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…それは……奇妙な…光景だった。



黒く高くたたずむマリア像の輪郭が、ひときわ、くっきり際立つほど…背後に白い強い光が現れ……

それが一点に集中し
マリアの左胸に凝縮して、…心臓のカタチになる。 そこから、ふたたび四方に散った…。

飛び散った心臓のカケラは、さまざまな色彩の輝く結晶になり………ルビーの最高色ピジョンブラッドの真紅、…炎のオレンジ、…不安定でまっさらな純白、…透き通ったダイヤみたいな硬質の煌き、…温かくて柔らかな淡いブルー、…不可思議に輝くグレー、…金の混じった虹色…それに…闇の底の漆黒…

それらが……赤い色ガラスの電球を吊り下げた中央の高い円天井や、バラ窓、磨かれた床、左右の祭壇の像や、タカオの居る木製の長机の端あたりに四散し……そうして…一つ一つが徐々に…等身大の姿へと、カタチを変えた…


ニンゲン?


ヒトのカタチだ?…これは…?


…しかも…背中に…羽根が…生えている…


しかも顔が…


全員…オレ??……オレじゃないのか…??!



イロんな色の翼が生えた…イロんな年齢の、オレが……



……そこに……居た…。



キリストの足許には、

やたらキツい緋色の眼をした…偉そうに腕組みした子供が立っている。深紅の瞳で…豪華な黒い翼を堂々と広げ…それでも今のオレよりはまだ幼くて…髪も短い……。でも力は強そうで…コレは多分、シェルキラーなんか率いてた頃の…オレじゃないのか?近寄りがたい雰囲気を、威丈高にふりまいて、ほどんど不機嫌にこっちを睨んでる…。

中央の高いバラ窓のところには、

…もう少し落ち着いた表情のオレが、ピジョンブラッドに輝く…ルビー色の翼を広げながら浮かんでて
隣の丸天井の下では、光る炎色の翼のオレが…円を描くみたいにゆっくりと、こっちを見下ろし浮いている。

そして…ヨハネ像の肩の上には…
左が金混じりの虹色で、右がグレーの…色違いの翼を力なくダラリと下げたオレが…疲れきった物憂い表情で、像の首にもたれかかって座ってる。コイツは…そうだ…確かタカオも言っていた…透き通るみたいな肌と表情で…まるで今にも消えそうな…。翼も体も傷だらけで調子悪ィんだよって…タカオが…いつも…手足の色まで透けそうだから心配だって……そんな話を…


これが…タカオが、いつも見ていたオレの幻…なのか??
ウソ…の…よう…だ…
だが…
今ココに…こんなに…ハッキリ…


戸惑って奴を見たら、

…タカオのシャツのはしを掴んで、半分以上タカオの後ろに隠れながら…チラチラこっちを窺っている幼い子供がいた…。…コレは…ボーグに連れていかれたばかりか…その直前の…オレ?タカオの背中にすっぽり入るほど小さいくせに…瞳だけはやたら大きくて…カナリアみたいな淡いブルーの翼を縮めながら小刻みに震わせて…おずおず、こっちを見つめてる…

その隣には…透明な…キラキラ光る翼をつけた一番手足の長いオレが…机にゆったりくつろいで…おおっぴらに木ノ宮の肩なんかに寄りかかっては奴の首に両腕を巻きつけたり…唇でタカオの頬に触れたりしながら、楽しそうに笑ってる。

……………

な…な……なんだ!?………おい………やけに嬉しそうだな、アイツ…

一番背の高い…ちょうど今のオレくらいあるアレが…何がそんなに満足なんだとツッコミたくなるほど…やたら幸せそうだ……って…おいキサマっ…やめろっ!!オレが恥ずかし…


……一体、アレは…何なんだ!??


「きっ…木ノ宮…おまえ……」
「え?どしたの?カイ?」

タカオの瞳が丸くなった…。

「カイ?」

「…い……いや……」

…その…なんか…ヘンな霊みたいのが憑いてるぞオマエ……というか…離れろ、キサマら!!オレが恥ずかしいだろうが…!!オレの姿で木ノ宮なんかに公然とベタベタひっつきやがって………光る翼のアレが一番いかん!!…何だアレは…羞恥心のカケラもない…

「どうかしたか?カイ?」

タカオが、少し身を乗り出して、オレを見つめた。
怪訝な瞳だ。

見えて…ない…
コイツには、何も見えてないんだ。
もし見えてたら…「うっひゃ〜っ両手に花だぜ!」だの「すっげーよ!カイだらけ!オレ的パラダイス〜!!」だの…こっちが真っ青になるセリフを吐くはずだからな…

「カイ?どうしたんだよ?」
「……いや…………べつに…」
「なんだよ?急に慌てたり、いきなり赤くなったりして…どうかした?」
「……なんでもない」

バカな…オマエにべったり抱きついてる自分の幻が見えるから恥ずかしいだなんて……言えるか!

…真っ先に騒ぐハズの男が…こうも落ち着いてるとは、オレだけの幻影か。……そもそも、これは、現実か?…だとしても……いつも木ノ宮にしか見えなかったモノが…なぜ今、オレにだけ、見える…?

なぜだ??


