たった一週間だけの、検査入院。

と…聞いてたハズだが。

その後、なんだかんだと理由がついて……結局、一ヶ月以上も入院させられるハメになってしまった。

どうせ、たいした積極的な処置も取れやしないくせに。
…かなり…嫌なことになった…

…と…オレは、内心、思ってたり…するんだが…

「…………」

今朝も…耳許で……くーくーと……平和きわまりない呑気な寝息が…
オレの首に…マフラーみたいに巻きついたヤツが…なぜか…すやすやと安眠を貪って…

この…
すっかりお泊まり気分のバカ者が…
ここをどこだと思ってるんだ!?病室のベッドの上に…きさままで上がり込んで…
毎日、一緒に寝ているとは……!!

「おい、木ノ宮。もう起きろ。人が来る」
検温の看護師に見つかったら…また、からかわれるだろうが!火渡く〜ん、お熱どうですかー?とかいう輩が来ないうちに、コイツを起こして引き離さないと…
「木ノ宮!!」
「ん〜カイ〜?」
「朝だ、朝!とっとと覚醒して、歯磨いて顔洗ってこい!!」
「んん〜〜カイ〜ゴメン…オレ…さすがにもうヤれねえ…」

だっ……誰が朝っぱらからヤるだのヤらないだのと…

「おい…こらっ……んんっ…」
コイツ…また寝ぼけて…ひとの口の中に…舌を…

「ン…ン…ッ…!?」
バカ、きさま…離れろっ…そこに…人がっ…

「あらあら…。そんなことして…」
「んぁ?…え…あれ〜?!……おう、おはよーカイ!!」

オレの顔の上で、寝ぼけ眼が、ようやくひらいた。
「なんっか今、すっげーイイ夢見てたんだけどな〜。あ〜でもオレ…もしかすると欲求不満かもしんねえよ。だってさぁ、毎晩、おまえと…」
「木ノ宮!!」
「え…ハイ」
「黙ってろ」
毎朝やってくる淡いピンクの同じ看護服が、ベッドヘッドに掛けてある体温計を取って、ころころ笑っている。顔もボケ方も、タカオの担任似で…かなり助かってはいるが…
「アナタ達って、いつもそんなことして。小さい頃から、ずっと、お友達なの?」
「ヘッヘ〜…そう見える?似たようなもんだけどさ。でもカイは、オレのトモダチじゃなくて、オレの恋……痛ってえっ!!!何すんだよっカイ!?」

……バカか、きさま…。
そこの取り外し式テーブルで殴られないだけでも、ありがたく思え。
せっかく相手がボケてくれてるのに、そっとしておけというんだ。

手近にあったメロンでヤツの後頭部を叩いてから、歯ブラシとタオルを持たせて、ベッドの上から落としてやった。
看護師が呆気にとられている。
「あらあら〜そんな乱暴な。元気なのはいいけれど…火渡くん微熱だし。お食事は、まだ先週と同じでいいかしら。退院にはもう少しかかりそうだから先生にご相談して…」

みろ、木ノ宮。きさまのせいで熱が上がったに違いない。これ以上、長引いたらどうしてくれる。病院は嫌いなんだと、きさまにも教えてやったろうが。
なのに…
タカオがザバザバやってる洗面台の隣には、この間の世界大会のポスターなんかが貼ってある。白い壁が気に入らんとオレが言ったら「大転寺のおっちゃんに余ったの、もらったんだー」とか抜かして、コイツが、あちこちにベタベタ貼りつけた。カーテンの隣とベッドの左上には…恥ずかしいからよせと言ったのに…去年と一昨年の…世界大会後に撮ったBBAチーム記念スナップが引き伸ばされて、壁掛けの絵みたいに下げてあるし…
周りには…家から持ち込んだ二人分の着替えやら何やら…冷蔵庫やテレビの上にまで日用品が…コイツの好きなスナック菓子まで並べてある。そのうえ「おまえって、見張ってねえと何すっかわかんねえだろ」などと偉そうにホザいて。朝から晩まで、ぴったりくっついて、食事からシャワーまで、いちいち世話をやくから……

