ガタガタと…この家は、いつも騒がしい。

古風な床が抜けるんじゃないかと思うほど、一日中、足音が動き回る。障子戸に映る影も、陽のある間中、あっちこっちと…忙しなく踊り続けている。

「あ、コラ、大地〜!!」

……木ノ宮の声だ。

「そっち走んなって言ってんだろー!!カイが寝てるんだから静かにしろよ!!」
「へっへ〜んだっそんなこと言ってタカオ〜オイラに朝メシの卵焼き、取られたのが悔しいんだろ〜!!」
「へっだぁれが、そんなガキみてぇなこと根に持つかよ。てめぇじゃあるまいし」
「じゃあこれからタカオは、この大地サマに、毎朝、一番うまいオカズを全〜部、献上しろよな。それから昼メシはぁ〜」
「なんっだと、このヤロ〜!!黙って聞いてりゃ…待てコラァ!!」

……………。木ノ宮も、充分、うるさい。

不毛なケンカだが、コイツらの日課だ。オレには、よくわからないが…これがヤツらの付き合い方で(自覚があるかは知らないが)お互い、楽しんでるらしいのは知っている。
その音も、一段落しないまま、
今度は、玄関先から、数人の足音と声が入り乱れ…そのうち、
カタンと目の前の障子が、頭一つ分、開いた。

「カイ…?起きてるか?どうなんだ調子は?」

長い黒髪の先をシッポみたいに翻して、ひょいと覗いたレイが、オレの顔を確認してから入ってきた。
「タカオに頼まれた…おまえの薬、買ってきたんだが…ココに置いとくぞ」
木ノ宮の机に、小さな紙袋を片手で載せ、そのまま近付いてきたヤツは…オレの様子を一目見るなり、踵を返して外に怒鳴った。
「おい、タカオー!!おまえ、ちゃんとカイの面倒、見てるのか!?」
「え〜!?カイがどうしたって!?」
「着替えと、タオル、どこにあるんだ?すぐ持ってきてくれ」
「え…ワリィっ、今行く〜!!」
慌てた木ノ宮が、凄い勢いで駆け込んでくる。
「こんなに…ひどい汗かかせたまま放ったらかして…何やってるんだ」
「ご…ゴメン…だって今朝は…大地の奴が〜」

べつに…そこまで騒いでもらわなくとも、いいと思うが…。この男は、看護士並みの手際で、あっというまに、オレを脱がせ…強引な器用さで……あっさり、ひとを着せ替えてしまった。
昔のオレなら、即刻、突き飛ばしているだろうが。今は、コイツがちょうど来てくれて助かったと感じてるから…妙な気がする。

「タカオ、おまえ…こんなことは二日に一度はしてやらないと。入院中の患者みたいなものなんだから」
「う…うん…」
レイは…タカオと大地を走らせて、ついでにベッドパッドやボックスシーツまで替えさせた。
器用な奴だ。世界を回る途中で、そんなバイトも、していたのかもしれないが。
たいして変わらない身長のくせに……ひとを子供みたいに抱き上げて…テキパキ指示しながら、落ち着いた顔で笑っている。
「マックスは、今日は来れないから…おまえの様子、代わりに見てきてくれって言われたんだが」
小さなテーブル上の花瓶には、そのマックスの置いていった花が活けてある。オレの着替えだの小物だの色んなものを買ってきてはキレイに並べていくのが、あの男だ。今日は来ないところを見ると…自宅のホビーショップの用事なんだろう。あの店は、BBAの再建にも、ずいぶん貢献してると聞いた。

「そういやカイ」
「…?」
「マックスも、心配してたが。おまえ…また軽くなったんじゃないのか?こんな状態じゃ仕方ないとは思うが…少し無理しても、食事はキチンと取ったほうがいい」
「……ああ」
「今度、何か…消化にいいもの持ってきてやるよ。オレが作ってもいいしな。オレ、料理は、昔、修業したことあるから、わりと得意なんだ」
それは…知っている。木ノ宮よりは…日常生活にも機敏な男だ。黙っていても必要なことが進んでいくし、強引にオレの中に踏み込んできたりはしないから…木ノ宮よりは、ある意味、気にならない。
それでも…昔のオレなら、問答無用で排除したには違いないが……。