「カイ、おまえ、いつまでも、んな入口んとこ突っ立ってないで、こっち来いよ。ホラ…?」

タカオが、さっきから腕を差し出してる。
中央通路をはさんで左右にまっすぐ整列した、鈍い光沢の黒っぽい長机…。整然とした一点透視図法の最奥で。並んだ机の最前列に寄りかかって、タカオが片手を伸ばしてくる。
マリア像の足元で、
「ほら、カイ…自分で来いよ?」
……笑ってる。いつも以上に、またワクワクした顔で。
「まぁ、いいから、とりあえず来いってば。おもしれえもん、あんだよ、ココに。だから来いって」
「……」


妙に気まずい緊張であたりを見回しながら、オレは…
…歩きだそうか……ためらった。

タカオの隣に、オレがいる。フワフワした翼で幼いガキ姿の…アレが…どうも…いけない気がする。
いや光る羽根のは、もっといけない。上のもいけない。下のもいけない。マリアすらいけない。全部、ダメだ…

なぜか、体が拒否してる…

「カイ?」
「……」

いったい何を企んでるんだ…コイツら…
こんなところで、こんなときに…
いやオレか?オレ自身なのか?本当に??

じゃあ、なんで、みんなでオレを視てるんだ…?

…奇妙だ…
まるで多面鏡でも覗き込んでるようだ…
どちらかというと…オレには…まるでバケモノでも映ってるような…
なぜだか、苦しいような…できれば見たくない…

二、三歩、木ノ宮に近づいて、
そこで立ち止まった。

これ以上は…もう…


「…!?…」


突然、


キリストの台座の下にいた…真っ黒い翼の奴が…


翔び上がったかと思うと、舞い降りてきて、…いきなりオレの腕を掴んだ。
なんだ…コイツ…ただの幻じゃないのか?!触感がある…驚くほど、ハッキリと…
しかも…オレよりガキのくせに…ものすごい力だ…

ぐいぐいオレを、引っ張って…
やたら不機嫌な顔で、タカオのほうに引きずろうとする…

ちょっと待て…やめろ!…オレは…そんなに急いで歩けないんだ…!!離せ!!……何なんだこの状況は!?コイツ…どういうつもり…… おい!?


「な?」


そのときだった。


足が、何か軽いものに絡まって…

下を見たら…
もっと小さな…

真っ白い光みたいな…何かが…?黒い翼の影から…トコトコと…


見えた瞬間、


「危ねえっ!!カイ!?」
「き…木ノ宮…?」

…抱きとめられた。

あんまり黒いのが引きずるから…何か、柔らかい小さなものにつまずいたんだ。

何だった?今の感触は……やけにフサフサした…
だが、何もない……もう足元には…

「へへっ!…ナイスキャッチ?」
まっすぐ飛び込んできた素肌の両腕が、
床にたたきつけられる前に、しっかりオレの体を捕まえた。

連中が、見てる…
まったくそれが正しいんだという顔で、あちこちから取り囲んだ翼の視線が、笑ってる。………なんだか…やはり…すごくヘンなカンジだ…これは…

タカオの両腕が、すくい上げるようにオレを胸まで抱き上げた。
「お…おい…」
「いーじゃねえか。誰も見てねえし。それとも、いっそ二人羽織の肩車とかイイ?オレはどっちでもいいけど」
「そういう問題じゃない」
「だって、おまえなかなか来ねえし〜待ちくたびれちまったぜ。せっかく教会で二人っきりだし!へへっ!やぁっぱオレ、一度はやりたかったんだよな〜。おまえ抱えてウェディングロード!」
「…バカか…おまえ…」

木ノ宮はバカだし…みんなが…見てる…。
オレたちは、大小さまざまなオレが注目するなか、まっすぐ、バージンロードの中央通路を、マリア像に向って進んでる。
何なんだ…この状態は…

焦って視線の落ち着かないオレを、タカオが笑った。
「どしたの?おまえ、さっきからきょろきょろしちゃって。なんか気になる?やっぱ恥ずかしい?」
「……」
それもあるが。それじゃなくて…

左側には大きなキラキラ翼をたたんだオレが、黒い翼のオレと仲良く並んで歩いてるし…頭上では赤いのが二人そろって見下ろしていて…ヨハネ像のオレもこっちを見ていて…タカオの腰の右側では、淡いブルーの羽根しょった小さなオレがパタパタまとわりついている…

………待てよ、コレだったのか?さっき、つまずいたのは…

…いや…違うな…


もっと小さかった…それに…もっと白かった…ような…


「カイ…」

歩きながら、タカオが言った。

「オレは…人っていっぱいいると思うんだ。その人の中にゃ、いろんな人がさ?」
「だから、どういう…意味だ?」
「オレだって、色んなオレが、いるだろ?」
「……よくわからんな」
「そうかー?オレなんて、…みっともねえのから、すっげーカッコイイのまで、……いっぱいいるんだぜ?ま、どれも正真正銘、1000%、一生懸命なオレ自身だけどさ?」

カッコイイってのは…どうかと思うが。
いっぱい、といえば… 実際、今、オレたちの周りには、イロんな歳の、イロんな色の翼をつけた、イロんな時代のオレがいて…こっちをじっと見つめてる…



タカオの足音だけが響き…マリアの立つ、鈍い光をだす黒の台座まで来た。


「教会の鐘が鳴ってる間にさ?、ココに手あててお願いすると、一生に1コだけ、そのひとの願いをかなえてくれるんだって」


青いヘブライ語の並んだ、この…黒い球体にさわると…?

まるで宝珠と菩薩だな…色といい…


「やはり変わったマリアだな」
「え?そう?黒いのはみんなそんな感じだって聞いたぜ?」
「黒いの?」
「うん。黒のマリアは、フツーの白いマリアより、ものすげー強ぇフシギな力があるんだって。だから、そこも白いのとは違う、すげートコなんだよ」

違う。違う?…そうなのか。

ふつうのマリアがなぜ、白いのか?