これじゃ…木ノ宮の部屋に居るのと、ぜんぜん様子が変わらない。
いや、むしろ、今のほうが…だんぜん距離が……

「あ〜今日もイイ天気だなー」
窓の外を眺めて、水に濡れた前髪を振り、木ノ宮が何だか嬉しそうに両手を伸ばしてる。

しかしオレは、
逆に…

…なんだか憂鬱な気分で…壁の時計を見上げた…。午前6時45分。あと15分で…



午前七時。

時間きっかりに、毎朝ガラガラと銀色の車がやってくる。と、中に積まれたプラスチックトレーが一枚、ベッドに差し渡したテーブルに置かれて…
…上に…また…食いたくもない食物が…
「カイ、残すなよ」
「……ああ」
じーっと隣でタカオが見てるから…仕方なく、食パンの端をかじってみたりする。朝食なんて、もともとカロリーさえ足りてりゃそれ以上に興味ないんだが…
「いいか、吐いてもいいからな?全部、食えよ」
「………」
簡単に言ってくれるが…オレは…吐くのは…はっきり言って得意じゃない。苦しいとかいう以前に…いや、むしろオレは、そういうのは耐えられるんだが…

……そうじゃなくて…

スープに沈んでる魚の、皮のところをフォークの先で突っつきながら、
「……おまえは、どうする」
時間つぶしに聞いてやったら、
「んー後で地下の食堂行ってくる。売店で何か買ってきてもいいしーって、オレのことはいいんだよ。いいから食えって。おまえ〜さっきからサッパリ進んでねえよ」
…コイツに食事で叱られるとは…。
…少し前まで、他人の分も奪い取って食ってた気がするが。どうも了見が変わったものだ。できれば…代わりに片付けて欲しいところだが…
「カイ〜マジメに食えよ。だって、おまえの、これも訓練だろ?」
「………」
これが…極寒の雪原で一週間、絶食、とかいう訓練なら…かなり得意なんだがな…。
「点滴だけじゃ、ニンゲンのカラダはダメなんだって!二年以内に死んじまうって…この間も脅かされたろ!?たく…あの医者、おっかねえことばっかり言いやがるからヤなんだよな〜。ほら、残すなって。これも!これも!!」
「……わかってる。せかすな」
「牛乳も飲んで」
「………」
「サラダ残ってるぜ、卵も!!」
「………」
「そのバター、オレがつけてやるから。おまえは、そっち食ってろって」
「………」

……やはり……これは…憂鬱だ……。

「よっしゃ、完食〜!!んじゃ、横んなれよ。今、片付けるから。……カイ?…」
ようやく終了して、テーブルに突っ伏していたら。
木ノ宮が食器を放って、
すぐにオレを、右側を下にして…横向きに寝かせた。
食事をふつうにとると、必ず具合が悪くなるのは…もうわかってるから。コイツが…すぐ背中の左を、親指で押さえるように圧してくれる。
「どうだよ?平気かー?」
「……ああ」
こんなことで、動けないほど酷い吐き気と鈍痛が、嘘みたいに軽くなる。気のせいじゃなくて、そういうものらしいが。
この有様が、日に、三度。
最初は焦ってコールボタンばかり押していたタカオも、今ではすっかり慣れきって日常化してる。ここに嘔吐なんてイベントが発生しても、ベッドの上で済むように、すぐにバスタオルを口にあててくれたりするし。もちろん後始末だってコイツが全部やってくれる。

