いったい、どこから落ちてくるのか…。

まるで、降り積もるみたいに、絶えまなく、視界を桜色の欠片が埋めていく…。

いくつも、いくつも…。

頭上に広がる枝々は、もう、すっかり花芯ばかりが緑の蔭から見え隠れする、葉桜なのに。
どこからこんなに花びらが降ってくるのか…

…不思議だ…

と……眺めていたら

「うわぁ〜おまえ…」

裏返った声が、突然、中空から割り込んだ。

地上のほうに少し視線をずらすと、
タカオが…
両手に自販機の紙コップを握ったまま、ボーッと覗き込んでいる。どうやら、さっき「オレ、飲むモン買ってくるから!おまえ絶対ぇそこにいろよ!?」と叫んで、いなくなった奴が、戻ってきたらしいんだ…が……

「カイ〜っおまえ、すっげ〜キレ〜!!…まるで花ん中に寝てる……童話ん中の、お姫サマみてぇだぜ!!」

……………。

思わず…一発、殴りたくなるところだが…
………まぁいい。どうせ、いつものことだ。………。

仰向けに寝ていた芝生のスロープから、起き上がると、

「あ、待てよ!その前に…」
「いらん」
「え〜!?」
「木ノ宮…」

…どうせ、きさまの貧困な想像力なら読めている。このシチュエーションだ、スリーピングビューティのマネをしてキスで起こすのさせろだの…また…思いつくのも恥ずかしい…アタマの痛くなる要求をしてくる気だろうが?!

「い〜じゃねえかよ。ケチ〜。てぇか、オレ、まだ何も言ってねえよなー!??」
「いいから、言われたものは…買ってきたのか?」
「あーハイハイ。売店に置いてあったスポーツ新聞な」

新しい印刷の匂いが、タカオのワキの下から…バサリと胸に落ちてきた。

「しっかし…よく、おまえ見つけたな〜。たしかに大転寺のおっちゃん載ってたけど…ホラ」

一面トップを、BBAの再建ニュースが、ハデな色刷りで独占している。と、いうのが…
さっき公園の入口で、見えたんだ。

「おっちゃんの周りにいる人達、誰だよ?新しい執行部か?」
「…かもしれんな」

大きな写真のまん中で、
会長の左右にスーツ姿が集まり、固い握手を交わしてる。どうやらエキシビジョンマッチの興業中、各地で話をつけた新しい出資者たちとうまくいき…本格的に再興メドが立ってきたらしいんだが…

「そういやアイツら元気かなァ?ここんとこ、あんまり会ってねえけど」
「……そうだな」
「なーカイ〜明日レイ達が戻ってきたら、オレらも仮本部、行ってみようぜ?」

草むらに置いてあったリュックを、後ろでひっかき回しながら、タカオが、のんびり聞いてくる。

オレは…どう答えようか一瞬、迷って…
…結局
いつもと同じセリフを返してしまった。

「行きたいなら、きさまは行けばいいだろう」
「オレはおまえと行きてえんだよ〜」
「………」
「なんか新しいブレーダー養成も始まるみてえだし…」
「………」
「一緒に行こうぜ?じゃねえと、オレ…」

言いかけたタカオが、不意に、黙った。

雪みたいに降り続ける薄紅色の花びらが…
タカオの髪、肩、腕にも静かに落ちてきて…
片手にまとめたジュースの中にも、ひとひら、落ちて浮かんでる…。

BBAの仮本部が河川敷にできて、もう数カ月経つ。
が…いまだ一度も、行ってない。
オレばかりか、コイツもだ。
というのもオレが行きたがらないから…なんだが…。

「ま、いっか」
振り向いたタカオが、笑った。
「カイー!ほら、いつもの時間だぜ?飲めよ」

隣にくっついて座ると、10種類以上はある薬を、順番にオレの左手にのせてくる。右手には紙コップを持たされて…
仕方ないから…
コイツの差し込んだストローくわえて、
苦いカタマリと一緒に、ルビーグレープフルーツ味の液体なんか呑み込んでる。
浮かんだ花びらが、氷と一緒にユラユラ揺れてピンクの蓮舟みたいに漂った…。
「おまえは体治すのが先だからな!」
左手が空くと、タカオの作った不格好なサンドイッチも…持たされた。