その白は、無原罪をイミする…
純粋な…潔白。
つまり、聖母は、神と同じだ。

あらゆる人間がもつはずの、「原罪」、を持たない。
すべての人に課せられた、すべての罪と罰から逃れてる…

…ひとの…原罪…

ひとは、神との約束を破り、禁断の木の実を食べた日から、
神と同じ知恵を持ち…代わりに、楽園を追放された。神は、いずれ自分と同じ力を持ったまま永遠の生命をも手に入れかねない、ニンゲンを恐れ憎み…神の王国から、放擲したんだ…

そんなものが「罪」というなら、神とはたんにワガママな奴ってことだが…
たしかに、その時から、人は神と同じように、善悪を知る叡知と、……それに匹敵する悲しみ、苦しみ、悩みを得ることになった。それまでニンゲンは、何も持たなかったんだ。すべてを神に預けてしまって何も考えることがなかったから……心もないが…痛みや悲しみもなかった。善悪もないが、怒りや苦しみもなかった。生きる喜びもない代わりに…永遠に死ぬこともなかった。

とすると……黒は…

原罪を背負ったマリア……?…と、いうことか…?

そうか…そうなのか。

では、これは、罪と痛みを背負う、人間としてのマリアだ。

胸の剣は、心の痛み。

剣先は、やはり己の胸を貫く。
シメオンの預言書にある……「この剣は、あなたの胸をも貫くでしょう」……その痛みとは、ひとが生きているうちに失う、大切なものへの悲しみを指す。

自身で持つのは、このマリアが、己の痛みを生むものが、ほかならぬ己自身であると知るせいだ。ひとの悲しみが、常に喜びと表裏一体をなして、同じ心から生まれるものだと知るせいだ…


愛を識るものだけが、愛する者を失う痛みを識る…

罪を識るものだけが、罪を犯す苦しみを背負う…


これは…ひとの…



「なあ、カイ…」
「ん?」

そのとき、タカオが言った。
オレの上から…
静かな…深い湖面に落とした白い小石が広げる…透明な波紋のような…声で…

「おまえは…てめえの大事な人間が、目の前で燃やされちまうの…見たことあるか?」
「なに?」
「ずっと一緒に生きてきて…これからも、ぜってぇ別れたくねえって思ってた人間が…ただの白い骨になっちまうの…見たことあるか?」

触れるほど近くにある…オレを、まっすぐ見つめる…フシギな視線…
燃えるような…でも死ぬほど悲しいことに、たった独りで耐えた抜いた、深い記憶を包んでる…

…蒼い炎……あの…恐ろしいほど静かに青い、聖夜に黒いマリアのイコンを見下ろしていた、十字架のステンドグラスに似た…


蒼い瞳が、寂しく言った。

「オレは、あるんだ。…母さんの…」
「木ノ宮…」
「それ、辛いぜ?…泣いても泣いても…どうにもならねえほど…辛いんだぜ?」

タカオの瞳が、蒼い…
どうにもならないほどの、苦しみを、ひっそり封じた色…

人間は、非力だ。
どんなに努力しても、越えられないものがある。
すべての生き物が越えることを許されない、絶対の罰。

−死−

でも、でも…それでも、どうしても……


「カイ…オレは……」


何だろう。このオレに向けられた、タカオの蒼い瞳は…

苦しい、愛しい、いっそ狂ったような…

だが、…オレは…前にも同じ瞳を見たことがある。

同じ蒼を、

二度。


最後は一緒に落ちたとき。

最初は……オレのラストバトルの、前日だ。



…あの日……オレは…



…はじめて…



………かんじた…感情…が…



その夕方、

皆で河原から帰る途中、ぞろぞろ連れだって歩く間、なんとなく和やかな空気と、勝手な会話が流れてた。
ただ、木ノ宮だけは、ずっとオレの隣で…一言も、口をきかなかった。
それでも、それまで神経がちぎれるほどピリピリしていた奴が、すっかり元に戻って落ち着いてしまったんだと…それは、オレも…なんとなく感じた。

隣を歩くコイツの…手の甲が、ときどき軽く触れるたび…感じる。

…熱っぽい安堵の…鼓動…

そっと…手首を握ってきた。

「木ノ宮?」

タカオが何も言わずに…少しだけ…笑った。


ほんとうに久しぶりに、一緒に門をくぐると、
タカオは、
道場へ向う全員から分かれて、まっすぐ母屋の奥の一室に、オレだけを…連れていった。
ずっと…黙ってる。
今までの経緯を考えると、頭ごなしに怒鳴られても仕方ないし…腫れるほど殴られるのも覚悟していた。それでも木ノ宮はオレに何もしなかった。ただ、「遅ぇ」とだけ呟いた。

あんまり静かで気味が悪いから、どうしていいのかわからなくなって…所在なく部屋の入口で立ち止まったら、

「そこ、座れよ」

両手でオレの肩を、部屋の中へと押しつけてきた。
オレの両肩を、背後から両手でつかんで、肩越しに覗き込む。
首にタカオの髪が触れ…胸の傷がズキリと痛んだ気がした…

「おまえ…ひでえ傷だぜ?」
「そんなことは、どうでもいい」
「よかねえだろ。ちょっと風呂入ってこいよ。手当てしてやるから…」
「いい」
「ダメだって。ったぁく…やーっと会えたんだぜ?たまにゃオレのいうことも、聞いてくれたっていいだろ?」
「………」
「おまえってホント勝手だし…オレに心配かけんのも天才的だけどさ…手当てくらいさせろよ」
「………」

どこか感情を抑えるみたいな低い口調で言って…それから、

「今夜はこの客間に布団敷くから。それとも、みんなと一緒に道場で寝るか?」
「ここで、いい」
「そっか。そうだよな…やっぱおまえは、一人がいいよな。試合前だし…」

床の間の隣にあった、押入れの引き戸を開け、中を探った。

「おまえの着替えとかもさ、全部あるから。心配すんな。前に置いといたやつ…一つ残らずしまっといたから。オレ、おまえが、いつ帰ってきてもいいように…服も全部…そのままに…しといた…から…」