だから…どうも…
そういうのが…オレは…

「でもよ〜」
後ろから背中を圧してる声が、案外、呑気に聞こえてきた。
「おまえ、前より、ぜんぜん食えるようになってるもんなー」
「…だろうな」

おまえが、そうやって…つきっきりで食わせるせいだ。
コイツのおかげで…いつもなら、とっくに避けてるはずの点滴もマトモに受けてるし。薬もゴミ箱にぶち込まずキチンと飲んで。一人じゃ絶対やらない、決められた訓練なんかも…しっかり、やらされている。
オレとしては…ほとんど表彰ものだと思うんだが…。

「今日はさ、午後からだって。おまえ、少し熱あるって言ってたけど…行くか?」
「……ああ」
「だよなー休むとまた遅れちまうしなー。毎日やんねえと、すぐ戻っちまうもんな。んじゃ時間だけ、少し短くしてもらうか」
なんだかんだと算段して、コイツが色々考えているのは…ちょっと驚く気もするが…。まぁベイの技なんか考える時は、結構なアイディアを発揮する奴だから……

とはいえ、実際、コイツは…よくやってると思う。

本当に…
…憂鬱になるほど…タカオは、一生懸命やってくれるんだ…。





午後四時、ちょっと過ぎ。

「よし、行こうぜ」
タカオが、オレを、ベッドから下ろして2階の集合場所まで連れて行った。
「あ、そーだ!なあ、カイ!!車イス借りてこようか?」
オレの体を、背中にまわした腕で支えて、廊下をぺたぺたスリッパで歩きながら木ノ宮が聞くから、
「あんなものに乗ってたまるか」
と却下したら
「そうかぁ?オレは乗ってみてえけどなー。だっておもしろそうじゃねーか」
何を勘違いしてるのか、妙にあたりまえな感じで言っている。その車イスも含め…クリーム色のだだっ広い部屋に、似たような連中が、やはり付き添いに連れられて、十人くらい集まった。

「いらっしゃーい。火渡くん、木ノ宮くん」
理学療法士…フィジカルセラピストたちが、いつもみたいに愛想よく出迎えてる。ここで2時間くらいリハビリをやるのが…日課なんだが。
「こんにちわ〜よろしくお願いしまぁす」
タカオが…また…外向の良い子ちゃんな笑顔でお辞儀なんかしている。こういう所がマトモな奴だと思うが…。ともかくオレには出来ない芸当だから、ここは黙って任せておくだけだ。
「ほら、行こうぜ。カイ」
「………」
「えっと…今日は、どれからだっけかな〜」
部屋の周囲に、ずらりと並んだ療養器具の中で、タカオが、宿題カードみたいなものを取り出して
「これだ、これ」
真ん中あたりまで、連れていった。
「……」
最初、ボーグにも、こんなのあったな…と思い出したが。くらべれば、まるでオモチャみたいなもので。これ自体は、まったく、たいしたことじゃない。
滑車を上げたり、自転車みたいなものをこいだり。小さな階段を昇り降りしたり、足に装具をつけて平行棒につかまって歩いたり。
よく、機能回復の訓練はキツくて死にそうになるというが…吹雪きの中、独りで岩なんか叩き割ってたオレにしてみたら…こんなもの、ただの遊びにすぎないし。

左右20回ずつ滑車を上げて、この程度なら二万回ずつ上げたっていいんじゃないか…などと思っていたら、
「あ〜もう終りだって。おまえ目ェ離すと、すぐ無理するから危なくって」
タカオがオレの腕をとって、そのまま、まっすぐ上にあげさせた。
付添い人は、ふつう見てるだけなんだが。コイツの場合…セラピスト達と一緒になって…というか、むしろ彼等よりも熱心に、オレの隣に、ついている。