「カイ…おまえ、やっぱりまだ熱、高いんだな。ずいぶん回復したように見えるが」

体から伝わる温度で…気付かれた。
あれから、20日は経っている。いまだに自力で起きられないのは苦痛だが…しかし、それでも前ほどじゃない。
いろんな事が、以前ほどじゃない。
たとえオレがどんな態度に出ようと…コイツらはコイツらなりにオレを受け入れ続けてきたし。そのことにオレは、どうも…安心していて……隠し事も、前より、ずいぶん減った。

どうせ…木ノ宮の家へも…また戻ってきたんだ…。

部屋の床には…陽射しにくり抜かれた明るい影が、いくつも、賑やかに揺れ動いている。
レイに抱えられた自分の影も、くっきり見える。
とくに拒否する理由もないから、おとなしく任せているが…なんだか…コイツに黙って抱き上げられているのも間が悪いので…外の話を振った。

「BBAは…どうなっている?」
「今日は業者がやってきて…河川敷に、プレハブ小屋を建てている。粗末な事務局だが…まぁ、これからさ。明日、ベイスタジアムをいくつか発注するんだが…結構、ブレーダーがもう集まってきててな」
「河川敷とは、またずいぶん質素な再出発だな」
「仕方ないさ。銀行も出資者も、一度みんな逃げだしてるからな。ヴォルコフの作った莫大な債務を返済するだけで大変なことになってるし。大転寺会長のポケットマネーじゃ、そんなものだろ」
「まぁ…BBAらしいといえば、らしいが」

そのうちに。
ポンポン、とタカオがベッドに座ってとび跳ねた。

「カイ〜、出来たぜ?」
「なに二人して、ムズカシイ話してんだ〜?ぜんぜん意味わかんねぇよ〜」
大地が、新しいシーツにゴロゴロ転がって、眠そうな顔で見上げている。
「大地にゃわかんねぇだろうな〜ガキだからな〜」
「なんだよタカオ!!おまえはわかってんのかよ〜!?」

また…騒々しい鬼ごっこが…始まりそうだ。

と。
ガタンと大きく戸が開いて。今度は…デカイ図体に肌の浅黒い、アッシュブルーのポニーテールが現れた。まったく……次々と…よく来る家だと思う。

「お?こんな所に居たのかよ。レイ、会長サンがお呼びだぜ?」
「あぁ?すまないリック。今、行くよ」
「ヘェ?」
人の、好いのか悪いのか、よくわからない視線が、オレを見つけた。
「カイ、もう、ずいぶん元気そうじゃねぇか?ええ?」
ひとを、からかった目つきで、ニヤニヤ笑っている。
「そうしてると、まるで可愛いベイビィちゃんだな」
「………レイ、おろしてくれ」
半分は気に触って。半分はネタにされるのが面倒だから、低く言えば、代わりにタカオが怒鳴り返した。
「リックおまえ〜カイが怒っちまったじゃねぇか!!変なこと言うなよな」
「じゃァバトルで決着つけるかい?オレが勝ったら発言は撤回しないぜ?」
「なにィ?!」
「あーっタカオ〜っズリィぞ!!バトルならオレにやらせろよ〜っ」
「おい、こら!!こんな所で、シューターやワインダーを振り回すな!!危ない…」
「うるせーっ」
「アンタは黙ってろ!!」
「なんだと!?」

……………。どうして、いちいち、こうなるのか…今では少しは知ってるが。
やはり、根本的に……やかましい連中だ。
こいつらは起きてる間中こんな調子で騒がしいし、寝言さえ、うるさい。少し前まで、この家に泊まり込んでた世界大会のメンバーは、その後、帰国していき、これでずいぶん静かになったハズだが……なんだか、あまり変わらない。

三年前は…

こういう騒々しさに、針で突かれたようなイラだちを憶えた。オレの住む世界とはあまりに、かけ離れていたし…こんなに平和でくだらないことに右往左往できるコイツらを、オレ自身、バカにもしていた。
穏やかな日常になど、興味なかった。そんなもの、オレには物心ついた頃から無かったし、これからもずっと関係ないと信じていた。

本当は…
羨ましかったのかも…しれないが…。

「あ〜も〜っ出てけっおまえらーっ!!」
タカオが、大地とリックを、両手で縁側へ押し出した。
「外でやれ外でっ!!カイが疲れちまうだろ〜!!」
「なんだよタカオ〜おまえはバトルやんねぇのかよ〜」
「オレは、いいのっそれよりおまえら働けよ!!大転寺のおっちゃんに呼ばれてんだろ!?」
「じゃあタカオも来いよ〜!!」
「わかった、わかった。後で行くから」
パタン、とタカオの両手が戸を閉める。