暗がりに首を突っ込んで…不意にタカオが黙った。吸い込まれるように声が消えて……背中が…小刻みに震えてる…

まさか…泣いて…る…?…
まさかな…

ついオレは…
「…ほんとうに…よかったのか?」
居たたまれない気がして聞いた。


「んん?なにが?」

タカオが、急に暗がりから飛び出してきたように、…布団を抱えて顔を出した。

「こんな大事な局面で…オレを信じて…?」
「……」
「おまえを…何度も裏切った…このオレを…」
「……」

それは…本音だ。

こんなふうになるなんて、オレはもう思っちゃいなかった…
おまえがもう…オレを待つはずないし。
かといって、オレは…おまえに詫びることもできない。
ユーリにだって、そうしようと思って行ったのに…結局、すまなかった、とも言ってない。

言えないんだ。オレは。
言えば、嘘になりそうで。

気持ちが込み上げると…言葉が出ないし。
たぶん自分の…
コトバのチカラを、信じていない。

だってそうだろ?
木ノ宮…どれだけ謝ったところで、オレがおまえを裏切った事実は、何も変わらない。決して、なかったことにはならない。
目に見える行動だけが、現実のすべてだ。


「カイ…」


ドサリと布団を放ったタカオが、


小さく…笑った。


「なんだよ、いまさら…」


そのまま正面から、軽く抱いてきて、オレの背中まで両腕を回した。

「おまえは…なんも裏切っちゃいねえだろ?…いんだよ、もう…。…オレ、決めてたんだから、ずっと」
「なにを」
「カイ…おまえがオレから離れてぇ気持ちは、…納得いかねえけど…ガマンはした。言っとくけど、ガマンだぜ?おまえは…いくら口で説得したって一度決めたら聞くような奴じゃねえし。けど…おまえの予選、見たとき決めたんだ」
「……」
「オレのチームには、もう誰も入れねえ。もう何があろうと、ぜってえ誰も入れねえ。オレの隣は、おまえだけだ。だから、おまえが試合に出れなくたって、そんなの関係ねえ。オレはおまえ以外なんも要らねえから…たとえ試合に間に合わなくとも、最後の一人は、おまえだけ、……そう…決めてた…」
「………」
「でもオレ、このままじゃ明日、二人相手だったな…。それはさすがにキツかったぜ。…自信なかった。ほんというと明日の試合、すげえ怖かったよ。てめえで言い出しといて結局みんなの夢まで、ぜんぶ台無しにすんじゃねえかって、すごく…不安だった…。それでも…もう…おまえ以外は、ぜってえ誰も入れねえって…決めていた」
「木ノ宮…」
「けどよ…今は…そんなに怖くなくなっちまったぜ。勝てなきゃどうしようって…やっぱ思うのに…そういうことじゃねえんだ。おまえが…無事で…よかった…。ほんとに…よかったよ…。そしたら、何だか、すごくほっとしちまって。そしたら…明日も絶対ぇ大丈夫って気がしちまった……へへっ、それって変かな」

声が、だんだん詰まって…

それから…

「待ってた…ほんとに……オレ…待ってたんだよ……ずっと…。本当はBEGAもGレボリューションズも全然関係ねえんだ。おまえが出てっちまった日から…オレ…ずっとずっと、おまえだけを…待ってたから…」

息も出来ないほど一気に
抱きしめてきて。
…懐かしい匂いがして……なぜか…また胸がズキリと痛んだ気がした…。

「ごめんな、カイ…。ちょっとでいいから…ほんの…ちょっとだけ…頼むよ…」

オレの首筋に強く押しあてられたまぶたが…小さく…震えてる…。
息が…
声が…
やっぱり…泣いてる…。

なぜだ?木ノ宮…

オレは…

もう二度と…おまえに会えることもないだろう…
…おまえは…きっとオレを許さないし…
それでも、また戦えば、わかりあえることも、あったかもしれないのに…
オレは、あんなブザマな負け方をしてしまって…もう…おまえに会わせる顔もなく、会う機会すらなく……

…そう…思ってたのに…

でも、これで、すべて決まった。

「木ノ宮…」
「え?」
「明日の試合…オレは、ブルックリンを指名する」
「そっか…。じゃあオレがガーランドな。ついでに順番も決めとくか」
「オレが、先に出る」
「わかった。お互い、がんばろうぜ?」
「木ノ宮…」
「なんだよカイ?」

「一つ、頼みがある」

急に、オレの背に回ったタカオの腕に、困惑が入り混じった。

「どうしたんだよ?…珍しいじゃねえか。おまえがオレに頼み事なんて…」
「あの男は、必ず倒す。…だから、その試合は、すべてオレに任せてくれ」
「なんだよ、いまさら…。リベンジだろ?オレは、おまえを信じてるし…」
「違うんだ。木ノ宮…」
「カイ…?」
「明日の試合、何があっても、ぜったいに手出しはするな。最後までやらせてくれ。たとえ何があっても」

タカオの困惑が…不安に変わる…。
それは、オレも気がついた。だが、オレは…

「今、ここで約束しろ。いいか、何があってもだ、わかったか?」
「何があっても……て…おまえ…何する気だよ…」
「………」

不安が…恐怖に変わりだす…。それでも、オレは…

悪いが、それしか思いつかない。
明日、オレがあの男に仕掛けるのは…
カンタンに言えば、自爆テロだ。

残念だが、それしか勝てる見込みがない。だが必ず勝利は、おまえにくれてやる。だから、おまえが困ることは何もないんだ。
もっとも、そのやり方が、おまえ好みじゃないこともわかってる。
だから、おまえがジャマしないように、先に断っておくんだ。