「今日は、どこまで上がるかな〜」

タカオの声が、毎日、懲りもせず期待に弾んでいる。
もっとも、オレの腕は…
コイツの部屋で倒れて以来、自力じゃ肩より上には、あがらない。

「とりあえず肩まで上がれば、シューター構える時は、平気なわけだろ?」
「構える時はな」
「ん〜もう少し、いきゃぁいいよな〜」
「………ッ…」
「痛ぇか?んじゃ、ここまでな。今日は120度くれえかなァ〜」
夏休みの宿題もロクにやりそうにない奴が、床にしゃがんで、せっせとオレのリハビリノートなんか、つけている。渡されたメニュー表とチェック印の並んだカードを見比べながら、
「次、こっちな」
肩につかまらせて椅子から降ろし、奥の一角に連れていって、そこだけ区画された四角いカーペットの上に座らせた。
「……ッ」
「少し我慢しろよな。えっと…今から10分。でも、あんまり辛かったら止めにするから」
ストップウォッチを持ったコイツと、ただ、まっ平らな場所に自力で座ってるだけなんだが…
たった、こんなことが…実はうまく出来ない。足がマトモに曲がらないせいだ…。仕方ないから両足を崩して片手をつき、ようやく体を支えている。しかも一度この格好になってしまうと…もう誰かに抱き上げてもらわないと、自分じゃ立ち上がることもできない。正座なんて、とんでもないってとこなんだが…
「でもよ、これ出来ると、布団でも寝れるし…テレビのある部屋でメシ食えるだろ?」
「……テレビ?」
「うん。オレ、おまえと一緒に毎日ベイブレードニュース見ながら朝メシ食うのが夢なんだよな〜」
また…ほわほわした顔で…コイツが笑っている。
オレは…いろんなイミで、タメ息をつきたくなってくる。
「…………。あいかわらず…おかしな夢ばかり見てる奴だな、きさまは…」
「おかしくねえよ〜!!そうなるように、頑張ってんだぜ、オレ?…えっと、あと8分……これ終ったら、また歩くやつ20分な。その後はーえっと〜…また、あの機械のやつだったよなー」

その物理療法キカイ…SUPER LIZERとロゴの入ったレーザー治療器で…患部に直接、近赤外線を当ててる間、
木ノ宮のほうは、骨折した子供たちの相手になって、同じ部屋にある遊戯場のベイで遊んでやったりしている。本物よりもっとずっと小さくて簡単なレプリカだが…結構、楽しそうだ。
まぁコイツの場合、ベイならなんでも楽しいんだろうが…。

治療台に横になったまま…
腕を三角巾で吊ったり松葉杖をついたりした数人の子供たちに囲まれて笑ってる木ノ宮を、眺めていたら…
やはり…また憂鬱になってきた。

…できれば、一日も早く…コイツに本物をやらせてやりたいと思うんだが。

「………」

木ノ宮よりも現実認識の正確なオレとしては……やはり…タメ息が出そうな気がしてくる……。
だから…たぶん…オレは……この入院生活が、
いっそう気のりしないんだ。





午後九時。

病棟内が消灯した後。小さなベッドライトをつけて、いつもみたいに木ノ宮が、
眠る前の一時間くらい、手足や背中をさすってくれた。
「こうすると、いいんだってよ!」と、えらく得意気に、医師やセラピスト達から教わった情報を、毎回、嬉々として実行するわけなんだが…

「……もう、いい」
「え?なんで?気持ちよくねえ?楽だろ?絶対!!」

それはそうだが…。こう毎晩だと、おまえの手の皮のほうが、むけるんじゃないのか、とか…多少、こっちも気になったりもするんだ…。

それほど熱心に…コイツは…いろんなことをやってくれる。
再入院してから、ずっと、こんな調子だ。

だが……

あの後。

検査技師からまで、がっかりするから結果は見ないほうがいい…などと言われて。
むりやり見たあげく、
タカオが、真っ青になって押し黙って、
しばらく口もきかなくなって。