「食い終ったら少し休んで。あと1セットやったら今日は帰ろうぜ?」
「………ああ」

週3回の通院、…それ以外はいつもここに来ている。
木ノ宮の家から少し離れた公園だ。
リハビリに、
といっても、ただの散歩だが。20分に1回ずつ休憩入れて、計6回。それでちょうど岡アリ谷アリ池アリのココを一周できる。
軽食を持ったタカオが、午後から、オレを自転車の荷台に乗せて、やってくる。
まるで遠足だ。
退院してから…毎日が、こんな調子で。今はもう、あまり無理しなければ支えなしでも、なんとか歩けるし。腕も前よりは上がってる。一見すると、かなり通常に近い生活なんだが…。
…………。

「あ〜なんかイイな〜。カイと一緒かぁ〜」

細かい氷ごと一気飲みした後、つもった桜にタカオがバタンと寝転んだ。幸せ一杯な顔で…自分もサラダ入りのフランスパンを頬張っている。

晩春の空気が、のどかだ。
…とは、思った。
正直、オレだって、こんな形で回復できるとは予想していなかったし。

医者も仰天したが、妙に納得もしていた。オレは…やはり、ふつうの患者とは違うらしい。リハビリも治療も、単調で延々長びく、ひどい苦痛だから、もっと疲れてヤル気を失くす、だからよけいに進まない。精神的にも体力的にも、ついてこれない、というんだが…。
たしかに、動かない手足をムリヤリ動かす訓練は、心身に負担で大変だろう…とはいえ
これの、どこが、苦痛なものか。オレが今までやってきた事にくらべれば。
隣には、年中、夏休み気分の男が、嬉しそうにはしゃいでいて…。
こんなに平和で、優しい時間…。
この千倍は辛くたって、まったく平気なくらいだ。

むしろ…これほど平穏に馴れ過ぎた自分のほうに…不安を覚える…
オレは…そういう生き方を…してこなかったから…
それは…コイツといれば…あたりまえのことかも…しれないんだが…

「そーいや、オレらさ。退院の日、まるでケッコン式みてえだったよな!」
今も隣で…また…タカオが…バカなネタで喜んでいる。


…あの日…

コイツに無理矢理、抱き上げられて外に出たら、
なぜか正面玄関に…見送りが大勢、揃っていて…

「ホラ、よくあるじゃねえか。教会から出てくると、花束投げたりして…あんな感じ!!」

両側に並んだ人だかりが「おめでとう!」と口々に笑顔で手を振って……そんなカンジに…
…いや待て。見送りに来てた集団は、それまで遊びに来てた、同じ入院患者の子供らだが。そこに、タカオの担任似の看護師や
セラピスト達、検査技師、医師らが加わって…。
そこへ…
木ノ宮の祖父と、大転寺会長、BBAの連中が黒塗りの車で迎えに来て…
なんか知らんが駆けつけてきたブレーダーDJとTV局が実況するという…
大変な騒ぎに…………。

木ノ宮は「オレのカイを、みんなにお披露目〜」とかなんとか抜かして無頓着に喜んでたが…

…まったく…オレは…今、思い出しても恥ずかしい…。
あれでは、まるで……


「なあ、カイ〜」

がばっと飛び起きた体が、桜の降る中、どこか甘い匂いと一緒に、横から抱きすくめてきた。
「ホントにケッコン式ってことに…しちまって…いいんだろー…?」
「………」
「このままずーっと、オレん家に、いてくんねーのかよ…?」
オレの肩にアゴをのせて…耳許で、そんな事を言う。
この間から、どうも話題がそこに集中している…。オレが、動けるようになってきたら、ますますだ。
そういえば…その点について、まだはっきり口では言ってなかった…ということを思い出したんだが…。

一度、タカオにそう言われた時、黙っていたら…以来、何度も聞くようになった。

「カイ〜?」
「………」

なんとなく、保留してる…わけでもないのに……なぜか、それも返答していない。
BBAへの復帰宣言も…退院の中継でマスコミ連中に迫られたが…ノーコメントにしてしまった。

「……………」

花びらの敷かれた目の前には、
もう五冊目になるリハビリノートが、タカオの鉛筆をはさんで置いてある。たしかに、予想を上回る回復かもしれないが。
今も、ときどき休みながら歩くのがやっとで、走れもしない。腕も完全には上がらないし…当然、バトルも出来やしない…。死ぬ気でやるなら別として…。
多分これは…一生、続く欠陥だろう。万一、回復できたとしても…いつになるのか、わからない。ここまで来れただけでも奇跡と言っていいほどなのは、わかっているが…
オレたちの戦い方を考えると…ふつうに生活できるレベルでは無理なんだ。
とてもBBAに復帰するどころじゃない。いや、ただベイを回すだけならともかく………オレの場合は…
……………。