「おい!カイ!!答えろよ!!おまえ、なに考えてんだよ!?カイ!!!」

いきなりオレを突き放したタカオが、今度は胸ぐらに掴みかかって揺さぶった。
指も…唇も…震えてる。
ひどく…怯えてる…。

なぜだろう。
なにも、おまえが怖がることなんて、ないのに。
これは、オレの問題だ。
おまえは…明日の試合、どうしても負けたら困るんだろ?だから、必ずおまえが勝てるように、オレがしてやる。そのために、オレは戻ってきたんだから…

「おいっカイ!!答えろ!!何考えてんだ!?カイっ!!」

タカオがオレを必死に揺さぶってる。
なぜか…胸が…苦しい…
タカオの瞳が…まっすぐ見れない…


「カイっなぁっ!?」
「……」



そのときだった、

とても…フシギな感じがした。

こんな感情、はじめてだった。




…死にたく…ない…




オレは…死ぬのなんか、全然、怖くないんだ。自慢じゃないが、一度も怖いと思ったことがない。
命なんて、どうでもよかった。
目的のためならそんなもの気にするなと…長いこと、祖父にも教わってきたし…それはむろん、オレを使い捨てな道具として使うための、奴の目論みだったんだろうが…
もともとオレは…自分が欲しいものさえ手に入れば…いつ死んでも、かまわなかった。

他人の命も…自分の命も…同じくらい…軽い。

オレは力が欲しくって、ただそれだけで、それだけが重要で、その後のことなど、どうでもよかった。
最強になって、世界を従えて…それで何が欲しかったわけじゃない。

ただ、あいつに復讐したかった。
…もう二度と、寂しくならない場所へ、行きたかった。

それだけだ。
祖父みたいに金儲けしたかったわけじゃないし、人を集めて崇拝されたかったわけでもない。権力闘争がしたいとか、誰かに絶賛されたくてやったわけでもない。たとえ世界の頂点に君臨しても、それで自分のために具体的に何がしたい、というのが…オレにはなかった。どうでもよかったんだ。君臨した、その後のことなど…

ずっと…そんなだったのに…

今、はじめて…感じた。


死にたく…ない…このまま消えるのが、とても、怖い…。


フシギだ。

死ぬのが怖いわけじゃないんだ。ただ…今夜が、おまえと一緒にいられる最期かもしれない、そう思ったら…とっさに怖くなった。

「おいっカイッ答えろッ!!」
「………」

タカオが必死に見つめてくる。ほんとの答えを知りたがってる。

だが、そんなことを、おまえに教えてやるほど…オレは…まだ…弱くない。
オレは……大丈夫。
たった独りで…いつでも死ねる。

「カイっ!?なあ、…!!」
「頼む、木ノ宮。約束してくれ。オレは、どんなことをしても…必ず勝って、おまえにつなぐ。だから…」
「……カイ…」

タカオの戦慄いた全身が…必死にそれと戦って…

それから…

ようやく…落ち着いた。


「…………わかった」

「木ノ宮…」

「わかったよ…。けど…」


「……」


「なぁカイ…、オレも、おまえに一つ、約束して欲しいことがあるんだけど」


タカオと、はじめて、瞳を合わせた。
そのとき、タカオの瞳の中央に、不思議な蒼い光が、混じった気がした…


「なにをだ?」
「必ず…戻ってくるって…」
「木ノ宮?」
「明日の試合がどうなろうと…終わったら…必ず、オレのところへ戻ってくるって…約束してくれねえか。もう、どこにも行かねえって…」

オレは、答えられなかった。
仕方ない。
だが、これはきっとフェアじゃない。

…でも…

「カイ…帰ってこいよ…勝っても負けても…必ず帰ってきてくれよ…じゃねえと…オレ…」
「木ノ宮…」

おまえの気持ちは嬉しいが…
今度負けたら、オレは、もう、おまえに会うつもりはないんだ。
会えない。
それほどまでにオレを信じた気持ちを、また裏切ることになったなら…
…オレには、きっと、耐えられない。

わかってるんだ。おまえは、たとえオレがここで敗けても、決してオレを責めたりしない。全力で戦って敗けた者を、おまえは責めたりしないんだ。
だが…責められるほうが…オレにとってはまだマシだ。この状況で勝てなければ…オレは…オレを、許せない。
そんな惨めでブザマな自分は、死ぬより辛い。
心も…プライドも…自分の決定的ミスに耐えられない…


おまえだって…困るだろ?オレが負けたら…


だが、木ノ宮…
オレは、負けるつもりはないんだ。負けるくらいなら…死も択べる。

どうせ…負ければ、オレは何もかも失う。


プライドも…心も…希望も…力も…何もかも…

もう…命なんかあったって、…意味もないほど…



「じゃあカイ…こうしようぜ?オレ、イイコト考えついた」
また抱きしめてきたタカオが、ふと、耳元に囁いた。
「明日、終わったら…オレと勝負しようぜ?」
「勝負?」
「それくらいなら…今ここで約束したって、かまわねえだろ?頼むよ、オレだって…そんくれぇ楽しいこと考えなけりゃやってらんねえよ…なあ?だから終わったら、二人っきりでまた会うの…いいだろ?」