オレは…
たぶんそうだろうと予想していたから…むしろ平気で…

結局…

一度失くなったものは…二度と、元には戻らないんだと…言われた。


「木ノ宮…」
「ん〜?」
ベッドに横になったオレの後ろで…一生懸命、肩を撫でてくれてるコイツに…やはり…言っておいてやるべきだと…思った。

「オレが…出来なくとも…おまえは、やればいい」
「……カイ?」
「なにも…おまえが、オレの体に合わせることはない」

もうコイツに…すべて明け渡してもかまわない、とまで思ったとして。やはり、これはオレの性分かもしれない。コイツに触れられたくないとか。余計なマネをされたくないとか。もう、そういうことじゃないんだが…
そうじゃなくて…むしろ…オレは…

タカオの手が止まって。しばらく、静かになった。

それから、その手が、
「ばーか」
後ろから、オレの頭を、ポンポンと気安く叩いた。
「おまえは、ンなこと、気にしなくっていーんだよ」
「……馬鹿とは何だ、きさま…」
「オレがやんねえのは、オレが決めたことだぜ?おまえが、やれるようになったら、オレもドラグーン持つって、約束したろ?」
「それで…いいのか」
「いいもなんも…そうしてえから、してるだけだし。おまえが出来なきゃ…オレも出来ねえ。それは…なんか、そうなんだ。オレが…どうしても…」

そういう…しっかりくっついてしまって離れられない運命が…いざ実際になってみると、オレには…やはり重荷に感じる…。

「じゃあ、いつものオマエ技。……オレの勝手だ。ほっといてくれ」
きさま…誰の口マネしてるんだ…?
「カイ…、余計なこと考えんなよ。おまえは…自分のためだけに頑張ってりゃいいよ。な?…そうしてくれよ」
「……そんなことで…」
「カイ…?」
「おまえまで、一生、出来なくとも…いいのか?」

タカオが、また黙った。
それから、

「いいよ。…って…言ったろ?オレ」

夜よりも…もっと穏やかで静かな声が…笑った。
「おまえの…オレ、全部を背負って生きるから。それで、いいんだぜ?ンな〜今さら遠慮すんなよ」
「………その意味が…本当に、わかってるのか?」
「ああ。わかってる」
「………」
「それにオレ、この先、絶対ぇ出来ねえなんて思ってねえし」
「だから…わかってるのかと聞いてるんだ」

タカオは、また、しばらく黙っていた。
壁のベッドライトが、闇の中で、ぼんやり淡く光っている。

それから…

「ダメになっちまったの…胸んとこの、4番目と5番目なんだってな」

そこを、そっと撫でながら、囁くみたいに言った。

胸椎の第四、第五…ひらたく言えば、背骨の…胸の部分だ。

もともと…
いわゆる成長期の無理なトレーニングで…疲労骨折をおこし…背骨に無数の細かい亀裂が入っていたところへ、
最後の試合で、何度も同じところを強打して…ほとんど完全に折ってしまった。
もっとも…いわゆる普通の骨折みたいにボキッといったわけじゃないから…痛みはそうとうあっても動くことは出来たんだ。
その後…
かろうじて、つながっていた、そこの中枢神経を、いきなり出した40度の高熱が…致命的に焼き切ってしまった。
おかげで…下肢と肝機能に…麻痺がきて…
つまり、歩くのが難しくなったあげく…物まで食えなくなった…ってことなんだが。
場所の都合で…手術も成功確率が低いうえに、失敗すれば今度は全身麻痺だと…聞いた。

幸い、というか。きれいに断裂しただけでズレたわけじゃなかったから。最初の処置で外から固定したまま、一ヶ月ほど寝ている間に、骨だけは、うまく、ついた。その間中、呼吸が苦しくて、じっとしてるのが大変だったんだが…。タカオが…いつも胸や左肩をさすってくれたり。本当に起き上がれない時は…口移しで水も飲ませてくれたり。なんだか…ずいぶん色んなことをやってくれて…おかげで、どうにか助かった…。