たぶん…返答に詰まるのは…そのへんの都合な…気も…するんだが…
それとも…あるいは…もっと深い記憶のせい…だろうか。

「…カイ?」
「………」

タカオもしょっちゅう聞くわりには、あまりしつこくはしないから…
…また…そのままになった。

「あーそうだ。今度、みんなが、おまえの快気祝いやってくれるって。手作りディナーパーティ…だってよ。どんなかなぁ?」
「………」
「そうそう、それから、おまえと旅行も行かなきゃなんねえしなァ…おまえ、海と山、どっちがいい?」
そういえば…そんな事も言っていたな、と思い出し隣を見たら。…オレの肩に頬をのせた…あいかわらず楽しそうな瞳と…ぶつかっている。
「海なら…そこにあるだろう」
と言ってみたら、
「よしっ、んじゃ山な」
オレがひとくち口をつけたフランスパンに…上にのってたハートのカタチの花びらごと…ぱくっと食いついた。
「あ〜けど、山行くなんつったら、絶対ぇ大地とか一緒に行くって…騒ぐんだろうな〜」

もぐもぐ言ってた耳もとで…ごくんと呑み込む音がする。その…生理的な動きを耳の裏に感じたら、どういうわけか…とっさに……いつもコイツに抱かれる…感触を…思い出して…しまって…躯の奥がズキリとした…。

「いっそ、みんなで行くってテもあるけどなー。でもオレ、おまえと二人で行きてえんだよなぁ」
「……」
「そしたら、あっちもいっぱいできるしー」
「……あっちって…おまえ…」

べつに…今だって、けっこうしてるくせに…………まだ…足りないのか。

どうも、コイツは…人にくっついてるのが好きらしい。だから…一蓮托生も…大好きなのかもしれないが。
なんとなく…タメ息を飲んで、見上げると…
花もないのに…やっぱり花弁が落ちてくる。ここらの桜並木は…どれも巨きいだけあって、かなりの老木で…中はすでにウロ化している。まるで皮だけの木が、よく立ってるものだと思うが…
一見ただの立ち枯れにすぎないのに…毎年、すずなりに花鞠が下がり…今も…たぶん、どこかで、咲き続けている…。
ここからは…見えないのに…

まるで…オレの想いみたいだと…思った。

タカオとは…たぶんもう…離れられないだろう…。
だが、BBAの再建が具体的にさし迫ってきた今……予測していた以上に追い詰められてしまいそうで…どうすればいいのかと、思った。
たぶん、この感情は…焦りだ。
また世界大会が決まったりしたら…コイツを…酷く苦しめることになるんじゃないのか。
それで…オレ達は…壊れてしまわないか?

そうなる前に…オレは…どうすべきかと…


「カイ…?」
抱き寄せていた腕が、ぎゅっと力を入れてきた。

「なんだよ?また…悩み事か?」

タカオの息遣いを…
花の匂いと一緒に首筋に感じたら…
また…躯の芯がズキンと痛んだ。

オレも…楽しくないわけじゃ…ないんだ…

むしろ…この穏やかな幸せの行方を怖れてる。

手にしたことのないものと、未知の自分に…戸惑って。そのくせ…


無ければ、知らずに済んだのに。
また失くしても、元に戻るだけだと諦めればいいのに。
いったい、人は、どれだけ貪欲なのだろう。

一度、手にしたシアワセを失うことは、もうとても…耐えられない。

しかも、
それが、どれだけ手に入れるのに困難だったとして。
あっという間に慣れてしまって…もっと…先が欲しくなる…。
もっと、もっと…先が…欲し…い…

その方法も…わからないのに…


「カイ…」

しばらく見つめていた瞳が、
急に…瞬いて、
子供っぽいのに…どこか煽情的な声で…囁いた。

「なぁ…?帰ったらすぐ…して、いい?」

「……おまえ」
「なんか…急に、したくなっちゃったんだよ、オレ…」

まるで…何か企んでいるような悪戯じみた表情で、タカオが笑った。


■to be continued■