口調はくだけてるのに…抱いてくる腕がきつい……どうにも逃がさないつもりなんだ…

それが…戻る約束…ってことなのか…?
コイツにしては…考えたものだ……

考えた…ものだ……が…

「二人とも勝てたら………考えてもいい」
「よっしゃ!決まりな!約束だぜ?」

明るい声が返ってきた。
だが…

…抱いてくる腕が、キツイ……キノミヤ…


「逃げんなよ?」
「誰に言ってる」


キノミヤ…苦しい…


「カイ…今夜は、ここで…一緒に寝ても、いいかな…ダメ?」
「……ここは、おまえの家だろ」

「じゃ…もう少し…こうしてても…いいかな」
「何言ってるんだ…もう離せ」
「…うん」
「おい…」


キノミヤ…苦しい…
胸の傷が…痛い……頼む…もう…離してくれ…


腕を振りほどいて、木ノ宮を引き離そうとしたら…

「カイ…嫌だ…」

急に、背中にギリギリ食い込んできたタカオの爪が……震えてた…。


「嫌だ…嫌だよ!オレ!!離れたくねえよ!!おまえと!!」
「…なに…言ってるんだ、…おまえ…」

瞳がもう一度、まっすぐ遇った。


真っ青な…


激しい炎みたいな光が宿ってた…。


「オレ…怖いんだ…おまえを失うのが、この世のなにより怖いんだ…!!」

どうしたっていうんだ……一体…タカオ?

「大丈夫だ。おまえは…何も失わない」
たとえオレが消えたとしても、おまえは何も失わない。そうだろ?木ノ宮…おまえには、世界の未来が待っている…

だがオレは…未来なんて、どうでもいいんだ。
世界の行く末も、ほんとのところ、興味ない。
復讐をやめた今、自分の過去すら、どうでもいい。
ただ…おまえがどうしても守りたい世界があるのなら…一緒に守ってやってもいい。そう思っただけだ。

そうすれば…

せめて、最期に…おまえを裏切った贖罪ができるし…

たとえオレの身体が消えたとしても…
心だけでも戻ってこれる…おまえの許へ…
心だけなら…一緒に居られる…

オレは、それで

充分だ。

それ以上は…何も望まない…


しょせん…おまえとは…生きる世界が、違うんだから…


「カイ…信じてる。手は出さねえ。止めたりもしねえ。約束通り、最後まで見守る。その代わり…いいか、必ず帰ってきてくれよ。オレも、一緒に戦うから。な、キモチだけ…手は出さねえから…!!心だけ…!!オレ、おまえが危なかったら、きっと助けに行くから!!オレのココロが、きっと、助けに行くからッ…!!な?、カイッ!!」


「…ああ」


嬉しいと…思った。おまえの気持ちは。
本当だ。
それでも、ほんとに来るなんて、思ってなかった。

オレは…たぶん…わかってなかった。


あの…業火みたいな激しい…蒼い瞳の意味も…
おまえの心も…



あのときは…まだ…




何もわかっちゃいなかった…



死にたくないと…たった一瞬、感じた以外は……




………




あのときと同じタカオの腕が、オレを、マリア像の足元の、一番広い祭壇に座らせて…自分も隣に腰掛けた。
両手を自分の体の後ろについて、ずっと天井あたりを、見上げてる。

瞳は…やはり…蒼かった…

「オレさ…」

タカオが、上を向いたまま言った。

「母さんの葬式の日に…なんで、みんなで母ちゃん燃やしちまうんだよって……じっちゃんにも、必死に泣きてえのガマンしてる父ちゃんにも…もう泣いちまってる兄ちゃんにも…喰ってかかって…。どうしても認められなかった。昨日まで居た母ちゃんが、この世からすっかり消えちまって…ただの白い骨になっちまうなんて…」

「……」

「ツラかったんだ…ものすごく…。オレ、母ちゃんのことダイスキだったから…。目の前にすげえ勢いで骨があって…だからコレがもう母ちゃんの本当の姿なんだって、認めなきゃならねえのは…わかってるのに…。いくら泣いても、もう元の母ちゃんが帰ってこねえのは…わかってるのに。じっちゃんに怒られても、兄ちゃんにもっと強くなれって責められても……オレは……なにも納得できずに…」

「……」

「けど、それからだよ。仁兄ちゃんが強くなれって言い出したの。人は…絶対にココロが強くなきゃいけないんだって。オレ達は、誰にも負けねえほど強くなきゃいけねえって…ものすげえ強さってモンにこだわって…ある日、一人で家を出てっちまった。ほんとうは…兄ちゃんも辛かったんだと思う。きっとオレと同じくらいは。だから強くなれってのは…てめえにも必死に言い聞かせてたんだ。父ちゃんだって、仕事だ何だって…それ以来、帰ってこなくなっちまって。ホントは…とても家に居られねえほど、みんなツラかったんだと思う……みんな弱かったんだよ…みんな…母さんが大好きだったから…オレもそうだった…ずっとずっと苦しくて…」

「……」

「けど、あるときさ…オレ…なんとなく、わかったんだよ。あの、生きてた頃の元気な母さんも…病気で弱っちまって別人みてえになっちまった母さんも…もう骨になっちまってなんにも言わなくなった母さんも…みんな同じ母さんなんだろうって。それが、きっと…すべての生き物の宿命で、それが、生きてくってことなんだろうって。…だからオレの涙も、兄ちゃん達の涙も…みんな、その中に入ってるんだろうって…。…だからその弱さも、悲しみも、苦しさも、みんなオレたちには必要なものだったんだろうって……そうしたら、あの真っ白い遺骨も、やっぱり今のオレの母さんなんだって…やっと…受け入れられたんだ…」

「……木ノ…宮…」

「へへ…こんな話、わかりにくいかな…。カイには…カンケーねえもんな…」

「……」

「けど…多分さ…人は、誰でもみんな、ものすごくおっきな観覧車みてえなモンに、たった一人で乗ってるんだよ。下に居るときと上に居るときじゃ時間も違って…見える景色も全然違って…でも乗ってる奴は、やっぱり同じ人間で…。下のほうに、小さいバカなオレがいて…ただ泣いてただけのオレがいて…でも途中で、色んな違うオレになってって…憎んだり悔しがったり、人を愛して嬉しくなったり…嫉妬しちまって醜くなったり…うんと強くなれたり、情けなくなったり……てめえでもびっくりするほど優しくなれたり…そんで…最後は、オレもやっぱり骨になる…でもそれも…確かにオレなんだ…。