ただ……
一度、損傷した神経は…二度と、元には戻らない。

説明を聞いて…オレは…ああ、やっぱりな、と思っただけだったが。
自分の体は、よくわかっていたし。客観的な判断としても…べつに驚くことじゃなかった…。

そんなとこだろう。

傷には、治るものと治らないものがあって…深いキズほど、アトになって残る。
人の過去とは、そんなものに違いない。取り返しのつく人生なんて、ある意味、キレイ事で…現実は、長いこと積み重ねて出来上がったそれらを、何もなかったことになんて…出来やしない。

一度、壊れたものは、二度と、同じカタチでは…戻らない。
それは…生きていれば、むしろ当たり前のことだ。

だが、タカオは…

また暴れて泣いたり、あるいはキレて技師や医師を殴りそうになるのをオレが止めたりするのかと思ったら…
意外に、そんなこともなく。
青ざめた顔をしたまま…自分の両膝を両手で握って…ひどく静かに聞いていた。

『それで…どうすればいいんですか?』

珍しく大人みたいな口をきいて…
結局、どうにもならない、と言われたのに。

『でも、何か方法があるとオレは思うんだけど』

真剣な顔で食い下がって…

……それで…



ベッドライトの淡い光が、暗い病室に小さく点っている。

またタカオが、後ろから言った。
「オレ、出来ねえなんて、ホントに思ってねえよ。だからカイ、おまえは…おまえのことだけ考えてりゃいいよ。オレも、おまえのこと、いっぱい考えるから。二人でカイのこと考えるんだから…どんなことだって、きっと大丈夫だぜ?」

おまえ…それ、どういう理屈だ…と思ってしまうが…。
タカオが本気なのは…毎日やってくれることでも。体をさすってくれてる手が今も、真剣なのでも…よくわかる…。

「だからカイ、おまえは…自分のことだけ考えてろよ」

オレは…たぶん…前はそうだったのに。
今は、そうじゃなくなったから…

だから…こんなにも憂鬱だったんだろうと気付いたが…。

オレの場合、タカオと違って、誰かの分まで考えだすと、逆に弱くなってしまうようで…これが、いったい、どんな強さに変えられるのか…実際のところ…わからないから困ってしまう…。

自分のためだけに戦ってるうちは…まだ楽だった。
だがオレは…
コイツみたいに、大勢のキモチを背負って戦ったりは出来ないし。体の痛みに耐えるのは得意だが…心の痛みには……なんだか…脆い。
タカオのことなど本気で心配しだしたら、本当にもうキリがないし。ベイだって、自分が出来ないだけなら…これほど気にはならなかった…。
人を好きになると…オレの場合、強くなるどころか…盲目的に…ただ、おかしな深みにはまってしまうようで…

オレは…だから…
自分の業を背負うのは構わないが…それをタカオにまで背負わせるのは…嫌なんだ…
そんなことをして、コイツがどうなるのか、とか。オレが、どうなるのか、とか。タカオみたいに楽天的に片付けられないオレは…現実を冷静に考えるだけでも暗澹としてきて…そういうことに…オレ自身が耐えられない…

オレを、タカオが背負ってくれる気持ちは、もう充分わかってる。が、その代償として、オレもまたタカオの運命を背負うことになるのが…たぶんオレには耐えられない。
だからオレは、一蓮托生がキライなんだろう。
オレの過去はオレ自身の責任で、それでオレがどうなろうとオレだけの問題だったはずなのに。それをタカオにまで押しつけたくない。そんなことをして、潰してしまうコイツの未来に対して、オレはとても責任など取りきれない。
つくづく…他人と運命を分け合うのが苦手なんだろうという気もするが…それだからオレは……

「あのな、カイ」
突然。タカオが、意外なほど明るく笑った。
「オレは…おまえを一緒に背負えるし、そういうの好きだから、いいんだよ。楽しいことだけじゃなくて、痛いことや悲しいことまで…全部、一緒にもらえて、オレ、ホントに嬉しいと思うぜ?おまえはさ、ホラ、オレにはいつもカッコイイとこしか見せてくんなかったから…今のほうが、オレはずっと嬉しいよ。いつだって痛てぇ時はそう言って欲しいし。苦しかったら、すぐにオレを呼んで欲しいんだよ。そりゃ…おまえが苦しんでるのは…見てるオレも辛ぇけど…だけど、黙っていなくなられるよりも…オレにはずっと嬉しいんだぜ?」

