッ。なんか、オレ、おまえをエスコートしてるみて〜?」
「………べつに、塀や壁につかまってもいいんだ」
「あーも〜怒んなよ」

よく慣れた、河口の風の匂いが、近付いてくると、
「いっかー、カイ、いくぜ、いっち、に!!」
側溝を飛び越え、

「しっかり、オレに、つかまってろよ!!」
土手を登るときだけ、
半分抱き上げられるようにして、肩を貸してもらった。

海に近い川べりをぶらぶら歩くと、見慣れたコンクリートの橋が見えてくる。そこまで来ると、木ノ宮が、
立ち止まって、オレを見た。
「ここってさ、カイ。憶えてるか?」
「ああ」
「おまえと……初めて会ったトコだぜ?」
「わかってる」

だから今日…ここに、来たかった。

「オレ…あん時、おまえのこと絶対ぇ一生忘れねえよって、思ったけど。そしたら、やっぱり、ちゃんとその通りになった……って、なに笑ってんだよ?」
「オレは…おまえのことなど、数分以内に忘れるつもりだったからな」
「ひっでえな。なんだよ、それ」
フテた声で頬をふくらませたタカオは、すぐに、いたずらっぽい顔になる。
「でも、その予定…狂っただろ?」
「……狂わされた」
「へっへ〜や〜っぱ、オレだからなァ!」

昔からそうだったみたいに。大風呂敷を広げた、根拠ない自信満々な顔で笑って。それから…

「カイ、寒くねえか?おまえ、ずっと寝てばっかいたから…体、あんまり冷やさねえほうがいいだろ?」

昔よりは、ずいぶん大人になった顔で、自分のジャケットを脱いで、オレの肩に羽織らせた。


海から直接くる風が、Tシャツ一枚になったタカオを、吹き煽っていく。
そのとき、
ふと、
違和感に気付いた。

「木ノ宮…おまえ…」

タカオが、いつも…左腕と腰の後ろに必ずつけている…青のホルダーが、ない。そういえば、この二ヶ月、見たことがなかった。寝室に居るときは、あるいは外すのかとも思っていたが…
「あ…うん」
一瞬だけ妙な顔をして。それでも、
「いーんだよ、今日は、ベイバトルするために出てきたわけじゃねえから。カイ、おまえと散歩。んじゃ、次、公園行こうぜ?」
木ノ宮は…べつに変わらず…いつもと同じように…笑った。






この公園も、去年は、よく来ていた場所だ。
木ノ宮の家に泊まっていた間中、通った気がする。皆が寝静まった後でもオレは、一人で特訓していたし。ふつう人が来ないような所や、抜け道だって、よく知っている。

裏手から入ると、背後に海が見える。その海に面した小高い岡が、今日の終点だった。

「おまえ…マジ?」
木ノ宮が、唖然と見上げた。
「まさか…こんなトコ、のぼる気かよ?」
岡の急な斜面に、ほとんど絶壁にかかった梯子のような…
細くて長い、急な階段が…延々、頂上まで続いている。
もっとも、
いつものオレ達なら、一気に駆け登れるていどの所だ。
ただ…
今のオレを見比べて、驚いている。
「こりゃあ…さすがに…まだ無理じゃねぇのか。こんなキッツくて…長ぇの。その前に、おまえ…まだ、段差、上がれねえだろ」
「だから練習するんだ。上まで、ちょうど手すりがついている」
茶色に錆びた鉄パイプが、階段の中央を、胸の高さに頂上まで伸びている。そこにつかまれば、木ノ宮の手も、借りなくていい。

「これは…もう、いい」

木ノ宮に、上着を、返した。

「カイ…」
「オレは、遊びに来たわけじゃないんだ」

最初から、そのつもりだった。
ただ…ついでに…
途中で想い出を拾うのも、悪くはないかと…思っただけだ。

「気持ちはわかるけど…おまえ、今日だけで、もうずいぶん歩いたろ。陽も暮れてきたし…もう帰ろうぜ?」
「なら、おまえは帰れ」
「おいおい〜」
困惑して見つめるタカオを無視して、手すりに手をかける。