そうやって…ニンゲンは…ときどき違うココロやカタチになったりしながら…でも、ひとつながりのでっけえ輪みてぇな乗り物の中で、生きていくんじゃねえのかって。
回る大きさは人それぞれで、時間の短けえ奴も長ぇ奴もいるけど…いつか最後に一周しきって止まっちまうまで、続く。けどそれが止まっちまっても、次の誰かがまた乗り込んで廻すんだ。母さんの分は今、オレや仁兄ちゃんや父ちゃんたちが重ねて一緒に廻してる、そんな感じでさ…

…それでも…ニンゲンはどれだけ生きてもニンゲン以上のモンにはなれねぇから……脆くて…儚くて…時々どうにもなんねえほど非力で…醜かったり愚かだったりもするんだけど……でも、そんなだから………みんな大事にしなきゃいけねえんだろうって……。どんな自分も…どんな他人も……オレは大事にしようって……そう………ははっ、やっぱ…ンな話、わかんねえか…」


……なんとなく…今のオレなら………少しくらいは…わかる気はした…

何か…深遠な…ホントに生きるってコトの意味が…そこに在る…


そう…たぶん…あまりカッコ良くはいかないんだ…
オレが思ってたほど…生きてくってことは…強いばかりも要領よくも…いかないんだ…

人の心は…深くて…弱くて…矛盾だらけで…
闇よりも暗く…なのに時折、光よりも不可思議に輝く…


「でも…、それでもさ…オレ…ダメなんだ。オレ…きっと、おまえがいなくなっちまったら…とても耐えらんねえよ。何しでかすか、もう、てめえでも自信ねえんだ」

「木ノ宮…おまえ…」


ああ、タカオの瞳が…蒼い…。


「オレ…母さんがいなくなってから、ずっと独りで生きてるって思ってた。そりゃトモダチはいたよ。兄ちゃんも父ちゃんもいねえ代わりに、オレ、努力して、いっぱい作った。じっちゃんだっていた。けど、そういうんじゃねえんだ。オレが誰かを助けても、オレは誰にも頼らねえ。そう思ってたんだ。だけど…キョウジュとかマックスとかレイとか…おまえに遇ってから…ずっと一緒に居るうちに…オレも頼ったり頼られたりしちまって…そういうのが、すっかり居心地良くなっちまって……そばにいねえだけでも、どうにもなんねぇほど寂しくて…そのうちに…オレ……」

タカオの瞳が、オレの瞳を、胸の底まで刺し貫いた。

「カイ…おまえだけは、もうダメなんだよ!…オレ、もう、どうしても、ダメになっちまったんだよッ!!理屈なんかねえ!離れたくねぇ…何より…おまえの輪が…また母さんみてえにオレの目の前で、ぶっつり止まっちまうのが…怖ぇんだ!!それが一番、耐えられねえよ!!おまえが……母さんみてえに消えちまったら…オレ、今度こそ自分がどうなっちまうか、もうわかんねえ。てめえが消えるより、おまえが消えちまうのが怖ぇんだ!!オレ……自分よりおまえのことが…何十倍も何百倍も大事になっちまったんだよ!!……もう…おんなじ輪の中のおんなじ箱に乗っちまってる!!…誰が何つったって降りたくねえよッ!!降りらんねえよッ!!!」


ああ……瞳が、蒼い…………とても蒼い…


そうだ…だから…タカオはあのときも…オレに…必ず帰って来いと…言ったんだ…


自分を、独りで置いて行くなと泣いたんだ…


この世には、人の力では、どうにもならないことがあるのは、もうわかってる。

でも、でも、それでも、どうしても…越えられない運命さえも、変えたい。


生命の絶対さえも、超えたい。そう…思ってしまった。…たとえ…神を欺いても…


今なら…よくわかる…。おまえの気持ちが。オレも…おまえを失くすのが、同じくらい怖いから…
フシギだ。こんな感情…なかったはずなのに…
どこで生まれたんだろう。それとも元々…どこかに、あったんだろうか?

オレは前より、欲張りになった。
コイツのせいで、欲しいものが、増えてしまった。


だから…死ぬのが…怖くなった…


「だからカイ、オレは…たとえあの世にだっておまえを追いかけてくよ。もしも、おまえが悪魔なら…地獄の底でも迎えに行くよ…」
「バカ…何言ってる…」

ぶっそうなことを言うな。そんなことされたら…オレが嬉しくない…

「ホントだよ…情けねえコトばっかだよ…けど、この気持ち、どこも1コも嘘じゃねえんだ。だから…どれだけみっともなくとも後悔なんかしちゃいねえ。…だって、それがオレなんだし……そうゆうキモチがあるから、おまえのために強くもなれるって信じてる」