穏やかな…声音だ。
コイツは、そういうヤツなんだ。…そういうところが…たぶん…コイツの強いとこなんだ…
だからオレは…

「だけどさ…おまえが逆に、オレを背負う必要なんて、全然ねえよ。おまえは…なんか、そういうの苦手そうだから…だから、やんなくていいんだよ。な?カイ?…何もムリすんなよ。オレのことは何も気にしなくていいよ。おまえが苦手なことは、オレが全部、引き受けるから。オレは、それで、ぜんぜん平気だぜ?」

…いつも肝心なとこで……コイツに敗けてしまうんだ…

「でもな、カイ。おまえは…きっと優しいんだよ。あんまりフツーの奴より真面目で優しすぎるから…そうなんだって、オレ、いつも思ってるよ」

……?…なに?…

今、なにか…耳慣れない単語を聞いた気がするが…

……きっと…オレの…聞き違いだろう…

「じゃあさ、カイ」
タカオが、オレの背中を撫でながら、また言った。
「一日も早く良くなってくれよ。そしたらオレ、すっげー嬉しいし」

それができれば…問題ないんだが…。

「じゃあさ、カイ」
また黙っていたら。
今度は、なぜか悪戯じみた声で笑った。

「カイは…オレのこと…好き?」
「なに…?」

いきなり…
なにを聞いてくるんだ…コイツは…。

「なあなあ?」
「……それと、これと、何の関係がある」
「すげーあんだよなーこれが。ヘッヘ〜」

急に後ろから抱きすくめてきた頬と息が、覆い被さるように重なった。

「だって、おまえが一言、スキって言ってくれたら、オレ、何もツラくねえもん」

どういう生き方してるんだオマエは……。
と、オレは…いつも思ってしまうんだが…
…これじゃもう…無関係なフリも…できやしない。

「なーカイぃー」
「………」

……オレに…どうしろというんだ。
「好き」だなんて……口がさけても言えないのに。

「カイー!」

仕方ないから、せめて、
コイツのアタマをつかまえて…

「……え…」

「んっ…ン…」

…こんなことを…してしまって。
ホントにその気になってきたら、どうするんだ。きさま責任とってくれるのか?
いや…ここで今すぐ、とられても困るんだが…

「……ん…」
「……」

この間のコイツくらいには、おもいっきりやっといて。目を開けたら…
唇を濡らして、ぼーっと真っ赤になったタカオが…オレを逆さまから覗き込んでいた。

「いっ…今のっ……おまえ…してくれたんだよな!?キス!!なあ!?カイ!!!」
「……でかい声を出すなっ近所に聞こえるっ」
「すっげーかった…もっかい〜!!なあ、もっかい〜!!な〜カイ〜!!」

後ろで、ぎゃーぎゃー騒ぎはじめたコイツを寝かしつけるのが…よけい大変になってきた…。
こんなことが…どんな強さに変わるのか…やはりギモンだ。



あの後。
担当医師の説明を受けて…病室に戻りながら…廊下で、タカオが言った。

『オレが、それ、信じるから。おまえは、そのオレを信じてくれりゃいいよ!な、カイ?』

おまえ…それ、どういう理屈だ。
と、あの時もオレは思っていたが…

『なんだよ!おまえ、オレを信じてくれねえのかよ〜?!』

そういうわけじゃない、とは答えた。

タカオは、本当に、心底、本気で。
どんな迷いも否定する勢いで、たしかに…そう言ったんだ。

『けど人間って、やっぱり、すげえよ!たしかに、一度、死んじまった部分は、二度と生き返らねえけど。それでも、ずっと練習してると…代わりに、今まで使ってなかった神経が使えるようになったり、新しい神経が、ちゃんと生まれたり、するんだって!!人のなかに眠ってる…新しい力が、ホントに生まれるんだって!!』