木ノ宮は、でも、やめろ、とは言わなかった。
「……おまえ〜…言い出すと聞かねぇからな〜」
「それは、お互いさまだろう」
「まぁ、そうだけど。……あ〜…ったく…わぁかったよ。んじゃ、行くか」
後ろで、渋々、タメ息が聞こえる。

タカオは…基本的には、オレのやる事には口出ししない。大地なら怒鳴りつけて一蹴することでも、
オレには何も言わないし。
レイやマックスになら言い返すことも、オレにはたいてい黙って従う。
やはり…コイツなりに譲ってるんだろう、とは思うが…。
オレも、タカオのやりたがることには、ほとんど口出ししないから、そこは、お互いさまだ。
「カイ」
「ん?」
「頑張れよ」
「ああ」
一歩、上がらない足を、無理に引きずって。
段に、のせた。
手すりをつかんだ腕の力で、引っ張りあげる。

タカオの足音が、後ろに続く。

昔は…オレがあまりに間違ってしまうと、強引に殴ってでも連れ戻しに来たりもしたが。
近頃は、そんなこともない。
オレが、余計な手出しされることを、極端に嫌がるのを知っていて、遠慮している。
だから今も、邪魔はしない。
ただ…少し辛そうな目をして…オレの後ろから、一歩一歩ついてくる。

急峻な階段は…思った以上に…キツかった。

すぐに息が上がる。まだ半分も上ってないのに…目眩と吐き気がして、
腕の力が抜けそうになった。

「…ッ」

伝っていた手すりから上半身が落ちて、膝をつく。そのまま倒れそうになるのを、
木ノ宮の腕が抱きとめた。

「よっしゃ休憩!いいだろ?」
「放せ。まだ…行ける…」

苦しい息を圧し殺して、そう言ったら、

「カイ…無茶すんなよ。また…体壊すぜ?」

木ノ宮は珍しく…オレの躯を抱いた昨夜みたいに…強引に手すりから引き離して、
階段の途中に座らせた。
そのまま抱き寄せて、オレの背中をさすっている。

「そんな真っ青な顔して…心配になっちまうだろ」
「おまえが…心配することじゃない」

「カイ…」

翳った瞳でオレを気遣う暖かい手を…
オレは…無理に、押し退けた。

いいんだ。木ノ宮。
その優しさは、オレには…もう…不要だ。

昨日、おまえに抱かれたときに、決めたんだ。




オレは、おまえとは…もう…



だから…オレは、

そう、

言った。


「木ノ宮…いつ、戦う?日を決めろ。オレは、それまでに、ここを上れるようにする」


あと一回。

一回だけ、出来ればいいと思う。オレの望むような、戦いが。そうすれば…
木ノ宮との約束も果たせるし。
そのくらいの力なら…たぶん、今ならまだ、オレの体にもギリギリ残っているはずだ。

階段を昇った苦しさで、吐き気が止まらない。でも、それだけじゃない。もともと食事を摂ることが、そんなに好きな性格じゃなかったが、食べないというより、食べれなくなっている。
どんどん体の内部までが麻痺してきて…衰弱していくのが、自分でわかる。
この先、いくら手足を動かせるよう最大限に努力したところで、元の体に戻るどころか、普通の生活すら、おぼつかないだろう。

…オレの…取り返しのつかない破片の刺さった心と…同じように。


だったら、

最後に、もう一度だけ…

おまえと戦って遠くに行ける力が、まだ残っているうちに…
それを使って、終りたい。

そうすれば。

この…もう…とうてい修復不能に壊れてしまった…オレの心と体を…オレは…喜んで捨てられる…。


…たぶん…おまえのことを永遠に想ったまま………自由に…なれる…




「カイ……」

しばらく。
タカオは、黙ってオレを見つめていた。
それから、おもむろに、

「オレ…おまえに、1コ、話があんだけど」
「話?」
「ああ。とっても…大事な話…」


なぜか、そう言って、立ち上がった。



■to be continued■