バカだ…おまえは…ホントに…もうバカすぎて、どうにもならん…

「カイ…?」

片手でコイツの頬に触れて…
涙のたまった目尻に…軽くキスしてやった。

タカオが、微笑った。
涙が、辛い…
だから唇にも、キスしてやった。

タカオの頬が、ぱっと染まって、
だから、腕もまわして、頬と頬もつけてやった…


なんだ。
これじゃ…さっきの光る翼の奴と、まったく一緒だ……

やっぱり、アレは、オレなのか…

見上げたら、何人ものオレが、微笑んだ姿で見下ろしてる…
いつのまにか、マリアの周りに集まって…オレたちの頭上で、像を囲むように、翼を大きく広げてる。

自分で自分に剣を突きつけた、黒の、マリア。

オレは…あの祈りの姿に、オレ自身を見たんだろうか?
破壊と憎悪に染まっていたオレは……悲しかった。寂しかった。苦しかった。だが、それも、あの男を愛した裏返しだ。


たしかに黒は罪だ…
だが、それこそが、人が人である証だ…
己に向けられた剣は、己に対する闘いと同時に、たぶん贖罪をも意味してる…

球形の台座は、アルファに始まりオメガで終わる…全世界。

このマリアは、罪と罪を悔いる心、愛する心と憎む心、喜びと悲しみ、戦いと平和、醜さと優しさ、……相反するものを同時に生み出しながら、人間がこの世界の、地上に立って生きていく姿を現している…

そうして…

いつだって、人は、幸せになりたいんだ…
永遠の、光の子供になるために、歩き続けているんだ…

オレも…闇を彷徨いながら、少しずつ変わったように…
木ノ宮に出会って、変わっていったように…

最後の試合のときだって…闇い水底に沈められる瞬間、
上から、白い光が、降ってきた…。
思わず掴んだら…木ノ宮の手だった…。

オレは…その、キノミヤという光を、信じたんだ。

おまえは、約束通り、オレを助けに来た…
いつだって、そうだった…
だから今もオレが、ここにいられる…


だから、
…少しくらいは…ホメておいてやるから……そんなに…寂しがるな、もう。

「おまえは、バカだが…強いな、タカオ…」
「なんだよソレ…も〜」

コイツは…母親と別れても…父親や兄貴が出ていっても…誰も恨まなかったんだ…。愛してたのに…
他人の弱さを、すべて赦して飲み込んで…

そこが…オレとは…違ってた…

「いや全然、強くねえよ、オレ。強くねえから、強くなりてえって思ってるし。おまえが困ったときに何かしてやれるくれぇ強くなれたら、オレ、それでいいんだ。だけど…」


タカオが言った。




驚いた。


でも、前にも似た言葉は聞いた。でも、今度は…聞こえないフリは、できなかった…



それは、真実だったろうか?


なぁカイ…オレはさ、ガキの頃、ものすごくツレェことがあったから、だから他人にも優しくしようって思ったけど…おまえは、きっと、最初に、ものすごく優しかったから、だから…とてもツラかったんだろう……って。

ココロがバラバラに壊れちまうほど…おまえは優しすぎたんだろう……って…。

あんまり優しすぎたから…ココロのカタチが保てねえほど、ツラくなっちまったんだろう……って…





…わからない。


それは…。




だが…これだけは…いえる…


寂しさは…

憎悪なんかじゃ埋まらない…

どれだけ血にまみれて努力しても…幸せには…なれなかった…



「カイ?…オレは…おまえが何だって…愛してるよ。言ったじゃねえか。たとえば魔界の王サマだって、アイシテルぜ?」

「………バカが…」


憎むよりも、愛するものが、欲しい。



憎悪よりも、優しい心が…欲しい…



じゃないと…寂しさは…癒せない…



「カイ?おまえ…今、微笑った?」

「ああ……そうだな」


オレの上で…また、あの羽根の生えた連中が、笑った。
同時に。嬉しそうに…
光る翼を震わせながら…
オレのココロと同じカタチで微笑んでる…


そうなんだ…

やはり…こいつらは…全員、オレに違いない…
みんな、それぞれ、オレなんだ。
生きてくうちに、一つ何かを経験するたびに、一つ別なオレが生まれてきて……

そうして、一番最近出来たオレが…あの一番光ってる奴に違いない…


でも前のオレも、オレだ…

あの黒い翼の奴も…赤い翼の奴も…幼い子供も…疲れてるのも…みんな…
あれらがいたから、今のオレがいて…

今のオレがいるから…次のオレも、生まれる…。


オレも知らない、未来のオレが…


タカオが必ず好きになると予言した、未来のオレが…



タカオがオレに言ったのは、そういうコトだ…




でも、


だったら…




もっと昔のオレは…どこだろう?

壊れる前の…昔のオレ…
今はもう、欠けてしまった自分は…


タカオの話が本当ならば、
オレは、あるとき、断裂してしまったんだ。

生まれたときから、つながってるはずのオレの心が、そこを境に、分かれてしまった。
まったく別な輪に乗ってしまったように…
今のオレと、過去のオレが、引き裂かれたように違ってる。


……………



………そうか。


ならば、これを…元に戻せばいいんだ…

バラバラになってしまった、オレ自身を…
過去のオレと…今のオレを……もう一度、つなぎ合わせればいい…

壊れる前のオレと…その後のオレを…もう一度、一つに…

そうして…次のオレを、つくっていけば…いいんだ…


誰も知らない、未来のオレを。




そうすれば…



たぶんオレは、木ノ宮と一緒に生きられる…





オレの欲しかった…暖かな光の国で…





それは…



突飛な発想だったのに


なぜか、とても真実な気がした…


どうやってつなぎ合わせるのかも、わからないが…


…ほんとうに…正しい気がした…。





だが


一番最初の自分が…いないんだ…
オレの中の…どこにも……

やはり、自分で存在を消してしまったから…
オレには、もう、見えないのだろうか…


あんまり否定し続けたから、
記憶も失い…
もはや思い出そうとしても思い出せずに…

あいつを愛していた頃のオレは、姿を失くしてしまったのか。



影だけ残して…







でも




だったら、あの…

さっき一瞬だけ見えた…

真っ白い翼の…一番小さな子供は…誰だろう?



どこだ?…アレは……?
どこいった?

アレだけが…どこにもいない…








■to be continued■