それは…そういう事も、あるかもしれないから…諦めずにやれ、と言われたはずなのに。
タカオは…非常識にも、200%、信じることにしたらしい。
こういう時の…コイツの都合のいい前向きなアタマは、感心するのを通り越して、うっかり尊敬してしまう。

『だから絶対ぇ大丈夫だぜ!!な、カイ?』

まったく根拠なんて、あるわけないのに。
コイツが言うと、なんだか…そうかもしれない、という気も…確かに…しなくはなかった。
いつも…おまえは、そうだったからな。
そうやって…どんな不可能なことさえ、可能にした…

『だからさ、カイ。オレがそれを信じるから…。おまえは、そのオレを、信じてくれよ。な?いいだろ?』

また、タカオが…
静かで透明な…銀色の海みたいな…不思議な笑顔を…浮かべていた。
思わず…
その静けさに引き込まれるみたいに…オレは…黙って頷いていた…。




夜の深い暗がりがまだ、ベッドライトの、ぼんやりした淡い輝きを、包んでいる。

オレは…
なにかに…なれるんだろうか?

たしかに、過去は、変えられないが。
その過去を引きずったまま…それでもなにか、自分でも見たことのない…新しいものに…?

「なーカイぃーカぁイっ!!なぁっもっかいー!!」
「木ノ宮、うるさい、黙れ。オレは、もう寝る」

オレは…
どこに…行くんだろう?
そこは…美しい場所だろうか?暖かい楽園みたいな場所だろうか?
そこに…木ノ宮は…いるだろうか?
それとも…

「あ。そうだ!!」
後ろでバカまる出しに騒いでいた木ノ宮が、突然、マジメな声を出した。
「カイ、あした、サインくれよ」
「なに?」
「いや、オレじゃなくて。…ん?いや、オレも欲しいな〜。じゃあオレにもくれ」
「だから何の話だ」
「今日、リハビリ室のベイスタジアムで遊んでたヤツらがいただろ?」
「ああ。いたな」
「あのうちの三人が、おまえのファンなんだって!火渡カイさんと握手さしてくれーって、頼まれちまった。明日、ここに連れてくるから。サインして握手してやってくれよ」
「な?!なにを…きさま、勝手なことを…」
「イヤか?」
「あたりまえだ!」
「まぁ、そう言うと思ったけどさ〜。な、1回だけ!!頼むよ〜。だってみんな何ヶ月も入院しちまってるんだぜ?ちょっとでも元気にしてやりてえだろー?」
「………」
「頼んだぜ!カイ!!……てコトで。……なぁ〜カぁイっ…もっかい〜さっきのしてくれよ!!!」
「………知らん」

まったく…知るわけがない。
未来のことなど。
それでも、タカオがそばに居ると。オレの行く先が…淡いライトの光みたいに…ぼんやり明るく照らし出されて、暗い道を、導いてくれる気がした。

コイツのせいで辛いのに…。
コイツのおかげで…そう思う。

それは…とても…不思議な感情だった。

とても今までの理屈や予測からは、割りきれない。
オレが…
昔より弱くなった代わりに、手に入れたものは…こういう不可思議で矛盾だらけの…
弱いのか強いのかも、よくわからない…

だが…おそらく…なにより大切な感情だった…。

こうやって…迷いながら…いまだ見たことのない道を手探りで進んでいって…
もしかすると、オレは…もうすぐ…

もうすぐ?

それは…オレにも…
後ろで騒いでるバカにも…
まだ、よく、わからないことなんだろうが…

その場所に…どうか木ノ宮が…居てくれればいいと…オレは…

オレ…は…それだけを……ほんとうに…望んでいたのかもしれない…。
コイツに出会った…たぶん…あの日から…

ほんとうは…


■to be continued■