少し…静かになった。

「じゃあ、オレも会長のところに行ってくるよ。……おまえは、どうする?」
オレをベッドに戻しながら、レイが、タカオの顔を見た。
そのタカオは、オレの肩まで、ブランケットをひっぱり上げている。
「いいよ、オレは…。カイんとこに居るから」
「そうだな、やはり、まだ誰かついてたほうが…」

「木ノ宮、おまえも行ってこい」
「カイ…?」
急に遮ったオレの言葉に、怪訝な瞳が、きょとんと開いた。
「なに言ってるんだよ。今日はじっちゃんだっていねーし。おまえを一人になんて、しておけねぇよ」
「いいから、行け。おまえが居ても、うるさくて眠れない」
「な〜っ!?なんだよ、それ〜」

結局、ゴネて騒いだアイツは…河川敷には行かなかったが。じゃあ道場で稽古してくる、と出て行った。



やっと…静かになった。


木々を渡る、小鳥のさえずりだけが聞こえる。午後の陽射しが少し傾いて、寝ているオレの胸のあたりまで差し込んでいる。

木ノ宮の居なくなった…木ノ宮の部屋で…
なんだか、アイツがそこに居る以上に、そばに居る気がするから…すこし、不思議だった。

本当は、あれから一度もベイを手にしていない木ノ宮が、少し気になっていて。できれば、BBAに行かせたかったが……仕方ない。それでも、タカオが…また賑やかに笑うようになって、良かったと思っている。アイツは…ベイを握って、ガキみたいに脳天気に、はしゃいでるのが、いい。

あれほど楽しそうにベイを操るヤツを、見たことがない。だから…アイツの周りには…惹かれた大勢が集まってくる。この家が、こんなに騒々しいのは、木ノ宮のせいだ。

アイツの…陽光みたいな力のせいだ。

だから…この家は、いつも信じられなほど眩しくて暖かくて…ぬくぬくした温水みたいに、一度入ってしまうと…出たくなくなる…。

だが…ベイは…あまりにも長いこと、オレにとって敵を叩き潰すための道具だった。オレが祖父の道具だったように、ベイもオレの道具で、そういう関係以上のものを、オレは持って育たなかった。
ベイバトルの世界を…一度も、楽しいと思ったことなどなかった。恐ろしくて暗い…ただの戦闘で、勝ち敗けしかない。敗北は死。敗けた奴は、黙って死ねばいい。オレも敗ければ、死ぬだけだ。それが当然で、他には何もない。ボーグとはそういう組織だったし、オレはそのことに何の疑問も持たず、祖父の家に帰っても、それは同じだった。ずっと、そうやって生きてきた。それだけが、オレの真実だった。

木ノ宮と…会うまでは……そうだった。


今は、違う。オレは、変わったはずだ。なのに……
こんな今になってさえ…それは、オレの体のどこかに、じっくり息をひそめていて。この騒がしい家の隅にたまった澱みたいに。ときどき舞い上がっては、陽光の中で、キラキラ黒く輝く。

その煌めきが………おぞましく異様なほど…綺麗に、見えた。

オレの奥に潜んだ何かが、そう主張している。頭では、木ノ宮を理解しても、オレの体が受け入れない。体のほとんどが、木ノ宮を求めても、残った一部が、拒絶する。
やはり、一度つくられた心は…時が経っても消えないのだろうか。まったく違う自分にはなれない、ということか。だから…オレは…

いつか、ここを離れて………独りで死ぬべきなんだろうか?


突然、
…真っ黒い破片に貫かれた気がして……反射的に、呻いた。

傷が、痛い。イタイ…。

火傷の皮膚が、剥がされるようだ。


木ノ宮を、呼びたかったが。
どうしても…呼んでは、いけない気がした。極寒の吹雪きの中で、ただただ岩を砕き続けたみたいに。アイツを裏切ってBEGAに入ってしまった時みたいに。

なぜか…決して、呼んでは、いけない気がした。取り返しのつかないオレの躯が、断言している。


だからせめて、黒いカケラが突き刺さったままで……一瞬だけでも、陽の光が見れたら、それで満足だと……たぶんオレは、思っているんだ。





■to be continued■